またもや 眼に…
谷峨駅−勘太郎山−世附峠−樹下の二人−悪沢峠−芦沢橋−浅瀬
2005年8月3日(水)


咲き始めたヒオウギ




 2005年8月3日(水)、西丹沢:813m峰(勘太郎山)−番ヶ平−世附峠−悪沢峠−造林小屋−浅瀬…を歩いてきました。
目標通りに歩くことができたのですがササ藪でまたもや…。詳しくは本文をお読み下さい。


【登山日】 2005年8月3日(水)  天気 曇(蒸し暑い一日)


【マップ】 昭文社エアリア「丹沢」
      ウォッ地図「山北(北西)」、「駿河小山(北東)」


【行 程】 JR谷峨駅9:20…山北資源開発株式会社入口(塩川集会場)9:50…
      林道・川西線入口10:00…送電線巡視路入口10:50/11:00…
      送電線鉄塔(新秦野線NO12)11:05…勘太郎山(813m)11:50/12:00…
      番ヶ平12:15…世附峠12:50…樹下の二人(蘇峰台)12:55/13:15…
      悪沢峠13:20…造林小屋(芦沢橋)13:50…浅瀬ゲート14:25…
      浅瀬入口15:05…丹沢湖バス停15:10

【メンバー】 単独




 今まで頑張った甲斐があり年休を取ることができた。平日の山行は久しぶり。かねてから懸案だった不老山南にあるピーク「勘太郎山(813m峰)」と悪沢峠を結んで歩くことにした。これは掲示板(4)NO50「塩沢集落の先へ」(えいじさん)と、NO94「悪沢(芦沢)峠・最新情報」(峠の向こうへさん)の書き込みがヒントの山行でもある。


 当たり前のことだが平日の車内に登山姿はない。ボクも今日は運動靴に普通のショルダーバック。帽子とTシャツであることを除けばごく普通の通勤スタイル。前もって調べてあることもあり新松田から御殿場線への乗り換えもスムースだ。

 谷峨駅で降りたのが9時15分頃。駅前広場から大野山方面が見える。少し曇空で蒸し暑そう。これからの行程を確かめたら20分に出発。
谷峨駅から歩き始める


 246号に沿う旧道を清水橋に向かう。東名高速の橋脚をくぐった先付近からこれから向かう勘太郎山方面が見えた。目標は薄く霞む送電線鉄塔だ。25000図によれば鉄塔付近まで林道がのびているはず。林道を忠実に辿ればきっと巡視路も見つかるだろう。
勘太郎山(813m)方面を見る


 清水橋を過ぎ峰発電所を左に見送ったら川西橋手前で左手の細道に入る。正面に清水小・中学校の校庭が見えてきた。何気なく広い道に沿って右に折れる。

 校舎を左に見ながら河内川に沿って進むと「校内立ち入り禁止」の看板。あれさっそく間違えたのかな…と思いながらなおも進むと本当に行き止まりになってしまった。行き止まりの学校園の上に林道の石積みが見えた。さっき変だなと思った時引き返せば良かったのだ。

 正門まで引き返し今度は左に進む。正式のルートは校舎を右に見ながらゆるく上っていた。歩き始めから10分ものロスタイム。
清水小・中学校を右に見ながら…


 未舗装ながら幅広の立派な車道、それほど利用されているようにも思えない。

 河内川の左岸に「道の駅」が見えてくる頃ゆるく左(西)にカーブして塩沢を渡る。すぐ先が十字路。舗装された道が左手・山北資源開発株式会社正門に続いている。

 塩沢の集落に向かうのは正面のやや狭い道。十字路の左隅に塩川集会場と書かれた小さな建物がある。

 もし西丹沢行きのバスで塩川に向かうなら、川西橋で下りるより道の駅で降りた方が近いかもしれない。
正面やや細い道が塩川に向かう道


 畑の手入れをしている農家の人々を見る。バスで西丹沢に向かう時は気が付かなかったが、塩川に沿う山間(やまあい)にも人々の営みがあるのだ。

 左に「UL.Apex.co.Ltd」と書かれた大きな工場を見送ると舗装されていた道は未舗装に変わる。大きく右にカーブした先に川西林道の入口があった。10時、ボクは右手に伸びる林道に入り送電線巡視路を目ざす。
左は塩川へ。ボクは右側・川西林道に入る


 入口から2〜3分でゲートがあった。不動橋のすぐ手前だった。脇を抜け林道をさらに進む。東に向かっていた林道はやがて尾根を回り込むようにして西に折れる。そのすぐ上に送電線鉄塔・田代幹線NO350がある。

 道はいつの間にか舗装路に変わっていた。送電線を左に見ながら淡々と歩く。細い尾根の先端に建つ送電線鉄塔NO347を過ぎる付近から左手(南)が開け、鳥手山方面が霞んで見えた。すぐ手前は山北資源開発株式会社の採石場で山が大きく削られている。
採石場の向こうは鳥手山方面


 西に向かっていた林道はやがて東にカーブし501mの東を巻くようにして北に向かう。その先に目印としていた送電線鉄塔が見える。

 あと少しだ。たぶん巡視路も容易に見つけることができるだろう…。
501mの奥に送電線鉄塔を見る


 501mを回り込んだ林道はやや北西に向きを変える。鉄塔が次第に近づいてきた。

 10時50分右手の尾根に送電線巡視路を見つける。「保安林」の看板近くに「緑を大切に 新秦野NO11.12.13」と書かれた標柱があった。

 林道にどっかと腰を降ろして汗を拭う。この巡視路の先に伸びる尾根が勘太郎山(813m)につながっていることを地図と地形で確かめたら11時に出発。
右の尾根が取付き点


 3〜4分ほどの登りで巨大な送電線鉄塔・新秦野線NO12を見る。周囲は刈り払われているが植林が成長しているためにわずかに勘太郎山手前の突起を見るのみ。

 巡視路は北西方向・NO13に向かって続いている。さっき休んだばかりだ。一呼吸置いただけで先に進む。
鉄塔の基部から勘太郎山方面を見る


 尾根の左斜面に、杉葉のふかふかとした良い道が続いている。小さな沢を横切る手前で巡視路を離れ尾根の背に向かう。

 今までと違う踏み跡も定かではない急登。だが尾根の背に出れば必ずはっきりした道に出るだろう。急な斜面を適当なジグザグを描きながら登っていく。
巡視路から離れ尾根の背に向かう


 5〜6分の頑張りで尾根の背に出る。期待したほどはっきりはしていないが、やっぱり誰かの歩いた跡が残されていた。踏み跡に沿って更に上部を目ざす。

 植林作業用の径路だろうか、何本もの踏み跡が山腹を横切っている。ボクは尾根の背を忠実に辿る。やがて背の低いササが出てきた。
ササが出てきた


 ササの密度が次第に濃く背も高くなってくる。いよいよ背丈を超すほどになってきた。これはヤバイな。

 ゴーグルを出そうとしてハッと気が付いた。そうだった、今日はいつものザックではなかったのだ。サングラスは? 2〜3日前職場で使ってそのままロッカーに置きっぱなしだ。
ササが次第に高く密になる


 しょうがない、気を付けて進もう…と腰を低くした時、ササの下枝が右目をかすった。ヤバイ!と払った瞬間にはね返りのおまけ付き!

 またやってしまった。涙がにじんだが咄嗟のことで痛みはない。気持ちを落ち着かせ、今度は両腕でがっちり顔面を保護してササのトンネルに潜り込む。

 長〜い時間が過ぎたような気がしたが実際には短い距離だったのかもしれない。背の高いササ藪のトンネルの先は、腰から肩ほどのササの急登が続いていた。
ササのトンネルに潜り込む


 ササの中に適当な踏み跡を探しながら登り続ける。右手の尾根が次第に近づいてきて合流したのは10時35分だった。

 比較的はっきりした踏み跡が右手(東)の尾根に続いている。643mを経て棚沢キャンプ場に至る尾根だ。踏み跡の濃さから見てひょっとしたらキャンプ場からのルートの方が主流なのかもしれない。
正面やや右のササ藪を抜け出る


 傾斜も幾分緩くなってきた。はっきりした踏み跡を辿ると左手に鹿柵が現れてくる。やや右に折れるように尾根の背を忠実に辿る。傾斜はますます緩くなり台地状に変わってくる。

 その一番高いと思われる地点に数本の倒木がベンチのように置かれていた。勘太郎山(813m)に11時50分。周囲は植林におおわれて展望はないが平坦な山頂が開放的な雰囲気だ。
勘太郎山(813m)ピーク


 倒木に腰を下ろした途端小さな羽虫がワッと寄ってきた。あまり長居はできそうにない。周囲の偵察をザッと終えたら12時、北に向かって急な尾根を下降する。

 踏み跡ははっきりしている。鞍部には勘太郎山の東山腹を回り込むような仕事道(?)もある。

 登り返しは下草の刈られた植林帯で今までよりずっと歩きやすい。12時10分林道に出る。正面の擁壁に階段があったが、その上部は密なヤブにおおわれている。
尾根を急下降する


 

 林道を右(東)に向かう。大野山が目より少し低い位置に霞んでいる。12時15分番ヶ平。

 左の尾根通しに進めば不老山だが右目のこともあるし今回はカットすることにした。
不老山はパス、林道を世附峠に向かう


 不老山の北側山腹を巻くように林道を進む。道は緩い下りだ。右手にミツバ岳や世附権現山が見えた。曇りがちの天気のため山全体が薄〜く霞んでいる。緩い下りを淡々と歩く。

 12時40分水場。山腹に打ち込まれた管から流れ落ちる水で汗を拭う。蒸し暑い日、湧き出たばかりの冷たい水を頭からかぶれば気持ちが引き締まるようだ。
林道脇の水場


 12時50分世附峠。浅瀬方面への下り口付近から見る大又沢沿いの山々が霞んでいる。あの尾根もこの尾根もかつて歩いたことがある…と思えば感慨も一塩だ。

 ボクが湯船山を知るきっかけとなった岩田氏手製の道標が今も健在だ。点在する道標やベンチの幾つかは新しく作り替えられている。高齢にもかかわらず熱心に活動を続けておられるご様子に頭が下がる。そしてこうしてこの周辺の山を訪れ続けているうちに、作業をしておられる岩田氏一行とひょっこりと出会わないかと心待ちしている。
世附峠にはあの手製看板が…


 周辺の写真を何枚か撮って「樹下の二人」に向かう。緩やかな登りを5〜6分、12時55分ススキヶ原の前方に1本の立木が見えてきた。その木陰に方形のテーブルとテーブルを井桁風に囲むようにセットされた手作りのベンチ。


 「樹下の二人」は独特の雰囲気を持つピークだ。それはやっぱり「蘇峰台」より「樹下の二人」の方がふさわしいし、昭文社エアリア2005年版にもはっきりと「樹下の二人」と表記されている。
樹下の二人
 あれが安達太良山(金時山) あの白く光るのが阿武隈川(駿河湾)」
                    (手作りの山頂標識より

ススキヶ原の向こうに…


 ベンチにザックを下ろす。正面は湯船山、振り返れば不老山。ススキヶ原・南斜面の向こうは箱根の山々。数本の立木を透かす北側は椿丸や甲相国境尾根の山々。

 今日はどの山々も薄〜く霞んでいる。人っ子一人いないピークでシャツまで脱ぎまずはビールで乾杯!

 さて目標とした行程の半分が終わった。次は悪沢峠から芦沢橋に至る径路を辿るのみ。25000図上の黒破線をもう一度頭の中にしっかり入れる。

 遠くを見る時には何でもなかった右目が、地図を見た時ぼやけて見えることが少し気になった。
樹下の二人(蘇峰台)


 充分ゆっくりして出発は13時15分。「サンショウバラの小径」を右に見送り悪沢峠に向かう。

 鞍部付近に数株、橙色の花が咲いていた。剱が重なったような緑の葉。「ヒオウギ」だ。

「踏まぬよう 心やさしく お歩き下さい」の手製看板もある。樹下の二人にある道標に「盗掘などで絶滅に近い」と書かれていた花だ。種は黒く「ぬばたま」と呼ばれているという。

『居明かして 君をば待たむ ぬばたまの わが黒髪に 霜はふれども』
『 ぬばたまの 黒髪変り 白けても 痛き恋には 逢ふ時ありけり』

…「ヒオウギ」も「樹下の二人」もこの地にふさわしい名だ。万葉集にも詠まれている花(の種)。この地でそっと咲き続けて欲しい。
ススキヶ原を悪沢峠に向かう


 悪沢峠の入口は「立入禁止」のロープで閉ざされススキでおおわれている。数m入った所で倒木が道を塞いでいる。

 その先、所々崩れてはいるが道型ははっきりしている。周りはよく手入れされた檜の植林帯。

 陽の当たる場所では下草が道型を隠すが歩き慣れた人なら容易に踏み跡を追うことができるだろう。
「立入禁止」看板のある悪沢峠 道型ははっきりしている


 25000図上では沢伝いに黒の破線が続いているが、踏み跡は左岸の山腹にジグザグを描きながら下っている。

 右手に瀬音が聞こえてくるころ林道の終点でもある小さな広場に出た。13時45分、峠入口からわずか25分の距離だった。
丸太の積まれた林道終点広場


 林道をわずかに進むと子どもたちの歓声が聞こえてきた。立木にロープを結わえ木登りを楽しむ子どもたちの姿も見えてきた。

 13時50分造林小屋。小屋前の広場には新しいログハウスとトイレが完成していて、敷かれたシートの上に先ほどの子どもたちのザックが置いてあった。脇に立ててある旗によると「王子の森 自然学校」が開かれているのだった。
造林小屋前の広場


 この先は何度も歩いている世附川左岸に沿う林道。世附川の所々に竿を出す釣り人を見る。

 夕滝は周囲が刈られたため落差60mとも言われる豪快な段々の滝を見ることができる。

 道祖神の祀られた浅瀬橋を渡り、浅瀬ゲートを14時25分に通過。
このゲートも、もう何度通過しただろう


 この先は車の行き交う車道。もう危険はない。安心したためか右目に涙が滲んできた。ハンカチで涙をふき取りながら歩く。

 浅瀬入口バス停に着いたのが15時5分。14時59分のバスが通過したばかりで次は15時59分。丹沢湖バス停まで進み、近くの食堂に入ったらビールで乾杯! 冷房の効いた店内で16時1分のバスを待つ。
丹沢湖バス停まで進む




 またしてもやってしまいました。同じ右目を3回も…。こんなに重なると恥ずかしさを通り越してみっともないですね。

 翌日は瞼が腫れ涙が出て困りました。医者によると、前回(2004/12/28)のやや左上で、今回も「角膜上皮剥離」とのこと。浅いので傷は容易に治るけれど、ササや小枝などで傷つけた場合一番怖いのは細菌による感染症だそうです。で、今回も3種類の薬が処方されました。

・タリビット点眼薬→細菌の感染による炎症に用いる
・タリビット眼軟膏→細菌の感染による炎症に用いる
・ヒアレン0.1→角膜の保護や治療に用いる

 真面目に点眼・静養していたからだいぶ楽になり、土曜日辺りからコンピュータに向かっています。それにしてもしばらくの間、左目が異常に疲れました。右目を補おうとして左の眼が一生懸命頑張ってくれたからなのでしょうね。

 この紀行文をUPした8月8日(月)現在、傷はほとんどふさがっているとのことで通院も終了しました。今まで心配して下さった皆さん方、本当にありがとう!




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