帰還編 2



あせも? Jogo 原稿 2005/8/17(水) 11:22

 漕ぎ進みながら、ツーリングのスタイルが変わっていった。学びながら、進んでいく。良い方向へ変化させていくということだ。

 遠州灘を漕いでいる頃から、背中がチクチクと針で刺されるような痛みが出てきた。特に漕いでいて体が暖まってポーとしてくる時、それと漕ぎ終わった直後がひどい。不快極まりない。

 大王崎(紀伊半島一日目)でホテルの温泉に入った。大きなホテルで、大浴場には大きな鏡が。ふと背中を鏡に写すと唖然。背中、特に左右の肩甲骨の上が真っ赤に晴れ上がり、湿疹でなく、全体が真っ赤、そして皮膚が1mmぐらい腫れて膨らんでいる。

 さらに体重計に乗ると目盛りは68kg、2kg痩せた。そして体脂肪率も量れた。体脂肪は出発前より3.6%の減少。脂肪の重さに直すと2.5kgの減だ。なんとシーカヤッキングとは消耗するスポーツなのだ。日常で体重が2kg痩せることは喜ばしい、しかし、体力を使う長旅ではどう見ても喜べる状況でない。

 まず、あせも、しかし、これは本当に、あせもなのであろうか?。僕が日常で見る湿疹のようなあせもとは明らかに違う。地元漁師はこの状態を”塩負け”と呼んでいた。塩負けとあせもはイコールなのであろうか?。ジョン・ダウドのシーカヤッキングという本の中ではソルトラッシュという、この症状に似た状況を紹介していた。

 対策はスキンケアが第一だ。 自分なりに反省点とその対策を出してみた。まず、こまめに風呂に入る機会を得ていなかった。キャンプ地はだいたい人里から離れたところだったし、人の全く寄り付けないような無人のビーチだったりもした。

 以後、毎日風呂に入ることにした。紀伊半島に入ってから、朝早くから漕ぎ出し、昼前後に、その日の行程を終え上陸というスタイルが定着してきた。フネを陸に上げたら、着替えて、電車やバス、ヒッチハイクを使って、一番近い町に出ることにした。そして、ここで温泉か銭湯に入るのだ。

 第二は、ライジャケの着用を止めた。ライジャケは蒸れて、ちょうどライジャケと皮膚が重なる部分にあせもが出来てることに気が付いたからだ。だけど潮岬を漕いだときはちゃんとライジャケを着用した。ライジャケの必要性は時と場合による。また個人個人によっても違う。僕はいつでもやばいと思ったら手に取れる範囲にライジャケを置いておいて、すぐに着用できる状態にしておいた。

 第三は夜、いつも裸でウレタンのグランドシートの上に直接寝ていた。肌が直接ウレタンに接して、蒸れていた可能性がある。そこでグランドシート上に薄い木綿の布をシーツのようにしてひいて寝た。

 これらの対策を打ったら、次の日からあっと思うぐらいの効果が出て、潮岬を越える頃には、もう全く背中はチクチクしなくなっていた。どれが聞いたのかは分からない。全てが効いたのかもしれない。

 もしこの3つの対策でダメだったら、次の矢を放てばよかっただけだ。その場その場で考えて切り抜ける、それだけのことだ。




体重の減少 Jogo 原稿 2005/8/17(水) 11:22

 体重減少を抑えるには、出るのを抑えるか、つまり運動量を低くするか、または入れるものを増やすか、つまり食事量増やしたりその質を変えるかだ。

 僕はファルトボートのツーリング出身で、キャンプツーリングというとイコール、自炊、ストーブを使って自分で作るのが今までのやり方だった。しかし、一泊や二泊ならいいが、それ以上になると無理がある、というかこのやり方は破綻した。

 まず持ってこれる食材が限られる。夏場だ。肉野菜、卵も牛乳も持てない。するとインスタントラーメン、パスタ、米と炭水化物系はいいのだが、それ以外は携帯しづらい。しかも味が単調になりがちで、はっきり言ってすぐ飽きた。

 飽きると食欲減退。食事数と食事量の減少。悪循環に陥るのだ。そして食べれないということは、その後、漕げないという状況につながっていく。これに気が付き、すぐに白旗を振った。

 対策はすぐに見つかった。外食すればいいのだ。朝は無理だけど、昼と夜は全て町で外食にした。

 ランチの時間は特に定食や焼肉屋のランチなんかが良かった。だいたいサラダや野菜も含めて、4-5種類の食べ物が並び、栄養バランスもいいし、飽きさせない。ご飯やキャベツお替り自由のとんかつ定食、ラーメンとどんぶりがセットのラーメンチェーン店。片付けや洗い物の心配もなく、時間も有効に使える。

 結局、このスタイルが定着した。そして、今後もこのスタイルで僕は漕ぎ進んでいくであろう。




森田さん Jogo 原稿 2005/8/17(水) 11:38

 尾鷲の駅から森田さんに電話を入れた。「三分で行きます!」と車で飛んできてくれた。

 森田さんについては、雑誌で紹介されたり、シーカヤックの世界では有名人だから、説明は要らないだろう。僕もシーカヤックをやる前から、ちょくちょく噂は聞いていて、知ってはいた人だ。

 森田さんと話が出来たのは実際3時間ぐらいだったが、とても密度の濃い時間が過ごせた。全ての話が経験、体験から出ていること。それと話の内容がほとんど初出稿、表に出てない話で、新鮮だった。

 紀伊の話でも「紀伊では天気予報が当てにならない」「山が見れないとシーカヤックは漕げない」など、その後実際漕いで見て、なるほどとうなりざろう得ない話がバンバン出てくるのだ。その話、どっかで聞いたことあるな、というタイプの話はほとんどなく、彼のオリジナルの言葉で語られ、とても心地よかった。

 そして感じたのは、ぜひとも森田さんがこの、海やシーカヤックについて語る場、雑誌でもいい、イベントでもいい、話が聞ける場があったらいいなと思った。彼からシーカヤッカーが学ぶべき(自分のために)ことは多いはずだ。




疲労について Jogo 原稿 2005/8/17(水) 11:38

 森田さんとの話の中で、疲労について話題になった。長距離ツーリングでは避けられない問題だ。僕は期間を区切って漕いでいるので、それでもまだましだが、日本一周なんて単位でやる人たちは、必ず対処しなければならない問題だろう。

 森田さんは長距離を漕いでいると「疲れが溜まっていることに気が付きにくい」という点を指摘していた。僕もなるほどと思った。下田から尾鷲まで、休みなく漕いできたが、疲労と認識はしていなかったが、少しづつ、体に変化が出てきていた。食欲の減少、熟睡感のなさ、体重の減少など。早前に対処すべく、次の日、早速停滞日と決め、休みにした。

 テント生活だが、それは自宅で寝るような熟睡は得られない。夏の海辺は騒々しい。寝しなは、風波が波打ち際で崩れる音、民宿に遊びに来ている都会人の騒ぎ、そして花火。夜に突然吹く風や、雨でも目が覚める。

 そして熟睡できないと、疲れを次の日に持ち越して、借金のように寝不足増え、疲れもがたまっていく。寝不足に対する対処は、冷房付きの民宿に泊まる。これに尽きる。そうすれば完全な熟睡を得られる。

 日本の海辺は民宿だらけだ。客がいなくても、看板は上げている。漁港にはまず民宿がないところはないだろう。なぜなら日本の漁業はもう漁業一本では成り立たないのだ。遊漁と磯渡し(釣り師を島や崖裏に船で送り迎えする)がないと成立しないし、釣りは朝が早いから、必ず民宿とワンセットになっているので、必ずそんな船宿民宿があるのだ。

 だから躊躇なく、リズム良く、時々民宿を利用するのが、寝不足と疲労回復の解消法なのである。




被視認性向上用の旗 Jogo 原稿 2005/8/18(木) 08:28

 さて、このポールの正式名称、呼称はなんなのであろうか(知ってる人がいたら教えてください)?。ひとまずアンテナポールと言っておこう。


 シーカヤック用アンテナポールを初めて見たのは2004年3月、九州の九十九島だった。地元のシーカヤッククラブ、サザナミレンジャーズ(以下サザレン)のメンバーは全員このポールを装着していた。九十九島は地形が複雑で、見通しの利きづらいところも多く、他の船舶との衝突を防ぐためにこのようなポールを使うのだと説明された。

 僕はこの時、サザナミレンジャーズのクラブハウス、洗鱗荘で日本一周中のジェフとハダスに出会った。

 ジェフとハダスはこのアンテナポールをサザレンからもらい、ゴールの横須賀笠島マリーナまで使い続けた。現在は笠島マリーナのクラブハウスで、記念として飾られている。

 ジェフに「なぜアンテナポールを使ったのか、効果はどうか?」と聞いたところ、「漁船からの視認認知度を上げるためだ」という。効果は高かったとも。「船舶レーダーには映るかな?」という問いには否定的な反応だった。

 GO WESTスタート前から僕はこのアンテナポールの導入を考えていた。しかしどこで手に入るのか?、具体的に2,3のショップや輸入代理店に問い合わせたが、実際に手に入れるところまではいたらなかった。

 GO WESTの2ndステージ中、遠州灘を漕いでいるときに、神谷さんが陸上サポートに来てくれた。別れ際に「これ使いますか」と車から取り出してきたのが、今僕が使っているアンテナポールだ。このアンテナポール、どこかで見たことがある。九十九島で見たものと同じタイプだ。

 なんでも、アイデアや一部の部品はサザレンからもらい、神谷さんが自作したという。そして、このアンテナポールを僕にくれると言うのだ。ありがたく頂戴した。神谷さんは伊良湖水道の横断にかなり神経を使っていた。アンテナポールは水道横断中、船舶からの視認性を高めるので僕にくれたのかな?とこのときは思った。

 しかし、アンテナポールの効果が出始めたのは、伊良湖水道を渡り、紀伊半島に入ってからだ。紀伊半島2日目、大王崎を回りこんだところで、僕は強烈な逆潮と向かい風につかまり、難儀した。すると小さな漁船が近づいて来た。「ちょっとその旗が気になってな」という理由で僕のところに来てくれたのだという。僕の目的地が古和浦湾だと分かると、僕の進もうとしてるルートは困難であること、そしてベストコースは深谷水道を抜け、奥志摩の湾内に入り、岸沿いを行けば潮も向かい風もかわしながら目的地につけるとアドバイスしてくれるのであった。

 また、風向きや風の強さが急変したとき、漁船が近づいてきて的確なアドバイスをくれたことは2回や3回ではない。この時、皆、そろって「その旗が・・」というのであった。

 アンテナポールは地元漁師とのコミニケーションのきっかけになることは間違いないようだ。視認性も確実に上がる。その効果を紀伊半島で実感した。




ここまで漕いでみて Jogo 原稿 2005/8/18(木) 10:34

 多くの外国人シーカヤッカーが、「日本はシーカヤックのフィールドとして大変魅力的だ、大いにパドリングされていいフィールドだという。」ポール・カフィンしかり、エド・ジレットしかり、ジェフとハダスもそうだ。外からの視点、他から日本を見た視点で興味深いし、彼らは日本でないフィールドと比べて、日本というフィールドを評価していると思う。

 僕は、海辺で生まれ、育ち、そしてその後はシーカヤックではなく、サーフィン(サーフカヤック)を通して、海と関わってきた。ある種、シーカヤッカーでない視点から、今まで漕いだフィールドについて語ってみたい。

 まず、僕がGO WESTをはじめようと思った時、何人かのシーカヤッカーから意見を求めた。そして東伊豆と遠州灘はシーカヤックにとって鬼門だという意見を得た。東伊豆は上陸点や上がれる漁港が少なく、できれば漕ぎたくない。遠州灘はずっと砂丘が続き、退屈。上がれる漁港も30−40kmに一ヶ所で厳しいというものだった。

 ところが僕は全く違う印象を持った。東伊豆の風景はヨーロッパの避暑地のよう。伊豆高原に点在する別荘群の風景はここでしか見られない風景だし、霧の中をコンパスひとつで進む楽しみもあった。上陸地点は、ごろたでも、磯場でもいいではないですか。そう考えれば上陸点はいくらでもあった。砂浜か漁港のみに上陸点を求めるのは間違いだと思う。

 遠州灘は、2ndステージの中でも、1,2を争う楽しいフィールドだった。なんせ、100kmずっとサーフゾーンが続いてるのだ。シーカヤックでサーフィンしながら、時に波間のサーファーと語らい、情報をもらい進んでいった。ここはオンショアの日は波が掻き回した海水から潮の香りが立ち上り、オフショアの日は木々や草木の香りが岸から流れてきて僕の鼻をくすぐった。なんてすばらしいフィールドなんだろう。

 ようは感性の違いではないか?。それと上陸地点のことだが、シーカヤックは漁港や砂浜でないところでも上がれる機能と上がり方がある。この方法は僕はイギリスでジェフから習った。そのため、逗子から和歌山まで一度も漁港で上がらないで済んでいる。

 こうして考えると、漕いできた全ての区間がシーカヤックを楽しめるし、自分では楽しめた。漕ぎ方や考え方を変えることでシーカヤックをフィールドに適応させることが出来るのだ。

 紀伊半島は潮流がきつかった。でも潮岬を回った頃から、潮流が楽しくなってきた。いかにして潮流を利用して、楽して進んでいくか。観察能力のセンサーをフルに使い、有利な潮をつかまえるために、強い逆潮をフェリーグライドで横断したり、岬のどのくらい沖を行ったら有利か考えたり。

 海辺の生物も目を楽しませくれる。野鳥も多いし、海亀やイルカたち。でも僕が一番印象に残ってるのは、トンボだ。駿河湾横断は8時間ずっと何も見えない中をコンパスだけを頼りに進んだ。そんな時、湾のど真ん中でトンボが飛んできて、僕の肩にふっととまったのだ。こんな岸から遠いところで!。このトンボが孤独感と疲れをずいぶん癒してくれた。

 またローカルシーカヤッカーの人たちとの交流も楽しみの一つだ。その地に密着した情報を得られたり、面白い楽しい時間を共有できた。HPと連動しながらの旅だからこそ、このような機会が出来たのだと思う。

 シーカヤックの魅力について囲うと思っていたが、こんな文章を書いていても駄文だ。海の魅力は1%も伝わらないだろう。それで結構、かまわない。シーカヤッキングの魅力は、突き詰めると、漕がないと分からない。だから全てのシーカヤッカーに提案したい。シーカヤックにキャンプ道具を詰め込んで、一泊でもいい、2泊でもいい、この夏、海へ漕ぎ出すことを。。




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