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タイを語る

タイに関する掲示板への私の投稿集です。
1999 , 2000 , 2001 , 2002 , 2003 , 2004 , 2005 , 2006 , 2007 , 2008


(no title) / 12.31 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

チェンマイ入りの山越えルートを検討してみました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th4/ping-wang/index.html

チェンマイは言わずもがなピン川に沿って発展した都ですが、ピン川はドイ・タオ湖の南側で長い峡谷部を通るので、川に沿ってチャオプラヤ平野と接続するような道路の建設が困難です。そのために、R1(隣のワン川流域)からチェンマイ入りするためにはどこかで分水嶺を越える必要があります。R11(スーパーハイウェイ)やR106(旧道)の本質は、この山越えにあります。

Thoen からチェンマイまで、R106とR1/R11を比べてみると、走行距離はほとんど同じで180km、最大標高値もほぼ同じでR11が650m、R106が610mです。R11は速くて快適ですが、御用とお急ぎでない旅行者ならばR106をクネクネ・タラタラと走るのも一興ではあります。

ここでチェンマイの近代交通史に言及しますと、バンコクからの鉄道がチェンマイまで到達してピン川経由の水運に取って代わったのが1922年です。その直後からチェンマイ近郊の自動車保有台数が増えていきました(おそらく列車で搬送)。しかし「鉄道に並行する道路は贅沢」だった時代で、チェンマイ近郊の道路網の発展はチェンマイ盆地内に限られていました。これはチェンマイに限った事ではなく、鉄道の駅を基点として局所的な道路網が発展するというのが当時のタイのパターンでした。

先駆的には1932年に自動車でバンコクからチェンマイまで走破したという記録がありますが、道無き道を行き、橋無き川を渡っての荒行だったのでしょう。普通の自動車が普通にバンコク・チェンマイ間をドライブできるようになったのは、R106が開通した1957年の事です。梅棹忠夫の東南アジア紀行(中公文庫)には開通したばかりのR106をドライブしてチェンマイに行く一節があり、当時の情景が記されていて興味深いです。

その他の山越えルートとしては、
R1274:バンコクからは斜交い方向になるので距離が余分にかかります。最大標高値は615mでR106と似た感じですが、R1184に接続した場合、こちらは標高815mまで登るので、ちょっとした山岳ドライブを楽しめます。
R1252:それなりの遠回りになりますが、最大標高値が1560mなので高地の爽涼感が味わえます。

番外編としては、R1264からR1087に抜けるルートがあります。これはそういう道路計画があったのですが、何らかの理由で棚上げになっています。多くの地図では既に繋がっているかのように記されていますが、4WDチャレンジコースです。特典としては、R1087上に鎮座するメーピン国立公園の料金所をバイパスできます。



(no title) / 12.18 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

Prasat Sdok Kok Thom 付近の画像をまとめてみました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th3/sdok/index.html

まず予備知識として、タイ東部国境付近の一帯がトンレ・サップ流域に含まれるという事を認識しておくと理解が深まります(画像: SRTM-1)。現在のタイ東部国境が(当時のカンボジア宗主国フランスとの協議で)引かれたのは1907年の事です。どうせならトンレ・サップ分水嶺に合わせて線引きした方が地政的にスッキリしたんですが(民族分布や水源管理等の点で)、色々と思惑や駆け引きがあったのでしょう。

それで1907年にアランヤプラテートの東方10キロの地点からダンレック山脈まで一気に直線を引いて国境としたんですが、その直線付近に山や川といった目に見える地形があればそれを利用して国境線を調整するという作業が行われました。それで所々川筋が挿入され、ややジグザグとした国境線が一応画定しました。川が利用できない区間では要所要所に国境ポストを打ち込んで線で結んだわけですが、特にフェンスを設置したわけではないので、まさに「見えない国境」です。画像では紫色の国境線で示してあります。Prasat Sdok Kok Thom の東側も「見えない国境」です。次の画像 SRTM-2 では、国境ポスト(赤い四角)とカンボジアの道路網(黄色の線)を加えました。

さて、国境ギリギリを走るR3446ですが、これは元々カンボジア難民の本国送還を円滑に行うために国連が1989年に建設した道路だそうです。その後タイに移管されて国道に昇格しました。この道路からはカンボジアへの越境路が数多く分岐しており、画像 SRTM-2 のエリア内だけでも自動車が通れるような越境路が10本ぐらい、得体の知れない抜け道の数はさらにその数倍はあります。これらの越境路を全て管理・監視する事は困難なので、一括してR3446を(地元の農民以外には)通行禁止にするという措置が取られています。R3446には1キロおきに国境警備のチェックポイントが設置されていて、「見えない国境」を管理するためのコストが伺えます。

このように地勢に反する人為的な国境は元来維持管理がやっかいなんですが、それに加えて両国がお互いに「国境ポストが密かに移動されたのではないか」と疑心暗鬼の状態なので、近代的な手法での国境線の再確認・再画定が困難です。しかし、Prasat Sdok Kok Thom は国境線までR3446を挟んで1.4kmほど、バライの東端からでも900mほどの距離があるので、国境ポストの疑義を考慮に入れてもタイ領内にある事は疑う余地がありません。



(no title) / 12.18 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

Prasat Ta Muan Thom の南側のジャングルに消え入る小道ですが、一応次の遺跡の Prasat Chan (カンボジア領内)まで続いています。先述したタイ・カンボジア合同調査班の写真アルバム
http://larp.crma.ac.th/tikiwiki/tiki-galleries.php
を丹念に漁ると該当写真を100枚ほど見つける事ができますが、多分に未整理でナビゲーションが煩雑なので、抜粋した写真を並べてみました(報道陣を連れてのPR遠足2回分)↓
http://www.geocities.jp/shinji_th4/f16/index.html
http://www.geocities.jp/shinji_th4/f19/index.html

写真のタイムスタンプを分析すると、Prasat Ta Muan Thom から Prasat Chan まで徒歩20分ぐらいです。グループを引き連れての山歩きである事を考えると、直線距離にして1キロ弱程度だと思います。私は写真と衛星画像を穴のあくほど見比べてみたんですが、正確な位置は割り出せませんでした。



(no title) / 09.10 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

MapMagic Thailand 2005-2006 のアップデート版である MapMagic Thailand 2007 というのがしばらく前から本屋に並んでいましたが、この度二つのバージョンを見比べてみたので簡単に報告します↓
http://www.geocities.jp/shinji_th3/mapmagic2007/index.html


1.情報量(道路やランドマーク)が増えている
...こんな所にこんなモノがっ!

2.地図の最大拡大率が 1:50,000 から 1:5,000 になった
これまでは市街を拡大するとランドマークがゴチャゴチャと重なって使い物にならなかったのですが、これで立派に地方都市の詳細地図としても機能します。

3.国境線が所々大胆に変更されている(例:カオプラヴィハーン、スリーパゴダ)
...こっ、これは一体...???


結論: その手のマニアにとっては買い換えるだけの価値はあります。



(no title) / 08.25 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

前回ちょっと言葉足らずでしたが、「最上流」というのはイサーン区間の最上流でした。北タイ区間の最上流は言わずと知れたゴールデントライアングルですが(丘の上の Wat Phra That Doi Phu Khao の庭から見る事!)、今日は北タイ区間の最下流+αについて解説します。

添付画像は MapMagic Thailand に加筆・修正を施したものですが、Wiang Kaen でR1155から北東に分かれる道路があり、道なりに進むと「その地」に到達します。舗装の途切れに駐車して、20メートルぐらい急斜面を歩いて下ると、目の前はメコンです。メコンの国境分岐点はその下流数十メートルの所にあります。国境付近に特有なピリピリした雰囲気は無く、いたって長閑です。時折通り過ぎる、チェンコンからルアンプラバンに向かう観光ボートの爆音が耳障り(妬ましい)です。

川辺には巨石がゴロゴロしているので、それをよじ登ったり這い蹲ったりして川岸沿いに進めば、国境の標に到達できるかも知れません。(私は20メートルほどで断念しました。)


【+α】
ラオス区間のメコンを展望できる観光スポットとして、Phu Chee Fah と Pha Tang があります。この前、両スポットを結ぶR1093が拡張工事されていたので、今では観光ルートの定番になっているかも知れません。

* Phu Chee Fah
入り口(駐車場)は二ヶ所ありますが、南側から入るのがポピュラーです。北側は鄙びたゲストハウスや土産屋が並んでいて、自前の交通手段を持たないバックパッカーには便利かも知れませんが、歩く距離と標高差が余分にかかります。

分類としては National Park ならぬ Forest Park となっており、一応森林局のゲートがあるんですが、今でも無料で入れると思います。入園料を取らないのは、ラオスとの配分の問題が出てくるからだと読んだことがあります。実際、崖っぷちの数メートル手前にタイ・ラオスの国境の標が立っていて、全ての観光客はラオスに「黙認入国」する事になります。

* Pha Tang
メコンがより近くに見えます。Phu Chee Fah と違って展望ポイントが峰沿いに分散しています。ラオス側の原生林に接している箇所があるんですが、その健在ぶり(木々や草花や昆虫)を目の当たりにすると、タイ側の自然破壊と乱開発に愕然とします。

Pha Tang からそのままR1155に降りずに、さらに北を周るルートがあります(添付地図では細線)。観光エリアとは一線を画していますが、辺鄙な村を訪れたい人にはいいかも知れません。4WD推奨で、路面はこんな感じです↓
http://www.weekendhobby.com/offroad/ford/question.asp?page=1&ID=2278



(no title) / 08.22 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

以前、タイから展望できるメコンはコンチアムの南東数キロ、Ban Woen Buek の学校の校庭から見るのが(一般の観光客にとって)最下流であるという話をしましたが、今日は最上流の展望スポットを紹介します。

ルーイ県のチェンカンからメコンに沿ってR2195を走る事20キロ、Ban Ta Di Mi という英語表記の看板を見逃さなければあとは簡単です。添付画像で赤い点線のように進むと、丘の上の展望公園(A)に出ます。

R2195から見えるメコンは(B)が限界で、木々の間から川面を認める程度にしか見えず、カーブ付近なので駐車もままならず、おまけに近くの人家の番犬が吠えながら駆け寄って来たりするので、おちおち感慨に耽っていられません。

広域画像についてはここを参照して下さい↓
http://www.geocities.com/thaibiketrip/20040604/07.html



(no title) / 08.22 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

カンボジア国境沿いの道といえば、R24の南側で Chong Chom とカオプラヴィハーンの間を4桁国道で走り継ぐのが面白いです。南イサーンの風景とクメール・クーイの風情が味わえます。

これら4桁国道のさらに南側にも多くの村と複雑な道路網があって探検志向の旅行者にはタマらないエリアとなっているんですが、その中から3本の道路を選んで書き加えたのが添付地図です。

1.ふーみんさんも訪れた Don Tuan 遺跡への道路です。ボッタクリ入園料を払ってカオプラヴィハーンへ行くのであれば、Don Tuan まで足を伸ばさないともったいないです。実はこの遺跡は完全に分水嶺の南側にあるんですが、カオプラヴィハーンを取られた腹癒せかどうかはわかりませんが、タイが実効支配しています。

2.Chong Phra Palai へのアクセス道路です。コラート高原とカンボジア平原を結ぶ比較的なだらかなこのルートは、おそらく有史以前から重要な交易路として機能していたのだろうと想像されますが、近年ではクメールルージュや木材の密輸に関連して相当胡散臭い役割を担っていました。途中半分ぐらいまでは舗装されていますが、それから先はまず検問所で追い返されます。将来的には正式な国境ゲートとしてオープンするかも知れません。

ちなみにその西側にあるR2236は、ちょっと得体の知れない道路です。国道指定区間は全舗装なんですが、その果てにあるのはさらに南下する細々としたダート路と、それを封鎖するバリケード、それに丘の上から辺りを監視する小さな陸軍のキャンプがあるだけです。ダート路は国境線(分水嶺)を通過してカンボジア領内にまで達しています。やはりこれもクメールルージュ関連の道路だと思います。

3.数年前に外国人も通れる正式な国境ゲートとしてオープンした Chong Sa-ngam への道路です。オープン当時はかなりワイルドな旧道(細線)でしかアクセスできなかったんですが、新道(太線)ができてからは秘境度が半減しました。ここもオープン前は Chong Phra Palai に匹敵する機密道路でした。ちなみに、Chong Sa-ngam はポルポトが晩年を過ごした地で、カンボジア側にあるポルポトの墓はちょっとした観光名所になっています。



(no title) / 08.20 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

アンコールとピーマイを結ぶ「王道」を調査しているタイ・カンボジアの合同プロジェクト(2005年発足)があるんですが、その調査結果(中間発表)が8 月18日のバンコクポストで紹介されました。Ta Muan 遺跡の南側に新たに Prasat Chan、Kok Phnov、Ampil という3遺跡が確認され、「王道の Ta Muan 通過説」が有力になったそうです。
http://www.bangkokpost.com/180807_Outlook/18Aug2007_out01.php

王道を辿って Ta Muan からダンレック山脈を南下してカンボジア平原に達する散策路(標高差100m)が整備されれば観光目玉になりそうですが、残存地雷の除去はテクニカルな問題としても国境線の画定は相当揉めそうなので、当分の間は実現しそうもないです。あるいはカンボジア側からは、適切なガイドを雇って Prasat Chan まで行く事は容易になるとは思いますが。

地雷のおかげで乱開発を免れてきたこのエリアですが、今後は観光の為に森林が切り開かれて静寂が失われるのかと思うと、心中穏やかでないものがあります。



(no title) / 08.01 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

北タイの地図を広げると、R1099という Omkoi 経由で Mae Tun に至る道路が目に付きます。全舗装で走行は容易なんですが、行った道を戻ってこなくてはならないのと、特に観光スポットも無いので、よほど物好きな旅人でないと足を踏み入れないエリアです。

で、Mae Tun から同じ道を戻らないでどこかに抜けられないかと調べてみた結果がこれです↓
http://www.geocities.jp/shinji_th3/maetun/index.html

乾季に4WDならばなんとかなりそうです。それにしても、地図ではほとんど空白のこのエリアに数多くの村があったのには驚きました。ほとんどがカレンだと思います。ちなみにこの地域は、タイで最も文盲率が低い事で知られています。

さて、この近辺の話題ですが、Google Earth/Maps の詳細エリアが追加されて、メーラ難民キャンプがカバーされました。雑然の中にも秩序のある様子が見て取れます↓
N17.127164, E98.385489



(no title) / 08.01 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

以前、タイにおける奇妙な太陽の動きについて書きましたが、「こんなアニメーションを作ってみたい」という試作品ができたので紹介します(添付図)。一年を24分割したGIFアニメーションで、北緯14°(パノムルン付近)の黄道の変移を表しています。「夏至前後に太陽が北の空に昇る」様子が見て取れます。

この図で極軸の角度を変えると、地球上のいろいろな緯度での太陽の動きがわかります(想像してみて下さい)。やっぱり一番面白いのは北極と南極(昼と夜が半年交代)で、次に面白いのが赤道(昼と夜が12時間交代)でしょうか。



(no title) / 08.01 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

私はカンボジアはまったくの専門外なんですが、遺跡を見て回るだけで一週間はかかるという事は実感できました。

文中、「森本右近太夫一房の墨書」について、馴染みのない方に紹介しますと、上智大学の調査団のページ
http://angkorvat.jp/document.html
の「アンコール・ワットにおける日本語墨書」に詳しいです。



(no title) / 05.23 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

タイは日本よりも赤道に近いので、天体観測の見地からすると、北極星がより低く見えるとか、日本からは見えない南十字星が見える(らしい)とかのトピックがあります。が、私が一番奇妙に感じたのは太陽の動きです。タイは北回帰線の南側にあり、このために夏至の頃には「太陽が北に昇ると」いう現象が起きます。添付の図は私がチョコッと計算してみたものなので、あるいは多少の計算ミスがあるかも知れませんが、大筋においてこんなところです。

計算によりますと、タイ(バンコク)で太陽が天頂まで達するのは夏至の54日前と54日後、今年の暦でいうと6月22日の夏至を挟んでそれぞれ4月29日と8月15日です。この間100日ほどは太陽が北に昇り、北窓から日がさす事になります。この日照パターンが文化人類学的にどういう影響を与えているか、おそらくタイでは日本に比べて「北・南」という方角の意識や意味づけが希薄なのではないでしょうか。いや、ただの思いつきなんですが。また、建造物の設計についても当然影響がありそうです(クメール遺跡を含めて)。

それにしても、「太陽は南に昇る」と子供に単純に教えられる日本は素晴らしい国です。(慣れない計算で頭がパンク状態)



(no title) / 05.21 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

自宅のベランダからボケーッと夜空を見ていて、星がいくつか目に入りました。ちょうど息子が理科で星座の勉強をしていた事もあり、目を凝らしてよく見てみると、どうやら北斗七星のようでした。雲と人工照明のためにぼんやりとしか見えないので、デジカメで撮って確認してみる事にしました。

ソニーの DSC-S600、普及機でお世辞にも高性能とはいい難いんですが、マニュアル設定で露出を +2.0EV、感度を ISO 1000 にして三脚を使って撮影しました。写真をパソコンに転送して見てみるとそれらしきモノが写っていたので(添付画像上)、コントラストを上げるなどの画像処理をしてみたところ(添付画像下)、やはり北斗七星である事が確認できました。それにしても、これだけアンチョコに星野写真が撮れるというのも、ここ数年のデジカメとパソコンの発展の賜物です。

以前北タイで夜の山道を走っていた時に、ふと見上げると満天の星空が広がっていて、しばしエンジンを止めて見入った事があります。治安と運転に気をつければ、夜のドライブもなかなか乙なものです。



(no title) / 05.07 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

はい、Khao Tum = Khao Dum = Khao Lhub (Lup) = Khao Lum (Loom) = Khao Dao Prasuk です。Angkhan と Khan Tum の遺跡は仏教寺院に押しやられていて、史料を求める考古学者以外にはアピールしないと思います。前者は前衛的な寺院(バンコクの有力者がパトロン)、後者は見晴らしの良さがチャームポイントです。Plai Bat のチャームポイントは山歩きでしょうか。

ブリラム市のすぐ南にある Prasat Khao Kradong の画像を追加しました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/archive/prasat/index.html
この山(死火山)も、地形的には面白いんですが、遺跡は、
 「なんだ、こりゃ?」
という程度にしか残っていないです。



(no title) / 04.27 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

ムアンシンとパノムルンの小話を行きます↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/archive/prasat/index.html

まずムアンシンですが、写真は1987年の論文のスキャンです。ムアンシン歴史公園(1987年オープン)の整備前の航空写真ですが、前にアップロードした衛星画像と比べて興味深いのは、
1.ムアンシン城壁内を道路が貫いていた
2.城壁内が広範囲にわたって耕作されていた
衛星画像では、この貫通道路の名残が城壁の北西端に認められます。そこにある住宅群(遺跡公園の職員用?)の通用口として残されたのかも知れません。

次にパノムルンですが、写真は例の航空写真集(The Aerial Views of Seven Khmer Sanctuaries)からです。地図と見比べてみると、歴史公園(1988年オープン)内のメンテナンス用道路が旧道の名残である事がわかります。なぜ旧道に平行するような新道を造ったのか?実はこの旧道沿いにはタイ空軍のレーダー基地があるので、観光客を遠ざけるために新道を造ったのかも知れません。

また、現在では駐車場の奥にある Wat Prasat Phanom Rung ですが、古い地図を見ると、遺跡に隣接していた事がわかります。これはよくあるパターンなんですが、遺跡公園の雰囲気を損なうとして移転されたんでしょう。

また、死火山としての Khao Phanom Rung の名残である噴火口について、航空写真ではAがそれっぽいです。BとCは人の手が入った貯水池ですが、これらも噴火口の一部をいじったのでしょう。火口跡は長径が300mあるそうなので、写真で旧道(点線)の左側の窪地は全部火口だったのでしょう。火山活動は60万年前には終了しているそうなので、Aの近くから出ている煙は、焚き火でもしているのだと思います。

なお、パノムルンの近傍にさらに3つの火山があり、いずれも火口近くに遺跡があります(Angkhan, Khao Tum, Plai Bat)。最後の地図 [Geology + SRTM + Mapmagic] で紫色の部分は、地表に火成岩が認められるエリアです。


【参考リンク】
ムアンシンの配置図、他 (独文)
http://www.thai-schick.de/WestThailand/Kanchanaburi/AmpoeSaiyok/PrasatMueangSing/PrasatMueangSingHistoricalParkInhalt.htm

ブリラムの火山帯、他 (英文)
http://www.geocities.com/culturalcenter2001/exhibitions.htm



(no title) / 03.27 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

そういえば面白いモノを見つけました。東南アジアの勢力地図を、100 - 1550 CE (=AD) までアニメーションで示すという試みです。1年を1秒に短縮して、国境線(勢力線)がジワジワと動く様子は見ものです。Funan、Champa、Chenla といったなかなかイメージの沸き難い古代王国も、このアニメーションを見ながら勉強すればバッチリです。

Lanna と Ayutthaya の色が反対になっているのは愛嬌としても、ビルマ勢力が描かれていないのは残念でした。あそこもいくつもの王朝がかなり複雑な勢力争いをしていて、私も未だにチンプンカンプンなので。

このページで Khmer TimeMap をクリックすると、1.2MB のダウンロードの後にアニメーションが始まります↓
http://www.timemap.net/index.php?option=com_content&task=view&id=124&Itemid=147



(no title) / 03.26 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

【第9回 Muang Singh】
カンチャナブリの異色の観光スポット、ムアン・シン遺跡公園です↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/archive/kanchanaburi2/index.html

地図についてですが、
1.ドヴァーラヴァティー初期(6−7世紀)の海岸線を重ねてみました。このエリアは、その後陸地となってからもしばらくはマラリアの蔓延る湿地帯で、稲作や建都には適していませんでした。
2.ジャヤヴァルマン7世が1191年に仏像を奉納したと記録されている23のムアンの内、ムアン・シン付近のものを図示しました。当時アユタヤはまだロッブリの傘下にある小さな集落で、ナコンパトムは既に衰亡の憂き目に逢っていました。

私はクメール遺跡についてはあまり詳しくなく、ムアン・シンについても通説以上の事はわかりません。通説はこんな感じですか↓
http://www.thaiindochina.com/thaihistoricalpark-muang-sing.html

また、次の論文にムアン・シンについての一節(p278、3ページ半)があります↓
http://www.buddhanet.net/pdf_file/thai_cambodian_art.pdf



チャーン島 / 03.21 / ツーリングなんでも掲示板

サメット島と違ってチャーン島の場合は自動車フェリーが完備しているので、バイクを連れて行かないとぜーったいに後悔します。2年前に作った地図ですが↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/thaibiketrip/20050426/08.html

ferry 1 は人間だけ運ぶボートで、ferry 2 - 4 が自動車フェリーです。私が見た感じでは ferry 3 が良さそうでした。



(no title) / 03.21 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

【第8回 続・サンクラブリ】
話は前後しますが、サンクラブリの続編です↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/archive/kanchanaburi2/index.html
赤色の線は私のGPSトラック(2004年2月旅行時)、緑色の線はP−GUESTHOUSEからの遊覧ボートのルートです。

R323を案内標識に注意しないでボケーッと走っていると、まずスリーパゴダへの分岐(右)を見逃し、次にサンクラブリの街への入口(左)を見逃し、ほどなくT字路にぶつかります。ここで左折すると Ban Wang Ka (Mon) ですが、右折すると Ban Huay Malai 方面へ向かいます。特に何があるというわけではありませんが、「せっかくサンクラブリくんだりまで来たんだから、何でも見てやろう」という方、「山があるから登る、道があるから走る」という方にはお勧めのエリアです。所要時間は半日から1日です。Ban Wia Kadi を出た先に(おそらく今でも)軍だか警察だかの検問所があって一般旅行者はそこでUターンです。私はちょっと頼み込んで Ban Morakha まで行かせてもらいました。なぜ検問所の先に村があるのか、村人がタイ国籍を持っていないので一線を画しているとも考えられますが、現実的には、冷えたビールや普通の食事が手に入る Ban Wia Kadi からあまり離れたくないという警備兵の都合じゃないでしょうか。Ban Morakha の鄙びた店で買い求めた缶コーヒーは生ぬるく、これはおそらく電気が来ていないので冷蔵庫が無かったんでしょう。店先では、これも売り物だと思いますが、何やら得体の知れないモノを鍋でグツグツと煮込んでいました。

さて、話は変わって Ban Sane Pong です。ここ数年、ラフティングやトレッキングのスタート地点としてサンクラブリの観光パンフレットに載るようになりましたが、のどかで鄙びた家並みはまだ健在なので、そういう情緒を求める旅人にはお勧めです。スリーパゴダへのT字路の手前1.4kmの地点から、ダート路が細々と延びています。村の手前にちょっとした川渡りがあるので、4WDかピックアップでないと行き着けません。オートバイならば歩道橋を利用できるので、川渡りの必要はありません。が、いずれにしても雨季には通行が相当困難・危険です。

なお、 Ban Sane Pong は先述の Thungyai-Naresuan Wildlife Sanctuary を突っ切るアドベンチャー道路の西の起点でもあります(東の起点は Ban Kliti Phon)。画像では白の点線で示してあります。次の村 Ban Ko Satoeng との間が一番の難所で、川渡りが20ヶ所ぐらいあります。その後は Ban Ti Lai Pa まで村はなく、孤独な山道です。途中ルートを外れて Ban Laiwo と Ban Salawa という村があり、乾季には4WDで到達できます。

Ban Ti Lai Pa の秘境度と到達困難度、行ったら自慢できる度は、ウンパン側からの Ban Lae Tong Ku に匹敵します。

--
マニア必見!Ban Sane Pong から Ban Ti Lai Pa までのトレッキングの様子↓
http://www.ourweb.info/01/photos/thailand/030/index.shtml (全9ページ)



(no title) / 03.12 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

【第7回 Kliti】
R323の北東エリアの画像を追加しました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/archive/kanchanaburi2/index.html
このエリアは、R323を行ったり来たりするのに飽きたツウの旅行者にお勧めです。画像で薄茶色のパッチになっているのは耕作地で、それ以外は森林です。道路沿いに鄙びた村がいくつかあります。このエリアの道路網に入る(普通の)入り口は3ヶ所あります。3ヶ所しか無いというのは、要するに、R323とは山を隔てた向こう側にあるためです。いずれも森林局のチェックポイントがありますが、目的地(例えば Ban Kliti)がハッキリしていて、不審な荷物(材木や野生動物)を運んでいなければフリーパスです。

この道路網を抜けて細々とした山道を進むこと17km、Ban Kliti Phon (Upper Kliti) に到達します。ちなみに、この村から北へ分かれる道路は先述の Thungyai-Naresuan Wildlife Sanctuary の中を突っ切るアドベンチャー道路ですが、通行許可証が必要です。

さて、さらに12km進むと Ban Kliti Lang (Lower Kliti) に到達します。この村は、付近の鉱山の汚水垂れ流しによる住民の重篤な健康障害と、それに対する法廷闘争の様子が新聞で取り上げられて一躍有名になりました。この村へのアクセス道路は雨季には通行が非常に困難、乾季でも深い轍に要注意です。路面悪化の大きな要因となっているのは Kliti Waterfall を目指して週末毎にやってくる4WD軍団です。新聞によりますと、Ban Kliti Lang の住民が、
 「4WD軍団が村の生活道路を損壊するので止めさせて欲しい」
と県当局に訴えたのですが、
 「県には4WDの通行を禁止する権限がないので、どうしようもない」
と、つれない対応でした。雨季で通行が困難な時期に好んでやって来るという4WD軍団の走りぶりはこんな感じです↓
http://www.weekendhobby.com/offroad/strada/Question.asp?ID=8724 (全5ページ)
http://www.weekendhobby.com/offroad/toyota/Question.asp?ID=12852 (全21ページ)

さて、Kliti Lang から山を隔てた東側に Ban Ong Lu という、これもほとんど陸の孤島のような村があります。Ban Kliti Lang との交通は、歩いて山を越えるか遠回りのダート路で行くかですが、ダート路の路面状況は推して知るべしです。この村はむしろ、シーナカリンダム湖をボートで渡って訪れるのが現実的です↓
http://www.kutu.com/thai/SiNakharin/OngHlu/OngHlu.htm



(no title) / 03.07 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

【第6回 陸の孤島】
トンパプン地区でもずいぶんと村が水没しましたが、アンプーの首座が無事だったのと、低水時にドラマチックに姿を見せる建造物が無いので、サンクラブリほど水没地区というイメージは一般には持たれていません。画像です↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/archive/kanchanaburi2/index.html

黒い点線は旧R323と旧R3272です。青い線は元々の川のルートです。黄色い四角は水没した村です。あ、ちなみに Pilok へ向かう途中でT字路にぶつかりますが、左折(Pilok)しないで右折すると、これが旧R3272なんですが、程なく Ban Rai という村を通ります。Ban Rai の外れで舗装が切れて、あとは細々(雨季にはドロドロ)としたダート路が続きます。途中小さな集落(Ban Ton Phung)を経て、ダート路はダム湖の中に沈んで行きます。

このように道路がダム湖に冠水していく風景はタイのあちこちで見られ、地元民は恰好の洗車場として利用しているわけですが、その道路の先にある水没した村々を思うと、深い哀悼の念を感じます。まずダム建設が決定すると水没予定地にある金目の材木は全て切り出され、簡単に採掘できそうな鉱脈は急場凌ぎで切り開かれます。ここに巨額の利権が発生するわけで、ダム建設の一番の利得者は関連の事業会社とその役員として名を連ねる政府高官で、一番の被害者は十分な補償無しに川辺の肥沃な生活空間を奪われる農民達です。

さて今回のテーマ「陸の孤島」ですが、移転用地の不足からいくつかの村が湖の向こう側に移転されました。水没前は道路でつながっていたのが、移転後はボートを使わなければ行き来ができなくなりました。こういう村は、パターンとして、村人がタイ国籍を持っていなかったために移転補償の優先順位が最下位にされた村です。移転計画段階において既に「湖の向こう側は交通手段が不便で村が孤立しやすい」と危惧されていたんですが、移転後20年を経た今でもほったらかしになっているというのは、もはや呆れるばかりです。

拡大画像1、Ban Bo Ong ですが、ここには古くて歴史のありそうなチェディがあり、高台にあったために水没を逃れました。水没前の地図を見ると村は無かったので、現在の Ban Bo Ong はどこかの水没村が移転したものでしょう。なおこのチェディを囲んで年に一度お祭りがあるそうで、ぼちぼち観光客も訪れるのでしょう。Google で "Ban Bo Ong" で検索するとヒットします。

拡大画像2、Ban Pilok Khi は水没した同名村から上流に2.5キロ移転しました。Ban Bo Ong と違って観光客を呼べるような名所が無いので訪れる部外者はごくわずかです。Google で piloki kanchanaburi で検索するとヒットします。エコツーリズムで人を呼ぼうという構想があるようですが、うーん...



(no title) / 03.04 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

【第5回 Sangkhlaburi】
さて、サンクラブリです。あの垢抜けない雰囲気が旅情をさそいます。ソンカリア川を挟んで、東側がいわゆるサンクラブリ(行政区)、西側がモンの村 Ban Wang ka となっています。画像です↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/archive/kanchanaburi2/index.html

拡大画像1〜4につきまして、
1.画像左が自動車橋で、中央が例のモン橋です。確かオリジナルのモン橋はソンカリア川の増水時に流木が当たって崩壊したとかで、現在の橋は二代目です。数年前にモン橋に連結する形で第二の遊歩橋ができて、ゲストハウス地区(写真の右外)からのアクセスが容易になったのは便利なんですが、モン橋に似せたあの造りは観光客の受けを狙ったんでしょうが、二番煎じというか紛い物というか、どうせならもっと現代的な外観にした方がモン橋が際立って良かったんじゃないでしょうか。

2.低水時に姿を見せるという、例の水没した寺の跡です(a,b,c)。Wat Sam Phrasop (三つの川の合流点の寺)と呼ばれているんですが、水没前の地図や資料では移転された現在の寺と同じ Wat Wang Wiwekaram という名前で記されています。もしかしたら Wat Sam Phrasop というのは、現在の寺と区別するに強調される別称なんでしょうか。なお、c が地続きになっている事から、この画像はけっこう水位が低い時に撮影された事がわかります(撮影日2005−03−03)。ちなみに、もっと水位が低い時には a も地続きになりますし、水位が高い時には a の先端しか見えません。

なお、水没前にこの地にあった Ban Wang Ka Mon (モン、世帯数368)が現在の Ban Wang Ka に移転したんですが、当時サンクラブリ地区で一番大きな村で、映画館もありました。ダム建設前の移転予定村に対する意識調査では、他の村々が民族構成、(タイ)国籍の有無、土地の所有形態などによって「諦めて従う」「断固拒否する」と二分していたのに対し、この村ではほとんどの村民が「Luang Pho Uttama (村の高僧)の意見に従う」と述べていたのが特徴的です。当然この村に対する移転工作は Luang Pho Uttama の同意を得る事に集中したわけで、現在の Ban Wang Ka の豪華な僧院とパゴダを見ると、「EGATも相当奮発したな」と邪推せざるを得ません。

3.これは私も画像を見てビックリしたんですが、水没した村が浮き上がっています。位置的にみて Ban Wang Ka Thai (タイ、世帯数51)だと思います。この村はサンクラブリの行政中心で、村民は多くが役人でした。付近にあった Ban Wang Ka Lang (カレン、世帯数15)、Ban Ni The (タイ・カレン、世帯数172、映画館、クリスチャン学校、クリスチャン病院)、Ban Lai Nam (タイ・カレン、世帯数92)と共に、現在のサンクラブリに移転しました。ちなみに、川を挟んで東がカレン+タイ、西がモンという図式は移転前の村の分布を継承しているともいえますが、移転計画に「モンとカレンは折り合いが悪いので、移転先はなるべく分離する」という方針がありました。

4.これも画像を見てビックリしたんですが、泰緬鉄道の跡です。軌道を平坦に保つために盛り土をした部分が線状に浮かび上がったんでしょう。川の流入口で線が途絶えているのは木橋が朽ち落ちたか、あるいは鉄橋ならば撤去された跡なんでしょう。


なお、水没前のサンクラブリ地区の村の見取り図と位置関係、水没アセスメントについてはここを参照して下さい↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/archive/old_sangkhlaburi/index.html



(no title) / 03.02 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

【第4回 Three Pagodas】
さてR323の終着にあるスリーパゴダ、タイ語で Chedi Sam Ong ですが、ここもいろいろな見地から面白い所です。スリーパゴダの画像を追加しました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/archive/kanchanaburi/index.html

パゴダの周りを土産物屋が取り囲んでおり、その周りをダート路が取り囲んでいますが、そこはもうビルマです。ダート路に降りる店の勝手口には申し訳程度に竹の横棒が掛かっていたりします。店の売り子や野良犬はその横棒を跨いで自由に行き来していますが、外国人旅行者にとっては鉄の扉にも等しい障壁です。

とにかくこのエリアは三方をビルマに囲まれているので、注意深く観察すると、あちこちに地元民が利用する越境ゲートを見ることができます。そもそもこのエリアは大まかな国境線はあるものの厳密には未確定で、あきらかにビルマの領地にタイ人の家が建っていたりするんですが、将来キッチリと国境線を引くまでは現状を維持するというのが両国の暫定的な合意です。そういうわけで、詳細衛星画像を見てもキッチリと国境線を引きにくいんですが、「こんなだったかなぁ」と一応の線を引いてみたのが tp3 です。

さて、パゴダの周りにある土産物屋を物色したり、ゲートから見えるビルマの様子を眺めるだけで30分は時間が潰せると思いますが、それ以上何かを見ようとすると、手続きをしてビルマに入るか、そばにある村 Ban Chedi Sam Ong を散歩する事になります。バックパッカーの場合は村のソンテウ乗り場に到着するので多少なりとも村の様子を見る機会がありますが、自動車やオートバイで来る旅行者の場合はパゴダまで直接乗りつけてちょっと見ただけでトンボ返りというパターンに陥りやすいので、意識的に村の様子を見て歩くという努力をしないとパゴダと国境ゲート以外の印象が残らないです。ちなみに村のはずれに Three Pagodas Resort という、閑古鳥が鳴いていそうな宿泊所があって、敷地のすぐ裏がビルマなので、夜寝ているだけでスリルを味わえそうです。

また、近傍の見所として tp1 と tp2 に示しましたが、
cave = Sawan Bundan Cave
waterfall = Takhian Thong Waterfall
です。cave は大小いくつかの入り口が寺の敷地内にあります。勝手に探索してもかまいませんが、坊さんに頼んで洞窟内の蛍光灯をつけてもらった場合には、お布施としては20Bが妥当でしょうか。waterfall は Thungyai-Naresuan Wildlife Sanctuary の中にあるんですが、まだ料金は徴収していないと思います。しかし駐車場からさらに30分の山歩きというのがどうも...。私は駐車場の付近をちょっと散歩するだけで満足しました。

最後に国境線についてですが、注釈を要する三ヶ所を tp1 に図示しました。紫色の線は泰緬鉄道の跡です。一説によると旧日本軍は泰緬鉄道をスリーパゴダの南西1キロの地点を通る、もっとなだらかなルートで計画していたのが、同盟国タイのたっての要望でスリーパゴダを通過するようにルートを変更したそうです。黒い点線は現在のR323ができる前の旧道です。当時は、メーソットからウンパンへ行くのにタイの役人でさえも Waley 経由でビルマを横切って行った時代なので、こういうルートが許容されたのでしょう。

1.この細長い領地は何なのかというと、妥協の産物です。1868年の条約でこの付近の国境線を分水嶺と定めたのですが、当時はスリーパゴダがちょうど分水嶺の上に乗っているという大まかな理解(誤解)があり、そこを通るなだらかな国境線が地図上に引かれました。それが1893年になってキッチリと測量をやったところ、本当の分水嶺はもっと東側にあるという事が判明し、ビルマの領主であるイギリスは国境線の引き直しを要求しました。タイは基本的には合意したものの、スリーパゴダだけはタイに残して欲しいと交渉し、現在の奇妙な国境線が引かれました。この細長い領地の根元は切り立った山が塞いでいて、トンネルでも掘らない限り徒歩以外では到達できないんですが、当時は自動車も無かったし、現地民の便宜的な越境は日常茶飯事だったので、それほど不便な事は無かったのでしょう。

2.標高図が示すように、この部分の国境線は分水嶺に一致していません。これは私の推測なのですが、スリーパゴダをタイの領地とする代わりに、この部分をビルマに組み入れたのかも知れません。イギリスは諸外国相手の商売で発展した国だけあって、外交政策がガメツイです。なお、ここにはR323と同時期に建設された木材搬送用の裏道(cave へ行く道の延長)があるんですが、あまり詳細に図示するといろいろとあれなので、tp2 を見て察して下さい。

3.R323が国境線を横切っています!実際にR323を走ってみるとわかりますが、(地図上の)国境線を横切るあたりがなだらかな丘の峠になっていて、たしかに分水嶺を越えている事が確認できます。これをどう解釈するか、私も未だ結論に達していません。私の手元にあるいくつかの Landsat 画像を見比べてみると、1973年、1978年にはこの道路の痕跡は認められません。もっとグニャグニャした遠回りのルートはあったようです。1985年には、R323の原形を認める事ができます。1989年には、ダートながら立派に開通しています。

ここでちょっとスリーパゴダの近代史について振り返る必要があります。1980年代にはこのあたりはモンとカレンが実行支配していて一種の自治区・解放区を形成し、スリーパゴダを通る物品に5%の通行税を課していました。タイ政府も、宿敵ビルマ軍との間の緩衝勢力としてのモン・カレンを暗に庇護していました。それが1988年にチャチャイ首相が「戦場を市場に」のキャッチフレーズで外交方針を転換し、ビルマ政府との関係でも「敵対するよりも手を組んだ方が金になる」との機運が生まれました。とばっちりを受けたのはモン・カレンです。同年ビルマ政府はスリーパゴダ地区の森林の伐採をタイの軍幹部が経営する木材会社(計36社!)に許可しました。R323は大量の木材の搬送路として活躍しました。その結果として森林は消滅し、ビルマ軍の軍事侵攻が容易になりました。1990年には、ビルマ軍がタイ政府の暗黙の了解の下にタイ領内を通ってモン軍に背後から攻撃をしかけて壊滅させ、スリーパゴダ地区におけるビルマ軍の支配を確立しました。ちなみにその時ビルマ軍は調子に乗って、「スリーパゴダはビルマ領である」と主張して占領し、パゴダを白ペンキで塗りたくりましたが、速やかにタイ軍によって追い出されました。スリーパゴダのパゴダが白いのは、この時以来の事だそうです。

ここから先は私の仮説(想像、憶測)です。1985年までにR323の原形がああいう状況下でこういうルートで造られたというのは、
a. なるべくタイの領内を通りながらも、どうせ山の麓でははみ出さざるを得ないのだから、はみ出しついでに建設が簡単で通行に便利な現ルートを選んだ
b. 測量を間違えて国境線から必要以上にはみ出してしまった
c. 将来の国境確定協議に備えて、占有の実績を作っておく事にした
d. その他
いずれにしても山の麓で国境をはみ出す事は避けられず、この道路の建設にあたってビルマ政府の認知や同意があったかどうかは不明です。また、1990年にスリーパゴダ地区におけるビルマ政府の支配が確立した時に、当然R323の扱いについての再協議があったものと思われますが、なにしろドロドロとした経緯があるので、とりあえず現状維持の方向で同意があったのでしょう。また、R323のこの部分はタイの電力公社EGATが建設したという形になっているんですが、あるいはパヤトンズ(スリーパゴダのビルマ側の村)に給電するという名目で道路が走る土地の利用権をEGATに付与しているという形式を取っているのかも知れません。タイ政府としては矛盾の無いように国境線を引き直したいところでしょうが、代価の点で交渉は難航するでしょう。



(no title) / 02.23 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

【第3回 Pilok】
では各論に入ります。で、いきなり Pilok ですが、まあ、面白い所です。何が面白いかというと、
1.途中の山道がエキサイティング
2.天気が良ければ、ビルマを見下す景色がグッド

1について、途中の道路が細くてクネクネしているのはオートバイにとっては問題無いんですが、自動車の場合は車幅とかハンドルの切り返しとかの点で神経が疲れるかも知れません。2について、Pilok はとても雨が多い地域で、天気が悪いと景色が見えず、行く価値が半減します。標高は900mぐらいなんですが、雨雲が引っかかるというか、霧が出る事が多いです。

Pilok は行政的には tambon (sub-district) の名前で、その下に ban (village) がいくつかあります。R3272 の果てにあるのは Ban I-Tong (または Etong)という村です。Ban Pilok という本家(?)もありますが、これについては後述します。観光客が手軽に訪れる事ができて満足度が高いのは Ban I-Tong です。

Ban I-Tong の画像を追加しました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/archive/kanchanaburi/index.html

では、画像内の番号順に解説します。
1.村のシンボルともいうべき貯水池です。
2.長さ300mほどの村の中央通りです。雑貨屋あり、食堂あり、近頃ゲストハウスもできました。
3.村の小学校です。
4.村の寺です。
5.ここに警察のチェックポイントがあります。フリーパスの時もありますが、パスポートの提示を求められる事もあります。
6.自動車がUターンできるぐらいの広場です。ビルマ兵のバラックが隣接しています。ここからビルマに向かって崖のような急斜面が目を引きますが、これはパイプライン(天然ガス、ビルマ→タイ)を埋めた跡です。タイ側には大きなパイプライン施設が見えます。
7.丘の上に面白そうな寺が見えますが、ビルマ軍の管轄下なのでうかつに入れないです。
8.石の階段を登ると展望台があり、天気が良ければビルマが見下ろせます。タイとビルマの旗が二本並んでいて微笑ましいんですが、要するにこのあたりは国境線が確定されていないわけです。
9.国境警察(BPP)の詰め所があり、観光客はここでUターンです。道路は国境を越えてビルマに入り、はるかラングーンまでつながっているんですが、このゲートを通れるのはパイプライン関係者だけです(タイ人とビルマ人の技術者の行き来がある)。
10.このダート路は国境に沿って数十キロ延びています。国境マニアも怖気づくアドベンチャー道路です。

さて、普通の観光客ならば Ban I-Tong へ行って帰ってくるだけで十分に面白いんですが、4WD(またはオフロードバイク)に乗っていて、もっと冒険がしたい人にお勧めのコースを二つ紹介します。
1.Ban I-Tong の手前1kmに、ダート路の分岐点があります。英語で View Point と書かれた古ぼけた看板が出ています。かなり路面が粗く、急な上り坂なので、4WDでも慎重さが要求されます。体力と根性があれば、歩いて登ることも可能です。1kmほど登ると山頂に達し、この付近では最高の眺めを楽しめます。軍のキャンプがあるんですが、観光客は歓迎されます。
2.さらに2.2km手前に、ダート路の分岐点があります。タイ語でゴチャゴチャと看板が出ています。Ban Pilok はここから5.5kmの距離です。この道路は国境の峰の上を走ったりして、かなりエキサイティングです。Ban Pilok には、ちょっと異質のリゾートがあります↓
http://web.archive.org/web/20030421010423/http://www.cp.org/english/on
line/full/travel/030403/u040302A.html
このダート路は Ban Pilok を越えて国境沿いにさらに20キロほど延びています。まさに知られざるカンチャナブリです。

さて Pilok は歴史的に鉱業で栄えた地域ですが、それも1993年にコスト割れのために廃坑になりました。それでも R3272 という不釣合いに整備された道路が Ban I-Tong まで延びているのは、パイプライン施設のメンテナンスの為に他なりません。このパイプライン (Yadana Pipeline) は、1995年に着工、1998年に完成しました。パイプの直径は1mで、総延長は700km(アンダマン海洋部340km、ビルマ内陸部60km、タイ内陸部300km)、ラチャブリの発電所に天然ガスを供給します。建設にあたっては内外の環境・人権団体が精力的に反対運動を行ったのですが、工事は強行されました。争点としては、
1.原生林の破壊
2.ビルマ政府による、住民の強制移住と残虐な強制労働
3.不当に政権を掌握している現ビルマ軍事政府の懐を潤す事になり、将来のさらなる弾圧を助長する事になる
が挙げられます。

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リンク: ヤダナ・パイプラインが投げかけたもの
http://www.burmainfo.org/eri/MWFM09yadana.pdf



(no title) / 02.22 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

【第2回 観光総論】
今日の参考資料です↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/archive/kanchanaburi/index.html

カンチャナブリの観光マップとしてはTATのパンフレットが非常によくできていて、これ以外必要無いほどです。ただし、道路地図としてはイマイチなので、他の詳細地図と照らし合わせないと行き着けない事が多いです。Mapmagic Thailand を局所的に何枚もプリントして持っていくと便利です。

さて、次の添付資料 Western Forest Complex が示すように、カンチャナブリは国立公園の数と占有面積の大きさが際立っています。観光マップに載っている滝や洞窟は大半が国立公園の敷地内にあり、ガッチリと外国人料金の400Bを徴収されます。私の意見として、ドライブ旅行としては、そういう有料の滝や洞窟を一切旅程から外しても、十分に面白い旅ができると思います。

カンチャナブリの観光客を大まかに分類すると、
1.バンコク在住のタイ人
(バンコクから比較的近場にあり、自然が多くて気分転換になる)
2.外国人旅行者
(第二次世界大戦のテーマパークとしての宣伝効果絶大)
となります。バンコク在住の外国人には、国立公園の外国人料金の事もあり、イマイチ不評のようです。また、観光客数の地域別密度としては、カンチャナブリ市近郊(Hell Fire Pass や Erawan Waterfall あたりまで)を1000人とすると、Sangkhlaburi や Three Pagodas まで足を伸ばすのは20人ぐらい、Pilok へ行くのは1人ぐらいでしょうか。

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カンチャナブリの観光リンク
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/2447/



(no title) / 02.21 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

9月にカンチャナブリですかっ!連日雨に降られる公算が高いので、ちょっとお勧めできないです。が、それとは別に、カンチャナブリは私が以前から注目していたエリアでもあるので、資料を整理しながら何回かに分けてカンチャナブリの紹介をしてみます。

【第1回 道路網】
添付地図は MapMagic Thailand + SRTM (標高図)です。紫色の線は私が補足した道路です。右下の二重丸がカンチャナブリの市街で、そのほかの記号は
M: Muang Sing
E: Erawan Waterfall
H: Hell Fire Pass
T: Thong Pha Phum
P: Pilok
S: Sangkhlaburi
TP: Three Pagodas

カンチャナブリの特徴は、R323という貫通道路があり、その北東側は Thungyai-Naresuan Wildlife Sanctuary という、タイ政府が最も保護に力を入れている大森林があり、南西側はビルマ国境の森林で(何ヶ所かの例外を除いては)近寄り難いです。要するに、観光客の行動範囲はほぼR323の近傍に限られてしまい、基本的には行った道を戻る事になります。

マイナー道路について解説します。添付地図の数字で、
1.Ban Bonti という国境沿いの村へ行く道路です。特に見所はありませんが、国境マニアならば到達感が味わえます。
2.Ban Pa Rai Nok という国境沿いの村へ行く道路です。この村は20年ぐらい前にできた開拓村で、入植者はイサーンの農民です。
3.Ban Don Yang という国境沿いの難民キャンプへ行く道路なんですが、観光客は途中の検問で追い返されます。
4.Thungyai-Naresuan Wildlife Sanctuary の中を通る、マニア垂涎のアドベンチャー道路です。元々は鉱山の搬出路なんですが、今では廃道に近く、橋の無い川を渡ったり、川床に沿って進むような区間もあります。まず普通には入域許可が下りないので、たまに4WDクラブが走りに行くのに便乗してついて行く他ありません。
5.R323に並行する道路(ダート多し)で、いくつかの村を通過します。旅行者の場合、GPSと詳細地図が無いと道に迷うこと必至です。まあ、迷うのも楽しいんですが。
6.R3199とR3480を結ぶ山越え道路(ダート)です。



(no title) / 02.14 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

先日の日曜日に、久しぶりにプラパデーンに行ってきました。以前はよくオートバイで路地を探索しに行ったものですが、今回は9才の息子を連れての半日サイクリングです。このあたりは基本的に欝蒼とした湿地帯の森で、その中を幅1メートルほどのコンクリートの板道(縁無し手すり無し、落ちたら泥だらけ)が迷路のように張り巡らされています。そういう板道はオートバイでは怖くて入って行けないんですが、今回は自転車の機動性を生かして積極的に入っていったところ、予想以上のアドベンチャーを体験できて大満足です。

さて、添付画像は Landsat + MapMagic です。赤色の線が今回のサイクリングルート(GPSトラック、走行距離20キロ)です。紫色の線は近頃開通した巨大な橋で、Industrial Ring Road Bridge という名前が付いています(通行無料、自動車専用)。橋の中央がややこしい三叉路になっています。短い距離の間にチャオプラヤ川を二度横切るので、車窓から見下ろす風景がなんとも不思議です。



(no title) / 02.01 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

ちっとも旅行に出られないのでインターネットで面白い写真を見つけては気を紛らわせているのですが、例えばカオプラヴィハーンを下から撮った写真です↓

(南西の麓の村 Kor Mouy から)
http://rides.webshots.com/photo/2316539110061510178BLnuCa

(南の道路上から)
http://biogon.exblog.jp/2784636/

下からだと何の変哲もない小山にしか見えないのが、かえって新鮮で面白かったです。

さて、カンボジア側からの登山道路の傾斜を測ってみたところ、メーホンソンから Mae Aw へ行く道路の傾斜にほぼ匹敵していました(添付グラフ)。この傾斜をボコボコでズルズルのダート路で登るというのは、4WDでもバイクでも、相当気合を入れて走らないと途中でエンコしてしまいそうです。



(no title) / 01.31 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

Yahoo のアカウントを増やしてホームページ容量に余裕ができたので、カオプラヴィハーンの全景詳細画像(3540 x 4600 px)をアップしました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/kpv800.html

転送容量制限(1回あたり5MB)のために画像を左右の二分割にしてありますので、画像の保存にあたっては留意して下さい。



(no title) / 01.27 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

思ったより手間取りましたが、一応完成しました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/satelthai/projects/westernfrontier/01a/index.html

編集後記:あー、疲れた。じゃなくて、地図に載っていない村や道路がいろいろあって面白かったです。



(no title) / 01.21 / イサーンの大地走行2000キロ 掲示板

ここしばらく、「メーソットからモエイ川に沿って南下する」というテーマのバーチャルトリップにハマッテいました。ほぼ完成したので近日中に公開予定ですが、プレビューとしてメーソットの市街全景画像をどうぞ↓
http://www.geocities.jp/shinji_th2/satelthai/projects/westernfrontier/01a/maesot-w.html

出展は先述の Point Asia です。画像はモザイクで、右(東)半分が2005−02−17、左(西)半分が2004−11−24の撮影です。