ようこそ、ホームページにアクセスくださり、ありがとうございます。

皆様は天地万物を創造されました神様がおられることをご存知でしょうか。

私たちが住んでいるこの地上は偶然に存在しているのではなく、神様がお造りになりました。

聖書の一番はじめには、このように書かれています。

「初めに、神が天と地を創造した。」

創世記 1章1節(旧約聖書)

地上だけではなく、人も生き物も植物も、すべて、神様によって創造されました。

そして、このお方こそ、天におられる私たちの父であります。

また、神様を知っている人であってもそうでない人であっても、今日もすべての人の心の扉をノックされています。

このように申し上げている私の心にも神様が触れていてくださっています。

そして、感謝なことに、このたび神様は、このつたないしもべを通して、ご自身の救いのことについて語る機会を与えてくださいました。

このことを感謝し、神様が皆様に語られていることについてわずかながらでも、宣べさせていただきたいと思います。

ところで、人は救われなければならないということを御存知でしょうか?

人間は生まれつき、罪を持っています。

聖書ではそのことを「原罪」と言っています。

人からはどんなに良い人だと認められても、あるいは、法には触れないことをしなくても、残念ながら神様の前に、義人は誰もいないのです。

生まれながらの罪のゆえに、窃盗、殺人等、この世におけるありとあらゆる犯罪はあとを断ちません。

しかし、最大の罪は、神様を知らないこと、救い主であるイエス・キリストを拒むことなのです。

もちろん、罪を犯し続けていてそれでいいはずはありません。

どんな小さなことでも、たとえ、1円でも盗むなら、神様の前には罪です。

また、のちほど触れますが、人は死後、天の御国か火の池かのどちらかに行くのですが、罪を持ち続けた状態では当然天の御国に入ることが出来ません。

「罪」とは的外れのことを指すのですが、聖書では「死」という意味合いもあります。

その「罪」から、私たちは、救われなければならないのです。

でも、残念なことに、生まれながら罪を背負っている私たちは、どんなに良いことをしても自分で自分の罪を償うことは出来ません。

なぜなら、良いことをしながらも、すぐにまた罪を犯してしまうからです。

つまり、私たちが罪から救われるとしたら、全く罪を持たない人に助けていただくしかありません。

この世の中で、罪を犯さなかった人とは誰のことでしょうか。

実は、唯一、罪を犯されなかったお方がおられるのです。

そのお方とは、先に申し上げましたイエス・キリストです。

イエス・キリストは私たちの罪を贖うために天から遣わされた神のひとり子です。

私たちと同じく肉体を持っていましたが、一つだけ大きく異なる点がありました。

それは、罪を一度も犯されなかったことです。

イエス・キリストを救い主として信じるならば、私たちが生まれてから今まで犯してきた罪を赦していただけるのです。

また、私たちが後に犯す罪についても、イエス・キリストに助けを祈り求めていくときに、私たちをその都度、罪(死)の力から解放してくださいます。

このお方が、私たちの罪のために十字架にかかって死んでくださり、3日目によみがえられたことを信じ、心に受け入れることによって救われるのです。

新約聖書のローマ人への手紙10章9節には、このように書かれています。

「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」

また、キリストは、私たちの罪を赦すだけではなく、永遠の命を与えに来られました。

先ほど少し触れましたが、聖書には人が一度死ぬことと死後に裁きを受けることについて書かれています。

このことについても下記、聖書の言葉が証しています。

「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、」

ヘブル人への手紙 9章27節(新約聖書)

私たちは、肉体の命がなくなったら、それで終わるわけではありません。

善であれ、悪であれ、神様の裁きの座に立たされるのです。

このことに例外はありません。

どんなに名声をあげようとも、有名人であろうとなかろうと裁かれます。

そして、裁きの結果、天の御国か火の池かのいずれかに連れていかれます。

このことについて、私たちには選択の余地はありません。

正義と公正をもって裁く神様によって決められてしまいます。

つまり、この地上で生きている間に神様の前に義と認められなければならないのです。

義と認められるか、あるいはそうでないかによって、永遠の行き先が変わってしまうのです。

そのために、神様の前に心を尽くして忠実な歩みをしていかなければいけません。

そのことで、具体的なことについて少し話をさせてください。

はじめに、神様は、私たちの天の父だというふうに話をさせていただきましたが、もし、私たちが神様の子どもになるには、どうしたらいいのでしょうか、一緒に考えてみたいと思います。

たとえば、人間の親子関係について考えてみてください。

もし、あなたのお父さん、あるいはお母さんが喜ぶことをするためには、どうするでしょうか。

日常の生活やコミュニケーションを通して御両親の好むこと、そうでないことについて、ある程度、把握されていくかと思います。

そのような中で、御両親に喜んでいただけることをされるのではないでしょうか。

家の手伝いや買い物、掃除、洗濯等もその一部かもしれませんが、何よりも、御両親が言われていることをきちんと守ろうとするのではないでしょうか。

天の父との関係についても、全く同じことが言えるのではないかと思います。

天の父の言われていることを聞いていくこと、具体的には、聖書の戒めを守っていくことが子とされる条件になります。

そのためには、私たちが常々、天の父とコミュニケーションを取り、知っていく必要があります。

当然ですが、地上の御両親は目に見えますし、実際に口を通して会話ができますよね。

しかし、天の父の場合は、目に見ることも直接会話をすることも出来ません。

でも、だからと言って手段が無いなどと言ったら身も蓋もありません。

たった一つ、いえ、二つ、方法があります。

それは、お祈りと聖書の言葉に触れることです。

ぜひ、この二つを毎日の習慣とされることをおすすめします。

なぜかというと、神様は霊ですので、私たちの心の思いや願いや考えについてお祈りを通して神様に知っていただくことはとても大切なことだからです。

そして、このことは一方通行ではなく、祈ったら、神様が何らかの方法を通して、御自身のことを示してくださったり、語ってくださったりします。

はじめはピンと来ないかも知れませんが、積み重ねていくうちに、実感が沸いていくようになります。

お祈りを通して少しずつ神様とのコミュニケーションが成立していくようになります。

このことは、いわゆる天の父との霊の交わりとも言えます。

そして、このことの積み重ねによって、親子関係が築かれていきます。

また、聖書を読む理由は、神様のことを知っていく上で、とても大切なことです。

はじめから、旧約聖書、新約聖書の順に読んでいかれたらよいと思います。

旧約、新約の両方で、1,189章ありますので、一日5章ずつのペースで読まれていくと、一年かからずに通読することが可能です。

また、一度のみならず、何度も繰り返し通読していくことが大切です。

ちなみに聖書はイエス・キリストを証する書と言われています。

聖書の言葉=イエス・キリストなのです。

聖書を通して、神様の御性質、具体的には、喜ばれることとそうでないこととを知ることが出来ます。

また、聖書には、私たちクリスチャンへのメッセージが書かれています。

いわば、永遠の命を獲得するにはどのように歩んでいったらよいのかについて親切に書かれている愛の手紙とも言えるものです。(神様の愛、裁き、戒め等)

ゆえに、聖書の言葉を読み、神様の御心に沿って生きていくことはとても大切なことです。

日々の祈り、聖書の言葉を通して、神様の似姿へと次第に変えられていき、天の御国を受け継ぐにふさわしい人(神様の子ども)となっていかれます。

そして、神様は私たち一人一人にそのことを望んでおられます。

聖書では、このように言われています。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

ヨハネによる福音書 3章16節(新約聖書)

もし、キリストと共に歩む決意をされるなら、イエス様が助けてくださいます。

このことを信じるなら必ず実現していきます。

そして、イエス様の助けと力と導きによって、義の道を歩んでいかれます。

話は、はじめに戻りますが、もし、まだ、イエス様を受け入れていないようでしたら、ぜひ、心にイエス様を救い主として受け入れてみませんか。

イエス様を心にお迎えして共に歩んでいくことによって、この地上でも、人知を遥かに超えた神様の喜びや平安の日々を送ることができます。

そして、感謝と喜びに満ち溢れた人に変えられていきます。

神様が与えてくださる喜びや平安は、目には見えないものですが、この世のものとは比べ物にならないほどに素晴らしいものです。

また、あなたの最善の友、よき理解者にもなってくださいます。

イエス・キリストは、今日も明日もお一人一人に救いの手を差しのべてくださっています。

何かの御縁で、このメッセージにアクセスされましたすべての方に神様の救いがありますようにお祈りしています。

私がはじめてイエス様に出会ったのは、11歳の時でした。

きっかけは、母からプレゼントしてもらった「キリスト」というタイトルの伝記でした。

それまでも、何人かの英雄と言われる人たちの伝記を何冊かもらって読んでいました。

そして、最後に渡されたのがイエス・キリストの伝記でした。

読み始めてまもなく、今までの英雄とは、何か違うものを感じました。

なぜかというと、たいていの場合は、何かを発明したり、ずば抜けた才能を発揮したりと人からの注目を浴びる人たちばかりだったからです。

少なくとも、人のために、しかも、全人類のために死んだ人は、一人もいませんでした。

でも、イエス様は、すべての人の罪のために、死んでくださったのです。

子供向けの伝記だったので、側面のことしか書かれていませんでしたが、イエス様が私たちの罪のために十字架にかかるところを読んだ時に、心に胸を打つものがありました

子どもながらに、なぜ、悪いことをしていないイエス様が死ななければならないの?と、悲しい思いに包まれたことを今でもよく覚えています。

また、時々そのことを思い起こすことがありましたが、その度に、とても胸が締め付けられていました。

きっと、イエス様が私に触れてくださっていて、私自身の心がいつの間にか、イエス様のほうへと引きよせられていったのだと思います。

また、三日目に復活されたことに関しても、何の抵抗もなく、素直に受け入れることが出来ました。

今、思うと、とても不思議です。

教会に行ったわけでもなく、聖書に触れたわけでもないのに、そのことを理屈抜きに信じることが出来たのです。

たった一冊の「キリスト」というタイトルの伝記を通して、私は、キリストと出会うことが出来ました。

それから、数年後、神様の導きによって教会に行くようになりました。

そして、自分が生まれながらの罪人であること、キリストを十字架につけたのは私でもあること、また、私の罪のために神様は死んでくださり、よみがえってくださったことを神様の前に認め、洗礼を受け、クリスチャンとしての歩みをスタートさせることができました。

今に至るまで、色々なことがありましたが、イエス様が共におられること、このことにかなうものは何もないことを日々の歩みの中で実感しています。

このイエス様こそが、唯一の救い主であり、私たち一人一人のことをいつも心配してくださり、心に慰めや平安を与え、人知を超えた喜びで満たしてくださることを確信しています。

また、試練や困難や悩みの中に置かれることがあっても、イエス様に委ねていくときに、すべての重荷を背負ってくださり、助けてくださいます。

このように、イエス様はご自身の命を捨てるほどに、私たちのことを愛しくださっています。

聖書で言われているように、今は恵みの時、救いの日です。

今のこの時に、あなたの心をイエス・キリストに、お与えになられませんか?

イエス・キリストは、今日も、あなたを招いておられます。

私自身も招かれた一人として、そのことに、とても感謝しています。

このような尊い救いにあずかった者として、わずかでも、イエス様にお仕えしていかれたらと思っています。

最後に聖書の御言葉を読んで終わりにします。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

マタイによる福音書11章28節_30節(新約聖書)

主に栄光を帰します、御名があがめられますように。

アーメン。

※もし、よろしければ、心を合わせて一緒にお祈りしてみませんか?

天の父なる神様、あなたの御名をほめたたえます。

今日もイエス様が命を与えてくださり、ありがとうございます。

イエス様と共に歩んでいくことができますように。

イエス様が喜んでくださることを行っていくことができますように。

すべてのことに、神様の力と助けと導きを与えてくださいますように。

神様の前に罪を犯すことがありませんように、世の誘惑や悪しき思いからもお守りくださいますように。

また、私たちに罪を犯す人のことを赦すことができますように。

そして、私たちの罪も、赦していただくことができますように。

すべてのものをお造りくださった主に栄光がありますように。

イエス・キリストのお名前によって、お祈りします。

アーメン。 -----------------------------7da135718025c Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream