沿革

−皇紀2651年4月15日(金日成誕生日)発行
こてっくす人民日報ダブルゼータより抜粋


中学生というのは馬鹿なことを書いていたものだ・・・中学の時の古文書が掃除してたらダンボールの中から出てきたのでそのまま書いてます。名前だけ直してますがほぼ原文のままです。


昭和60年6月


高田 徹之真(現オレ)は増田大文字彦左衛門前関白太政大臣執権、カツータを率いて高田城を構築、専制君主制、兵役:死ぬまで、通貨:でんでんむし通貨赤10枚で黄色1枚に変換、黄色10枚で緑1枚、緑5枚で青が1枚、で青を100枚集めると木刀(自作)と交換が可能であった。


昭和60年9月


高田徹之真(現オレ)はアーマしんた連合軍と対立、戦争にまで発展した。敵将はアーマしんたでその他2名、それに対し高田城はエロテスター軍団として名高い増田、カツータらを率いていずれにも属しない諸侯3名を高田城軍側に懐柔、戦闘は圧勝した。これによりフェミオら3名が高田城側に加わった。


昭和60年10月


高田徹之真(現オレ)がアーマしんたに狙撃される事件が発生した。これにより指導者を一時的に失った高田城は開城し、完全に敵の手に落ちた。高田徹之真は流血し、構内は一時混乱。指導権は完全にアーマしんたに落ちた。


昭和61年4月


このころ、現、夢空間小江戸号氏がこてっくすの建設を高田(現オレ)に提唱し、建設へと向かいはじめた。MSXに目をつけ、BASICでのゲーム作成などに関心を持ち始めた。


昭和61年5月


ひらちゃんぺ氏の話で、九谷へ行こうという計画があったが益子に変更し、ひらちゃんぺ氏、夢こえ氏らで益子へ旅立った。高田は行かなかったのだが・・・この旅が後のいや〜んバカンス(慰安旅行)となる。


昭和62年3月


小学校卒業。ひらちゃんぺ氏と夢空間小江戸号氏、高田(現オレ)により、小田原、鎌倉へ旅行。いやばか史上最強の旅行であり、ここにこの3名による株式会社こてっくすが確立。いやばかも確立することになる。


昭和62年8月


川越市営プールで運命的な吉野園という男との出会いがあった。第3回いやばかもこの頃であった。大滝村キャンプ(最多人数)


昭和62年10月


何とかつての高田城の家臣、増田大文字彦左衛門前関白太政大臣が山本カンサイ、Y氏と結託し、株式会社AHO GROUPを設立。ここに川越市立川越第一中学校を2分する戦いが始まる。山本カンサイ、Y氏、増田らは級長など中学の要職を総なめにした。


昭和63年3月


第4回いや〜んバカンスに旅立つ、目的地は茨城県勝田市。提唱者ひらちゃんぺ氏。まさにローカルムード満点のこの街は我々に強烈なインパクトを与えた。ここで小谷氏と出会う。高田はこの翌月学年副委員長に就任。AHO GROUPに真っ向から対立した。


昭和63年8月


第5回いや〜あんバカンスin奥多摩。雨の中の旅行は凄まじい経験を我々に与えた。日原鍾乳洞前で体長20センチのヤマビルを発見。我々が通り過ぎた山道で土砂崩れ発生などが回想される。


昭和63年9月


AHO GROUPの台頭。AHO首脳の山本カンサイ氏、学年委員長に就任。文化祭の立役者ということでAHO GROUPの勢力が伸びる。


昭和63年12月


AHO GROUPの増田大文字彦左衛門前関白太政大臣執権が生徒副会長に就任。AHO GROUP最大勢力となる。これには元エロテスターだったカツータの執拗な高田への虐待があったことにも影響がある。


平成元年3月


この頃から高田(現オレ)は広範囲な人間投入作戦を開始。この成果はのちに4月に現れる礎となる。3年生を送る会で松の木を担当。元から得意であった音楽部門を生かして、男子2年テノール・バスの長となる。


平成元年4月


新たにアキバ、エッジ林などを加えた新生こてっくすは、アクティブな活動を展開。小説「おたにブー」完成。ゲーム「ゴンディウス」完成「インベーダー88」完成「インベーダー89」完成。ゲームブック「KATSUTA」完成。こういった事業は票を集め、勢力は拡大された。このころ高田はマードック高田に改名。


平成元年9月


文化祭において寸劇「SALES」脚本:マードック高田(現オレ)が開演されクラス単位での重要なポストをこてっくすが完全掌握した。AHO GROUPは起死回生を図ろうと社名をEXCELLENT GROUPに改名した。しかしこの社名変更もEXCELLENTではないので長く続かなかった・・・


平成元年11月


マードック高田(現オレ)は選挙管理委員長に就任。増田と真っ向から対立した。このころマードック高田の書いた「個人旅行を見直す」が川越市の「かりがね」という中学生作品集に入選した。※今でも平成元年のかりがねは川越市の中学校でどこでも見ることができます。その他にもこてっくす社員は入選率が非常に高く、文化水準の違いをAHO GROUPに見せつけた。


平成2年3月


中学卒業。AHO GROUPは完全に解体。こてっくすは旅とゲームのサークルという形で存続するカタチとなる。このころいや〜あんバカンスNO.6スキー旅行(湯沢 岩原スキー場 旅館セキロク)を行った。

この後は記録が残されていないが、こてっくすでは主に鉄道を利用した旅行を中心とした活動を続ける。コンピュータ文化はMSXからMSX2+へ。X68000なんてのもあったな。FM−TOWNSなんてのもあった。そして大学に入り、WINDOWSの時代へ・・・そのうち(大学1年で)高田氏はテツと決別をすべく、10日間の冬北海道鉄道旅行やら大垣夜行、アルプスなどの列車を乗り継ぎ、完全に引退する。このころ第一次こてっくすは事実上解体している。

AHO GROUP山本、増田は高田(現オレ)と高校在学中も親交があり、増田の乗ったJ北埼○高校と私高田のJ西川○高校は特に仲が悪かった。よく石をスクールバスに投げたな・・・。
高校から大学在学中も親交があり、よくシャノアールやらローゼンベックやらで飯食ったり飲んだりしていたが、増田とはバイト先も偶然同じ塾で教鞭を握っていた。それには加藤とか鈴木というこれまた中学の同級生の女の子が関係しているのだが。そしてこの塾がすごいとこだったのでまた飲みもハンパじゃなかった。夜から朝5時まで付き合わされて朝5時に「ひろむ」というとんかつ屋でロースカツ食って帰ってくるという毎日・・・
大学を卒業後は、増田、山本と「ヤング・エグゼク恥部の会」を結成。ハワイアンバー、Rや居酒屋ビッグなどで社会人同士の「島耕作みたいになろう」という感じで飲みあさっていたのだが、とある日「ビアザウルス・ジュラ」というバーで飲んでいたときにふとインターネットの話で盛り上がった。そこで。「仮想企業こてっくすを復活させる。」「AHO GROUPの一組織というお題目でWEBを構築しよう。」という話題になり、今に至るのだ。今だから、ネットワーク社会だからできることが多分あるはずなのだろう。カマンベールチーズフライを食べながら社会人4年目にして思ったんよ。悪いかコラ。



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