旧日本海軍 航空母艦 蒼龍
 

 
 太平洋戦争が航空機、それも艦隊航空力の戦いで終わったことはここで改めて云うまでもないことであろう。艦隊航空力の中心は空母、艦載機であり、空母、特に艦隊型大型高速空母集団が海軍の中心となり、常に戦場の主導権をにぎって戦局の行方を支配してきたことは、太平洋戦争の過程をながめれば明らかなことである。そして太平洋戦争はこれら世界第1位と第2位の艦隊航空力が激突した戦いで終わったともいえるのである。
 海軍と航空機の結び付き過程はは今世紀初頭、1910年前後より始まったことで、1910年に米海軍が軽巡バーミンガムの前甲板に仮りの滑車台を設けて航空機の発進に成功したのが、海軍艦艇より航空機が飛び立った最初であったのである。日本海軍においての歴史は第1次世界大戦において、1913年に改造された運送船若宮丸であるが、しかしこの若宮丸は、飛行甲板を備えた、いわば水上機母艦に相当している。しかしこの若宮丸こそ世界最初の水上機母艦であり、英海軍最初の水上機母艦アークロイヤルの完成に先立ち改装を終えたのであった。更に日本海軍最初の空母鳳翔が、当初から空母として建造された世界最初の艦であった事からも、日本海軍における艦隊航空力、発祥の歴史はまことに輝かしいものと云ってもよかった。昭和16年12月、太平洋戦争開戦当時の日本の空母は次に示すような編成であった。
 
 1航戦、赤城、加賀、 2航戦、蒼龍、飛龍
 3航戦、鳳翔、瑞鳳、 4航戦、龍驤、春日丸
 5航戦、翔鶴、瑞鶴、   以上10隻であった。
 
 これに対しアメリカの空母は、レキシントン級の大型艦以下、中型のエンタープライズ等あわせて、正規空母7隻と商船改造の護衛空母ロングアイランド1隻の計8隻にすぎなかった。イギリス海軍にはイラストリアス級4隻をはじめ、アーガス以下の旧式空母、護衛空母を含めて計10隻の空母があったが、大半は大西洋方面にあり、太平洋では日本の空母勢が圧倒的に優勢であった。
 しかし太平洋戦争の結論は日本海軍が艦隊航空力の本質をはっきり把握していなかったために、いかにみじめな敗北の道をたどっていったかをはっきり示しており、開拓者と云えども決して成功者になり得ないことを、ミッドウェーの大敗北が明らかにしている。  「蒼龍」は、龍驤に次いで建造された日本海軍でははじめての近代的な正規空母で、日本式空母の基本形態と構造を確立した意義深い空母である。
 建造基本計画は昭和9年(1934年)の第2次拡充計画によるものであるが、翌年、ロンドン軍縮条約が結ばれたために、厳しい排水量の制限下に設計されたものである。また当時は、空母にも砲戦を予想して、高角砲以外の砲を搭載するなど、色々設計は変更され、最終的に15.5cm砲5門を装備する空母として準備が始められたが、友鶴事件の結果、設計は再検討され、高角砲だけを搭載し、空母としての能力を第1においた艦として起工された。飛行甲板は最大限に延長され、右舷前部に小型の艦橋を持ち、搭載機数は最大71機としたが、基準排水量15900トンの割には多かった。機関馬力は152000馬力で高角砲は12.7cm12門、最大速度は34.5ノットに達し日本の空母の中では1番早かった。強力な対空火力と高速は、近代空母としての重要な条件のひとつであるが、アイランド型艦橋などの構造、配置、更に全通の飛行甲板や、航空関係の空母としての艤装面においても、実用性の高いものとなり、初めての近代空母といえるものになった。これは、それまでの実績、特に「龍驤」と「加賀」の改装が大きな貢献をしているが、以後の日本主力空母は、この「蒼龍」の拡大改良型として発展した。
 なお、この計画では同型艦として「飛龍」も建造されることになっていたが、「飛龍」の建造は、ロンドン軍縮条約の期限明け後になるために、設計が変更され、防禦力や凌波性を改善して建造されたので厳密に同型艦と呼べないということである。こうして「蒼龍」は、昭和12年12月29日、呉工廠において竣工した。昭和13年9月「龍驤」と共に第2航空戦隊を編成し南支方面の作戦に初陣を飾った。昭和14年秋には、竣工早々の「飛龍」が「龍驤」と代わり第2航空戦隊に編入され、この部隊はバランスのとれた高速空母部隊となった。この新陣容で「蒼龍」は昭和15年には再び対中国作戦に参加し、また同年11月には、横浜沖の紀元2600年記念艦観式に参加した。
 昭和16年第1航空戦隊(赤城、加賀)や「龍驤」などと第1航空艦隊を編成し、同年秋には第5航空戦隊(翔鶴、瑞鶴)を加えて、一大機動部隊となって、真珠湾作戦に参加した。この作戦の帰路「蒼龍」は「飛龍」と共に主隊を離れて、ウェーク島攻略部隊の支援を行ない、航空攻撃で作戦を援助した。
 昭和17年に入ると、かねての予定通り南方攻略作戦に参加し、ジャワ方面やラバウルなどを機動空襲し、また2月19日にはオーストラリアのポートダーウィンを襲って、港湾設備や碇泊中の艦船に大損害を与えた。
 そして4月に入ると「赤城」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」と共にインド洋に進攻し、イギリス東洋艦隊を探索して、セイロン島のコロンボ、トウリンコマリー両港を空襲し、イギリス空母ハーミズ、重巡コンウォール、ドーセットシャーなどを撃沈した。しかしイギリス東洋艦隊を捕捉できず、作戦を打ち切って内地へ帰還した。次に待っていたのが運命のミッドウェー作戦で、この海戦は日本側は常に後手にまわり、必死の攻防も空しく「蒼龍」は急降下爆撃機の命中弾3発を受け、甲板上の飛行機が誘爆して大火災となり、6月5日午後4時20分ついに沈没した。艦長柳本大佐は、部下の再三にわたる退艦の願いを断って艦に残り、壮烈な戦死をとげた。
 
  ≪航空母艦「蒼龍」主要目≫
 基準排水量:15900トン
 公試状態排水量:18800トン
 水線長:222m
 最大幅:21.3m
 馬力:152000馬力
 速力:34.5ノット
 
     ※ キット同梱の「ウォーターライン 日本航空母艦 蒼龍」組み立て解説書より抜粋
 
 
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