NO.450 くじを引いてイエスの着物をわける


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”マタイ27:33 ゴルゴタという所(「どくろ」と言われている場所)に来てから、
34 彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。
35 こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、
36 そこにすわって、イエスの見張りをした。
37 また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである。」と書いた罪状書きを掲げた。”
 

本日は、「くじを引いてイエスの着物をわける」という題でメッセージしたいと思います。
主が十字架につけられる前に着物がわけられたことの意味あいを見ていきたいと思うのです。

順に見ます。

”33 ゴルゴタという所(「どくろ」と言われている場所)に来てから、”
 

この箇所の記述は、主がゴルゴダで十字架につけられる日のことです。
主が十字架につけられたことの意味あいを正しくとらえなければなりません。
それは、一面確かにあがない、罪の許しと関係しています。
しかし、それのみを強調するのも片寄ったことです。明らかに聖書は、この十字架の死を
「神の民の不信、反逆」のきわみと描いており、その様に我々も理解すべきなのです。

そして今の時代、終末の時代に生きる我々が知らなければならないことは、
この十字架の反逆は再度、終末に再現されるということです。

それを聖書黙示録は、ソドム、エジプトと呼ばれる都で彼らの主も十字架につけられている(時制:アオリスト)と語ります。
 

”34 彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。”

「苦みを混ぜたぶどう酒」とは聖霊に関することばです。苦みとは、以下の苦いと同じことばです。

使徒8:23「あなたはまだ苦い胆汁と不義のきずなの中にいることが、私にはよくわかっています。」
 

ですから、苦みを混ぜたぶどう酒とは、罪の混ざった霊の働きということでしょうか。
イエスはそれを飲もうとはされなかったのです。
すなわち、受け入れられなかったということでしょうか。

苦みを混ぜたぶどう酒?これは具体的にはどんな霊のことを語っているのでしょうか。
たとえば、預言がよく外れる偽預言者、ベニーヒンの変な霊で浮かれる等のことでしょうか。

この酒、霊に酔う人は多いでしょうが、しかし、主は「苦みを混ぜたぶどう酒」、すなわち、
罪の混じった霊は受け入れなかったことを知るべきです。
イエスは罪人になり、地獄に落ちたなどと主イエスを冒涜するユダヤタルムードそのものの
偽りの教理を語るワードフェイス(Word faith)の一派であるベニーヒンやケネスコープランド
の持ってくる霊こそ、この苦みを混ぜたぶどう酒であることを知りましょう。
 

”35 こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、”

彼等はイエスを十字架につけ、殺しました。
これはかつて歴史的に起きたことです。しかし、もう一面の意味あいは未来、終末に関する
預言とも理解できます。
 

何をいっているのかというと、終末の日にも主を十字架につけることは、再現し、
「ことばは神である」といわれた方のことばは冒涜され、「聖書は憎しみ犯罪をもたらす元凶」などとの非難の中で、書きかえられたり、字句を削除されたりしていくからです。
これらの冒涜は今、さかんに行われつつあり、「パリサイ人」や、「ユダヤ人の長老」が
イエスを非難したなどとの聖書の記述はけしからん、反ユダヤである、ただ「人々」という表現に書きかえろ、などとのユダヤ人による新約聖書への非難が声高に語られています。

単に語られているのではなく、もうすでに聖書の記述は変えられ、これらのことばに関して「ユダヤ人検閲済み」の聖書が発行されているのです。
もう時代は一歩も2歩も進んでおり、世界の教会は、冒涜のまっただ中にいるのですが、
役立たずな日本のキリスト教新聞、雑誌はこれらの事実を伝えようとしません。

さて、これらの主イエスへの冒涜は今の背信の教会でさかんに行われており、神のことばを裏切る盲目な
偽善クリスチャンはこれらの冒涜に大いに同調しています。
そう今こそ、「こうして、イエスを十字架につけてから」とのみことばが成就している時代なのです。
 

「彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け」

さて、主イエスが十字架につけられたとの一文の後半には、「彼らがくじを引いて、イエスの着物を分け」
たことが記されています。これらには相互に関係があるかの様な書きかたです。
おそらくこれらは関係があるのでしょう。ですから、主イエスの十字架の死に関する預言が成就する頃、すなわち、みことばへのあらゆる
冒涜が許されるその日に、「イエスの着物」が分けられるとの預言も成就するのかもしれません。

イエスの着物をわけるとはどういう意味あいなのでしょう?
このことは、以前の記事、預言者アヒヤの新しい外套の記述を思い出せば理解できると思われます。
彼がその外套を12に分けた、そのうち10切れをヤロブアムに分け与えたことは、彼ヤロブアム
がイスラエルの10の部族を受け取ることの象徴でした。ですから、ここで分けられるイエスの着物もまた、分裂させられるキリストの教会の予表と考えた方が正しいでしょう。

このたとえは、終末の日、主イエスが十字架につけられる日、すなわち、主イエス御自身であるみことばが殺されるその背教の日に主イエスの着物、国、すなわち、キリスト教会が分裂するそのことに関する予言なのです。

「彼らはくじを引いて」

さて、くじを引くことの意味あいは何でしょう?
くじに関して描かれているのは旧約聖書エステル記です。
その中で、ユダヤ人の敵、ハマンが神の民、ユダヤ人を絶滅させることを計画し、その実行日を定めるためプル、すなわち、くじをつかったことが描かれています。
以下の記述の通りです。
 

”エステル9:24
なぜなら、アガグ人ハメダタの子で、全ユダヤ人を迫害する者ハマンが、ユダヤ人を滅ぼそうとたくらんで、プル、すなわちくじを投げ、彼らをかき乱し、滅ぼそうとした。”

それで、このくじということばは、実は神の民への殺害の脅しと関係があることがわかります。
彼、ハマンはユダヤ人の殺害を王に進言する時、以下の様に語っています。
 
 

”エステル3:8「ハマンはアハシュエロス王に言った。「あなたの王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族がいます。彼らの法令は、どの民族のものとも違っていて、彼らは王の法令を守っていません。それで、彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。」”

ですから、彼等ユダヤ人がハマンに憎まれたのは、その法令、教えのゆえなのです。彼等が、
神の律法を守る、それゆえに彼等は迫害されたのです。今のクリスチャン用語でいうなら、
「神の教えに忠実」だったゆえに迫害されたということになります。

話を主イエスの衣に戻し、くじを引いてイエスの衣を分けることの意味あいは何でしょうか?
以上をもとに考えるなら、「神の教えに忠実な人々への『そのままでは、死刑になるぞ』との
脅し」また、「その脅しに屈して神のことばを捨て去る人とあくまで忠実に残る人」との分裂と
理解できます。

これからキリスト教会に起きてくることに関して想像できるシナリオは以下の通りです。

1. 現在、アメリカを中心に世界中に広がっている、「憎しみ犯罪法」などをもとにした、
「聖書に忠実な人々への迫害」はますます世界に広がる。
すでにアメリカでは、「聖書をもとに同性愛の罪を指摘した人々」が、投獄され、
懲役何十年もの、重い刑に処せられている。
すなわち、既にアメリカは「聖書に忠実な人々が投獄される時代」になっている。

2. その結果、あくまで、忠実に聖書に従っていこうという人々とそうでない人々とは分かれ、
別々のグループになる。場合によっては、他方が、一方を「原理主義者、宗教的に不寛容な人々」
などともったいぶった言い方で非難するのかもしれない。
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”36 そこにすわって、イエスの見張りをした。”

何故彼等はそこにすわって、「イエスの見張りをした」のでしょうか?
それは、イエスの死を見守るためです。
同じ意味あいで、終末の日、イエスの体の死、すなわち、イエスのみことばが
亡きものとなり、またイエスの霊、聖霊が悪霊よばわりされるようにしっかりと
監視する人々があらわれるでしょう。
彼等は日本においても既にあらわれており、2ちゃんねる等の掲示板において、
「聖書的なことを書く人々」をさかんに非難しています。

”37 また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである。」と書いた罪状書きを掲げた。”
 

罪状書きとは、その人が死刑にされる理由を書いたものです。
イエスの罪状書きとして、「強盗」でも「殺人」で