
3月2日(水)二日目
その夜は寒さで眠れなかった。携帯ラジオでFM徳島を聴くともなく聴きながら、ああ徳島はもう近いのだなあと思いながら体を震わせ、時計を何度も見返しながら朝を待ち望みながら時はスローペースでマイペースで過ぎてゆく。
2時間ほどその記憶がなくなり、猛烈な寒さに気がついたら朝の6時だった。少しは眠った(寝てしまった)ようだ。鼻水をすする。
とはいえ、少しのどが痛む程度で、他にはこれといって困った点はなく、俺ってけっこう頑丈だな、と自分をほめる。
7時を過ぎて、まだ丸山漁港にいた。自販機でシーフードヌードルを買い、その場で食う。180円。
そしてフェリー乗り場を探して走り出した。
すぐに見つかった。しかしフェリーの始発は9時半。
待合室にひとり座って、時の過ぎるのをラジオを聞きながら待つ。
昨日のあれは野宿と呼んでもよいかも知れぬ、などと旅日記に記しているが、そんな謙虚にならずとも、誰がどう見たって野宿である。それもかなりダメな野宿である。
待合室から大鳴門橋が見える。あすこを自転車で渡れれば、野宿などをしなくてもすんだのに、と思うが、すぐ、まいっか、と納得する。
俺はどんな辛い状況を体験してもすぐに納得してしまい、忘れてしまい、今後に生かさないのが駄目なんだな。学習能力は全くない。
9時半前にフェリー「ひめづる」に載りこむ。俺と自転車で500円。客は俺一人。このフェリーは二輪車専用のフェリーであり、日本一小さなフェリーだと言う。ちなみにフェリーとは、乗客とクルマを載せる船のことらしい。じゃあこれが日本最小か。
なるほど船室も狭いが、客は俺ひとりだ。ゆったりだ。加山雄三気分だ。
円い窓の外は雨模様だった。でも気持ちはうきうきだった。人生初の四国だ。
椅子は木で固かった。
鳴門海峡はそれほど広くはないのですぐに対岸に到着した。甲板に立って岸を見ると、ひめづるのタラップのようなものが岸に着くところをカメラを構えた人が撮影している。
カメラは大きな物で、ビデオカメラと言うよりテレビカメラと言ったほうがいい感じだった。マイクを持った女の人もいた。大きなマイクを掲げた男の人もいた。
そして俺は取材された。このフェリーが欠航が多い事を教えられた。彼らはただのママチャリであるダークジャスティス号を見て驚いていた。そういえば、俺もママチャリで旅する人を見たことがないから尠いのだろう。
どこからきてどこへ行くのか、と尋ねられたが、まだ四国一周する自信は無かったので一周するとは言わず、淡路島一周をしているついでに徳島に立ち寄った、と答えた。
でも、ついでに寄るために野宿するかよ普通。
〔大阪から来て四国へ来た〕ということを、言いまわしを変えて何度も言わされた。テレビってそうなんだろうな。
俺が走っているところを撮影するために、防波堤の横の通行禁止と書かれている道を走らされた。やらせに参加してしまった俺を軽蔑してくれ。
結局、彼等がテレビ局なのか放送部なのかもよく判らなかったが、フェリー乗り場のおっさんが、いつ放送するのか、など聞いていたのでプロかも知れぬ。じゃあテレビに出たのか俺。徳島県で有名人なのか。じゃあ四国一周するって言っときゃよかった。
アナウンサーの女の人はけっこう可愛かった。徳島っていいところなのかもしれぬ、とそれだけで思った。
彼らと別れ、ひたすら南へ走る。あまりいい道ではなかったような記憶がおぼろげではあるが、ある。海は見えたり見えなかったり。
「日本一宮 津峯神社」という大げさな看板と朱色の神明鳥居を見つけ、そりゃ行かなきゃだな、ってわけでそちらへ走る。
なんだ、いがいと小さな神社じゃないかと思ったら別の神社だった。
犬を連れたなかなかかわゆい若女がお参りしていたので道を尋ねたら、津峯神社は眼前の山頂にあるということだった。
礼を言って走り出すが、いきなり方角を間違えて注意された。戻ったついでに、どのくらい時間がかかるのか訊いたら2時間くらいだと言われたので、行くのを止めた。
この時に限らず、俺は道を教えられても常に最初の一歩を間違える悪癖があるので駄目だ。全く駄目だ。(そういえば、2001年の今の俺は道を尋ねたりなんかしないんだが、なんでこのときは尋ねたんだろう。)
旅日記には、徳島にはかわいい子ばかりのような記述がある。ほぼ日本一周をした俺だけど、そんなふうに感じたのは徳島でだけだ。まあ、旅目だ。
腹が減ったが、金があんまりないので店には入れず、コンビニもないのでいわゆるほか弁で弁当を買った。買ったはいいがそれを食べる場所がなくて、長い間走ったあげく、つまらない川のコンクリートの土手で冷めた唐揚げ弁当を食べた。
しばらくのあいだ、強い横風にあおられながらR55を走っていた。海の見えない平地をひたすら走っていた。
チャリ旅人はみんなそうだろうけど、俺も山道よりも風がきらいだ。山は下りがあるから頑張れるけど、風にはカタルシスを期待できない。単にエネルギーのロスだ。
中央分離帯にくぼみを見つけては、ここで風をしのげるな、寝られるかななど考えていた。いま考えればそんなことは不可能だけど。
そんな所もあったがやはり、R55をひたすら南へ。海は見えず、山間部を走る。全日食チェーンでチョコレートを買ったら、期限ギリギリだった。まあ、過ぎてなきゃいいや。
夜になってやっと高知県に入った。国道は海沿いを走る。
ここまで日記がないところを見ると休憩なしで走っていたのだろう。8時ごろ密閉型のバス待合所で休憩。室戸岬まで30キロほど。
入ったときは運動直後なので、風がなくなったという効果だけで暖かかったが、次第に体温は平常に戻り、寒くなってくる。
そのまま宿にしようと企んでいたのだが無理だとわかり、やはり走り出す。
ここからは、バス待合所に入り、ああ、暖かいと思い、次第に寒くなってきて出発、の繰り返し(これ以降の旅日記にも同様の記述があるが、べつに好んでこんなことやってるわけじゃなくて、毎回忘れてるのである)。
寒いので自販機で缶コーヒーを買ったら当たった。貧乏旅なのでさぞかし助かった事だろう。
と旅日記にあるから書いたけど、今の俺の記憶には一切無いので嬉しかったのかどうかもよくわからん。(憶えてない事は憶えてないと言える男だ)
このときはやたらとバス待合所などで宿泊したかった。今はさておき、当時は夜に走るのが嫌いだったのだ。ライトが点かないので危ないし。
とはいえ、寒くて寝られないので走り続けた。
灯台の光からその存在が近づいていることがわかっていた室戸岬へ到着した。中岡慎太郎の像がライトに照らされて海を見ていた。友人に葉書を出した。
出費
からあげ弁当・パン2つ・シーフードヌードル(834) フェリーボート(500) 葉書10枚(500/出る前に買えよ) チョコレート2つ(335) カルピスウオーター・缶コーヒー(440/カルピスウオーターは1、5ペット)

おまけ。さすがに四国はオヘンローラーのたくさんいるところらしく、こういった道沿いに同行2人ステッカーが貼ってあったりする。というか、鳥にそんなメッセージ出しても。