カンブリアンQTS
                    〜化石になっても〜


 本作を一言で言ってしまうと「ダメな子ほど可愛い」ということになるのだろうか。何から何までダメだったらクソゲーとして片づけられるのだが。なまじシナリオやキャラがいいだけに、システム(というよりはコンセプト)の練り込み不足が足を引っ張ってる気がする。以下に思ったことをつらつらと。

 

story
20世紀はじめ、カナダ・バージェス山脈から謎の生命体の化石群(アノマロカリスetc...)が発掘された。
長きにわたる研究の結果、カンブリア紀に絶滅したと思われるこれらの生命体の雌は、成体になると、我々人類(女性)とほぼそっくりになることがわかった。そのあまりの愛くるしさから『カンブリアンQTS』と呼ばれるようになった彼女らは、人間の良き友人(ペット)として、共に生きることとなった。

 

 一番の問題は「プレイヤーにできることが少なすぎる」ということだろうか。文字通りQTS(キューティーズ)の育成しかできない。単なる育成ものだったらそれでもいいのだが、本作はアドヴェンチャーでもあるのよね。分岐条件が各QTSの育成度合い(入れ込み具合)だけで決まるってのは、いくら何でも無茶な気がするけど。
 目に見えるパラメータがあるわけでもなく、カレンダーのようなタイムスケジュールがあるわけでもない。ただただQTS達との会話だけで”シナリオ”が進んでいく。くどいようだが単なる育成ものならそれでもいい。彼女たちとの会話を楽しみ、その成長を見守っているだけで満足なのだから。

 でも「アドヴェンチャーとしてのシナリオ」がどの程度進み、どんな風に分岐しているのか。その条件やフラグ立てが非常に見えにくいのは、アドヴェンチャーとしてはダメだと思う。正直言って本作をけっこう評価している自分でも、再プレイは躊躇してしまう。育成ものは基本的にルーティンワークが中心になってしまうので、よほど気を付けてシステムを構築し、イベントを配置しないと、複数回プレイは見込めないってーのに。「また同じことを繰り返すのかー‥‥」なんてため息ついちゃうよ(苦笑)。
 いっそのこと「育成パート」と「アドヴェンチャーパート」に分けるべきだったのではないか、と思う。いや説明書では分かれていることになっているのだが、事実上アドヴェンチャーパートは存在しないのと同じ。話を聞くだけなのだから。能動的にプレイヤーが干渉できることはほとんどない。学校やCCCなど(自分の選択で)行ける場所を複数設け、情報を収集したり、アイテムを購入制にしてその資金を得るためのバイトを設定したり、ヒューマンフォームのQTS達とデートができるようにするのもいい。とにかくプレイヤーのできることを増やし、選択の幅を広げ、自分の行動がシナリオに与える影響をプレイヤーに実感させるべきではなかったのか。「QTS達を育成するだけでシナリオが進んでいく」というコンセプト自体が大甘だった、と言わざるを得ない。

 

 しかしねー。これだけだったら単なるクソゲーなのよ。ばっさり切り捨てられるのよ。でもねー‥‥‥大変言い難いんだけど‥‥恥を忍んで言っちゃうとQTS達がかわえーのよ。いやもうホントに。手の上で転がしてるだけで幸せ気分。「これ知ってゆぅ」「まっさーじぃ? まっさーじぃ?」「ごろごろ〜」-----あああぁあぁぁああっ! 自分のダメ人間ゲージが、H2ロケットも腰抜かす速度で急上昇しているのが実感できるぅぅぅ。微妙にブラックなエスプリの利いた会話もポイント高し。ここら辺は非常に好印象で、だからこそ余計にもったいないと思うのだけど。

 

 で、今までの内容をまとめてしまうと「続きが見たい! すんげー話の続きが見たいんだけど‥‥この”先の見えない単純作業”は辛いよなぁ」という感じのゲームになってしまうのだ。とほほ。「一歩間違ってれば傑作になっていたかもしれない意欲作」という感じだろうか。
 だからわたしゃ間違っても人に奨めたりはしないが、でも「単なるクソゲーではない」とだけは自信を持って断言しておこう。


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