NO.396 偽預言者を見分ける

*ピーターワグナー、ベニーヒン等を何故「偽預言者」と断定できるのか

”テキスト:申命記18:
20 ただし、わたしが告げよと命じていないことを、不遜にもわたしの名によって告げたり、あるいは、ほかの神々の名によって告げたりする預言者があるなら、その預言者は死ななければならない。」
21 あなたが心の中で、「私たちは、主が言われたのでないことばを、どうして見分けることができようか。」と言うような場合は、
22 預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない。”

本日は偽預言者を見分けるという題でメッセージしたいと思います。
聖書のいう偽預言者を見分ける、その基準を確認したいと思っているのです。

いつの時代においても偽預言者を見分けるということはクリスチャンに
とって、必要な大事なことがらです。

しかし、今の時代においては、とりわけその意味あいは大事です。
何故なら、近年世界の教会は様代わりしつつあり、欧米の教会においては、(自称)使徒、預言者
と名乗る人々が大きな力を及ぼしつつあるからです。

彼等は聖霊の第3の波(実際は悪霊)系の人々であり、彼等は
自ら「使徒、預言者」などということさえ恥ずかしいのに、それにとどまらず、
「最初の再臨のキリストは霊として来られ、使徒、預言者の上に受肉する。だから自分達はそのキリストの権威がある」として、
何と「キリストの権威」迄、要求する、驚くべき、思い上がった人々です。

さて、私にはそう思えるのですが、
世の中、色々な人がいるもので、これらのうさんくさい「ユダヤ臭の強い」
自称預言者をすっかり信じている人々も多いようです。
「いわしの頭も信心から」「たで食う虫も好きずき」ということわざもありますので、
誰が何を信じてもよさそうですが、
しかし、角笛の重荷を負うもののひとりとして、「聖書がどう語るか」だけは
見ておきたいと思います。

順に見ていきます。

”20 ただし、わたしが告げよと命じていないことを、不遜にもわたしの名によって告げたり、あるいは、ほかの神々の名によって告げたりする預言者があるなら、その預言者は死ななければならない。」”

偽預言者の罰は重く、死に値するものです。
神が語っていないことを偉そうに「神の名」によって伝えるからです。

”21 あなたが心の中で、「私たちは、主が言われたのでないことばを、どうして見分けることができようか。」と言うような場合は、”

世界には多くの(自称)偽預言者がいます。また、本当の預言者もいるかもしれません。
しかし、我々にとっての問題はどれが本物か、偽物か「どうして見分けることができようか。」という疑問です。

一体我々はどのようにして、これらの(自称)預言者を見分ければよいのでしょうか?

”22 預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない。”
 

たった一つの見分けのポイントがここに書かれており、それは
未来に関することです。すなわち、たとえ(自称)預言者が「語っても、そのことが起こらず、実現しないなら」それは神からのことばではなく、それは偽預言者に過ぎないということです。

すなわち、預言の成就ということ、未来に関すること、預言成就するかしないかという問題なのです。

ここには、しるしや不思議については書かれていません。また、いやしについても書かれていません。
逆に主イエスは「偽預言者が起こって、しるしや不思議を起こす」ことについて語られました。
ですから、しるしや不思議が偽預言者に伴うことはありえるのです。
偽預言者がしるしや不思議またいやしを起こすことはあり得るのです。

この様に聖書は間違えようのない形で偽預言者のみわけのポイントを語っています。

この「基準」に基づきエホバの証人について考えるなら;
彼等は何度もキリストの再臨について語り、しかもそれは実現しませんでした。
ですから、このフリーメーソン、ユダヤのかおりのする異端宗教は偽預言者であることがわかります。

また、同じく預言をして外れた統一原理も同じです。

さらに同じく、マリヤ預言がよく外れるマリヤの霊も偽預言者の霊、さらにマリヤ教祭司、某獣法皇も偽預言者の類いであることがわかります。
類いの様です。

これらの上にプロテスタントで聖霊の第3の波で最近売り出しているピーターワグナーという人がいますが、彼も「2000年迄に日本に大リバイバル、1000万人がクリスチャンになる」などと
数字迄あげて、見事に外れ、狼少年ピーターなんていう名前で、馬鹿にされています。
彼も偽預言者であることを内外にはっきりと示してしまいました。

同じく「2003年に日本にリバイバル」なんて予言をして、見事に外れたデーモン男、もしくはミスター
ベンヒノムことベニーヒンがいます。彼も聖書のことばによれば、「預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。」とのことですので、
偽者決定です。

同じく「2004年日本リバイバル」を公表し、またまたというか、御愁傷様というか、
みごとに偽預言者の仲間入りする予定の人物として、
ハモン ゴグことビル ハモンがいます。2004年が終わり何のリバイバルも起きないなら、
この男もそれからこの嘘つきを持ち上げた団体も偽預言者決定です。
嘘つき野郎と罵倒されても文句はいえませんね。

さて「新約の預言は吟味すべきものなので、いくら預言が外れても一向にかまわない」などと、聖書に書いていない、愚かなことを語っている人々がいると聞きましたが、馬鹿なことをいってはいけません。

予言して外れてもなおかつ、「聖書により預言者として認められている新約の預言者」など、新約聖書の
どこに書いてあるでしょうか?

新約で預言をした主イエスにしてもまた、バプテスマのヨハネにしてもまた使徒行伝のアガポ
にしても預言者と名がつく人の預言はみなあたっています。

”使徒21:
10 幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。
11 彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される。』と聖霊がお告げになっています。」と言った。”

このアガポの預言は見事に成就しています。
これが新約の標準、聖書の標準なのです。

それなのに、どの預言も外れっぱなしの情けない男、ベニーヒンを何故すばらしい「預言者」と認めなければならないのでしょう?偽預言者の起こす
しるしと不思議しか見てない人は「聖書を知らない愚か者」だと私がいったとして、
何か問題があるでしょうか?

このこと、すなわち聖書が語る偽預言者見分けのポイントがたった一つであり、
それは「預言が成就するかどうか」であることは大いに強調されるべきことだと
私は思います。

聖書をろくに読まず、いえ聖書のことばなんか放っぽりだして、悪霊のしるしの「追っかけをしている」
クリスチャンが多い様ですが、しかし、
聖書は「しるしや不思議、いやし」を見分けのポイントとせず、唯一、「預言が成就するか」否かを見分けのポイントとして語っています。

それで、「この未来を預言する」ということは、何か特別なこと、悪霊には不可能なことであることを知るのです。未来を預言ししかもそれが成就することは、、
「始めであり、終わりである方」の霊によらなければできない特別なことであることを知るのです。

私達はこの唯一の基準を正しく知っており、その基準に基づき、
*再臨の預言が外れまくっている、ユダヤフリーメーソンの匂いのする「エホバの証人」は
偽預言者であると知り、
*同じく統一教会も偽預言者であると知り、
*同じく預言がいつも外れるマリヤの霊崇拝の某獣法皇も偽預言者であること
を知ったのです。

同じく、偽預言が見事に外れたピーターワグナー、ベニーヒン
などを偽預言者であると呼びます。このことに、
何の問題があるでしょうか。

私達の基準は一つであり、同じ基準で我々は
わけへだてなく人々を見ています。

目が曇らされ、人を片寄り見て、えこひいきを恥じない愚かな人々こそ、恥ずべき、
偽善者ではないでしょうか。

「たとえ2000年に預言通り起きなくてもいずれリバイバルが起きるから、それはそれで正しい預言だ」などと、愚かなことを口走ってはいけません。

かつての日、主の預言者ミカヤを迫害した偽預言者ゼデキヤ及び彼とともなる
400人の偽預言者は王に対して勝利を語り、良いことを語りました。
しかし、彼等は皆、惑わす霊の下にいたのです。
偽預言者は未来に関して良いことを語るとは聖書の中の基本の基本の原則です。今さら私がいうことでもないでしょう。

ですから、このことがら、ピーターワグナーが大口を開け、「日本に対して良いことを」預言し、「しかも期日迄決め」しかも外れたことは、神が与えた彼等を見分ける千載一遇のチャンスです。

それが本物の金かどうかを試すために試金石を用います。
同じく、その人が本物の預言者であるかどうかを試すために、この預言を神が彼の
口をとおして語らせました。

口は災いのもとですし、変な預言をしなければ、彼らも正体を暴露せずに済んだのですが、
何故だか、不思議に自称預言者は何か預言的なことを語りたくなってしまうようです。
そしてその結果、自滅してしまいます。

神は、これらの自称使徒、預言者達を見分けるために、尊い見分けのチャンスをこの日本の教会の我々に与えてくれました。

しかし、この日本の教会には問題があります。何か?
それは、多くの牧師、信徒が盲目であり、この器を見分けるために神がこの試験が行われたことも、そして、その結果がはっきりと神により明示されたことをも知らないのです。

「語った預言が成就するか否か」が聖書の神の判定の基準であり、その結果は、見事に彼、ピーターワグナーに関して「不合格、偽預言者」と出たのですが、聖書も神の力も知らないこの島国のクリスチャンは今だにその結果を悟ろうとしないのです。

逆に盲人牧師のいうことやこれらの偽預言者の聖会を開く人々の宣伝をうのみにしています。

これらの使徒達を受け入れる人々は、いずれ偽使徒や偽預言者の御託宣に一喜一憂するようになるのでしょう。

これからこれらの嘘つきどもによる本格的な惑わしが始まります。
しかし、聖書はこれらの偽預言者に関して、「彼を恐れてはならない。」と書いています。

正しくみことばに遵い、人を吟味する者は終末の惑わしを免れることを知りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー