為すべき事は

 雨が降っていた。星の輝きも何もかもを遮る暗黒が、この雨を生み出し、吐き出している。
 ユリウス・ロートリッターは雨の中を歩くのが好きだった。『雨の中傘を差して歩く』のが好きなのではない。雨に打たれながら歩くのが好きなのだ。これは天翼族に限らず、このフォルトーナに住む種族全体から見ても極めて奇異に見られていた。
 この件に関しては、ユリウス自身表立って反論する事はない。何度も彼の行動を諌めようとする同僚には生返事と冷笑を返すだけだった。
 (奴らは自然の中に身を置く心地よさを理解できないのさ)
 ユリウスはそう心の中であざけっていた。
 漆黒の軍服は空の闇と同色だった。それが濡れる事にも構わず、ユリウスはゆっくりと市街を歩き家に向かっていた。
 ふと、立ち止まる。水溜りの水が音を立てて跳ね上がり、靴の中に入った。わずかな不快感を感じたが、ユリウスはそっと腰の剣に手をかけて『それ』に近づいていった。
 黒い塊は動かなかった。まさしくそれがユリウスを立ち止まらせた理由なのだが。
 靴先一寸の位置で立ち止まっても、その塊は動かなかった。ここまで近づけばそれが何かもわかる。
 石畳に広がる水溜りに茶色の髪の毛が広がっていた。有翼種族にはない、わずかに日に焼けた皮膚を持っている。
 「黎明動物か……」
 ユリウスは身体の緊張を解いて屈み込んだ。
 黎明動物……奴隷……人間種族。フォルトゥーナよりも圧倒的に文明の遅れた世界から連れて来られた存在だった。
 有翼の種族が覇権を握るこの世界、人間はただ単純労働に従事するために連れてこられる。
 「彼らの文明は我等に遥かに劣り、かの世界は愚かしい生存競争に明け暮れている。それを我ら有翼種族が拾い上げ、その力を有効活用し彼らを救っているのだ」
 これは有翼種族が学校で、また親から学ぶ言葉である。人間をこちらの世界に導く事こそが慈悲なのだと彼らは考えているのだ。
 ユリウスはそっと人間の少女に手を這わせた。
 それは確かに少女だった。彼らの歳に合わせるなら、15、6歳くらいだろうか。目立った外傷もないということは、どこぞの上家から逃げてきたのだろう。そして力尽きた。
 ユリウスはそう判断した。まだ幼い頃からフォルトゥーナに連れて来られた人間は、単純労働以外の使い道がある。しかるべき教育を受けさせる事で、上流階級の家……上家の召使いとして仕えられるのだ。もっとも……
 ユリウスは思う。
 洗脳に紛う教育を受け、その結果主人を慰労する事が果たして幸せな事だろうか、と。
 人間には分不相応な薄い絹の服だけを纏っている事が、ユリウスの憶測を確信に変える。雨に濡れて……いや雨に濡れなくてもみずみずしい姿態が透けて観賞できるそれは、主の趣味だったのか。
 十分に水を吸ったマントだが、無いよりマシだろうという事で、ユリウスは少女にそれをかけた。朝になれば公安局の者が発見し、マントごとどこかに捨てるだろう、と。
 「……うぅ」
 うめき声はユリウスが発したものではない。またユリウス以外の存在がこの雨の中を外出するはずが無い。聞き間違えではないだろう。
 「生きているのか?」
 問いかけには答えなかったが、わずかに胸が上下していた。ユリウスはマントを少女にかけ、そのまま抱き上げた。

 フォルトゥーナには七つの種族が存在する。天翼族、竜翼族、鳥翼族、虫翼族、機翼族、聖翼族、そして人間種族。人間種族以外を総称して有翼種族と呼び、支配階級となっている。人間種族にはまったく実権を与えられず、ただ支配階級に奉仕するだけの存在であった。すなわち、路上で野たれ死ぬ人間を見つけても大抵の有翼種族は見向きもしない。
 その「大抵」の範疇に決して入らない上級近衛士官ユリウスの行動は、まあ有体に言って変だった。かすかに息があるからといって抱き上げ、そして屋敷の温かい部屋のベッドの上で手ずから看病するなど。まあもっとも、ロートリッター家にはユリウス以外にその家名を持つ者はおらず、また他の上家のように多数の奴隷を囲っているわけでもない。というより、ただ一人の奴隷も所有してはいないのだ。これだけでも十二分に変なのだ。
 「ユリウス様」
 まだ声代わりのしていない少年の高い声が部屋に波打った。
 少年の名はアレンと言う。家名の無い下家出身の鳥翼族で、軍に属するユリウスの従卒として彼の側にいた。
 アレンは標準的な有翼種族だった。戦場の中に置いてもアレンは勇猛だったが、実力は十人並みだった。ただし相手の動きを良く見て弱点を探る。前線に置いてではなく後方の参謀として育てれば、もしかしたら家名を賜るほどの功を立てる軍人になれるかもしれないとユリウスは思っていた。
 その標準的な有翼種族が現状を見て思うことはおそらく同じだろう。
 「ユリウス様。失礼とは思いますが、そのような存在に自らの手をわずらわせるとは外聞が悪うございます。まして、あなたのベッドに寝かせるなど。人間種族を拾う事を否定申し上げは決していたしませぬが、それなりの扱い方があるはずでございます」
 温かいパンとスープをユリウスの傍らのテーブルに置きながらユリウスは述べる。ユリウスはパンには見向きもせずスープのみを手に取った。
 「ベッドなど、この屋敷にはたくさんある。そのうちの一つを行き倒れの少女に与えたからといって何ほどの事があるか」
 ユリウスはスープを一口飲んで微笑する。要求通り少し冷ましたスープ。いくら不本意でも主の命令に従うのは軍属の務め。
 二口目のスープは口に含むも胃に流す事はしなかった。そのまま少女に接吻し、それを流し込んでやる。アレンは文字通り目を見開いたが、ユリウスは気にしなかった。ごく自然に次のスープを少女に流し込んでやる。
 「アレン、少し身体が冷めた。湯殿の用意は出来ているか?」
 「はい、それはもう」
 「では、入る。私が戻るまで少女に付いておけ。言うまでもないことだが、私が見ていない間に事態が悪くなれば、落胆はわずかではないぞ」
 「心得ておりますれば、決してご心配なさいませぬよう。さあ、雨に濡れた身体を早くお温めください」
 「ふっ、君くらいだよ。そのことについて嫌味を言わないのは」
 ユリウスは苦笑した。アレンは雨の中を歩く趣味を少なくとも悪くは言わない。鳥翼族の気性が新しい物を求める革新家であることがその一つであるかもしれない。
 ゆっくりと歩を進めて、彼は部屋から出て行った。水に濡れた羽を数枚、床に残して。

 天翼族は高潔さと残忍さの二面性を兼ね備えた矛盾の存在だった。ただし、だからこそ、より完成された存在だと言えるかもしれない。ことこの世でつねに一定の方向に向いているものは存在しない。光があれば影がある。陰と陽はこの世の心理だからこそ、矛盾の両立こそがすべての完成形かもしれないのだ。
 フォルトゥーナ世界では、かつて六つの有翼種族がそれぞれ覇権を得るために血みどろの戦いを繰り返していた。ただしその愚かさに気がつかない愚者は少なく、すぐに聖翼族による有翼種族一致政策が行われた。そもそも互いに憎み合う要素は一欠けらも無く、手を組むための障害は無かったのである。
 聖翼族は金色の五対の翼を持っている。そもそも生まれながらの指導者だったのだ。皮肉屋からは「戦争が無くなれば内乱が起こるだけさ」と言われるが、それは正しい。争いがなくなるわけは無いのだから。
 群雄割拠とは言わぬまでも、中央から離れた巨大都市から独立気風と野心が生まれ、内乱が始まった。ただしやはり、それは愚考だとする考えは多く、そもそも戦いを始めた指導者たちはなぜいまさら武器を取ったのか首をひねったものだった。
 聖翼族は共食いを避けるためにあえて敵というか、潜在的に持つ好戦心を外に向けることにした。
 フォルトゥーナの下にはもう一つ世界が広がっている。そこには有翼種族よりも遥かに文明と知性の劣る人間種族がいた。それらを「狩る」ことで余計な出費を押し付けようとしたのだ。
 その狩りが正式に定められたのはユリウス・ロートリッターが19歳の時。徴兵制により軍服を纏った翌年だった。
 彼が徴兵されてすぐの事。
 レーザヴァート戦役はいくつかある小都市軍反乱にしては大きいものだった。なにせ収束するまで一ヶ月も必要だったのだから。その他の戦役はつねに、一週間か二週間で講和が成立していた。
 その戦役に投入された兵の数は両軍合わせて三千人。中央軍は飛空艇団を中心に遊撃兵団を一つ、機甲兵団を二つ、魔法兵団を一つ、軽装突撃兵団を一つ投入した。それぞれが少数の独立兵団だが、統合すれば一個旅団二千人の兵力である。
 この遊撃兵団にユリウス・ロートリッターと、竜翼族の青年アルトゥール・イグラムは配属されていた。両者とも徴兵された身であるが勇猛さは並ぶ者がなく、初戦で中央突破を果たした勇者だった。
 「おいユリウス、お前この戦いどう思う?」
 それは酒保で席を同じにしていたアルトゥールの問いだった。
 「戦いに……同士討ちに意味などない。向こうの指導者も気づいていると思うが」
 「しかし戦いの血の匂いは我らを誘う。業、とでも言うかな。俺だって嫌々ながら剣を握っているわけではない。お前の隊と連れ立って敵の中央を突破した時、何とも言えぬ快感に捕らわれたものさ」
 「ああ、あの突破は失敗だったな」
 ユリウスはワインを口に含んで苦笑した。
 「さっさと敵の後方に抜けてしまった。ちょっと突っ走りすぎたな」
 「あえて敵中で留まり侵蝕するか? こいつ、俺より好戦的でいやがる。ハハハ」
 「ふっ」
 二人の出会いはこの時からだったが、すでに周囲に親友と目されるほどの仲になっていた。実際二人は戦場でよく共に行動し戦果を上げていた。
 第三次レーザヴァート攻略戦は戦役最後の戦闘だった。軽装突撃兵団が司令部の命令を無視して敵都市に突入を始めたのだ。市街戦は泥沼化の様相を呈してきたので、迅速な行動が必要だった。上空から遊撃兵団が突撃する案が採用され、飛空艇に一個小隊ずつ乗り込んで出陣して行った。
 「下は血みどろの激戦域だな」
 アルトゥールは嬉しそうに笑いながら剣を鞘から抜いた。血の匂いと家が焼ける煙が興奮を生んでいるのだ。大部分の有翼種族が同じ思いをしているに違いない。
 「先に行く」
 アルトゥールが竜の翼を羽ばたかせて船から飛び降りた。
 「後ろに続く……っと、もう遅いな」
 純白の翼が風を打って空に踊る。
 二人の後には多数の機翼族が続いた。彼らはつねに上位者の命令に従う、我の小さい合理性の塊の存在だ。軍人としては極めて優秀である。ただし上級士官には向かない。
 ギチギチと金属の擦れる羽音が戦場を支配して、血の海は広がっていったのだ。
 三年の徴兵期間のうち五つの戦役に参加した二人は、終了後まったく別の道を歩いている。
 有翼種族のうちもっとも好戦的で戦闘的な気質を持つ竜翼族であるアルトゥールはイグラム商会を開き、今は中央政府にさえ影響力を持つ大商人になっている。そしてユリウスは遊撃兵団での活躍を認められ、職業軍人に志願するとすぐに近衛騎士に任じられた。功績を多数立て、現在では大きな部隊を統率する上級士官である。おそらく三十になる前に将軍のなるだろうと言われている。
 歩く道が違う二人だが、今現在も親友関係は続いている。

 湯の中に身を浸すと戦場を懐かしむ。身体から力と緊張が抜けると、自然とそれを求めてしまうのだ。戦場の血の匂いと死の感触を。まったく自分を度し難い存在だと思うが、有翼種族は戦闘を身近な自然現象の一つとしか見れないのだ。しかも必要不可欠な。
 ザバァ、と音を立てて湯殿から出る。これ以上いたら剣を取って戦場に走りそうだった。翼を数度羽ばたかせて水気を振り払うと、身体の水滴をタオルで拭い取る。
 と、感覚に少し閃光が生じた。これは戦場の中にあって何度もユリウスを救ってきた感覚だった。閃光はすなわち剣閃。命を奪い奪われる一つの手段。そして有翼種族が必要とする死線の感覚だ。
 キイィィィィン!
 甲高い音が湯殿に響く。少女の手には余るだろうと思われる長剣がユリウスの首寸前で止まっていた。その膠着を支えていたのはおもちゃのように小さいナイフである。
 「ユリウス様、人間が消えました。この屋敷のどこかに……」
 アレンの声が遠くから、やがて近くから流れてくる。
 「知っている。ここにいるからな」
 少女の剣を叩き落とすと、護身ナイフをタオルと共に投げ出す。一度も少女から視線を離すことはなく、そしてアレンが湯殿に飛び込んでくる寸前に少女を抱きしめた。
 「どうして……」
 かわいい囁き声だった。
 「静かに」
 足跡はすぐそこまで迫っている。
 「ユリウス様!!」
 「無粋だ、アレン」
 羽で少女を包み込む。傍目には一糸纏わぬ姿で抱き合っているように見えるだろう。
 「ユリウス様……」
 アレンは突然泣き出した。これには戦場であっても冷静な……少なくとも判断だけは冷静なユリウスもほんのわずかだけ驚いた。泣く理由が見えないのだ。
 「アレンは……アレンはうれしゅうございます!」
 どんな罵詈雑言が紡がれるかと思っていたのだがその予想が外れ、しかも内容にユリウスはうっかり卒倒しそうになった。実際には微動だにしなかったが。
 「ユリウス様はまったく性愛に興味がないものと思っておりました。それにその少女も、不遜な考えながら、奴隷以外の存在に見ていると思っておりましたが、有翼種族の誇り高き上家たるロートリッターの主として、非常に良い心がけ。アレンは本当に……」
 「わかったから、下がれ」
 わずかに辟易してユリウスは言った。このままでは永遠に震える少女を抱きしめていなければならない。おそらく少女は男に触れられる事に嫌悪感を覚えているのだ。早くこの責め苦から開放してあげたい。
 「はっ、失礼いたしました」
 晴れ晴れとした笑顔を持って下がっていくアレン。ユリウスは余計な疲労をしたと心から感じてため息をつくと、少女の身体を離した。
 「こ……下郎!!」
 横殴りの拳をユリウスは難なく受け止める。今でこそ士官だが、徴兵された時は一兵卒として最前線に身を置いてきたのだ。この程度の白兵戦は何度も経験してきた。
 腕を引き寄せてもう一度身体を引き寄せる。今度は彼の瞳にわずかな怒りの炎がたゆたっていた。
 その炎に飲まれたのか、少女は恐怖に声を詰まらせ涙を浮かべた。
 「君はバカか!?」
 開口一番ユリウスはそう吐き捨てた。
 「現状を認識しろ。何が起こっているのか、それが理解できない者は死ぬしかない。無能者だ」
 顔と顔を寸前まで近づけてる。瞳の中に映る自分の顔が判別できるほどに。少女は明らかに狼狽していた。
 「セレスティア」
 「えっ?」
 呟きの意味がわからない。
 「セレスティア。君の名前にしようと思う。ロートリッター家に表立って逆らおうとする者はいないはずだ。君を保護する。奴隷としてではなく、私の被保護者として」
 用はすんだという風に、ユリウスは少女を離して背中を向けた。
 「あの……どこに行かれるのですが?」
 突然礼儀正しくなる。媚びると言うより、これが彼女の地なのだろう。
 「湯あみだ。なぜかわずかの間に疲れてしまったからな。湯に入り直す」
 そして、いろいろと考える事があるから、とユリウスは心の中で付け加えた。

 朝早く、まだ日が顔を覗かせた時間にロートリッター邸の門が叩かれた。叩いた主はやっと成熟した身体を得つつあると言った天翼族の女性で、帯剣していた。
 剣は軍人、またはそれに順ずる者にしか持つ事は許されず、そしてこの世界は軍人至上主義であり、軍に入るだけでその社会的身分が跳ね上がる。剣には身分証と言う意味もあった。
 空色の髪をショートカットにした彼女は、イリア・ホワイトスノウという。家名持ちでしかも剣を持つということは、それ相応の敬意を払われる存在である。ただし彼女の場合は「もったいない」という声が多く聞こえるが。それほどの素材なのである。髪を伸ばしドレスを着れば、たちまち絶世の美女という形容を受けるだろう。だが軽快さと威圧感を重視した軍服と短い髪は、イリアを活発な少年のように見せる。眼光が鋭いのもそれに拍車をかけているが。
 「開門を」
 さして大きい声ではない。凛とした、冬の雪山を走るような細い強い声だった。
 「ホワイトスノウ公安官、ご苦労」
 この館の主に出迎えられた瞬間、思わず右手で目を覆った。朝の強い日差しに反射するユリウスの銀髪が眩しかったからだ。
 ユリウスはイリアとは逆に背中までその芸術的な銀髪を伸ばしている。公務の時はむろんそれを躍らせたりはせずまとめて縛っているのだが、今は自然に任せている。
 「そう突っ立っているものではない。他人が見ればどう思うかわかったものではないぞ。私はともかく、君は困るだろう?」
 「いえ、申し訳ありません」
 軽く頭を下げて謝罪する。
 「とは言え、必要ない社交辞令は抜きにしよう。さあ中に」
 「ではお言葉に甘えて」
 イリアの口調がわずかに軽くなった。
 「不思議ね。公務で頻繁に顔を合わせているのに、久しぶりって思うわ」
 「公務以外で顔を合わせていないからな。そのせいだろう。幼なじみを閉ざす門など持ったつもりはないんだがね」
 「私もよユリウス。よろしければ、今夜の食事でもご一緒に?」
 「いや、戦争が起こるらしい。近衛の出番ではないが、一応準待機だ」
 準待機。執務室、待機室、または自宅など容易に存在が確認でき連絡が取れる場所にいるようにとの命令だ。はっきり言って無視しても一向に構わない種類の命令である。しかし無視できるユリウスではない。何より「もしも」の時は近衛の出番なのだ。戦場に立つ感触を楽しみに望んでいる一面もわずかにある。
 「だがまあ、朝食は一緒に出来るんだ。用意はしている」
 「ありがたく頂戴するわ。正直今の今まで調べ物をしていて、お腹が空いているの」
 「やっかいな依頼はすまないと思っているよ。でもこの手の事なら君が適任だ」
 「ええ、そうね」
 勧められるままにイスに身を預ける。パンやスープはすでに温かい湯気を立てて並んでいた。
 「アレン君は?」
 いつも見える鳥翼族の少年をイリアの視線が探す。
 「使いにやっている。どうも我々には朝早くか、夜遅くにしか時間が許されないから」
 「アルの所ね。まあ、いいわ」
 アルはアルトゥールの愛称である。
 特に会いたいわけじゃないから、と心の中だけで繋げる。
 すると台所から一人の人間種族が出てきた。冷やされた紅茶をユリウスとイリアの前に置き、そして自分のぶんを持ってユリウスの隣に座った。
 「無礼」
 その行為を咎めたのはイリアだった。口調がいままでの砕けたものから硬質のものに変わる。
 主と奴隷が同席するなど許されない蛮行だった。万死に値する。人間種族程度が分不相応な行動を。
 イリアが腰のレイピアに手を伸ばす。アルトゥールが集めてくれた多数の剣の中から、ユリウスが選んでくれた物だ。このレイピアは突くだけでなく、良く斬れる。しかも軽いのでイリアが長時間持っていても疲れない。まったくイリアのために存在する剣だった。
 「いいんだ、イリア。セレスティアは奴隷としてここにいるんじゃない。私が保護しているんだ」
 「なお悪いわよ!」
 声が硬質の衝撃となって聞く者を殴りつけた。心理的な意味でなく、物理的に殴られたようにユリウスには感じた。それだけ勢いのある声だった。
 「ユリウス、もう少しロートリッター家当主としての……いいえ、有翼種族としての自覚と責任を持って。そもそもあなたの悪癖ときたら…………」
 イリアはユリウスの有翼種族的でない行為のほとんどすべてを挙げ注意する。悪意はほとんど含まれていない、まるで姉が弟を叱るようなものだが、さすがにユリウスも楽しいわけじゃない。実はつまらなくもないんだが。それでも二人とも食事をしているのは軍に籍を置く者の宿命だろう。前線勤務があればなおさら、何があっても食事をする。空腹では動けない。また時間は無限にあるわけではないのだから。士官学校出身の者は基本的に「優雅な早食い」という特技も身に着ける。先輩連中にこき使われるのは下級生の宿命であり、昼食時間のほぼ大半が削られる。ユリウスは士官学校には通っていないが、上家の者が基本的な礼儀作法を身につけるよう、幼年学校には通っている。イリアに至ってはしっかり士官学校を卒業しているので、ユリウスよりはわずかに「優雅」さが勝っている。

 一通りの非難が終わるまで、ユリウスは辛抱強く待っていた。隣のセレスティアはうろたえ、自分が責任だからと何度か席を立とうとしたのだが、その度にユリウスが手を引いて止める。それの繰り返しだった。
 「……なのよ。わかった」
 「まあ、善処する」
 「本当にお願いよ。あまり私を心配させないで」
 そのセリフを最後にイリアの弾劾は終わった。ちなみに食事はきっちり片付けられている。
 「時間。あなたも遅れないように出仕するのよ。それと……」
 紙の束を一つ、ユリウスに渡す。
 「これが昨日頼まれた資料。じゃあ」
 「ありがとうイリア。恩に着る」
 「ええ」
 そっけない返事をユリウスに、刺す様な視線をセレスティアに向けてイリアは出て行った。すでに日は昇っている。公務が始まる時間だ。
 「あの、ユリウス様」
 「なんだ?」
 「あっ、いいえ。何でもございません」
 ユリウスの声が硬いものに変じていた。イリアを相手にするような軽い調子ではなく。
 「そうか。では、私も出仕する」
 「はい。行ってらっしゃいませ」
 セレスティアには言えなかった。あのイリアさんをお相手するユリウス様は、とてもかわいらしかった、なんて。

 ユリウスに与えられた執務室には十分な広さと機能性があった。無駄な装飾性を排したそれはユリウスのお気に入りだった。実際この中で芸術的な価値を見出そうとすればそれはユリウス自身となるだろう。
 甘めに入れてもらったアップルティーを飲みながら、朝イリアから受け取ったファイルを開く。それにはセレスティアについての前歴が記されていた。そもそも何の用心もなしにただ倒れていた人間種族を保護するのはよろしくない。その背景を知っていれば、何かとこれからの接し方が見えてくる。
 ファイルの最初の一行をユリウスは読んだ。
 『該当する人間種族はある上家の所有物でした』
 これは問題だった。人間種族に人権はない。いわゆる「物」だ。しかし所有者がいる物を許可なく手に入れればそれは犯罪である。
 『所有はアーレフォント家の主。が、この者ははっきり言って嫌な奴です』
 資料全体は客観性に富んでいるのに、この部分だけは感情的な味が濃かった。イリアが感情を吐露する様子をよく知っている――唯一知っている――ユリウスはあまり驚かないが、もし他人が見ればとてもイリアが作った報告書とは思わないだろう。「機翼族のような天翼族」というのがイリアの一般的な形容なのだ。
 アーレフォント家の現当主については、ユリウスも聞き及んでいる。肥え太った変質狂で、血を見なければ眠れないという困った性癖の者だった。しかも若い見目美しい女性を切り刻み、悲鳴と嗚咽に快楽を得る下種である。さすがに有翼種族にその欲望はぶつけられず、多数の奴隷を家に所有している。一日一人の犠牲は決して少ないものでなく、財力はすでに傾いていると言う噂だ。しかしいつまで経っても地下から響く女性の悲鳴は止まらないらしい。
 イリアの報告書には詳細な拷問の方法まで書いてあった。一晩と言う限られた時間でどうやって調べたのか謎だが、それによると女性に媚薬を飲ませて快楽に支配させながら身体を切り刻むというのが今のお気に入りらしい。激痛が快楽へと変じ、理解できない恐怖が精神を狂わして、そして……
 ユリウスは報告書を投げ捨てた。これ以上読む気がしなかったのだ。しかしはっきりした事がある。セレスティアの保護を続けるべきであると言う結論だ。例えどんな非難をあびようとも。

 開かれた戦端はきっかり24時間後収束した。最初の総力戦の後、どちらの司令官もが講和を求めたのだ。
 「一体何の目的があったのだ」
 ユリウスはその報告に吐き捨てたのだった。もっとも、目的はわかっている。突然湧いた発作的な好戦心が身体を突き動かしただけだろう。それを解消するのが目的なだけだ。暇つぶしのついでに運良く得られるのは、この世界の覇権。まあ、その程度のもの。
 ともかく待機状態が解除された。待機任務に従事していた者には無条件に二日の休暇が与えられる。それを有効に使うべきだろう。
 「とっても暇でしたね」
 というアレンの声に二つ返事で同意して、館に戻る。ユリウスの従卒であるアレンも同様に待機任務に従事していたのだ。
 そして日が天の頂に昇った頃、ユリウスはアレンとセレスティアを連れて首都郊外の海の見下ろす丘の上に立つ屋敷に訪れた。
 館の主は門の前で三人を出迎えた。
 「やあユリウス。遠路ようこそ」
 「いや、それほどでもないよ」
 二人は固く握手を交わす。
 主、アルトゥール・イグラムは黒髪の竜翼族。長身で細身だが、それでも力強さを他者に感じさせる。ただ眉目秀麗な顔に笑顔が浮かぶと、まるで威圧感が感じられなくなるのだ。
 「そちらのお嬢さんがロートリッター家の初奴隷と言うわけか。ははは、中々綺麗なものだ。よかったら、俺の所で引き取りたいんだが?」
 「ことわ……」
 断ると言いかけたが、その前にアレンが笑顔でしゃしゃり出た。
 「いえいえ、例えアルトゥール様でも無理でございますよ。ユリウス様はこれを拾ってきたその日に湯殿で抱き合っていたのですよ。私などにはもう目の毒で、よほどお気に入りになったご様子。まあロートリッターの家名が示すところ、このような奴隷を所有するのはむしろ当然と言うものです」
 「でも、あなたの主はそう思っているかしら?」
 空から槍を降らせるような声が柔らかい羽音を従えて落ちて来る。イリアだ。
 「イリアか。久しぶりだな。と、私服姿を見るのは、だが」
 「そうね、アル」
 「まあ、無粋だな。さあ中へ。歓迎の準備は出来ている」
 帯剣を認められている商人アルトゥールは、柔らかに友人たちを誘った。

 文字通りの手厚い歓迎を受けた。アルトゥールが以前軍にいたこともあり、狩人部隊が捕らえてくる奴隷を買い上げて売る奴隷取引にも積極であるためか、この家には奴隷が多い。ほとんどを人間種族に奉仕させていた。
 無礼講の食事会が終わると、ユリウスはアルトゥールを、正確にはイグラム商会を頼りたい事を告げた。アーレフォント家のセレスティアに対する追求を防ぐためにも、今のうちに潰しておきたい。今はまだわからないが、いつの日か逃げ出した女奴隷を突発的に探し出そうとするかもしれないから。
 「わかっている。が、俺はまずイリアのセリフの意図を知りたい。ここに来た時の思わせぶりな言葉、どういう意味だ」
 「簡単な事よ。ユリウスはこの娘、セレスティアを奴隷とは見ていないわ。被保護者だって」
 「何だと!?」
 「何ですって!!」
 アルトゥールとアレン、両方が共にテーブルを叩いて立ち上がった。
 「ユリウス、目を覚ませ。それの意味がわかっているのか?」
 「そうですよ。害悪にしかなりません!!」
 「あの、本人を目の前にそのような事……」
 セレスティアの控えめな主張。だが少なくとも常識的な有翼種族の二人には意味がない。
 『黙っていなさい!』
 二人の声が見事に重なった。
 「は、はいっ」
 ユリウスはため息をついた。隠していても仕方がないが、ここまでとは。
 「ユリウス?」
 イリアが小首を傾げた。
 「わかっている。二人とも、私はセレスティアを奴隷として扱う気はない」
 「まさか、恋愛感情で見ているのではないだろうな?」
 笑顔を消してアルトゥールがユリウスを見やる。
 「情婦として、あるいは召使としてならば問題ない。だが公式見解では、人間種族を黎明動物と呼ぶように、我らは彼らを同列に置いてはいない。それをあえて曲げて彼女を扱うならば、お前の反逆罪を問わねばならない」
 「ユリウス様、どうかロートリッター家の家名を傷つけなさいますな。だった一人の黎明動物に心寄せたとあっては、市中の笑い者ではすみません」
 「君たち……もう少し言い様があるだろうに」
 人間種族をここまで悪し様に述べる必要があるのかユリウスには疑問だった。そもそも人間種族をこちらに駆り立てること自体意味があるとは思えないのだが。人間種族のみならず、有翼種族にも行われる洗脳教育の悪癖が、もう十分浸透しているか。嘆かわしい。
 「それに、みんな勘違いをしている事がある。セレスティアを奴隷として扱う事はないが、だからと言って私は彼女を伴侶にとは考えていない。どうせ適わない事だ」
 「その通りよ。でもユリウス、あなたがどう見ようと、セレスティアが黎明動物である事に変わりはないわ」
 イリアはどこか冷たい。いつも冷たいが――それは遺伝子的な何かがあるに違いないなどとアルトゥールが苦笑混じりに言った事がある――今日は特に冷たい気がする。少なくともユリウス、アルトゥール、イリアの三人がそろった場合、彼女も陽気に笑う存在であったはずだが。
 「まあ、そんな話はどうでもいいさ。ユリウスがどう思うにも関わらず、社会が許さない」
 「アルトゥール様、だんだん機翼族じみてきてますね」
 アレンがクスクス笑いながら言う。
 「やめてくれ。やつらは変だ。無礼ではないが、口少なく無表情。奴らには性欲や食欲や睡眠欲さえも統一しなければ気が済まないんじゃないか? 不健全この上ないぞ」
 「君は欲望の塊みたいな存在だから……」
 ポツリとユリウスが呟くと、部屋を笑いが支配した。たった一人、イリアを除いて。
 張り詰めた雰囲気は消し飛び、皆それぞれの心のままの空気が部屋に満たされた。

 セレスティアは外に出て風に当たっていた。
 あの人の側は心地良い。地下室のかび臭い空気も澱んだ空気も、一緒に連れられてきた同族の悲鳴さえもない場所。そして、ほんのりと温かい何か。
 「これが幸せって言うのかしら」
 「そうかもしれないわね」
 ひんやりと冷たい空気がセレスティアの首筋に当てられた。
 微動だにできない。少しでも動けば殺される。そう思わされる何かがあった。
 「イリア……さん?」
 「名前、覚えててくれたのね。光栄だわ」
 わずかも喜びの感情を言葉に含ませない。首筋に当てられたレイピアがわずかに引かれた。
 「赤い血。これは、私たちと同じ」
 レイピアを鞘に戻し、セレスティアの傷口に手を当てる。するとわずかな温かみと共に傷が癒えていった。魔法と呼ばれる技術はフォルトゥーナ世界にも伝わっている。
 「でも、私たちは決して同列じゃない。それが常識なの。あの人はあえてその常識を無視しているけれど……」
 あの人、という言葉が他のそれに比べてわずかに温かかった。なぜかそれがセレスティアにわかった。
 「もしあなたが、ユリウスに甘えて分不相応な行動を取るなら……消すわ。良いわね」
 氷よりも冷たい言霊をセレスティアに突き刺すと、イリアはイグラム邸の中に消えていった。一度も振り向くことなく。
 その背が消えるまで、セレスティアは視線を外す事が出来ず、そして消えた瞬間、その場に崩れ落ちた。
 
 セレスティアを保護してすでに半年。ロートリッター家は少なくとも平穏だった。セレスティアの過去の所有者、アーレフォント家はすでに没落した。金銭的な問題というのが表向きだが、他者の介入が何かあったと、見る者が見ればわかった。
 ユリウスは黙々と公務をこなし、主上の信任熱き近衛連隊長となっている。だが大きな戦乱も何もなく、物足りない空気も確かにある。
 公務を終えると、家ではセレスティアが温かい食事を用意して待っていてくれる。アレンはユリウスの昇進と共に単なる従卒から、軽装突撃兵団の分隊副官の職を拝命した。職が変われば、行動範囲も違ってくる。最近はユリウスとアレンが同じ空間にいることはほとんどない。アレンはあくまでロートリッター家の家臣であるため、帰ってくる家はロートリッター邸であるが、通う女でもいるのか外泊する事も多かった。
 「静かですね」
 「そうだな」
 アップルティーを飲みながらの二人の会話。夜はいつもこうだった。何をするでもなくお茶を飲み、他愛のない話に興じる。それ以外は何もない、静かな静かな一時。ただ、今日は少しだけ違った。ユリウスが実のある話題を口にしたのだ。
 「少し、この屋敷を空けることになる。君にはそれまで管理を頼みたいのだが……」
 歯切れの悪いユリウスの声。
 「君を一人にする事になるが……その、すまない。勝手な事を」
 「どうしてですか?」
 セレスティアはクスクス笑った。
 「たくさん、迷惑をかけてください。私はそのためにいるんですよ」
 それは真理だ。セレスティアはたった一人の召使い。家を主人に代わり保守管理する事が仕事。だがユリウスは最近、それが正しいのか自信が無くなっているのだ。
 「私は君に迷惑ばかりかけている。頼ってばかりだ」
 「ユリウス様、変ですよ」
 空になったカップに新たなお茶を注ごうと手を伸ばしたセレスティアだったが、突然ユリウスに力強く腕をつかまれて悲鳴を上げた。ガシャン、キャアという音が静かなロートリッター邸に木霊する。
 「ユリウス様、火傷を……」
 割れたティーポットのお湯がユリウスの腕を焼いていた。皮膚を赤くはれ上がらせている。
 「どうでも……良い」
 すぐに水を、と駆け出すセレスティアを許さずそこに留めたまま、ユリウスの緋色の瞳がセレスティアの薄紫色の瞳を射抜く。
 どうしたの、私。
 セレスティアは頬がわずかに熱くなるのを感じた。今までなかった熱さ、温かさ。理解できない心臓の高鳴りが身体中を駆け巡っていく。
 すぐに手を離してほしかった。この高鳴りが彼に知られてしまうのが怖い。その正体は知らないけれど、なぜか恥ずかしい。
 「セレスティア……私は君に迷惑をかけている。だが、君は同じように迷惑をかけてくれない」
 「そんなことは……」
 ありません、とは続けられなかった。それより先にユリウスの強い声が紡ぎ出されたから。
 「私にも迷惑をかけてくれ。構わないから、私の願いだ」
 言った後、ユリウスは「すまない」と断わってからセレスティアの手を離した。
 焼けるように感じる腕のつかまれていた部分を反対の手で覆うと、セレスティアはうっとりと目を細めた。意識しての事ではなく、無意識の仕草だった。
 「……火傷、手当てしませんと。待っていてください」
 奥の部屋に引っ込んで治療道具を探す。魔法医を呼べばあの程度の火傷はすぐに治療できるのだが、夜分遅くでもあるし、それに何となく、セレスティア自身の手で治療したかった。
 「これって、『迷惑』になるかしら」
 頬はまだ、わずかに熱を持っていた。
 
 巨体を雲海に突入させる。
 近衛府に配備されている航空艦は順調に進んでいた。周囲に伴う飛空挺も同様だ。
 「艦」と「艇」の違いは大きい。実際の大きさは、象の大人と子供ほどに違うし、航空艦はまさしく戦闘のために生み出された船であり、各種の武装が目につく。対して飛空挺はあくまで輸送に視点を置いた船だ。
 航空艦の司令長官座に座るのは、ユリウス・ロートリッターである。その参謀兼主席副官として横に立つのはイリア・ホワイトスノウ。次席副官はアレン。その他優秀な若い男女がこの狩人艦隊司令部を構成していた。
 事の発端はユリウスとセレスティアの一件の日。公務も終わりを迎える時間。
 「お呼びでしょうか、将軍」
 決まり文句に心の中で眉をしかめる。呼ばれなければ自分はこんな所には立っていない。しかしユリウスの直属の上司に当たる初老の竜翼族は満足そうに頷いた。そして簡単に用件を伝えられる。
 「『狩り』ですか。……その狩人艦隊の司令長官を務めよ、と?」
 「その通りだよ」
 「ですが私は近衛府の、しかも今だ連隊長の身。司令長官という身分も過分ながら、狩人部隊への配属とはいかな事でしょう?」
 近衛府はあくまで主上の側について伺候するのが任務である。それがフォルトゥーナを離れ、あまつさえ場末の狩人部隊の統率をせよ、とは。ユリウスでなくとも疑問に思うところである。
 「なに、そう考えることもない。そなたはただ椅子に座っているだけでもいいのだ。地上に降りたければ降りれば良い。何をするにも、そなたの自由。失敗するはずのない任務だしの。次の昇進の口実にも使えるだろうて。司令部は自らが人選せよ。以上」
 ユリウスはその光景を思い出してため息をつく。飛び立ってから何度後悔したか。なぜ拒否しなかったか。
 「どうかしたの?」
 イリアが顔だけを向けて問う。任務の時の彼女はいつも直立不動なのだ。
 「何が悲しくてこんなことをしているか、とね。せっかく空中を疾駆する翼を持っているのに、こんな無骨な塊の椅子に座らなければならないか。それに剣を振るうならば互角の相手でなくては興も冷める。抵抗の手段を持たない人間種族など、萎えるだけだ」
 「ですがこれが終われば、ユリウス様は将軍閣下です」
 大きな部隊の雰囲気につけるのも必要かと拾ってきたアレンが言う。ただ、いつもなら太陽さえ霞む如き笑顔を浮かべるはずなのに、それがない。笑顔はある。声も弾んでいる。だが以前とは明らかに違うのだ。ユリウスがその答えを得るのは、もう少し先になる。
 「正直、昇進は望んでいない。上に行けば行くほど、戦場から遠くなっていく気分だ」
 「それ、わがまま」
 イリアの簡潔な言葉。
 「あの、司令長官。ヤボですいませんが、報告です」
 「ああ艦長。どうぞ。でもヤボとはなんだ?」
 「ご自分の胸に聞いてください。えー、先ほどから攻撃を受けてます。地上からです」
 「何ですって!?」
 イリアは顔色を変えて驚いた。ユリウスに向いていた顔を正面に振り向かせる。空色の髪が美しく勢いよく流れた。
 「対地攻撃用意、小口魔道砲群威力行使」
 「待てアレン」
 次席副官の号令をユリウスは止める。
 「艦長、本艦に対してどのような攻撃が行われている?」
 「弓や石ですね」
 「火薬発射式か?」
 「いえ、素手です」
 ユリウスは苦笑した。艦長は報告と同時に噴き出すのを堪えたほどだ。そんな攻撃では外壁の塗料を剥がすくらいしか出来ないだろう。
 「攻撃の必要なし。無視しろ」
 「いえ、攻撃を行うべきです」
 イリアはこんな時でさえ感情を込めない。彼女の言葉だけでいくつもの命が消えていくのに、罪悪感も何も感じないのだ。
 「必要ないと言っている、イリア」
 「ユリウス様は甘い!!」
 これはアレンだ。怒りの感情を売るほど身につけてユリウスに食って掛かる。これにはイリアも驚いた。彼はことユリウスに対しては、このような怒りをぶつけた事は今までなかった。
 「ではアレン。この攻撃で我々は何の被害も受けていない。それに対してこちらは圧倒的な火力で報復攻撃をする。すると他人は地上からの攻撃に我々は恐れをなして急いで排除した、と見られるわけだ。部下を無駄死にさせたと言われるのは大いなる恥辱だが、臆病者の誹りはなおいっそうの恥辱だ。イリア」
 「はい」
 短い返事。司令に答える短い音。こういうものは誰がしても変わらないと思っていたが、ユリウスは考えを改める事にした。イリアの声はこのような返事に向いている。
 「全軍に通信。狩りの始まりだ」
 「了解」

 機翼族の金属を擦る独特の音が空を打った。飛空挺の甲板を次々と蹴りだして大地の上へと飛んでいく。
 機翼族には感情が希薄という以外にも少し特徴がある。それは、何か種族的遺伝子的なトラウマなのか、斧が嫌いということだ。普通の機翼族は見ただけでも背を向けて逃げ出す。さすがに悲鳴を上げたりはしないが、もしかしたら悲鳴を上げる余裕すらないのかもしれない。軍の中で訓練された機翼族は逃げ出す事はないが、決して自ら近づく事も手に取る事もない。今回の出陣に際しても当然ながら、斧を持っている機翼族はいない。それどころか共に出撃する他の有翼種族の中にも、斧を持った戦士はいなかった。同士に対する思いやりなのだろうか。
 地上は、灼熱の戦場と呼ぶには少し抵抗があった。森に火を放ち行動範囲を狭めるのは常套手段だ。肉体を切り刻み噴き出す血の香り。空気を震わす阿鼻叫喚。それらは戦場のものとなんら変わらないのに、感じられる雰囲気が違う。司令官座でそれを見るユリウスは、戦いによって生まれる昂揚感も何もなく、ただ形容しがたい不快感に包まれていた。
 「何をしている君たち! 我々の目的は人間種族を捕らえる事が目的なのだ。無駄に殺す事はない。もうやめよ! 君たちは十分殺したじゃないか!!」

 地上にその声は届いていなかった。いつもは人形のように無表情なある機翼族の戦士は、大きな笑い声を上げながら鎖を振った。それが人間種族の頭に当たると、まるで冗談のように破裂する。脳漿が飛び散り、周囲に生臭い匂いが一瞬だけ漂うのだ。
 今殺された人間種族の肉親なのか、怒りの表情に捕らわれた者が大きな棒を持って戦士の後ろから襲い掛かった。だが戦士は翼でその人間種族を一打ちするだけで、全身の骨すべてを砕き殺してしまった。もともとの潜在能力から、有翼種族と人間種族では開きがあるのだ。
 辺りには、身体を二つに裂かれた者、頭を潰された者、身体中に穴を開けられた者などが転がっていた。すべて事切れ、生命の気配はすでにない。これ以上ない残虐な殺し方を彼らは実践しているのだ。戦場の匂いに酔うのは有翼種族の性。普段発散されないストレスをこの場で晴らしているのだろうか。
 制圧作戦は三時間ほどで終わった。人間種族数百名の集落を有翼種族は制圧し、損害はなし。人間種族のうち、生きて奴隷として捕らえられたのはわずか三十名余りだった。
 ユリウスは狩りに参加したのは初めてだった。この戦場には慣れそうもない。いや、これは戦場ですらない。しかし、止められなかった自分の力不足も悔いていた。なぜならやろうと思えば、自らを地上に投げ出して統率を取ることもできたはずなのだ。だがユリウスは終始、この航空艦を離れる事はなかったのだ。
 「作戦は終了しました。以後、撤収作業を開始します」
 イリアの声をユリウスは聞いていなかった。そしてこれよりフォルトゥーナに戻るまでの指揮は、主席副官たるイリアが代行した。

 「任務ご苦労。まあ、失敗するはずのない任務だけれどもね。この功で、君は将軍だ。おめでとう」
 白髪の混じる竜翼族の将軍は言葉とは裏腹に祝福の表情を上らせる事はなかった。失敗する事のない任務だが、同時に彼はユリウスが失敗する事を望んでいたのだ。自分はもう現役引退を考える時期であるのに対し、ユリウスはまだ若い。三十にもなっていないのだ。それなのに、階級はもうじき同列になる。その狭量さが彼の限界を示しているのだが。
 結局の所、ユリウスの指揮能力その他を問えば、決して「成功」と言える結果ではないのだが、その竜翼族はそこまで知らない。
 ユリウスは終始無言であった。ほぼ放心状態と言っても良い。だが入室時と退出時、簡単な敬礼をする事だけは出来た。そして自分の家に帰ることも。
 「お帰りなさい」
 甘い香りの声。この声を聞くと、何もかもが癒されるような気がする。狩りの任務が終わって初めての帰宅。聞きなれているはずのセレスティアの声が、とても新鮮に聞こえた。
 アレンとイリアはまだ近衛府で残務処理をしている。イリアの事務処理能力はとても優れているが、ユリウスの職務放棄に伴う職権委譲によりイリアが部隊全体の統率をとっており、事務処理は次席副官アレン他の幕僚に任せてもなおイリアには及ばなかった。
 ゆえに今、この屋敷の住人はこの二人だけだった。
 セレスティアはユリウスの目を見て感じた。彼の心の何かが変わった、と。
 「ユリウス様……」
 頭半個分高い位置にあるユリウスの肩にセレスティアは手を添えた。人の温かみが今ユリウスを支配している「何か」を癒す事を知っているから。ただ、それで終わらない、ということは予想していなかった。
 「セレスティア……!」
 手を取り、胸の中に小さなセレスティアの身体を引き寄せる。驚きが隠せない彼女の唇を奪い、ユリウスの舌がセレスティアの舌を蹂躙した。はじめはされるがままだったセレスティアだが、やがてその舌の動きに答え、むしろ自分から貪り始めた。柔らかく、気持ち良い。二人はしばらくの間その感触を楽しみあった。
 やがて静かに離れていった舌と舌を、唾液の銀の橋がわずかの間お互いを繋ぐ。頬を高揚させたセレスティアをユリウスは抱き上げると、寝室へと運んで行った。
 終始、ユリウスは無言だった。その無言がユリウスの傷だとセレスティアは思った。
 重なり合う身体。セレスティアは激しい嬌声を上げて、ユリウスに答えたのだった。

 その日も雨が降っていた。セレスティアと出会ったのも雨の日だった。
 例の如く、このような日に普通の有翼種族たちは家の中に閉じこもっている。そしてユリウスは雨の中の散策をセレスティアと楽しんでいた。
 「もう、半年ですね」
 「そうだな」
 二人の会話は少ない。少なくて十分なのだ、心が通じ合っていれば。
 何度となく身体を重ねて、お互いの愛の深さを確かめ合う。己の快楽を追及するだけでないそれは、有翼種族としては罪にさえなることだった。人間種族は、有翼種族の慰みものでしかないのだから。
 ただ、セレスティアはユリウスからその証となる言葉を聞いた事はない。「愛している」や「好きだ」という言葉を、ユリウスは決して紡がない。その代償が好意に表れているのだとしても、何となく物足りない。
 パシャリ……バシャリバシャリ……バシャリ…………
 ユリウスは身体に緊張をわずかに走らせて、目を細めた。くどいようだが、雨の日に外出するような物好きは、いくら世界が広かろうともユリウスだけであろう。それなのに、自分たち以外の足跡が混ざっているのだ。
 「ユリウス様……?」
 「セレスティア、離れないように」
 腰に手を当てるが、剣はおろか護身具のただ一つさえ身に着けていないことに舌打ちする。そして二人の周りを、十人ばかりの白制服……公安局員が取り囲んだ。その中心に立つのは、威風堂々とした機翼族の下士官。
 「ユリウス・ロートリッター。国家反逆罪を問い、身柄を拘束する。異議があるのであれば、この処置を拒否する事は出来ない。異議申し立ては法務局への文書提出のみ有効とするが、この権利はこの処置を受けた後にしか発動しない。もし拒否するのであれば、容疑を認めた事と解釈しこの場で制圧する」
 機翼族らしい物言いだった。わずかすら感情を滲ませないのはこの場合嫌味である。皮肉気な感情のわずかでもあればかわいいものの。
 「その人間種族はこの場で処分します。有翼種族の中でも格式高いロートリッター家に組み込まれながらも、人間種族としての尊大さをいささかも反省しないその様子、もはや生きる価値なし」
 待て!
 ユリウスは叫ぼうとしたが、白制服たちが剣を抜く音に無駄を悟る。
 「滅」
 雨の一粒一粒を切り裂くように、無数の白刃が閃く。ユリウスはその刃の前に体を投げ出した。銀色の雨粒に、紅の鮮やかさが混じった。その主が新たに生まれた足音を認識する事は、永遠に訪れない。
 ユリウスは身体の至る所から体温が奪われているのを自覚しながら、ゆっくり自分という存在を手放した。

 遅かった。
 イリア・ホワイトスノウは刹那の時間がいかに大切なのかを知った。
 倒れているこの世界で唯一愛した男。その命が永遠に失われる瞬間に立ち会うなんて。自分はそれを妨げるために来たというのに。
 「これはどういうことなの……」
 イリアの声にはわずかに怒りが滲んでいた。天翼族でありながらその気質は機翼族そのものと言われる彼女が、感情に正直になっているのだ。これは、ただユリウスの前でしか見せなかった姿。そしてそのユリウスは、存在をすでに手放している。セレスティアを害する存在の盾となって。自らを生贄に捧げて。
 「我々の処分は正当でありそれを害する……」
 「黙りなさい!!」
 機翼族の、聞くも汚らわしいそれを中断させる。もとより彼の存在など認識してはいないし、さっきの問いは機翼族の下士官に対してではない。
 「これはどういうことなのアレン」
 イリアは腰のレイピアに手をかけて歩く。壁のように立つ機翼族の血に染まった白制服を押しのけ、自分の純白の制服を押し進める。
 彼らに守られるようにそこにいたのは有翼族の少年。ユリウスの従卒を勤めていた忠義厚い臣……だった者。
 「アレン・クロイツェルです。家名をいただいたのですよ。名は正確にね」
 アレンは皮肉気な笑顔を見せた。 
 「簡単な事ですイリア様。……そうでした、昇進なさったのでしたね。おめでとうございます、ホワイトスノウ先任情報士官」
 彼の笑顔でイリアはすべてを察した気持ちになった。
 「ユリウス様は、私たちを裏切っていたのですよ。黎明動物程度に現を抜かし、誇り高い家名に傷をつけたのです。そのような存在はもはや主ではありません。ならば利用するだけの事」
 ユリウスがセレスティアをそばに置いた事自体、イリアは間違いだとは想っていない。だがアレンを、鳥翼族を従卒に置いたのは間違いだった。彼らの上昇精神、そして致命的な飽きっぽさがこんな形で発現してしまうなんて。
 「イリア様、臨機応変に行きましょう。私たちは……」
 「黙りなさい!」
 腰のレイピアが突き出されると貴金属の擦れる音が響いた。アレンの胸を貫くはずのそれは、アレンが避けた事により機翼族の羽を破壊するに至った。
 イリアの剣はまるで踊りの様と例えられる闘舞の剣。前線でも誰一人彼女に触れる事は出来なかった。その剣が多数の同種を切り刻んでいく。
 ただ……一人の存在のために。

 雨の中、有翼族多数死亡。人間種族の組織的な復讐か。あるいは刹那の衝動か。
 あの事件は多くの話題を生んだ。死亡者の中に名門ロートリッター家の主が含まれ、そして彼に後継がいないこともあって。だがその背後を知る者は誰もが口を閉ざす。捜査もほとんど行われなかったため、ただユリウスの名誉を、人間種族を守り家名もない有翼種族に殺されるという不名誉から守るために大量殺人を行ったイリアのことも公にはならなかった。その事を知るのは三人だけ。その場にいたイリアとセレスティア、そしてセレスティアの保護を希望したアルトゥール。
 イグラム商会は帝都以外にも多くの館を持っている。その所有を公にしていない物も多数あり、セレスティアはその一つをあてがわれていた。
 アルトゥールの商才は無類のものだった。何より彼は、商人としては異端とも呼ばれる商業種族、虫翼族との取引により財を築いているのだから。
 虫翼族は普段の生活ではまったく嘘をつかない。だが商売となると別で、彼らは平気で嘘をつく。しかきその嘘は悪質で、上手い。彼らにだまされて巨億の富を一夜にして無に還元した商人もいる。だが彼らの作る工芸品はすばらしく、有翼種族唯一の魔力付与者であったため、危険な冒険をする商人は多い。
 アルトゥールは彼らの嘘を次から次に見抜き、商売を成功させていった。いまは虫翼族にも一目置かれる存在になっており、嘘をつかれる事も少なくなった。
 彼の優秀さは軍事に置いても商事に置いても、また私事に置いても非凡な存在だった。それを経歴が示している。だからこそユリウスは彼を無二の友としていたのだが……
 「ユリウスの死がそのようなものとは」
 ユリウスの死を見取ったセレスティアから秘匿された真実を聞いたアルトゥールは自然うな垂れる事になった。
 「申し訳ありません。私の存在をあなたが恨むのは当然でしょうが」
 「いや、違う」
 アルトゥールは遮った。
 「ただ……あいつに似合わないと思っただけだ。どうせならこの手で殺してやったほうが」
 冗談かともセレスティアは思ったが、アルトゥールの声には本気の色が混じっていた。有翼種族の闘争本能にわずかに触れたのかもしれない。
 「あの……イグラム様はどうして私の保護などを?」
 何となくアルトゥールが正気を失いそうに見えたで、セレスティア話題をこちらに向けた。
 「あ……ああ。まあ、友の頼みだからな」
 と。アルトゥールは一枚の手紙をセレスティアに渡した。その筆跡は彼女の愛した天翼族のもの。わずかだが目頭が潤んで、セレスティアはそれを読んだ。
 ――セレスティアへ
 使い古された表現だが、この手紙を読んでいる今、私はもうこの世にいないのだろう。もし私が生きているうちにこの手紙をアルトゥールが君に見せたのなら……残念ながら我が友のこういうところは信用できないのだ……構わない、彼の耳を思いっきり引っ張ってやれ。あるいは喉もとを撫で擦るのも有効だぞ。彼はそれが苦手だからな。だがまあ、今回ばかりは不本意ながら彼を信用するものとする。
 私は天翼族のみならず、有翼種族全体から見ても変わり者だった。私自身、そうありたいと思っていた。だが私は中途半端だった。殻を破りきる事が出来ず、君にただ一言を述べる事が出来なかった。もし私が過去、君にこれを伝えられたらと悔やまれてならない。もしの世界では、今は変わっていたのかもしれないな。その言葉をここに書き記す。
 「愛している」
 この想いに気がついていながら目をそむけていた自分にいまさらながら腹が立つ。だが、私の想いはつねに君にあった事を知ってほしい。あるいは私が他の有翼種族と恋人関係を作ったとしても、君への愛はむしろ別の、超越的な意味を持つと信じている。
 後の事はアルトゥールに頼るといい。悪いようにはしないはずだ。最後に、我が愛するものよ、その幸福を心より願う。そしてその満たされた心の片隅に私の事をわずかでも止めておいてもらえれば幸いだ――
 「正直俺はユリウスのようにお前を扱う事は出来ない。他の奴隷と同じように扱うだろう。もっとも、俺もユリウスには負けるものの変わり者だ。アーレフォントのばか者のような扱いはもちろんしないし、奴隷とは言っても我が家に仕える家宰だ。給金も弾むし俺の権限が支配する範囲内での完全な自由を約束する」
 「……はい」

 それから三日後。いいかげんこの黒のワンピースも飽きてきたとイリアが思い始めた時だった。
 「セレスティアが逃げ出したですって!」
 アルトゥールは耳を塞いだ。三日目ともなればさすがに慣れるが、しかしイリアに見とれずにはやはりいられない。いつもの軍服のほうがまだしも装飾華美であるにもかかわらず、何の装飾もない黒のワンピースがどれほど彼女に似合っている事だろう。おそらく軍服の華麗さも、もともとのイリアの華麗さに負けているのだ。それならばむしろ今のような、無地で素直な物のほうが彼女を際立たせる。
 「本当だ。まったく身重の状態で、よくこのような発想が出来たものだな」
 「こうなったら情報部のネットワークを使ってでも探し出してやるわ」
 こんなに激しい気性をイリアが表すのは久しぶりだったが、もともとはこちらが彼女の地なのだとアルトゥールは知っている。それにしても、彼女が激しく動くたびに少し短めのスカート部分や、何の心境の変化か半年前からハサミを入れず伸ばしたツインテールが主人の動きにあわせ飛び回る光景はなんともアルトゥールの目を引くものがあった。
 これで想いがユリウスに向いていなければ、無理やりにでも既成事実を作るところだな。
 「何をしているの、探すのよ!」
 「ああ、わかった」
 が、結局二人はイリアを見つける事が出来なかった。捜索に本腰を入れる時間が与えられなかったのだ。それぞれに事件が起きて。

 皓旺宮は天帝の住居であり、軍務政務の中心である。ここにイリアは呼び出された。召還の間に通された彼女は二つの事に驚愕した。一つは、普段は代官が行うはずである召還審問の場になぜか聖翼族の長、天帝ローンクロイスその人がいたのだ。その右に控えるのは軍務総括官オスカー・リーヴァス、左に控えるのは政務総括官リヒト・シュバルツシルトであった。聖翼族の中でも三柱の神とまで呼ばれる存在たちがそこにいた。二つ目は、自分より先に天帝に拝謁している者の存在だ。あの時、ただ一人討ち漏らした憎むべき存在、アレン・クロイツェル。
 腰に手を伸ばし、ここが御前である事に落胆する。レイピアは持っていない。その気になれば武器など使わなくても命の灯火を消す手段は持っているが、イリアは結局後方勤務の人間だ。情報収集と処理の専門家でしかない。対してアレンは確か、軽装突撃兵前衛士官、下級の士官である。経験の差はいかんともしがたい。
 「イリアよ、控えるが良い」
 オスカーにたしなめられ、イリアはアレンの横で膝をついた。
 「さて、イリアよ。実はその者がなにやら面白い事を知っておると言うてな。せっかくじゃからそなたにも聞かせたいと申したので召還した次第じゃ」
 ローンクロイスの声が頭を打つ。おそらくアレンは、ユリウスの不名誉な死のことをこの場で述べるつもりだろう。天帝の耳に入れば……
 ハッとして、イリアはアレンを見た。いかにして彼はこの三柱の神に通じるコネクションを得たのか。ただの前衛士官がオスカーの管理を受けるわけがない。ローンクロイスや軍務に関係のないリヒトに至っては何をいわんや、だ。
 「じゃがの」
 衣擦れの音と共にローンクロイスの指がアレンを指す。そしてそこから伸びた赤い光が一瞬にして彼を真っ二つにした。
 「ひっっ」
 ぶちまけられる脳漿に血液。生暖かい、生臭いそれにイリアは身を引いた。赤い光はなおアレンの五体を寸断し、文字通り彼を肉塊にした。アレンは悲鳴すら口に上らせる事が出来なかった。
 「我らが知らぬとでも思うてか、愚か者め。万死に値する」
 ローンクロイスの打ちのめす声にイリアは震える。この老人は、何でも知っているのだ。きっと、すべてを……
 「イリアよ、そなたの気持ちもわかる。じゃがの、それでは我らが困るのじゃよ。この世界の管理者はそなたではない。我らじゃ」
 アレンと同じように、イリアにもローンクロイスの指が突きつけられた。
 次に訪れる自分の運命を知り、イリアは目を閉じた。
 「人間種族は狩られる存在。有翼種族の快楽の道具。そうでなければならないのじゃよ」

 「お待ちください、アルトゥール様」
 最古参の家宰の女奴隷が言う。黒い軍装のアルトゥールは静かに振り返った。
 「お逃げください。あなた様ならば、身を隠すくらいわけもないはず」
 「なぜ隠れる必要があるのだ?」
 さも不思議そうにアルトゥールは問う。
 「わかっているはずです。イリア様は行方不明となりました。アレン様の訃報も届いております。そして様々な理由をつけての軍への再召集。アルトゥール様は命を狙われております!」
 「とは言え、正式な召還だ。受けねば死罪が待っているだけ」
 涙を流す家宰の頭を撫でる。彼女らにとってアルトゥールは敬愛する主人だった。
 「それに今度は一般兵としてではない。一応士官だ。下士官で除隊したにしては、破格の待遇だろう?」
 「以前は遊撃兵団、最精鋭の一員でしたのに、今回は士官とは言え軽装突撃兵団の前衛士官だそうではないですか。アルトゥール様を使い潰すつもりです」
 「簡単に潰れはしない。必ず戻る。それまで管理を頼むぞ」
 そして二年後のカールマチアス戦役に置いて、アルトゥールは戦死した。

 ある山奥で、一人の女性が麗しい双子を生んだ。一人は純白の羽根を持つ天翼族、もう一人は翼のない人間種族。
 この二人は後に確執とも言うべき種族間差別を解決させるが、それが始まるのはこれより二十の年を数えてから、そしてそれが実を結ぶのにもまた、それよりさらに十の年を数えて後である………………



 あとがき
フォルトゥーナ。今となってはどうしてこんな題なのか忍自身謎です(笑)世界の名前がフォルトゥーナなんだけど、さてもそれだけの意味だったか……。
この作品は、実はある一人の女性に読ませるために作った小説なのですが、結局はホームページに載せることにしました。後も続く作りですが、続きを書くかどうかは決めていません。そもそもたくさんの種類の有翼種族の、様々な性格的特長をおもしろおかしく書いていくつもりだったのですが、それも消化不良気味ですし。
結局は、いつものように中途半端なんですよね……

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