御神樂岳(東面)

    昭和二十二年八月の記録

       パーティ 森田達雄 関根庄寿 半田峯二 戸田廣

  磐越西線の津川より南下し、溪谷美を以て知られる常浪川(阿賀野川)を遡れば上流は室谷川と広谷川に岐れる。此の広谷川を何處までも詰めて行くと御神楽岳の東面に突上げ、カール状に囲まれた岩壁地帯となってゐる。

  御神楽岳の過去に於ける登攀記録の殆んど全てが、西面の室谷川よりするもので東面の広谷川からの記録あるを我々は未だ寡聞にして聞かない。ただ此の方面のパイオニーアとしての新潟高校(編者注:現在は新潟大学)が去年から入ってゐるが、一部分の岩壁及びルンゼを登ってゐるに過ぎず、殆んど未開拓の状態である。

  我々は此処に於いて広谷川よりする御神楽岳の登頂を最大目的として八月下旬決行した。幸ひにして本流を溯行し、奥壁及び其の他のルンゼの登攀にも成功、無事に山頂を踏むことが出来た。

hsk4pa.jpg

hsk4pb.jpg

御神楽岳奥壁(中央部にムサの大滝を望む)

御神楽岳東面概念図

 八月二十四日(広谷鉱山へ)

  前夜八時上野発の汽車を新津で磐越西線に乗換へ津川で下車する。ある筈のバスは顛覆したとかで行かずがっかり。町の中程にある鉱山事務所の斡旋でトラックに便乗出来ることになったが、出発に間があると云ふので阿賀野川で獲れた鱒で朝食中、トラックは行って了った。止むなく今度は町端れにある丸運の事務所に行き頼む。

  昼食を食ったトラックはやっと一時に出発。八田蟹の一里手前の合川で降りる。坦々たるバス道を炎熱と重荷に喘ぎ乍ら八田蟹着。鉱山の中間事務所で遅い昼食をとり、鉱山へ帰ると云ふ若い人と共に愈々山へ向ふ。広谷橋を渡り蝉ケ平を過ぎ暗くなって漸く鉱山に辿りついた。

 タイム 津川(6・00−13・00)−合川(13・15)−八田蟹(15・00−16・00)−蝉ケ平(17・20)−鉱山(19・30)

 八月二十五日(二俣天幕場へ)

  鉱山発八時。選鉱場を左に見て小道に入る。と、すぐホタル沢を渡る。細々と続く左岸を行くとヤツゴヤ沢を渡り、水道橋を通過する。カクトウ沢の出合で休憩。更に進めば二十分程で湯沢である。幽ノ沢に似たカール状の沢奥は良いゲレンデになりそうだ。湯沢の少し先で踏跡は判らなくなり二つ目の小沢で本流へ降る。

  ラクダの窓を右上に見て材木カクリ場の前で小休止。カクリ場のゴルヂュは重荷では通過不能なので踏跡に従ひ右を捲く。ゴルヂュの上で左から笠倉沢が入り、その先の本流は大きなトロとなってゐた。河童の関根、戸田につきあひ一時間近く遊ぶ。

  右上から入ってくる奥がカール状の小沢二、三本を送り、左にタラのルンゼの岩壁を見れば二俣は目前にせまり、遙か前方にはムサの大滝が現はれ、一時少し前天幕場に着いた。直ぐ天幕を張り、昼飯を了へて本流の大滝迄偵察に行く。大きなトロの左を捲いて滝下に立つ。四十米程を殆んど垂直に落下する堂々たる滝である。左岸の涸れたルンゼ状を五十米程登り、右岸の直登可能の個所を調べて帰幕する。

 タイム 鉱山(8・00)−水道橋(8・50)−カクトウ沢(9・00−9・30)−湯沢(9・50−10・30)−材木カクリ場(10・35)−トロ(11・15)−タラのルンゼ(12・30)−二俣天幕場(12・45)−天幕設営、食事、大滝偵察、帰幕

 八月二十六日(登攀)

  前日の偵察通り右岸の直登ルートにアタック、半田トップとなり戸田のヂッヘル。森田、関根左岸のルンゼを登り指示する。第一テラスより中間の第二テラスまでのピッチは逆層の濡れたスラヴで極度に悪く、ピトン五本使用、アブミの足場で突破したが、テラス直下はハングしており、非常に悪かった。第二テラスから落口ヘは楽に行けたが全部で一時間半を費やした。

  左岸のルンゼ状は相当上まで続いており、落口ヘのトラバースは薮が付き簡単そうに見えたが、仲々そうではないらしい。大滝上の深い釜の右をへずり廊下を行くと、沢は直角に左に折れ、曲り角には滝がかゝってゐる。左壁から廻り込んで落口に立ち、連続する滝二つ三つを過ぎると、今度は右に曲ってやゝ平らとなる。右側に大きな岩のある滝を登ると左岸から新高ルンゼが出合ふ。

  小休憩の後再び廊下となる本流に向ふと、沢幅は狭まりトロをへずって行く。ほんの僅かでスノーブリッヂが現はれる。そこは新高でS字状廊下と云ってゐる廊下の入口の所で、右に折れてゐる処は滝らしく水音が聞える。雪橋は此の滝でつかえてゐるので入りかけたが、折れているところは滝らしく水音が聞える。雪橋はこの滝でつかへてゐるので入りかけたが、お先真暗で引き返す。

  燕返しの岩壁はこの滝の上から三本のスラヴとなって突上げてゐた。雪崩に磨がれた岩床は逆層なので、見かけよりはるかに手強いであらう。少し戻って高捲くことにする。関根、戸田は右岸、森田、半田は左岸を捲いて燕返しの岩壁の下に降りる。こゝで昼食となり三十分休んだ。

  こゝから先は雪溪が続き、広々とした所をのんびり上がって行くと、雪溪は左に曲り、眼前にバットレスが現はれ、本流は大きな滝となって右に折れてゐる。新高で云ふ所のS字状廊下の出口に当る所であった。バットレスは本流右岸から三、四本のスラヴ状のルンゼとなって頂上辺りへ突上げて居り、岩壁登攀の対象として立派なものである。

  大滝は四條になって落ちる幅広い滝で、高さも三十米近くあるらしいが、雪溪の為下部は見ることが出来ない。雪溪の上端より半田、関根懸垂で大滝右岸の中段に降り、クラック状を登る。残る二人は左岸からザイルを貰って這上る。大滝の上の小滝二、三を越すと両岸狭り、再びゴルヂュとなる。

  二段に落ちる釜の深い滝は右岸をへずり気味に登ったが、取付点が少々悪くピトンを打った。此の頃より雨が降り始め、上部に雪溪があるのか吹き降す風も冷い。沢幅の最も狭まった所の滝は、右から取付きバンドよりザイルにぶら下って中段の水流に降り左に移って登ったが、バンドから降りる所が一寸悪かった。

  ゴルヂュは更に続き、上の滝で左に折れてゐるので先の様子も判らず、時刻も既に二時を過ぎてゐるのでどうしようかと思ったが、もうこの先は大したことはないと断定して前進する。次の滝はその侭左岸を捲いて上に出ると両岸低くなり、割合簡単な滝を幾つか過ぎるとゴルヂュは終りとなる。眼前に大きな雪溪が現れ、雪溪の手前右には山伏の頭附近から発する水の殆んどない小沢が入ってゐる。

  雪溪の奥には又もやバットレスがあり、本山に突上げてゐる。此処は本流最奥のカール状の底で、山伏から本山にかけてルンゼが無数に突上げてゐるが、登攀の対象となるのは本山側の部分だけの様である。

  我々は此の本山側の部分を奥壁と呼び、先の四條に落ちる大滝の所の壁を前壁と呼ぶことにし、小沢の出合で残りの飯を食ひ乍ら、ガスに隠見する奥壁を偵察する。

  奥壁は三本ばかりのルンゼが山頂目掛けて走り、傾斜も七十度以上に思はれ、薮も殆んどなく快適な登攀が出来そうだ。一ノ倉の様な暗さは全くなく、非常に明るい感じを受ける。

  正面手前稍々左にある三角点への岩壁は傾斜八十度以上あるフェースの様で、これを奥壁正面岩壁と呼ぶことにした。ガスの為判然とはしないが、奥壁の左端は前壁と接してゐる様に見受けられる。少なくとも前壁と接する岩稜とコンネクトしてゐることは確かの様である。

  奥壁にアタックして山頂に立っには時間もないし、天候も思はしくないので再挙を期し、山伏の頭へ出て水晶尾根を下って帰ることにする。小沢に入ると直ぐ沢の中の岩に水晶が附着してゐるのを発見し、此の小沢を便宜上水晶沢と呼ぶことにする。

  少し登ると両岸にあった小薮は姿を消し、広々としたスラヴの岩盤となる。スラヴとは云ふものの、丁度軽石の面の様なスラヴで登高ははかどる。またたく中に登り詰め、山伏の頭の少し下辺りと思はれる所に出た。然し、ガスの為に確認は出来ない。位置を確かめるべく上下を調べたが、時間もないので諦めて下ることにする。

  小さなピーク(新高で云ふ御神楽槍のピーク?)を過ぎ、次の大きなピークで完全に迷ひ、物凄く急峻な所を上ったり下ったりして約一時間空費してる中、ガスが晴れ、湯沢と水晶尾根との間の尾根にいることが判り、小沢の詰めの広いスラヴをかけ足で横切り水晶尾根に戻った。

  我々が迷ってゐたピークは、穂高のジャンダルムによく似たピークで、良くもあんな所を登ったり下りたりしたとつくづく眺めなほしたのであった。間もなくポンナ穴を過ぎ、樹林帯に入り暗くなった頃二俣手前の本流へ降ることが出来た。

 タイム 二俣(8・20)−大滝下(8・30)−大滝上(10・05)−新高ルンゼ出合(10・30−10・35)−燕返しの岩壁下(11・35−12・00)−四條に落ちる大滝下(12・05)−同滝上(12・20)−ゴルヂュ入口の滝(12・40)−ゴルヂュ出合(14・15)−雪溪末端=水晶沢出合(14・20−14・45)−水晶沢の詰め(15・50−16・10)−ピーク(16・25)−次のピーク(16・45−17・30)−ポンナ穴(18・35)−二俣(19・30)

 八月二十七日(停滞)

  前日のアルバイトにすっかり朝寝坊してしまったので、明日の登頂に備へる為、今日はのんびり休養と決る。一日中ごろごろしてゐるのも勿体ないので、ザイルをかついでムサの大滝まで偵察がてら遊びに行く。

  二俣の直ぐ上には雪溪が残り、こはれた雪塊を越えて行く。と、滝が現はれる。釜が深い上両岸とも通行不可能なので、右から捲いて上に出たが、草付のトラバースは不安定だった。幾つかの滝を過ぎると大滝に至る。大滝手前の巨岩の左端を強引に攀ぢて巨岩の上に出ると大滝の全貌が現はれる。

  高さは三十米以上あると思はれる。右岸から落口へは一寸手が出ず、さりとて左岸にある直立のチムニーは濡れてゐる上にチョックストンが二つあり、上部はハングで抜けられそうにも見えない。たゞ大滝手前の左岸は相当下流までゆるい草付であるから、手頃な所から左岸を登り、草付傳ひに落口までトラバースすれば可能と見受けられる。下から見ると楽そうであるが、草付の状態が判らないので、断言は出来ない。

  大滝の上へ出るのは諦めて、附近の岩で吊上げの練習の後引上げる。最初の滝は草付のトラバースは敬遠し水流に沿って下ることにする。先づ戸田が眞裸になり、ザイルをつけて落口から八米下の釜めがけて飛込む。このとき岩の上に置いた関根の煙管が、ザイルにふれて一緒にダイビングしてしまった。後続はザイルで途中まで下り、適当な所から飛込んだ。落ちた煙管を拾ふ為、戸田関根が代るがはる潜って漸く釜の底から引上げた。

  思わぬ所ですっかり水浴し、こんな山奥だから大丈夫と原始の格好よろしく裸の侭天幕に帰って来たら、豈図らんや二人の文明人が我々を待ってゐた。それは地元の三條秀峯山岳会の杉井、新田の両氏、我々と同じ目的で、此処へやって来たとのことである。

 タイム不詳

hsk4pf.jpg

hsk4pg.jpg

hsk4pi.jpg

雪渓を登る一行

雪渓の奥の正面岩壁

奥壁正面岩壁を望む

hsk4pl.jpg

hsk4pj.jpg

hsk4pk.jpg

二俣幕営地への途中にて

雪渓を登る関根

ムサのF1下の雪渓にて

hsk4pn.jpg

hsk4pm.jpg

新高ルンゼを登る戸田

トロ場で泳ぐ関根、戸田と見物の半田

 八月二十八日(登攀)

   A班 本流再遡行及奥壁正面ルンゼ登攀

   B班 新高ルンゼ及本谷ルンゼ登攀

  A班報告  同行 森田、半田

  一昨日は天候不良の為、ガスに隠見する奥壁を眺め乍らも前途が分からぬまゝに水晶沢から引返したが、一日の休養を得た今日は是が非でも奥璧を極めんものと、四人張切って出発した。

  昨日、我々と同じ目的を秘め此処へやって来た地元の三條秀峯山岳会の新田氏外一名は、我々より一足先に出かけた。大滝に至れば彼らは案の定、左岸の高捲きルートをとってゐる。我々は一昨日の如く右岸の直登ルートに依って進む。一種の競争意識が起り、知らぬ間にピッチは早まる。四十分で大滝を突破し、勝手知ったるトロをへずって廊下が直角に左曲する所へ来ると、対岸からのルンゼの上部に新田氏らが休んでゐるのが見える。下降地点に困ってゐるらしい。声援を送って先へ進む。

  新高ルンゼ出合着七時三十五分。二十分ほど休憩の後、新高ルンゼへ入る関根、戸田と水晶沢出合での再会を約して本流を進む。様子が判ってゐるので、迷ふことなく左岸の小さなガリーに取付き高捲き開始、捲き終って燕返しの岩壁下の雪溪に下り着いたのが八時二十分。続く雪溪上を行くこと十分にして四條に落ちる大滝下着。

  此の間の雪溪上には一昨日は見られなかった穴が二つあき、下の滝がのぞかれたり、大滝の手前には大きなクレバスが出来て、大滝の右岸へ簡単に取付けず、左岸手前から草付に移り、斜左上にトラバースして落□へ出た。滝上で小休止の後上のゴルヂュヘ進む。F2はハーケン二本使用、F4のバンドトラバースも半田のザイル工作よろしく楽にパス。此処でハーケン一本打残す。ゴルヂュを抜けて最奥の雪溪末端(水晶沢出合)へ着いたら既に新高ルンゼ班が待ってゐた。

  早昼を食って奥壁目指して出発する。雪溪上端よりザイルを掴んで岩に飛び移る。岩に移って見ると、本谷のルンゼと思ってゐたのが正面のルンゼで、その右が本谷のルンゼと判明する。本谷へは関根、戸田が、正面のルンゼには森田、半田が入ることになる。軽石状のスラヴを気分よく連続で登り、基部で互の完登を祈り合って別れる。

hsk4pc.jpg

hsk4pd.jpg

御神楽ノ大滝F1を登る半田と戸田

左の拡大(上部は半田、中央部は戸田)

  始めはホールド、スタンス十分で簡単に登れたが、次第に傾斜も強くなり、岩質も悪くなっ来た。殆んど垂直でホールドの細かい第一の小悪場を抜けて直上すると、上部は覆ひ被さる様になり、完全にフェース状である。一ノ倉の奥壁中央壁を登ってゐる様な気がする。

  登り易そうな所を見つけて上に出ると、左に大きな垂直の涸滝が見えるテラスに立った。左は勿論駄目、眞上もハング気味、僅か右上に続く、これ又上部がハングした脆い岩場がルートとなるのみ。テラスよりアンダーホールドに依って右上に移り、脆い岩に気を配り乍らじりじり登って行く半田、ヂッヘルする森田、然し此の奥壁正面ルンゼを守る最後の牙城も僅か数分の後には、遂に我々の足跡を許し、二人は傾斜の落ちてきた上部のスラヴを快適に登って行った。

  スラヴの終る途中にケルンを積み小休止。最後は覚悟した程の薮の距離はなかったが、薮そのものはとてもひどかった。それでも二十数分の後、半田先づ稜線に飛出し、右へ数分行くと三角点が発見された。時に午後一時。二人は無事完登の握手をなす。

  本谷班も既に出たらしく、ガスの中から応答がする。二十分の後、彼らも到着し、改めて四人手をとって喜び合ふ。

  今日は中尾根を下る予定なので余りのんびりも出来ず、飯盒の飯を平らげ一服の後早くに山頂を辞す。(森田達雄・記

  B班報告  同行 関根、戸田

  本流とムサの出合のキャンプサイトより眞白に輝く広大な新高ルンゼのスラヴを見上る。食糧も余す所一日しかない。二十六日の水晶尾根よりの偵察で少なくとも新高ルンゼそのものは技術的な困難はないと云う自信はついた。三條秀峯山岳会の杉井賀親、新田義雄両氏は、私達より先に出発する。六時三十五分、我々も出発。

  大滝を二度目のアタック、四十分で四名突破する。滝上より十分で右より新高ルンゼが落合ふ。出合は狭く、此の奥にあの広大なスラヴがあるとは思へない。本流を進む森田、半田に完登を約し、関根、戸田はガラガラの石を踏んで新高ルンゼに入る。暫く行くと、右の薮より新田、杉井両氏が大滝を捲いて姿を現した。お互ひに成功を祈って別れる。

  Fl(4m)、F2(4m)を過ぎると二俣で、水量の多い左俣を進む。 F3(5m)、F4(6m)と問題となる滝はない。又二俣で左俣を進む。第一ルンゼに入らぬ様注意したが、ガスがかゝって上部が見えないので、専ら水量で見当をつける。

  八時十五分、開けた明るい二俣に達す。右俣を進む。二段10mの滝がすぐ現はれる。その後は小滝の連続で、八時二十七分、15mの滝を突破すれば岩は白く変貌し、愈々スラヴの近いことを知らせる。直ぐ連続して滝が落ちてゐる(6m、3m、3m、8m、5m)。

  此処で先づケルンを積み名刺をはさむ。続く滝を越せば、スラヴは眼前に展け、快哉を叫ぶ。眞白で広大なスラヴは快適そのものであった。息が切れて時々腹ばいになって休む程だった。下部と云ひ上部と云ひ、ザイルを出す所もなく、いささか失望してしまった。スラヴが終ればブッシュが出て来て詰まらないので、山伏の頭に登るのをやめ、九時十分、名刺を木の枝にさし、水晶沢へと左にトラバースを開始する。

  リッヂを二つ越すと本谷雪溪が眞下に白く輝き、奥壁はカール状に聳立し凄く威圧的である。九時三十分−九時四十分小休止の後水晶沢を下降する。二十六日に登って勝手を知ってゐるので一気に下る。二十分で出合に飛出してしまった。

  本流の森田、半田がまだ来てゐないので、早い昼食にする。パクついている内に“ヤナチャー”と森田、半田がニコニコやって来た。

  十時五十分、御輿をあげ雪溪を登りだす。関根、戸田は本谷ルンゼ、森田、半田中央ルンゼ(假称)へ入る計画である。四、五百米の雪溪の上端からのシュルンドは物凄く切れ込み、あまりの凄さに尻込みしてしまった。飛び移る所を探し求め、先づ半田ザイルで懸垂し、森田、戸田、関根とザイルを握って岩に飛び移った。秀峯山岳会の人々であらうか、遙か下の方より“ヤッホー”が聞えるが姿が見えない。正面岩壁下十一時十五分、中央ルンゼ班と握手を交して別れる。

hsk4po.jpg

沖の大瀑上にて(左から森田、半田、関根)

  急峻な岩をグングン登る。落ちたら間違ひなく雪溪下迄ブッ飛ぶ。技術的には困難ではないが、高度感が行動を慎重にする。お互ひに戒めあって登攀を続行する。途中右に寄りすぎリッヂに突上げさうになったので、左にトラバースすると、雪溪から見上げたスラヴが現れた。

  快適な登攀で息が切れてかなはない。ヤナチャーをかければ、隣のルンゼははるか下で応答がある。中央ルンゼは悪いのかも知れない。十一時五十五分より十分間小休止し一服つけケルンを積む。もうスラヴは終りらしく、ブッシュが出てルンゼは狭くなってきた。十二時三十分、草付に入る。稜線は近いらしいが、上部は猛烈な茂みで身体を没するばかりであった。

  悪戦苦闘の末十二時四十分、稜線に出る。だが何も見えないので立木(杉)に攀じ登りヤナチャーをかける。その内完登をした中央ルンゼ班から、御神楽岳の三角点を見つけたと云ふ。物凄いヤブを漕いで頂上へ行く。三角点の三十米位手前に一尺四方位の御宮の石があり奥社建設社掌大竹光保と刻んであったので名刺を入れる。

  頂上と云ってもわづかに腰を下ろせるだけ、実に猛烈なヤブである。森田、半田と握手を交し、成功を喜び合った後二度目の昼食をして二時頂上を後にした。(関根庄寿・記

  中尾根下降(A・B班)

  頂上より稜線伝ひ僅かに付けられた鉈目をたよりに行くのであるが歩き難いこと甚だしい。ガスは相変わらず晴れず中尾根の分岐がよく判らない。相当下ってから既に過ぎてゐることに気付く。然し今度尾根をはづすと本流かムサへ下って了ひ、両者共に大滝があるので安心出来ない。気をつけて下ったが、又も本流への支尾根を下ってゐることが判り、ガスの切れ間に右に戻る。

  夕刻になるに従ひ再びガスが晴れ、本流を挟んで対岸の水晶尾根、新高ルンゼの白いスラヴが手にとる様に眺められる。我々が発見した奥壁への最も容易な短いルート水晶沢がこゝから見ると五十度以上の凄いスラヴに見えるのも不思議だ。

  この尾根の最下部は物凄い急峻さで落込み、潅木があるので下れる様なものの、ターザンよろしく木にぶら下って急降下する。ムサの大滝下に残る雪溪目あてに二俣に辿りついたのは例によって暗くなった七時過ぎであった。

 タイム A班

 二俣(6・35)−大滝下(6・45)−大滝上(7・25)−新高ルンゼ出合(7・35−7・55)−燕返しの岩壁下(8・20)−四條に落ちる大滝下(8・30)−同滝上(8・45−8・55)−ゴルヂュのF2(9・00)−水晶沢出合(10・10−10・50)−雪溪を登り岩に移る(11・15)−第一の悪場(11・35)−大滝中段のテラス(12・00)−上部のスラヴ(12・10−12・20)−稜線(12・55)−三角点(13・00)−B班到着(13・20)−昼食後両班出発(14・05)−中尾根を下る−二俣(19・00)

 タイム B班

 新高ルンゼの出合(7・55)−三番目の二俣(8・15)−右へ入る−F7(8・27)−快適なスラヴ(8・30)−左のリッヂヘ移る(9・10)−水晶沢の詰(9・30−9・40)−水晶沢出合(10・00)A班着(10・10) 以下奥壁基部迄A班と同じ 本谷ルンゼ取付(11・20)−ケルンを積んだ所(11・55〜12・05)−草付に入る(12・30)−稜線(12・40)−三角点(13・20)

 八月二十九日(津川まで)

  家を出てから既に六日目、もう二、三日ゐたい所だが、そうもならず引上げることにする。雨が降ってきたので、朝食もそこそこ、天幕をたゝたんで帰途につく。雨に追はれて帰りは早く、鉱山へ十時半に着いた。晴れて来たので濡れたものをかはかし、昼食を済ませ、愈々山を下る。此の間三條の二人が引上げて来たが、水晶尾根でビバークしたとのことである。

  蝉ケ平の農家では旧盆とかで各戸にお迎へ火をたいてゐた。野菜を買った家ですっかり御馳走になり、八田蟹へは六時頃着いた。最早トラックもハイヤーも来ないので、津川の宿屋を交渉して貰って眞暗なバス道三里をてくる。町の中程にある今夜のネグラに着いたのは、十時半頃だったろうか。

 タイム 二俣(8・00)−鉱山(10・30−13・40)−蝉ケ平へ立寄る(14・30−17・10)−八田蟹(18・00−18・45)−津川(22・30)

hsk4pe.jpg

初登攀の帰途、広谷鉱山事業所の人々と記念撮影

 八月三十日(帰京)

  宿の人の不注意で飯も食わずに一番列車に飛乗る。新津、長岡でうまく連絡し、汽車は一路東京へとひた走る。土樽で平標より国境尾根をやる関根半田下車、森田、戸田は空腹にたえかねて水上で下車、喜代志さん(編者注:中島喜代志氏)の所で昼食を御馳走になり、一週間の汗を温泉で落として、次の汽車で東京へ帰って来た。(森田達雄・記

(『鵬翔』第76号より 漢字の一部を改めた他は、ほぼ掲載当時のまま。挿入写真=関根庄寿会員提供)


icon380.gif「アーカイブ」へ

icon380.gif「年表U」へ