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『虫が好かない』
理由はないが何となく気にくわないこと
 ラフカディオ・ハーンは明治時代、日本の文化を広く西洋に紹介してくれた人物です。ギリシャ生まれのイギリス育ちですが、出雲の国松江にて日本人女性と結婚し、小泉八雲と名乗り日本に帰化しました。そして英字新聞記者や高校・大学の英語教師を務める傍ら、伝奇や怪談の研究に勤しみ数々の名作を著したのです。
 さらに彼は昆虫も大好きで、多くの虫に関する文章を残した人でもあります。著書の中で彼は、自分を育んだ欧州圏の人々と日本人の虫に対する愛着の違いを「欧州では詩人にしか表現できないような虫の哀れさ・はかなさを、日本では一般庶民までが理解し、またそれを日常としている」と言っています。
 もう一人、日本で大変人気のある欧州人にファーブルがいます。「昆虫学的な回想録−昆虫の本能と習性の研究」が有名な昆虫記の正式名称。フランスでは虫に対する国民の関心が低く、「セミの鳴き声は?」と質問されると怒り出す人までいると聞きます。昆虫記も日本でのみ異常に評価が高く、何度も翻訳されています。最新版の昆虫記は埼玉大教授の奥本大三郎氏(日本昆虫協会長)が訳者となっており、タマオシコガネの正体は従来のスカラベ・サクレではないことを指摘しておられます。また、プロヴァンス地方セリニヤン村にあるアルマス・ファーブル博物館来訪者の内、約1割が日本人観光客とのこと。
 これらのことを考え合わせると、我々日本人は元来虫を好きな国民のようです。
 でも、中にはムシと聞いただけで鳥肌の立つ人や、どうしても触れない人がいます。それはもう根本的に虫が嫌いなのだと思います。自分でも嫌いな理由はよく分からないけれど、とにかく嫌いという時、こんな言い回しがあります。『虫が好かない』。「あの人のこと嫌い、何となく嫌い、どうしても嫌い、好きになれない」。そんな時この言葉を使います。でも、勇気を奮って近寄ってみると意外とイイ奴だったりするものです。本当のところは外見だけでは分かりません。虫も結構かわいいですよ。
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モルフォチョウ ボウナナフシ

ユカタンビワハゴロモ

コカマキリ ヨナクニサン



『悪い虫が付いた』
性格の悪い相手に取り付かれてしまうこと
 日本には何種類のチョウがいるかというと、大体250種類と言われており、栃木県ではそのうち129種が記録されています。中には大変似ている種類もいて、羽根が痛んでいると図鑑を見ても区別の付かないものもいます。では、チョウたちはどうやってお互いの結婚相手を探し出すのでしょうか。チョウは普通、人間と同じようにオスからしかプロポーズをしません。まあ、人間の場合、女性が男性のもとへ押し掛ける場合もありますけど…。
 オスのチョウは先ず、複眼を使って相手を探します。それだけでは同じ種類の相手かどうか分からないので、今度は匂いを嗅ぎ出します。この匂いの正体が「フェロモン」。フェロモンは種類ごとにその成分が微妙に違うので、外見は似ていても自分の結婚相手を正確に知ることができます。種類によっては蛹の状態からフェロモンを強く発散するチョウがいて、オスは動かないメスの蛹に盛んに求愛するのが観察されます。そして羽化するや否や、羽根が未だ固まっていないうちに、大抵のメスは成虫になった途端結婚してしまいます。もし、両親が見ていたらきっと怒り出すに違いありません。オスにとっても自分の子孫を残すための競争ですから必死です。
 でも、卵で産み落とされた瞬間から親の手を離れてしまうチョウたちには関係のないこと。人間の親だったなら、かわいい娘に嫌な男が現れたらどう思うでしょうか。こんな時、父親や母親はこう言います。『悪い虫がついた』。人間の女性も実はフェロモンを出しています。実際には匂いませんが、最近ようやくその抽出にも成功したとか。それを人は「色気」と呼びます。男性を引き寄せるのはイイのですが、悪い虫にはどうか捕まえられないようにしてください。
 昆虫のフェロモンには性フェロモンや集合フェロモンなどが確認されており、果実に付く「悪い虫」を退治するための画期的手法として、化学合成されたフェロモンがすでに広く利用されています。
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キチョウ ツマグロキチョウ

モンシロチョウ ツマキチョウ

スジグロシロチョウ


『虫の居所が悪い』
機嫌が悪く、ちょっとしたことでも怒ってしまう精神状態
 エジプトのピラミッドについてはミステリアスな部分が多く、「なぜ造られたのか」という基本的な事項ですら明確な答えが未だ出ていないようです。最も一般的な説として「王の墓」というのがあります。この説が合っているものとして、ではなぜ四角錐かという疑問が湧いて来ます。天文学上必要な形とも言われますが、私のような虫好きには、あれが動物の排泄物に見えて仕方ないのです。ラクダなどの大型獣の糞を真横から見れば、ピラミッドの形そっくりとは思いませんか。
 その糞を団子状にし、中に卵を産む虫がいます。「スカラベ」と呼ばれる甲虫の一種で、青や緑にキラキラ輝く大変美しい虫です。ファーブル昆虫記の中でも「ヒジリタマオシコガネ」として紹介され、カリュウドバチの話とともに人気のある章となっています。エジプトでは聖なる虫として崇められ、象形文字の中にもこの虫型があります。ケペルと読み「姿・形」を意味するとか。
 糞の中に産み落とされた次世代は孵化後、周囲の糞を餌としながら成長します。その中でそのまま蛹となり、羽化の時ようやく外界へ出て来ます。つまり、同じ姿・形のものが糞の中から再び生まれ出るわけです。古代エジプトの人々はこれを「王様を糞と同じ形をしたお墓に安置すれば、再び彼がこの世に現れ、自分たちを守ってくれる」と解釈したのでしょう。だからあのお墓はあのような形をしていて、ミイラたちは納まるべきそれぞれの居場所にいるのです。
 それとは逆に、自分が居る場所の収まり具合が悪く不安定で、ちょっとしたことでも直ぐにカッと来るような精神の落ち着かない様子を指して『虫の居所が悪い』と言います。私など虫の居所が悪い時には、好きな虫を眺めながら自分の体の中の虫を鎮めるようにしています。虫を定位置に戻すためには、やはり虫に頼るのが良いようで…。

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ミドリダイコクコガネ

スカラベ各種

タイワンダイコクコガネ

『虫の息』
じきに死んでしまうような危険な状態
 虫の中には水中で生活する仲間、水生昆虫がいます。ゲンゴロウ・タガメ・ミズスマシ…、ミズカマキリという虫もいます。トンボの幼虫のヤゴや蚊の幼虫ボウフラも子供時代は立派な水生昆虫です。そんな虫たちはどうやって呼吸をしているのでしょうか。
 昆虫は通常、お腹の脇に気門という穴が開いており、そこから空気を吸い込みます。では水中ではどうでしょう。「サカナじゃないからエラなんて付いているはずない」と思っていませんか。でも、エラのような働きをする器官が付いている虫もいるのです。ヤゴには、水中の酸素を取り込むエラ気管と呼ばれる特別な仕組みが備わっています。
 一方、ボウフラやタガメは空気を吸い込むお尻だけを水面に出して呼吸します。成虫の状態で水中に潜るゲンゴロウやミズスマシは、さらに画期的な方法で水中呼吸します。実は、羽根と体の間に空気を貯め込む隙間があって、そこから少しずつ気門の方に空気を送っているのです。
 また、体全体がスベスベしていて表面張力が大変強く、足やお尻に気泡を付けて潜ることもできます。酸素ボンベ付きボディというわけです。水生昆虫たちは少量の空気でも、体が小さく酸素消費量も少ないので、長い間潜っていることができます。これが人間だったら大変。ほんの少しの空気しか持って行けなかったとしたら、死んでしまうかもしれません。そんな人の状態を指して「虫の息」と言うことがあります。人間が虫のように小さな息しか出来ずに死ぬのを待つばかりという時、小さな声で「あの人は虫の息だ」と言います。
 こうは成りたくないもの。ゲンゴロウは肉食性の昆虫で、タンパク質を柔らかくする酵素を獲物に注入し、相手の細胞を液状に分解して吸い取ります。人間も指などを咬まれると、その部分が「虫の息」になる場合がありますので注意が必要です。
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タガメ ゲンゴロウ

ミズカマキリ

タイコウチ トンボのヤゴ




『虫の知らせ』
何処からともなく何故か分かってしまうこと
 「鳴く虫」というと皆さんはどんな虫を想像されますか?セミ、バッタ、カミキリムシ…。鳴き方は種類により様々です。胸の共鳴板を震わせるもの、羽根と羽根を摺り合わせるもの、羽根と脚を擦り合わせるもの等々。どの種も人間のように口から声を出さないところが面白いと思います。(もっとも、声帯はありませんが…。)では、虫たちはどんな理由で鳴くのでしょうか。
 私たちに「夏が来たよ」と教えるため?それとも秋の夜長を楽しませてくれるため?いえいえ、虫たちは自分一人の生存競争のために一生懸命鳴いているのです。自分の縄張りを主張し、同種のメスを誘い出すため声をからして鳴き続けます。
 今年もそろそろ山間の地域ではヒグラシが鳴き始めます。日光周辺では例年7月10日頃が初鳴き。ヒグラシは夕方のほかに明け方にも鳴く典型的な薄暮型のセミです。まるでコンダクターでも存在するかのように、一斉に鳴き出すのには訳があります。あの物悲しい美声はメスたちへの個性たっぷりのラブコールなのです。1匹が鳴き出すと自分も負けるものかと別の1匹が鳴き出します。するとまた1匹が鳴き出し、それらがついに大合唱に。ヒグラシの鳴き方やその周波数は1匹1匹微妙に違っていて、それぞれの声に特徴があることが最近分かってきました。個性と個性のぶつかり合いが夕方の静けさの中に響き渡っている訳です。
 昔の粋な人々は、ヒグラシやコオロギが集団で次から次に鳴いていくこのような生態をとらえ、情報が伝達していく様として解釈したようです。それが「虫の知らせ」。不思議だけど何となく分かる、今は大丈夫だけど嫌な予感がするなど、どこからともなく何かが未来を教えてくれた時、何となく胸騒ぎを感じる時にこの言い回しが使われます。そこには虫たちの超能力が介在しているのかもしれません。
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クサキリ スズムシ

エゾゼミ ヒグラシ

エンマコオロギ アブラゼミ





『蓼喰う虫も好きずき』
人の好みは様々で、一般には理解しがたい多面性を持っている
 昆虫教室の講師として招かれると、私は先ずこういう質問をします。「さて皆さん、チョウは何を食べているのか知っていますか。花の蜜?あれは吸ってるんですね。葉っぱ?そうです。成虫は食べませんが、幼虫の時は大抵葉っぱを食べて大きくなります」
 さらに意地悪な質問は続きます。「カブトムシやクワガタムシを飼っている人で、エサはたくさん食べるのにちっとも大きくならないって悩んでいる人はいませんか。でも、大きくならないのが正解ですよ。昆虫は私たち人間と違って、体の中に骨のない外骨格の生き物なんです。だから外側が固いでしょ。幼虫の時、一生懸命葉っぱや木屑を食べて大きくなったら、外側の骨を外さないともっと大きくなれないんです。それが脱皮です。
 普通、チョウの幼虫は、それぞれ決まった草や木の葉を食べながら4回くらい脱皮をします…」こんなやり取りから始めると、こちらのペースで話しが進められます。しかし、どの世界にも例外はあるもの。盛夏に深山の渓流沿いで羽化するオオゴマシジミというチョウは、3回目の脱皮後、アリによって土中の巣の中に運び込まれ、葉っぱではなくアリの幼虫をアリの親から与えられて育ちます。残酷な気もしますし、花でも実でもないウジ虫なんかどこがおいしいのでしょうか。まさに『蓼喰う虫も好きずき』です。「タデという草はとても苦くて食べられたものじゃないのに、それを食べる虫もいる。人には他人には分からない多面性がある」という時にこの諺は使われます。
 チョウの幼虫は養育してもらった代償に、体の蜜腺から甘い液体を分泌しアリの親に舐めてもらいます。最近の研究では、チョウの幼虫の大きな体は、アリの巣全体が何らかの危機的状態に陥り、外からの食料が閉ざされた際に使用される「備蓄のための食糧」とか。アリの方が、より多面性を持っているようです。
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ゴマシジミ オオゴマシジミ

ゴイシシジミ クロシジミ

キマダラルリツバメ



『一寸の虫にも五分の魂』
小さく弱いものでも、意地も根性もあるからあなどってはいけない
 晴れた日に地面を見ると、必ずと言っていいほどアリが歩いています。アリはハチ類とともに最も進化した昆虫と考えられています。人間と同じような社会生活を営むアリは理科の教材としても最適で、薄い透明ケースの中に造られた大家族の集合住宅に興味津々だった方も多いことでしょう。同じアリでも中南米から南米に生息するものには、日本では考えられないような生活をしている種類がいます。名前をハキリアリといいます。そのアリ社会には5つのグループがあって、それぞれが違った仕事に就いています。
 まずその名のとおり、背の高い樹木の葉を噛み切り落とす係がいます。まわりにはそのアリたちを守る護衛専門のアリがいます。切り落とした葉を頭の上にヨットの帆のように立てて運ぶ者もいます。この行列はジャングルの中で何百mにも及ぶ場合があり、緑の道に見えるほど。巣の中に葉を取り込んだら、今度はそれらを並べ自分の唾液を吐き付ける担当がいます。この葉を使って小さなアリが次に何をするかというと、ナンとそれらを培地としてキノコを栽培するのです。人間が田畑で稲や野菜を栽培するように、このハキリアリは皆で協力し合いながらキノコを育て、それを食料とするのです。巣の中には排泄物を貯める専用の部屋もあるそうで、あふれ出たゴミの山が土壌の栄養分を増しているという報告もあります。一つの家族の中には勿論女王アリもいます。人口過密で分家の必要性が出てきた場合、新しく女王になるアリはキノコの菌糸をひと摘みだけ自分の体の中に取り込んで、新しい巣へと旅立ちます。
 しかしながらハキリアリの1家族が1日に食べる葉の量は、牛1頭が1日に食べる量に匹敵するそうで、南米では深刻な害虫問題になっています。こんなに小さくて弱々しいアリでも立派な仕事をしています。小さなハチでも飛び上がるほど痛かったり、時には人の命を奪ってしまうことすらあります。小さく弱いものでも決して侮って見てはいけないという戒めの諺が「一寸の虫にも五分の魂」です。
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ブルドックアリ

ハリブトシリアゲアリ

クロオオアリ ヤマトアリ

『虫のいい話』
自分に好都合なようにばかり考えること
 チョウの蛹が割れて、いよいよ美しい成虫が出て来ると楽しみにしていたら、中からハチが飛び出して来たことがありました。これはチョウが未だ幼虫の時、体内に卵を産み付けられ寄生されていたことの証です。アゲハなど大型の蛹では、直径3ミリくらいの小さな穴が開いて、中が空っぽのことが時々あります。
 また、シジミチョウの一部のグループの越冬卵は、タマゴヤドリコバチという寄生蜂に冒されていることが殆どだという報告もあります。昆虫界という小さな世界ではありますが、弱肉強食の生存競争を目の当たりに見る思いです。「動きの鈍い幼虫時代を狙って卵を産み付け、宿主が一生懸命葉を食べて造った体の一部を食い荒らし、腸や神経といった生命の存続に関わる部分には手を付けず、最後の最後まで生き長らえさせて自分だけが成虫になる」。考えただけでも身の毛もよだつ話ですが、こういう身勝手なお調子者が虫の世界ではまかり通っています。正に「虫のいい話」ではありませんか。
 どうやら格言や言い回しで「虫」という言葉が使われる時は、「精神」や「本能」という意味合いを持たせているようです。しかしながら、この寄生蜂には現代医学に貢献できるかもしれない、ある能力が備わっているらしいのです。通常、生物の体は内部に異質なタンパク質が侵入してくると、自動的に防御の反応を起こすようになっています。蜂に刺されて腫れるのもこの反応です。
 ところが、寄生蜂が宿っている幼虫にはこの反応が全く出ないのです。宿主が防御反応を起こさないような物質を、寄生者が分泌しているとしか考えられません。この物質が解明できれば、癌の治療や抑制に役立つばかりか、ウィルス性肝炎などあらゆる抗原抗体反応によって起こる病気を治せるはずです。虫のいい虫には、人間側も虫のいい話らしく大いに利用したいものです。
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アゲハヒメバチ 

クロアシナガバチ

タマゴヤドリコバチ

『飛んで火に入る夏の虫』
自分から進んで危険や災難に身を投じること
 「飛んで火に入る夏の虫たあ、おめえのこった!」懐かしい時代劇の中で、悪党が正義の味方の主人公に向かって吐く捨てぜりふです。当時の私はこの諺の意味を「罠にまんまとはまってしまった哀れな人」と解釈していたのですが、本当の意味は「自らすすんで危険の中に身を投じる勇気ある人」だそうです。
 でも、本来の虫たちは死にたくて火の中に入るわけではありません。火は熱エネルギーのほかに、光を発散しているため、虫たちが光に吸い寄せられてしまうのです。虫側の生態的な解釈からすると、「罠にはまっておびき寄せられ、しまいには殺されてしまう」というのが正解。虫たちは光に敏感に反応するセンサーを内蔵し、さらに光に対して正の走行性を示してしまうために、危険とは知らずに火に近づき、我が身を焦がしてしまうのです。人間が光りや明かりを発明する前は、夜行性の虫たちは恐らく、月の明かりを唯一『依りどころ』として飛翔していたはずです。火が登場し、街頭までもが整備される時代になってしまい、その依りどころがたくさん巷にあふれ出して、虫たちは果たして何を基準に飛翔したらいいのか麻痺してしまったようです。
 この習性を利用して誘蛾灯が開発されました。ガの仲間やクワガタ・カブト虫類は原則的に夜行性なので、森の中に白いシーツを張り、ブラックライトの光を反射させて虫を集める夜間採集法もあります。また、提灯のまわりに腰の強い綿を薄く張り付け、その明かりに寄って来るバッタ類の脚を絡め付かせ採集する方法もあります。もっと簡単に、駐車場の照明灯の下や、山の中にある自動販売機の周りを探し歩いても結構な成果を上げることができます。
 いずれにしても、虫たちにとっては迷惑な人工の明かりではあります。蛇足ですが、他の季節の虫も火の中に入ってしまいますので、無視しないでやって下さい。
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ムラサキシタバ キシタバ類

シロシタバ オオシロシタバ

オニベニシタバ ベニシタバ 

『玉 虫 色』
状況によって、どんな意味にも取れる言葉
 国宝としても有名な法隆寺の「玉虫の厨子」は、数え切れないほどの玉虫の鞘(さや)を使用して、今から1300年前に作られたものだそうです。きらびやかな羽根の模様で飾られたそれは、まばゆいばかりの光沢できっと後光ならぬ「五光」を放っていたことでしょう。でも歳月には勝てないもの。現在では数枚の羽根が残っているだけだそうです。
 タマムシの属するタマムシ科は、コウチュウ目の中でも小さなグループで、日本国内で約200種類が知られています。本家本元のタマムシは別名をヤマトタマムシと言い、科の中でも一番大きく、しかも一番美しいとされる種。酷暑の真昼に活動します。あとの仲間はどれも1〜2センチ足らずの小さな種類ばかり。最近はこの仲間を集める昆虫愛好者が結構多く、隠れたブームに。輪島塗の職人が東南アジアの玉虫を使用して、まったく新しい芸術作品を造り出しているという話も聞きます。きらびやかな衣装を身にまとっている虫なればこその、人間社会との文化的な関わり合いです。
 さて、言葉で「玉虫色」というと、その美しさとは裏腹に悪い意味で使われることが多いようです。「玉虫は綺麗な色をしてはいるが、光の当たり方によってどんな色にも変化する」この形態的な特徴をうまく小説の中に盛り込んだのが野間宏氏でした。彼の小説「真空地帯」(1952)では、軍部による「玉虫色の発言」という言い回しが頻繁に登場し、当時の流行語にまでなったそうです。作品の映画化でこの言葉はさらに広まり、現在でも新聞の政治面などでよく見られる用語として定着しています。美しいタマムシにとっては迷惑な言い回しではあります。
 しかし、変化するのは昆虫社会の常識。タマムシもエノキやケヤキの枯木を食料としながら卵→幼虫→蛹→成虫と変態を繰り返します。甲虫類はチョウ類同様完全変態の昆虫であり、幼虫時代は白無垢のイモムシ状態がほとんど。発言が玉虫色に変化するような政治家や、かつての軍部とは違って、筋を通し、必ず同じ輝きを持つ成虫に変身するのが本当のタマムシなのです。
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ホウセキタマムシ

ルリタマムシ

ヤマトタマムシ ウバタマムシ

『虻蜂取らず』
欲張り過ぎて返って損をすること
 『虻蜂取らず』という格言は「二兎を追う者一兎も得ず」と同義で使用されるべき言葉ですが、知識の乏しい私は最近まで「触らぬ神に祟りなし」と同じように、「危険だから近寄るな」という意味に解釈していました。
 ほかの人よりは野外に出る機会が圧倒的に多い私は、よくアブやハチの攻撃に合います。盛夏に発生するオオスズメバチなど、5センチを超す個体は「死神」を感じさせるに十分な迫力です。ウシアブも人の汗の匂いに敏感なのか、茹だるような暑い日に限ってまとわり付きます。アブに刺されると、瞬間飛び上がるほどのシビレで顔面蒼白になりますが、この痛みは10分くらいで消えます。何も危害を加えなくてもアブは人間を襲うので困りものです。
 でももっと困るのは前述のスズメバチやアシナガバチの仲間。人を襲う蜂は約四十種いるとされ、その毒性は強烈で我が国では毎年40人程度がハチ毒により死亡しています。ハチ毒は抗原抗体反応によって動物を死に至らしめます。つまり、スズメバチに刺されても最初の一回は腫れ物が出来る程度で心配ないのですが、二度目は体の中に抗体が出来ているので、どうなるか分からないというもの。五月〜八月の分蜂の時期は要注意で、森の中に入ることの多い林業従事者の方々は、使い捨ての解毒注射器を持参して森の中へと分け入るほどです。
 ハチ毒の症状として最も危険なものは、全身性のアナフィラキシーショックと言われる状態です。全身のジンマ疹、赤斑、低血圧性ショックによる循環器不全などの症状が出ます。大部分は刺されてから15分以内に症状が現れ、高齢者ほど重症化すると言われています。だから山仕事の方は山に入る前に血液の抗体検査を実施し、血清を少しずつ注射して、症状を軽減させる努力を惜しみません。
 『虻蜂取らず』の格言は、ハチ毒のメカニズムが解明されていない頃のもの。「捕まえて退治してやる」とは絶対に思わない方が無難です。「アブとハチが両方いたら、2匹とも知らん振りして逃げなさい」が、この格言の正しい意味です。

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オオスズメバチ ウシアブ

キイロスズメバチ

セグロアシナガバチ

『蟻の這い出る隙もない』
ごく僅かの余地もないくらい警戒が厳重なこと
 虫というのは意外と体がやわらかいもので、外骨格の生物といえどもカブトムシやタマムシのように硬い種類ばかりではありません。チョウのように全体的に扁平型の虫もたくさんいます。
 世界中の嫌われ者ゴキブリなどは「こんなに狭いところをくぐれるわけがない」と思えるような隙間でさえ、楽々とすり抜け逃走してしまうのが常です。越冬のため民家に潜り込むカメムシやテントウムシなどは「いったいどうやって侵入して来るのだろう」と不思議を通り越して瞬間移動のマジックを見ているかのようです。
 『蟻の這い出る隙もない』とは『小さなアリですら出られない厳重な警戒態勢』という意味ですが、虫たちはこの「隙間」が大好きで、狭いところに自ら入り込み、なかなか出てこないという習性があります。特に成虫で越冬する虫たちはこの生態行動が顕著で、寄り添い合って大量に集団越冬する種が数多くいます。前述のテントウムシは天井の隅に、カメムシはちょっと湿った軒下に、ムラサキツバメというチョウは常緑樹の茂みの中で冬ごもりします。大集団で越冬することで有名な北米のオオカバマダラは、毎年中南米の同じ場所で針葉樹の枝もたわむほどに群れ集まります。
 これらの習性をうまく利用したのが「こも巻き」と呼ばれる害虫退治法です。これはある程度の太さのマツの木などに、晩秋の頃、地上高1.5mあたりへワラむしろ(こも)を巻き付け、害虫たちが越冬のため地上に降りて来る途中、むしろと樹皮の隙間の中に温かい環境を作ってやることにより、一網打尽するというもの。三月六日啓蟄の頃、虫たちがモゾモゾと活動を始める時候を見計らってむしろを剥がし、そのまま焚き火にくべてしまいます。湯津上町侍塚古墳、アカマツへのこも巻きは毎年テレビでも紹介され、冬到来の風物詩となっています。最近は地球温暖化の影響で、駆除時期が微妙にずれて来ているといいます。
 10年くらい前まで県内では越冬不可能とされた暖地性の昆虫たちが、次々と北上の記録を塗り替えています。そのうち越冬する昆虫がいなくなってしまう時が来るのでしょうか。
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オオゴキブリ

クサギカメムシ

オオクワガタ コノハムシ

『だまり虫 壁を通す』
何も言わず、耐えて生き抜いて、偉業を成し遂げること
 虫の寿命は一般に短いとされていますが、セミの中には長寿な種が結構あって、中でも北アメリカにいる周期ゼミは、卵から幼虫を経て成虫になるまで13年または17年かかるとされています。
 ところが日本には、その記録を大きく上回る長寿の虫がいます。カミキリムシの仲間でクロトラカミキリと呼ばれる9〜16ミリくらいの甲虫は、コナラやケヤキ、エノキ、カエデなどの材の中で幼虫期をすごします。暮らしている樹木が伐採され、家具や置物、こけしなどに加工され乾燥すると、成長のスピードが極端に遅くなって、中には成虫になるまでに5年、10年かかるものもいます。これまでの一番記録は、福井県内の民家の梁に使われていたアカマツから出てきた個体で、実に45歳だったそうです。このカミキリは明るい所を好み、生態的に暗所からは発生しないので証明できるとか。このほかの種類でもエグリトラカミキリ、スギノアカネトラカミキリで同じような例が報告されています。まさに「だまり虫、壁を通す」の格言どおり、じっと何も言わず、耐えて生き抜いて偉業を成し遂げる象徴のようです。
 チョウの中にも長生きの種類がいて、例えば高山に生息するタカネヒカゲというジャノメチョウ科のチョウは、卵から孵るとその年は幼虫で冬を越し、次の年は蛹で冬を越し、足掛け3年でやっと成虫になります。国の天然記念物ウスバキチョウも同様です。
 チョウは成虫になると意外に短命な種が多いのですが、成虫で越冬するものには長命な種もいて、厳しい冬を越え、羽根がぼろぼろになっても、なお一層元気に春陽の中を飛ぶチョウもいます。特にキベリタテハというチョウは、日本産では唯一、自分の子供が成虫になったのを見届けることのできるチョウだと思います。
 ほかにも、蛹の状態で2年も冬を越したというツマキチョウやクモマツマキチョウの例があります。昆虫は小さいがゆえ、どこにそんな逞しい生命力が宿っているのか不思議でたまりません。黙って、黙々と生きることが長寿の秘訣なのでしょうか。
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クロトラカミキリ オオトラカミキリ

キイロトラカミキリ

ブドウトラカミキリ キスジトラカミキリ

『臭いものには蝿がたかる』
醜悪な者どうしが、仲間を求めて集まること
 世の中にはとても変わった行動をする人がいるものです。かく言う僕もチョウの収集などという子供じみた遊びを未だに止められない成人なのですが、その僕が見てもより一層変わった行動を執る人がいます。 彼は同じ昆虫でも甲虫類、とりわけフンコロガシの仲間を集中的に集めています。これらの仲間は皆、エメラルドやアメジストの如く光り輝き、一度見たら忘れられない種類ばかり。限られた場所以外へは殆ど飛んで行かないため、その地方特有の輝きで愛好家たちを魅了します。彼が最近熱を上げている種が、長野県犀川の河原にしかいないとされる「ウエダエンマコガネ」。フンコロガシの中ではそれほど綺麗な種ではありません。ただ、そこにしかいないという希少性だけは十分。
 フンコロガシたちはどの動物のフンも食べるというのではなく、種類によってそれぞれ好みがあります。クマのフンだったりウマ、ウシ、サルだったり…。その種が採集したければ或る特定のフンを頼りにするしかないので、場合によっては採集地の途中にある牧場に寄って、牛糞をもらって行く場合もあります。それを河原や草原などに仕掛けてトラップを作るのです。ウエダエンマコガネの一番の好物は人糞。
 虫好きの彼は自分の体の中にそれを十分貯め込んでから犀川の河原へ出向き、数回に分けてトラップを仕掛けます。そして二時間くらい経ってから見に行き、たかっているハエを払いのけ、自分の分身の中から目標の虫をほじくり出して、うごめく鈍い輝きにニンマリするわけです。
 でも、たくさん採るためにはたくさんの人糞が必要です。現地で調達するにも限度があります。そこで彼はどうするかというと、自分の糞を備蓄することを考えたのです。出来るだけ新鮮な方が効果も高いので、自宅で大切にラップに包んで冷凍保存します。溶けないようアイスボックスに入れ、河原の何カ所にもそれを仕掛けニンマリします。「臭いものには蝿がたかる」とはよく言ったもの。このマイセルフ採集法の先駆者である彼には、同様の趣味を持つ仲間が何人も集まります。僕のまわりにも彼のような人間が、確かに何人かはいます。
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センチコガネ エンマコガネ

ウエダエンマコガネ

オオセンチコガネ

『大の虫を生かして 小の虫を殺せ』
大きなものを救うためには、小さなものを犠牲にせよ
 春になると必ず新聞紙上をにぎわす昆虫がいます。「春告蝶」ことギフチョウです。その記事の内容はほぼ2つに分けられ、見出しでこれを表現すれば『春の女神、お目見え』と『心無い採集者、乱獲』とになります。
 前者は今年も順調に羽化が始まったことを告げる歳時記風の報告型、後者は小さな命を奪う悪人を紹介する社説風告発型。「せっかく保護しているのに採集者が後を絶たない」「1匹あたり1万円で取引される希少種」「マニアの採集圧で減少している」などなど、私のような虫大好き人間をがっかりさせる文面が踊ります。確かに一部の不道徳な採集者は、狭い林道に車を止め、地元の方々にろくな挨拶もせずに野山へと分け入りトラブルを起こしています。でもこういう輩はごく少数で、大多数の虫好きは虫が好きでたまらないだけの標準的な大人。ギフチョウは私たち虫屋の純粋なアイドルです。
 ではどうしてギフチョウの数が減っているのでしょう。理由は二つ。一つ目は開発行為です。長野オリンピックで日の丸がはためいたジャンプ台周辺はギフチョウの大発生地でした。ギフチョウをシンボルとする保護団体が食草のカンアオイを移植したりもしましたが、成長が遅いこの植物はなかなか根付いてはくれません。実はその数年前から、当地は採集禁止の区域になっていたのです。
 岐阜県の馬狩というところでは、地元民が看板をあちこちに立てて採集者を締め出しましたが、その場所へは大規模道路が公然と造られてしまいました。 二つ目の理由は近年の林業不振です。森林の手入れがほとんど実施されていないため、林床の食草までメスが到達できない状況なのです。林内も真っ暗なため、カンアオイの成長も止まったまま。そんな場所でも「ギフチョウが減少した原因は乱獲によるものだ」と決め打ちする人々が数多く存在します。これが『大の虫を生かして小の虫を殺せ』の真意でしょうか。
 2年前から岐阜県清見村では、「庭先にギフチョウが飛び交う村」をキャッチフレーズに本種の増蝶活動に乗り出しました。遺伝子保護のためにも清見村純血での増殖を切に願うものです。
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ギフチョウ ヒメギフチョウ

ウンナンシボリアゲハ

シボリアゲハ シナシボリアゲハ