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タイを語る
タイに関する掲示板への私の投稿集です。
(no title) / 12.19 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
というわけで、ドイアンカーンです↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/satelthai/projects/riverinetriangle/index.html
今回はあまり一般受けする内容ではなく、けっこうマニアックな仕上がりになりました。
私はドイアンカーンには2度行きましたが、こうして資料を整理してレポートを書いてみると、行ったというよりはただ通り過ぎただけのように思えてきました。今度また行く機会があったら、国道から30分のハイキングで登れるという頂上に立って、360度のパノラマを堪能したいです。
(no title) / 12.17 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
Asger 氏の遺跡リストで Prasat Bai Baek を探し出し、Google Earth に
N14.34611, E103.16309
と打ち込みますと、添付画像のような詳細衛星画像が見られます(もう少し拡大可能)。画像の日付は Google Earth では分からないんですが、他のソースによると 2004-02-11 です。
おそらく数年先にはGPS機能を備えたブロードバンド携帯電話が出回って、旅先でこういう操作がいとも簡単にできるようになると思いますが、便利な反面、限られた情報を元に苦労して目的地に到達するという推理の楽しみは失われます。
ところで Prasat Bai Baek から東南方向わずか数キロの位置に、まだ一般には開かれていない国境ゲート Chong Chan Chahom があります。ダンレック山脈を越えてカンボジア平原に降りる道路も完成していて、Google Earth で追跡可能です。タイ政府が Google Earth を嫌がる所以です。
(no title) / 12.16 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
今回のふうみんさんのドライブルートに沿った標高グラフを作ってみました(添付画像)。
バンコク→タークは限りなく平坦です。標高差は100メートルしかありません。このわずかな標高差によってピン川→チャオプラヤ川の緩やかな流れが形成されます。
ターク→メーソットは御機嫌な山岳コースです。途中尾根を2個越えますが、最初の尾根はチャオプラヤ・サルウィンの分水嶺です。ここから先は当分サルウィン河流域を走る事になります。文化圏としては圧倒的にカレンです。
Ban Tha Song Yang を過ぎると、荒涼とした山道になります。地理的には、モエイ川流域からユアム川流域への峠越えです。この道路は人によって評価が分かれるところですが、私の大のお気に入りです。
クンユアムからはシャンの文化圏に入ります。隣接しているのはカレニー州なんですが、カレニーが歴史的に居住しているタイの地区が思い浮かばないです。(ちなみに私の自称専攻は歴史と社会学で、民俗学には疎いです。)カレニーは国際的な知名度ではカレンに押されて影が薄いですが、独自の文化と歴史をもち、もっと注目に値します。メーホンソンにはカレニーの難民キャンプと亡命政府があり、首長族部落(カレニーの亜族)への入村料はこの亡命政府(の幹部)の貴重な収入源です。
パイを過ぎてからの山越えで、サルウィン流域からチャオプラヤ流域へ戻ります。が、Mae Taeng から北上を続けて Arunothai 経由でドイアンカーンに登り、Fang に降りてくるとそこはもうメコン流域です。
今回思いつきでメコン・サルウィン・チャオプラヤの流域を色分けした地図も作ってみたのですが、これら三つの分水嶺が会するピークはどこかと探してみたところ、どうやらそのような点は存在せず、ドイアンカーンの窪みの縁からベンツのマークよろしく三方向に分水嶺が伸びているらしいという意外な結論に達しました。これで完全にハマッテしまい、ここ一週間ばかりドイアンカーン関連の画像処理と資料収集に明け暮れていました。だいたいまとまったので、数日中に発表します。
(no title) / 12.10 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
行程8日目> 北タイの静かな県都へ
タートンですが、ここでコック川がビルマから流入し、チェンライを経由してメコンに合流します。こうして川が国境線を横切るのは、私の見落としが無ければ北タイでは3箇所あり、他の2箇所はメーホンソンのパイ川とクンユアムのスリン川(共に流出、サルウィンに合流)です。タートンのコック川で特筆すべきなのは、タイ・ビルマ間の国境線争いです(添付画像参照)。黄色線がタイの主張で、赤線がビルマの主張です。ここはタイで最もホットな紛争地帯で、両国軍の数十の前哨部隊と数百の兵士が肩を並べあっています。そういう事もあって、観光客がコック川に沿ってうっかり国境に近づかないように、厳しい検問が敷かれているわけです。
ちなみに前述したドイアンカーンの北ルートは、途中 Fang に抜けなければ、標高2000メートル級の尾根に沿って Doi Pha Hom Pok の裏側を回り、この国境紛争地帯のまさに南端をなぞってタートンに到達します(8月31日投稿の画像参照)。
(no title) / 12.09 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
行程7日目> パイを退散し、アンカーン山へ
地名についてですが、
大谷地村 = Nong Ook = Arunothai
です。けっこう大きな村で、国境に隣接しており、タイ人とビルマ人のみが通行できる国境検問所があります。ちなみに前述の Mae Aw は、この村から分離独立しました。
また、ゲストハウス「唐窩客棧」というのは、おそらく唐窩村にあるのだと思いますが、
唐窩村 = Tham Ngop = Santi Wana
です。メーサロンがKMT第5軍(段将軍)の本拠地とするならば、この村は第3軍(李将軍)の本拠地なのですが、その後の発展・分散のパターンの相違には、個別の事情もさることながら、指揮官の方針やビジョンに違いがあったのでしょう。
参考文献:冷戦期タイにおける中国国民党軍ニ山地民
http://www.cseas.kyoto-u.ac.jp/seas/42/2/420204.pdf
さてドイアンカーンですが、南ルートのR1340、東ルートのR1249の他に、あまり地図には載っていない北ルートがあり、なかなかのアドベンチャー道路です。ドイアンカーンの北端には、二つの隣接した丘にそれぞれタイ軍とビルマ軍のキャンプが200メートルぐらいの近距離でお互いの様子を伺っている、ちょっとした観光スポットがあります(添付画像)。本来の分水嶺(国境線)は各々のキャンプの中心を通るのですが、それでは具合が悪いので、国境線をちょっとずらしてこういう状況になっています。
ここらへんの稜線はタイ・ビルマの国境であると同時に、メコン・サルウィンの分水嶺でもあります。道路が峰沿いを走る区間では、道路の東端で立小便をすればメコン河経由で南中国海に達し、道路の西端で立小便をすればサルウィン河経由でアンダマン海に達します。ちょっとしたロマンです。
(no title) / 12.08 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
> 行程6日目> KMTの村にへお茶を買いに
Mae Aw については、こういう村が観光地図に載っている事自体に首を傾げるものがありますが、それだけ観光資源の発掘にやっきになっているのでしょう。添付写真が示すように、国境に隣接しています。貯水湖から15分ほどのハイキングで国境の丘に上がれますが、治安状況や国境警備兵の機嫌が悪い時には近づけません。
丘の上にはささやかな観光スポットである Communist Jail という穴ぼこがあります↓
http://www.onasia.com/system/preview.aspx?pvp=ath01265
(no title) / 12.07 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
> 行程5日目> ひまわりの群生を見にゆこう
クンユアムの博物館が改装中だったのは残念でした。展示品はこんな感じです↓
http://maehongson.payap.info/KhunYuam/index.html
上ページからダウンロードした地図(博物館で撮影?)に色を付けてみたのが添付の画像です。
私も歴史の面影を求めてクンユアムの西のエリアを探索した事があります。下調べもなく、詳細地図も持ち合わせていなかったのであまり収穫はありませんでしたが、「もしかしたらこの道路が...」という緊張感はありました。
戦争当時と同ルートかどうかはわかりませんが、クンユアムからビルマへ抜ける「道路」は存在します。私は到達できませんでしたが、国境検問所があって、タイ人とビルマ人のみが通行できるそうです。
(no title) / 12.02 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
> 行程4日目> サルウィン河を遡上せよ!
それで、メーサムレップでR1194(の延長)をそのまま進むとどうなるかというと、サルウィン河に沿って数キロほど南下して国境警備のキャンプのような施設に辿り着きます。そこで道路はサルウィン河を離れ、東南に方向を変えて生い茂るジャングルの中に入って行きます。路面はワイルドで、雰囲気的には地の果てです。
サルウィン河とR105の間には添付写真に示すように多くの村が点在しており、一応ダート路でつながっています。探検好きな旅行者にはたまらないエリアです。
(no title) / 12.01 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
> 行程3日目> ビルマ辺境を走る
メーラ難民キャンプの絶景は、語弊を恐れずに極言するならば、R105沿いでの最大の観光アトラクションといえます。ラオス国境とカンボジア国境が平穏化して久しい現在、平和ボケしたタイで国際政治の緊張感が味わえるのはビルマ国境だけです。
で、あの山の向こうがどうなっているのかというと、こうなっています↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/satelthai/temp/maela/index.html
威圧的な検問をやり過ごしてモエイ川へ向かうと、意外にのどかな風景が広がっています。こういった辺縁の村を訪れて、鄙びた店で缶コーヒーを買って一服し、村民の生活ぶりに思いを馳せるのが私にとっての旅の醍醐味です。
(no title) / 12.01 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
> 行程2日目> 一路、国境の街メーソットへ
タクシン王の歴史上の扱いについて、チャクリ王朝最初の150年間は微妙に無視、時に酷評という感じでしたが、1932年のクーデター以後はチャクリ王朝を叩く材料として、英雄として名誉挽回されました。「歴史」が時の為政者によって都合のいいように書き換えられるいい見本です。
タクシン王については私も興味を持って文献を漁って読んだのですが、少なくともアユタヤ王朝にとってはタクシン王はトンでもない裏切り者だったようです。まず、アユタヤ陥落を予想して、部下を引き連れて敵前逃亡しました。その後の「戦国時代」を切り抜けて大勢力となってからは、アユタヤ王朝の子孫を抹殺する事に精力を注ぎました。
ちなみにラマI世も即位後にタクシン王の親類縁者を150人ほど処刑していますので、まあ、そういう時代だったのでしょう。
(no title) / 11.18 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
なるほど... なるほど... (唖然)
ちなみにタイでの購入価格は、
Cybershot S-600 ... 5990B
Memory Stick Pro Duo 512MB ... 1490B (互換製品 Sandisk、ソニー製は2倍ぐらい高い)
でした。
それにしても、昔キャノンの一眼レフカメラで気合を入れて撮った写真よりも、今のデジカメでテキトーに写した写真の方が綺麗なのは、腕が悪かったせいなのか、印画紙代をケチっていつもサービスプリントで甘んじていたせいなのか。
(no title) / 11.15 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
カオプラヴィハーン付近の詳細な衛星画像が手に入ったので、これまで不思議に思っていたカオプラヴィハーンの国境線についての考察をまとめてみました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/satelthai/projects/khaophraviharn/index.html
画像の出展はタイを拠点とする Point Asia で、数ヶ月前から Google Earth に類似したサービスを提供しています。登録(無料)が必要で、インストールの方法がやや煩雑ですが、興味のある方は次のページを参考にチャレンジしてみて下さい↓
http://www.geocities.com/satelthai/resources/pointasia/index.html
あっ、ただしタイ国外からの登録やアクセスの可否については不明です。
(no title) / 11.15 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
写真が2000枚ですかっ!メモリーカードをたくさん持っていくのでしょうか?
ちなみに私は近頃ようやく初めてのデジタルカメラを購入したのですが(SONY Cybershot S-600, 6メガピクセル)、512MBのメモリーカードに150枚ぐらい記録可能です。
頻繁に旅行に出られた頃にはデジカメは無く、デジカメがある今ではなかなか旅行に出られないです。
(no title) / 09.09 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
新空港とバンコク都内を結ぶアクセス手段については、おそらく土壇場になるまではっきりしないと思いますが、空港でレンタカーを借りられれば比較的自由に行動が取れます。空港から北に2kmのモーターウェイに入れば、9号線(有料)経由で1号線に出る事もできますし、そのまま高速道路に入ればドンムアン方面へ出る事もできます。
ちなみに、Sukhumvit 道路周辺は、BTSの延長工事のために大変渋滞しておりますので、避けた方が無難です。
(no title) / 09.06 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
Bankok Post によりますと、Emerald Triangle の国境ゲートが先週末にオープンした模様です。といってもこれは独立した記事ではなく、「Emerald Triangle で狩猟禁止の野生動物が食肉用に取引されている」という記事の中の一文でさりげなく国境ゲートのオープンについて記されていました。詳細は不明ですが、文脈から推察するに、Emerald Triangle の西側1kmほどの位置でタイ・カンボジアの国境が開かれたのだと思います。今のところ外国人の越境は不可で、それで英字紙での扱いが地味なのでしょう。
タイ・ラオス・カンボジアの国境が交わる Emerald Triangle というのは観光用のキャッチフレーズで、地名としては Chong Bok です。Chong (峠)というくらいなので、昔から人の行き来はあったのでしょう。私が推定した国境越えルートを画像上に白線で示しました。タイ側の国境線は分水嶺ですが、カンボジアとラオスの間の国境線は Tonle Repou というメコン支流です。
1979年には、ベトナム軍侵攻の煽でカンボジア難民13,000人が Chong Bok 経由でタイに逃げ込み、タイ政府は難民キャンプ2個 (Chong Bok, Nam Yuen)を造って対応しました。ところがこの中に相当数のクメールルージュ兵士が紛れ込んでいたようで、難民キャンプを拠点に反ベトナム活動を行いました。怒ったベトナム軍は難民キャンプを攻撃するためにタイの領土に侵攻し、タイの軍隊とかなり派手な交戦を行ったそうです(1985−1986)。
おそらく数年の内には外国人も行き来できる国境ゲートに格上げされ、お定まりのカジノやゴルフ場が建設されて情緒もへったくれもなくなるでしょうから、鄙びた国境の雰囲気を味わうのは今が旬だと言えます。
(no title) / 08.31 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
蛇足ですが、今回のルートの近傍の紹介をいくつか。
1.メーソットの南、Waley と Umphang
Ban Waley はメーソットの南60km、メーソットで3時間ばかり半端な時間があれば往復できる位置にあります。メーソットの橋を表玄関とすれば、Waley の橋は裏玄関という事になりましょうか。まあ、面白い光景です。
Umphang へ足を伸ばそうとすると、メーソットから1泊2日の寄り道になります。Umphang を訪れる大多数の観光客は、Tee Lor Su Waterfall を見に行くタイ人で、12月〜1月に殺到します。Umphang へ至るR1090は、タイでも有数の奇景・絶景を誇りますので、マニアックな旅行者にはお勧めです。ただし、マニアックな旅行者は Umphang の先も探検したくなるでしょうから、そうなると最低3〜4日は必要です。
Waley と Umphang については、私がちょっと前にまとめたページを参考にして下さい↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/satelthai/projects/westernfrontier/index.html
2.R1095/R107の交差点からをボーダー沿いに北上する
チェンダオまではポピュラーな観光コースですが、その先R1178に入ると、完璧なマニアコースです。派手なアトラクションはありませんが、背筋がゾクゾクするような緊張感は堪能できます。また、しょっちゅう検問で止められて荷物検査をされます(麻薬所持のチェック)。
R1322は Wiang Haeng を経由して、 Ban Lak Taeng という、ちょっと大きな村に到達します。ここまでは全舗装なので運転は楽ですが、得体の知れないビルマ国境の村へ向かうというのは、強靭な精神力を必要とします。折り返してのR1178は、現在舗装工事がどの程度進んでいるのか私は情報を持ち合わせていませんが、舗装完了ならば魅惑的なループを形成します。未完了の場合は間違ってもセダンで乗り入れてはいけません。
さて、R1340を北上して Doi Ang Khang に到達するのは、基本的に全舗装です。が、雨季には土砂崩れで通行が困難になる事があります。途中いくつかの旧国民党村を通過するので、ワビ・サビの世界に浸かれます。
Doi Ang Khang を北側から降りる道路は物凄い急勾配ですが、四輪車ならば問題はありません。ここから Fang に右折しないで直進しますと、タイで二番目に高い山 Doi Pha Hom Pok の裏側を回って Mae Ai に到達する、かなりエキゾチックな道路に入ります。この道路は軍用道路として1995年には完成していましたが、数年前までは観光客はシャットアウトでした。今でもほとんどの地図に記載がありませんし、雨季にはよく道路が陥没して物理的に通行不能となります↓
http://www51.tok2.com/home/cafemondiale/Chiangrai2.htm
(no title) / 08.30 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
このコースは主要ルートを走っているだけで色々なモノに出会う事ができる、面白いコースです。参考資料として、
http://www.budget.co.th/travel_worldclass.php
のページから
Chiang Mai - Golden Triangle Loop
をダウンロードして下さい。データは最新のものではありませんが、要所は押さえてあります。印刷して持っていくと心強いです。
メーソットの一番の目玉は国境の橋ですが、二番目の目玉は特にありません。国境マニアならば Moei 川にへばりつく様に裏道を北上すると面白い風景に出会えますが、通常の旅行者はR105を一気に走り抜けるのがいいです。メーソット・メーサリアンの距離は220kmほどですが、特に後半がクネクネしているので、ノンストップで4時間、のんびりドライブで6時間かかります。途中1箇所、毎年のように雨季にがけ崩れする急勾配の難所があるので、覚悟が必要です。
R105の魅力は道路そのものと周辺の景色にあるので、あえて寄り道をしなくても十分に面白いです。途中 Mae Usu Cave がありますが、特にお勧めはしません。国立公園も2個ありますが、キャンプで一泊するのでなければ入る意味はありません。あ、ちなみに新聞によりますと、9月15日から国立公園の外国人料金が400Bになるそうです。
メーサムレップは、サルウィーン河を見たという達成感があるのでお勧めです。一般の旅行者がタイ側からサルウィーン河を見られるのはここだけです。メーサムレップのちょっと北、Salween National Park 経由で行く方法もありますが、これは本格的な4WDチャレンジコースとなります。
メーサリアンからメーホンソンまでは「比較的」ゆるやかな山岳コースで、距離が稼げます。途中クン・ユアムの「戦争博物館」は、歴史に興味があれば立ち寄るだけの価値はあります。
メーホンソンに到達する10kmほど手前に公園風の温泉保養地があります。特に情緒はありません。温泉はパイにもあります。
メーホンソンというと、首長族の村(計3箇所)が観光目玉になっています。人間動物園という根強い批判はありますが、社会学的な見地からも見ておいて損はありません。おそらく今でもアクセス道路は雨季にはドロドロになるダートだと思いますので、ツアーの形で行くのが無難です。
メーホンソンの北、ボーダー沿いにある Mae Aw は旧国民党軍の村で、そっちの方面に関心がある人には面白い目的地です。お茶と中華麺が(外れなければ)美味しいです。
メーホンソンから先、ボーダーに向かって何本かの横道が目に付きます。セダンで入っていけるような舗装道路もあります。横道に入れば入ったで面白い風景や素朴な村を見ることができますが、特に国境マニアでなければ一切無視してかまいません。
ソッポン(パンマパ)では、Lot Cave を見物するかどうかの選択を迫られる事になります。今回のルート上でどこか一つ洞窟見物を入れるとしたら、ここでしょう。ただし、当然観光ズレしていますので、それなりの割り切りが必要です。
パイはなんともいえない独特の雰囲気があります。これも一つの文化現象でしょうか(西洋人バックパッカーの巣)。
繰り返しになりますが、このコースは主要ルートに沿って走っているだけで面白いモノが勝手に視界に飛び込んできますので、その時々で随時小停止・小休止をすれば北タイを堪能できるという御機嫌コースです。北タイ旅行の一つのテーマとして山岳民族のナマの実態を見聞するというのがありますが、これは乾季+4WDという好条件でないと、なかなか難しいです。
(no title) / 08.26 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
メーサムレップですか。基本的には全舗装路なので、セダンで十分です。が、しかし、11月というと雨季恒例の土砂崩れで通行がやや困難な箇所があるかも知れません。もしかしたら今でも、村へ入るためには砂利の河原と浅い小川を横切る必要があるかも知れませんが、よほど水嵩が増していなければ、セダンで渡れます。
メーサムレップというと対岸のカレン相手に(密)貿易で栄えた村ですが、1995年にビルマ軍が侵攻して来てからはそれもままならず、なんとか観光客を誘致しようとサルウィーン河に沿った観光ボートに力を入れていますが、まあ難しいでしょう。
自動車で入れるのは観光客向けの表玄関までで、エキゾチックな居住区はそこからちょっと河上(北)の方にあります。カレンの村だけあって、キリスト教会もあります。
(no title) / 08.23 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
ブリラムのクメール遺跡というと、在野の考古学者の Asger Mollerup 氏が遺跡のGPSデータを公開しています↓
http://www.sundial.thai-isan-lao.com/buriramkhmersites.html
GPSと地図を頼りに遺跡を目指してオリエンテーリングするのも一興がありそうです。
彼とはたまにメールのやり取りをするのですが、なかなか精力的に遺跡調査をしているようです。レアモノとしては、Ta Phraya の北、ダンレック山脈の頂に位置する Prasat Sra Chaeng や、Ta Muan の東12km、やはりダンレック山脈の頂に位置する Prasat Ta Khwaiの話が面白かったです。
前者はサケオ観光地図(サケオ県の主要観光地に設置されている看板)には載っているものの、けっこうな山登りが伴う超マイナースポットです。後者は国境線を跨ぐような位置にあるので、訪れるには然るべき紹介状と国境警備官のエスコートが必要です。
(no title) / 06.28 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
近頃 Google Earth の詳細エリアが増えて、タイについても今まで見られなかった画像が見られるようになりました。
[写真上]
ふうみんさん御用達の Felix Tohsaeng Resort です。
[写真中]
最果ての村 Ban Woen Buek の学校です。
[写真下]
そこから2kmほど下流(東)にある、メコン支流の Huai Cham Nak です。この小川がタイ・ラオスの国境になっています。国境線は小川に沿ってその水源まで5kmほど南下し、そこから先は分水嶺(尾根)に沿ってエメラルド・トライアングルに到達します。
Re: 小型オフバイク / 06.07 / OFFROAD-GANG BBS
そうですか、モタードの KSR 110 ならレンタル可能ですか。
ええっ、チェンマイではバイクに乗るのに免許が必要なんですかっ!そういうのはバンコク近辺だけかと思ってました。
Re: 小型オフバイク / 06.06 / OFFROAD-GANG BBS
ところで、チェンマイで Kawasaki KLX 110 のレンタルは見かけませんでしたか?近々アメリカからダートライダー親子が来るんですが、KLX 110 がレンタルできれば、提案してみようかと思います。さもなければ、バンコク発 V-Max のタンデムツーリングを考えているようなんですが、ちょっと子供にはキツそうなので。
Gasohol / 06.02 / OFFROAD-GANG BBS
というわけで、表題の件についてまとめてみました(英文)↓
http://www.geocities.com/bkkriders/gasohol.html
本当ですかね、今年いっぱいでレギュラー95が無くなるというのは。私はもっぱら91を使うので被害は少ないんですが、そろそろ Gasohol 91 が出回ってくるので要注意です。
すると山中の手回しガソリン供給所でも、オレンジ色の Gasohol 95 と緑色の Gasohol 91 が並ぶ日が来るんですね。感無量です。
Re: パンクといえば、 / 06.02 / OFFROAD-GANG BBS
いや、そういうわけでもないんですが、諸般の事情でレスが遅れています。
スティードですか。かなりエンジンの調子が悪いんですが、ちょっと今いじくる余裕がないです。
日本ですか。そういえば最後に帰ったのが1998年なので、今度帰ったら浦島太郎です。
パンクといえば、 / 05.18 / OFFROAD-GANG BBS
はせがわさんにいただいたスライムを、釘を踏んでしまった『後』に恐る恐る入れてみたところ、バッチリと穴が塞がりました。あれから1年3ヶ月たちますが、未だ空気漏れの兆候すらありません。ベリーグッドです。
私のテクニカルレポート(英語)です↓
http://groups.yahoo.com/group/bkkriders/message/4375
(no title) / 04.17 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
R 1117 ですか。結論からいうと、道路が完成していないので通行は不可能です。1985年に工事が始まりましたが、根強い反対運動(環境保全)があって、1987年に工事が中止されました。現在でも地元の商工会を中心として工事の再開を求める声はありますが、まず難しいでしょう。
ちなみに私はタイの国立公園で外国人料金が導入された2000年以来、基本的に国立公園のボイコットを続けていますので、料金所で引き返すパターンが多いです。たまに無料で入れるケースがあって、そういう時には遠慮なく大自然の雄大さを堪能してきます。
(no title) / 04.17 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
Nam Nao National Park についてですが、ペッチャブーンにあり、1972年の制定(4番目)です。例の国立公園地図でいうと、東北部でなく、北部の画像に記されています。
添付画像は Loei - Lom Sak のエリアで、赤線が私の(2回分の)ツーリングルートです。Nam Nao NP のちょっと右上に Phu Kradueng NP が見えますが、なんとも面白い地形になっています。
(no title) / 01.25 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
どうも、ヒデさん、「タイ辺境の学校へ赴く」の方も興味深く読ませていただきました。URLをここで紹介しても差し支えないと思いますが、
http://blog.livedoor.jp/journalist_net/archives/cat_10002488.html
ウボンの田舎の学校というと、田舎の教師(カムマーン・コンカイ著)という面白い本を英語訳 (The Teachers of Mad Dog Swamp) で読んだ事がありますが、なかなかインパクトが強かったです。
ところで、ふうみんさん、第二メーサイ橋が1月22日にオープンしたそうです。写真はバンコクポストからです。やはり第一メーサイ橋は徒歩の観光客、第二メーサイ橋は貨物トラックなどの車両を主な対象としているそうです。
(no title) / 01.13 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
今日の地図は、近頃刊行された PN Map Chiang Rai (90B) です。なるほど、第二メーサイ橋が載っています。
この PN MAP シリーズはランドマークが多く、眺めていて楽しい地図なのですが、間違いも多いので鵜呑みにはできません。
それにしても、メーサイのメインロードをあれだけ立派に改装しておきながら第二メーサイ橋を造るというのは、メーサイ・チェントゥン新道路の完成と、将来の中国への連結により増大が予想される貨物トラックをバイパスさせるためでしょうか。
(no title) / 01.12 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
カオプラヴィハーンの領有についての双方の主張は、
タイ: フランスとの条約で分水嶺と決めてある。また、実際にタイ政府の実効支配下にあった。
カンボジア: フランスが作成した地図ではカオプラヴィハーンはカンボジア領となっている。タイはこの地図を入手していながら否認しなかったのだから、認めた事になる。
1919年のベルサイユ条約以降、「国境確定に関する条約の条文と付随地図に食い違いが見られる場合には、条文が優先する」という国際慣行があり、ましてやカンボジアの主張する地図は条約に付随したものではなく、一般的な用途のものでした。こういった状況でカンボジアがカオプラヴィハーンの領有を主張し、国際司法裁判所に提訴までしたというのは、多分に当時のカンボジアの内政事情がからんでいました。すなわち、シハヌークが政治基盤を固めるためには、カンボジア国民の歴史的な反タイ感情を煽る事が手っ取り早かったのです。
タイにとっては寝耳に水の言い掛かりで、「絶対に勝つ」と楽観視していたのですが、当時のインドシナ情勢が災いしました。シハヌークはアメリカから既に相当の援助を受けていながら、「さらなる援助と支持がなければ共産中国やソ連に頼らざるを得ない」とカマをかけました。タイは既に政治・経済的にアメリカの援助にドップリと浸かって「釣った魚」状態だったので、カンボジアを西側陣営に引きつけておくためにはカオプラヴィハーンをカンボジアに進呈するのが得策だったのです。
判決の後、タイでは全国的に激怒の抗議集会が開かれ、サリット首相は判決を拒否すると宣言しましたが、最終的にはラマ9世の助言によってカオプラヴィハーンを明け渡す事になりました。ただし、判決に対する不服と、将来の失地回復への決意を留保しました。
明け渡しの日、カオプラヴィハーンに揚げられていたタイの国旗は降ろされる事無く、旗竿に揚げられたままの状態で撤退され、そのまま博物館に収められたそうです。
(no title) / 01.10 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
「ナーン王国の悲劇」というのは要約するに、19世紀末の「タイ」(=バンコク王朝)とフランスの武力衝突の顛末として、ルアンプラバン以西の広大な土地がフランスに譲渡された事が「タイ」の歴史的屈辱として記憶されているが、実際の敗者はバンコク・フランスという大国間の交渉によって領土の半分を失ったナーン(半独立)王国だったという話ですね。
近代国家「タイ」の統合過程において、同様の悲劇は至る所にあります。チェンマイ(ランナー王国)も格好の例で、バンコク王朝とイギリスとの交渉の結果、ランナーの材木はイギリスに売りさばかれる事になり、イギリスの材木商を保護する為(イギリスに武力侵攻の口実を与えない為)にランナー王国をなし崩し的にバンコクの直接支配下に置きました。
ちょっと前に、カオプラヴィハーンの領有についての1962年の国際司法裁判所の判決をレビューした面白い論文
Borders on the Fantastic: Mimesis, Violence, and Landscape at the Temple of Preah Vihear
を読んだのですが、やはりあれは司法裁判というよりは政治裁判だったようです。この論文の中で著者は、
「カオプラヴィハーン付近のエリアは、近代国家のエゴイズムが国境紛争を持ち込むまで、クーイ族を代表とする地元原住民の居住地だった」
と指摘し、
「いっそのこと、自然とクーイ族の人類学的遺産を保護する緩衝地帯にしたらどうか」
という、心情的には納得できる提案をしています。著者の推測によると、
「カオプラヴィハーンの建築に実際に従事したのはタイ人でもクメール人でもなく、クメール人の指揮の下に奴隷のように扱き使われたクーイ族だった」
との事で、
「カオプラヴィハーンの正当な継承者はタイでもカンボジアでもなく、現在タイからもカンボジアからも除け者扱いをされているクーイ族ではなかろうか」
との事です。私はこれを読んで、目から鱗が落ちる思いをしました。
(no title) / 01.09 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
北タイを理解するキーワードの一つとして、旧(中国)国民党軍があります。メーサロンは最も有名な例ですが、それ以外にも大小無数の旧国民党村が点在しています。そういう村々を訪れて未だ残存する漢字文化を目撃し、タイの近代史に思いを馳せるのは、私にとって北タイを訪れる楽しみの一つでもあります。
添付の地図は北タイの旧国民党村の分布を示したものです。漢字表記を解読するのも一興があり、
金三角 - ゴールデントライアングル
美賽 - メーサイ
美斯樂 - メーサロン
といったところでしょうか。地図のタイトルに「泰北難民村」とありますが、旧国民党軍の存続とタイ定住を賭けた必死なまでの苦悩と苦闘は、まさに難民という表現が当てはまっていたといえます。
ここも参照↓
http://www.2008online.org/village/25village/25village01.htm
(no title) / 01.08 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
MapMagic Thailand の国境線はタイ政府発行の L7017 に準拠しているので、国境不確定のいくつかのエリアを除いては信頼性は高いです。ただ、やはり国境付近の道路網については微妙に端折っているようです。
タイの最北端への道路に関しては、SmartMap Thailand (マニア向け、やや難点あり) に軍配が上がるようです。私はとにかくメーサイ川になるべく沿うようにして最北端を目指したのですが、ある地点で何かの施設のゲートに阻まれて迂回せざるを得なくなり、それ以後メーサイ川に戻る事ができませんでした。
(no title) / 01.06 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板
> The Northern-most Point of Thailand
これもまた旅行者の受けを狙った看板だと思いますが、本当のタイ最北端はメーサイから国境のメーサイ川に沿って8キロほど東にあります。聴くところによると、そこには最北端の石碑が立っているそうです。私は一度バイクで最北端を目指した事がありますが、当時まだGPSを持っていなかった事もあり、道に迷って断念しました。
メコン川はゴールデントライアングルで支流の Nam Ruak に分岐し、さらにそれがタイの最北端付近で Nam Mae Sai に分岐してメーサイに至ります。いずれも麻薬交易の最前線なので、旅行者がうっかり近寄らないように数多くの検問所が設けられています。