最終章



最終章について Jogo 2005/9/26(月) 原稿 19:34

 元々この旅は「西に行ける所まで行く」と宣言して始めました。ゴールは行き着いたところ。ゴールを決めずにスタートしたのです。

 そして、4thステージの終了をもって、この旅はゴールに着いたと考えています。GO WESTはこれにて終了とします。

 しかし、ひとつの旅の終わりは、新しいスタートでもあります。装いを新たにし、次のステップに進みます。もったいぶらずに言いますが、次は九州島一周をやりたいです。

 そして、サポートの体制や、旅の方法も少し変化させます。具体的にどう変えるかは、少し時間を掛けて考えて行きます。

 シーカヤックの旅というのは何も特殊なものではありません。いえ、特殊なものではなったというのが、今の実感です。知識や技術、経験、安全対策は必須ですが、誰でもそのための準備をすればこれらを習得できます。

 ぜひ、この豊かな変化に富んだすばらしい日本の海に、パドルを握って漕ぎ出すことを皆さんにお勧めしたいです。




九州の地図 Jogo 2005/9/29(木) 原稿 19:51

 すでに頭の中は九州一周に切り替わってます。


 昨日地図を買ってきましたが、全部で13枚、、、九州はデカイ!。

 地図を見てるだけで、幸せな気分になります。ここの浜はキャンプによさそうだとか、ここの瀬戸は流れが速そうだなとか、そんなことを考えてるだけで、気分がいいです。

 いろいろなアイデアが頭に浮かんでます。どんな形で九州を回るか、いかなる方法も可能性の中に入ってます。


 一日10kmぐらいしか漕がなくって、海じゃなくって、観光や史跡めぐりの時間を多くとるとか、瀬戸は最強流の時間を選んで入るとか。

 逆に飛ばして、九州と四国を8の字で回っちゃうとか。なんでも楽しければOKなのであります。




バトル・オブ・アリューシャン Jogo 2005/10/2(日) 原稿  09:00

 先日、葉山のシリウス・スポーツで新谷さんの新刊書「バトル・オブ・アリューシャン」を購入しました。前作の「アリュートへブン」に引き続き、シーカヤッカー必見の書です。


 いえ、シーカヤッカーだけでなく、リバーカヤッカーでも読み応えがあると思います。

 新谷さんの海や自然に対するスタンスや考え方に共感しますし、僕は新谷さんの考え方が好きです。

 気になったのは、北海道の小さな出版社からの発売なので、販売網が弱いようです。

 販売は出版のルートではなく、カヤックショップを中心に作られてるのですが、例えば、関東は、特にシーカヤックの盛んな三浦半島は販売網が密です。でも、九州は福岡のペンギーノさんだけ。これでは多くのシーカヤッカーの手元にこの本が届きません。これはシーカヤッカーにとって不利益なことだと思います。

 多くのカヤッカーにこの本を手にとってもらうことを願うのであります。




4thステージを漕ぎ終えて Jogo 2005/10/2(日) 原稿  11:13

 4thステージは四国香川県東香川から九州大分県国東半島まで、8日間で漕ぎぬけるものだった。瀬戸内海を東から西へ横断する感じだ。


香川から小豆島への横断。
次から次に船舶がやってきて全く途切れない。32隻の船をやり過ごした。

 瀬戸内海を漕いで印象に残ったのは、、潮流、船舶の多さ、そして地元シーカヤッカーの皆さんからのサポートと交流。この3点だ。

 瀬戸内海は、本州、四国、九州に囲みこまれた海域で、出入り口が鳴門海峡、明石海峡、関門海峡、速吸海峡とわずか4ヶ所。出入り口で速い流れが出来るのは想像に難くないが、中も川のように、いや、川以上の速さで流れていた。


商店のない村には近くの町から移動販売車が来ていた。この村も10年前まで2軒の民宿があったという。
漁港の大堤防を作っているときまでは泊まる人がいたが、工事の終了後客がなく、廃業したという。

 太古の昔から、瀬戸内海には「潮待ち、風待ちの港」というものが整備されていた。櫓櫂舟(ろかい舟=手漕ぎ舟)は追い潮になるのを待ち、帆掛け舟は風が吹くのを港で待ったのだ。シーカヤックでは大潮の向かい潮でも、開けた海域なら問題なく進めるが、海峡や島と島の狭いところでは追い潮になるのを待たなければならない。最大9ノットで流れていたので、これに対抗して漕ぐのはシーカヤックでは無理だ。


伊豆以降、サメはいたるところにいた。紀伊ではハンマーヘッドを見た。
この国はサメの国だなと思っている。

 また、干満差が最大で230cmだった。僕の地元三浦半島では最大で200cm。たかが30cmの違いだが、感が働かず、満潮時、テントサイトが水没したことがあった。この夜はあまり熟睡できず、疲れが溜まったのを覚えている。


村では廃屋や空き家が目に付いた。空き家は外から閂(かんぬき)がしてあるのですぐ分かる。
「おばあちゃん、もう一緒に住もうよ」と大阪や東京に出て行った息子の家に移った人が多いと聞く。このままでは・・。

 効率的に進むには、追い潮を最大限に使い、向かい潮は無理に対抗しないこと。しかし問題は潮周りは自分の都合やスケジュールに合わせてくれない、自分を合わせなければならないことだった。追い潮がが昼間の一番いい時間でなく、早朝と夕方のみという日もある。こんな日は日の出前の真っ暗な中を出発し、夕方は日が落ちるまで岸につけないということもあった。この時、必要になったのがナイトパドリング。ナイトパドリングは夜光虫を見るためのアクティビーティーではなく、ツーリング時、リアルな手段であり、戦術だった。

 船舶について。鳴門海峡を超え、瀬戸内海に入った時の第一印象は、ここの漁船の運転は荒いなということ。僕の地元や、ここに来るまでの漁船は、シーカヤックのそばに来るとスピードを落とし、過ぎ去ってから再びスピードを上げて去っていく。引き波でシーカヤックが翻弄されるのを避けるための心配りをしてくれていた。しかしここは違う。わざとそばを通ってるんじゃないかと思うくらい、シーカヤックに近づき、スピードも一切落とさない。これにはびっくりたまげた。

 また、貨物船舶、ケミカルタンカー、フェリーが縦横無尽に走り回っている。何人かの漁師と話しをしたが、接触事故を起こしたことがない漁師は皆無だっし、いつも「お前の船は小さいからぶつけられないように気を付けろ」と注意を促された。最も多いのは漁船同士の接触、漁に夢中になり、ぶつける。次は重大事故になりやすい貨物船との接触。オートパイロットが発達してから特に事故が増えたという。自動運転中、航海士が居眠り運転してしまうのが原因だ。

 航路の横断はもちろんだが、正式の航路でない推薦航路というのがいたるところにあり、これはローカルなものが多いから、地元の海上保安庁に相談して教えてもらうこと。それと航路横断も危険ではあるが、最もリスクの少ない横断方法があり、これらの方法も保安庁の海洋情報部などに相談するといい。誠実に教授してくれるはずだ。

 スタートからゴールまで多くのシーカヤッカーから応援と協力を得られた。3thのゴールから4thのスタートまで、香川の野遊び屋さん。吉川さんにはお世話にないっぱなし。広島の向井さん、馬渕さん、田中さん。ゴールでは福岡の森下さん。地元のカヤッカーからは情報を得たり、食事やビールをご馳走になったり。でも今考えると、情報をもらったりすることではなく、彼らとの交流自体が楽しく、このこと自体が旅の目的や魅力の大きな部分を占めていたということだった。

 吉川さんはシーカヤックのツアーをしているが、シーカヤックの安全性やリスクマネージメントの分野をリードしている人なので、具体的な話をいろいろしてくれて、とてもためになった。


十五夜。美女と団子。


朝日と風呂。こんな快適なシーカヤックツーリング、ありですか?


向井さんのアンテナポール。デッキにつけるストロボライトの吸盤に釣竿を立てていた。
皆、船舶からの視認性を高めるためにそれぞれ工夫しているのが感じられる。
向井さんの氷屋の旗は別れ際、「これも旅に連れて行ってください!」と託された。
もちろん最後まで連れて行くことが出来たし、次の九州一周の旅にも連れて行くつもりだ。

 伯方島で待ち構えていた向井さんのグループは海岸に「風呂を用意しておきます」と携帯にメールをくれたが、最初は半信半疑だった。しかし本当にアウトドア風呂が満天の星空の下に完成して、何ともこの破天荒さが楽しかった。

 馬渕さんは豪華なキャンピンクガーで追いかけてきてくれた。なんと車の中で温水のシャワーを浴びさせてもらった!。これには驚いた。自分の知らない世界って多いんだなと思った。

 ゴールの九州では早めにツーリングを切り上げ、福岡のサーフカヤッカーとセッションをした。見知ったメンバーで、今後、僕が九州一周をするのでお世話になる人達だ。熊本から水野さん、松本さんも加わり、ビールで乾杯したとき、「ああ、おっかなびっくり逗子海岸を出発した僕が、九州まで来たんだ、なんか一回りシーカヤッカーとして大きくなったかな」と感じたの同時に「Go westの目的は、九州上陸を持って達成したな、次は九州一周だ」と気持ちが切り替わった。

 ビールを1本飲み終え、携帯電話で神谷サポート隊長に電話し、「長い夢のような夏休みが終わったこと、GO WESTはこれにて終了」と伝えた。隊長、サポート、ありがとう、そしてお疲れ様!。




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