細川ガラシャ隠棲地の碑

 ガラシャ(玉子)は1563年明智光秀の第二女として生まれる。18歳の時、織田信長
の命により丹後田辺城(舞鶴市)の細川忠興に嫁いだ。父光秀が信長を討った本能寺
の変により、秀吉側についた夫(細川忠興)は妻を離別幽閉し父(明智光秀)と山崎に
戦った。父の死後玉子は家臣に自刃をすすめられたが「私は忠興の妻、主人の命を聞
かずして事を決することは婦道にそむくことです。」とこれをきかず秋想のうちに数年の
月日をこの地で過ごすこととなった。秀吉はこれを憐れみ忠興をさとし再び妻として迎
えいれさせた。その後キリスト教に入信「ガラシャ」の洗礼名を受けた夫人は、忠隆・興
秋ほか三子をもうけた。しかし平穏な日々もつかの間、霞ヶ原の戦いの折、徳川家康
に従い東征中の夫忠興の留守を守り大阪邸にあった夫人は、石田三成の軍勢に囲ま
れ人質として大阪城入城を迫られたが「私が人質として入城すれば堅武士の夫忠興の
足手まといとなります。」と自ら城に火を放ち壮烈な最後をとげた。享年38才夏のこと
である。数奇な運命に彩どられ、夫忠興のため殉じて果てた夫人の生涯は、戦国の世
に咲いた一輪の花として現在に語り伝えられている。

           身をかくす 里は吉野の奥ながら
                 花なき峰に 呼子鳥啼く


訪れる人も少なく、ひっそりとたたずむ
ガラシャ夫人隠棲地の碑

弥栄町・黒部より入り、スイス村とガラシャ
碑への分岐点を入った所。

右に行くと来見谷、左に行くとガラシャ夫
人隠棲地の未土野へ行く。

来見谷、未土野への分岐点から約6km
でガラシャ隠棲の碑に。

道もだんだん細くなり、対向車があると避
けるのに苦労をする。

案内板裏の小高い丘が記念碑のある
ガラシャが住んでいたとされる女城跡。


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