
(読者により翻訳いただきました。)
モダニズム(近代主義)の福音
19世紀には教会を襲う脅威が現れてきた。モダニズムやリベラリズム、これらは、
この時代に広く流布され、際立ったものともてはやされたが、キリストの福音や教会にとっては地獄の猛威にも匹敵するものであった。
モダニズムは、あたかも新しいものにとびつくのを良しと表明しているようである。
リベラリズムは、神学全般を自由に批判しいくつかの聖書の教理を否定するまでの
自由気ままさを持っている。
このふたつのムーブメントは包括し合い共栄しているばかりでなく、いわゆる「高等批判
」の探求成果に基づく、学識ある聖書学者による説だという堅い後ろ盾をもっている。しかし残念なことに、この説は学者が神の霊感を受けての啓示ではなく、伝統的に信仰されてきた信条や神から直接示される言葉としての神の霊が溢れる聖書という概念は退けられている。これでは、人々に人間的理解にすぎない制限された狭い範囲での神認識と信仰をもたらし肝要なキリストへの誠の信仰、人知の及ばぬ無広大な神の霊の根本原理から遠ざけてしまうという結果となる。
長年の間、多くの福音派信徒がモダニズム・リベラリズムに対抗して、大きな誇りをもって、キリストへ誠の信仰を貫く立場を選択しこれを守ってきた、今も、サタンの息がかかった彼らの動きや主張に抗議の声をあげている。しかし、我らのこの時代において悲しいかな、抵抗空しくモダニズムの好ましからぬ猛威の広がりをただ眺める現状である。
モダニズム・リベラリズムの風潮は多くの福音派教会に、その説教壇に忍び込んできている。 彼らの多くは、果敢に聖書の、キリストへの強い信仰を貫く意志をもち、神の霊に啓示された神の言葉の具現である聖書、三位一体、キリストの神格、への信仰を持ちつつ、救い主の処女からの生誕、貞潔な生涯、罪人の身代わり死、勝利の復活と我々の目前にまた現れる再臨などへの信仰は除外されていく。しかし、毎週毎週 彼らの家で、その教会の説教壇で、「聖書」は使われ、このモダニズム浸透の実をみるばかりか この活動の苗床となっていくのである。
このような「今風の」信条を培ってしまう聖書編纂を基とした信仰では、神から賜った
フィールドや恵みを私たちは自ら狭めてしまいかねないだろう。この編纂聖書は、しばしば「福音的な編」とも評され、ニューインターナショナル版、とかNIVと名づけられている。
1:NIV編纂コンセプトにみられるモダニズム
この件の編纂におけるモダニズムは、まさにその核心となる精神に著明に表されている。すなわち、質の高い明晰で秀逸な文章表現で、正確な翻訳を編み出そうという翻訳
者たちの意気込みにある。平易でわかりやすい標準的な現代英語を採択しつつ、一方では聖典翻訳においての古代のものを損なわず継承させる長い伝統も重んじねばならない。
この課題に対して翻訳者たちは、できるだけ字義どおりにまた度を越さないすぎりぎりまでできるだけ自由な堅苦しさのない表現をめざして、また誤謬なく神の言葉を伝えるよう神からの霊感に満たされた逐語解釈をする必要があろう。このような翻訳書は、これ独特の表現や言い回し、語順、語彙の意味の採り様によって、原語の原典や他の翻訳書とは違う趣向のものができてしまう結果となる、しかしながら それでもなお聖典の個々の語句に宿る霊感やこの誤謬にたいして無関心な姿勢をとる学者たちがいる。かれらは 御言葉に含まれる思想や真実を重要視するのでなく、「言葉は言葉でしかない」という姿勢を採る。
これが、いわゆるモダニズムの根本概念で神の具現が彷彿と発せられる聖典の拒否。である。もはや逐語翻訳というより、大胆(大雑把)な翻訳精神をもっているといえるだろう
この精神を元とした聖書中のどの翻訳分冊も、単なる原語から英語へのことばの正確な
振り替え(翻訳)に専心するより、思想的な刷り替えに精進している。
さて一方、NIV編の翻訳者も大胆な破天荒な述懐は避けようとする意図をもっているのが
明確にみえることもある。彼らのめざすものは、聖書記者たちの思想に忠実であることより以上に、逐語訳を極めることにこだわっている。彼らは文章構造や永久普遍のものと見なされてきた文脈上の言葉の意味を頻繁に取り替えて、読者にその持論を流布し尽くそうと努力しているのである。
このNIV編は、その翻訳者たちの了解のもと、ことばを字義どおり受け取るのでなく、ことばの背景にある思想や真理を探り出そうともする。(読者の自由解釈を許している)このことはまた、すべての福音派読者へ警鐘となるだろう。すなわち、いかにして聖書の御言葉に宿る神の霊感を、モダニズム的解釈の息のかかった翻訳に惑わされずに 恒久的に高く掲げ仰ぎ見続けられるであろうか・・と。
2 NIV編目次に著わされるモダニズム
モダニズムはキリストへの信仰の根本を否定するものを見出されてきている。完璧なモダニズムをベースとした翻訳は、モダニズム傾向をもつものとならざるをえなず、
NIV版聖書も、信仰される根本的真理を否定している箇所が含まれている。
(a)キリストの神格についての削除
福音の核は、「神の御子が人となられた」という根本真理にある。第1テモテ3:16
「疑いなく偉大なのはこの神の奥義です。神Godは肉において顕現され・・」この素晴らしい御言葉は、NIV版には見当たらず、そのかわり、「・・彼は体をもって現れ・・」
となっている。この「彼」とはイエスをさし、イエスは神であることはクリスチャンにとっては動かしがたい周知の真理である。そう、「彼」はイエス、であり「彼」イエスは体を持った、しかしここでは「彼」は神である。と言ってはいない。キリストの神格の否定に対峙するとき、もしこの翻訳版を用いてはこの記述箇所の真理を実証できないだろう。
また、ローマ書14章10節12節においても、「・・私たちは皆キリストの裁きの御座の前に立つようになるのです。私たちは各自、神にたいして申しひらきをを許され、この権威ある場で“キリスト”は神である確言とされる。しかしNIV編では「キリスト」という語を「神」と替え、そうしたささいなペンさばき(書き換え)で「救い主」を聖書から
追い出してしまったのである。
(b)キリストの顕現(受肉)についての削除
ルカ2章33節「ヨセフと彼の母は驚いた・・」。NIV編では、「(御)子の父と彼の母は驚いた・・」とある。ヨセフ、神に選ばれ名誉ある使命を与えられ、人となられたイエスの父親となった彼は、ここではイエスの父親とされず、イエスも地上での父親がいなかったことになる。彼の実態は超自然的なもの、「聖なる幽霊ghost」と見なされる。多くのモダニストのイエスの父親像としてのヨセフの認識は神話的次元の話であり、事実は 処女懐胎もなければ、キリストはマリアの子であるがヨセフの嫡出子ではない。となる。
(c)キリストの贖罪についての削除
コロサイ書1章14節「この御子のうちにあって、彼の血潮によって私たちは購い、すなわち罪の許しを得ています。」購いはイエスの血によって宣言される。ただキリストの血潮のもが購いを成就させるのである。モダニズムはいつもキリストの血を嫌悪してきた。
NIV編はこの重要な記述箇所にもモダニズム旋風を吹き込んでくる。ここでは、「・・
この御子のうちにあって購い、罪の許しを得ています。」 “血潮”という言及はこの聖句では削除されている。キリストの贖罪の血はこの編纂聖書では除外されているのである。
NIV編には他にもおびただしい数の誤謬がみられるが、この編がまさにモダニズムそのものであると充分実証するものである。
3.NIV編のモダニズムがもたらす混乱
単語、語句を削除することによって、段落全体の意味が失われてしまう。初期の信頼おける手書き写本や古代の証言にはマルコ16章9節から20節が存在しないことを書き添えているが、同じことが、ヨハネ7章53節から8章11節までの段でもなされている(姦淫の女の許しの場面)
ヨハネ5章1〜9節の「足萎えの男」の挿話にも興味深い、削除箇所がみられる。
NIV編でも7節でこの男に「水がかき回される時に、私を手助けして池に浸らせてくれる人がいない」と言わせている。しかし、彼はなぜ「水がかき回される時」であるのか、解っているのだろうか?NIV編はこの答えを備えてはいない。というのは、4節「天使が
ある時降りてきて池の水をかきまぜる。(この時浸ると癒される)」が全く抜けているのである。 これだけでなく、かなりの文献が本来のものから削られたりかってな脚色をされているのだ。
NIV編がひきおこした誤謬、削除、余計な脚色は、本来の正統な神の言や真理への信仰
に揺さぶりをかける結果を招き、これはまさにまごうかたなき創世記の初めのエデンの園での惑わしから始まったサタンの仕業である。あるときはキリストを失脚させようと
御言葉を曲解させてキリストを誘惑し、前世紀になるとモダニズムやリベラリズムという思想形態で人心の批判精神を煽り聖書に著わされた真理を疑わせようというのである。
私たち福音派は、この余計な付け足しや肝要な事項を省いて真理を微妙にすりかえうやむやにしてしまう編纂聖書、語句:が巷にあふれる中で いかにして、これまで守ってきた真理を固く我内に留めおくことができるだろうか。こんな不確かな危うい風潮のある中で確固とした土台をたて上げようとする時、どのようにして真の権威と確信をもって福音を
伝えてゆけるであろう。
私たちは間違った伝道道具は投げ捨てて、よく吟味して信頼おける翻訳をなされた聖書を
固持していこう。正規の道へたち返り、権威ある御言葉の堅固な砦(聖書)に立ってゆくべきであろう。
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コメント:
NIV訳聖書に含まれる近代主義神学、自由主義神学の影響についての
良い記事です。