豊中球場

 豊中球場は全国高校野球選手権大会の前身にあたる全国中等学校優勝野球大会の記念すべき第1回大会が行われた野球場である。開設したのは箕面有馬電気軌道。現在の阪急電鉄の前身である。

 箕面有馬電気軌道は1907年に設立され、1910年3月10日に梅田と宝塚を結ぶ宝塚線を開業した。
 その沿線の大阪府豊能郡豊中村に豊中運動場を開設したのが1913年5月1日のことである。
東西150m、南北140mで、総面積約2万m2の大きさであった。一周400mのトラックを有する陸上競技場でもあったため、野球場にすると右翼に比べて中堅と左翼が広かった。周囲を低い煉瓦塀で囲まれて、グラウンドには芝生が敷き詰められた。
 運動場の完成を記念して、箕面有馬電気軌道の創業者・小林一三の母校である慶應義塾大学とアメリカのスタンフォード大学の野球試合が行われた。また秋には大阪毎日新聞社が主催する日本オリンピック大会の陸上競技の会場にも使用された。

 豊中運動場では様々な催物が開催されたが、箕面有馬電気軌道の経営担当者はその利用作として、大阪周辺の中等学校野球の大会を開催する案を大阪朝日新聞社に提案した。そのころの中等学校野球は著しく普及しており、すでに東海五県大会や関西大会といった地域的な大会が各地で開かれていた。
 京都の第三高等学校野球部が自校の校庭で催していた近畿連合野球大会もその一つで、同部員が大阪朝日新聞社京都通信部に京津地区の中等学校野球大会の開催を申し出た。この部員は京都第二中学校の出身であり、当時同中学校は屈強のチームであったので、母校の実力を天下に誇示したいという気持ちもあった。
 この2つの案が持ち込まれた大阪朝日新聞社では検討を重ねた結果、ついに全国的な大会を催すこととなった。これが全国中等学校優勝野球大会である。1915年7月2日付の大阪朝日新聞第1面に「全國優勝野球大會」開催の社告が掲載された。その社告には以下のように書かれていた。

八月中旬を卜し全國各地方の中等學校中より其代表野球團、即ち各地方を代表せりと認むべき野球大會に於ける最優勝校を大阪に聘し豊中グラウンドに於て全國中等學校野球大會を行ひ以て其選手權を争はしめんとす(『大阪朝日新聞』1915年7月2日日刊1面)

 各地区の優勝校を大阪に集めて、豊中球場で全国一位を決めようとするわけである。

 東北から九州に至る全国10地区で、73校による予選が行われ、各地区の優勝校が豊中に集結した。そして1915年8月18日から第1回大会が豊中球場で開かれた。
 豊中球場の一塁と三塁の両側には木製のスタンドが並べられ、天幕とよしずの屋根がめぐらされて、盛夏の中でも涼しく観戦できるように工夫された。また、スタンドの中央(本塁後方)は特別席となり、そこに婦人専用の席が設けられた。ちなみに、第1回大会は京都第二中学校が優勝し、大阪朝日新聞社に申し入れた同校OBの目論見は大当たりとなった。
 有馬箕面電気軌道は全国中等学校優勝野球大会にあわせて大会観覧電車を増発させたほか、特製切符や割引の全線回遊券を発売するなどサービスに努め観客増加をはかった。また、第1日目の試合終了後に大会参加選手一同を宝塚パラダイスに招待して慰労会を催したりもした。

 全国中等学校優勝野球大会は翌1916年も豊中球場で開かれたが、様々な問題が生じてきていた。大会期間中の滞在費は各校の自費であり、主催する大阪朝日新聞社は会期を切りつめたかった。その反面、全国大会として開催する以上は参加校を増やしたかった。しかし、それを実行するには豊中球場では無理であった。また、野球熱が高まる一方で、ファンを球場へ運ぶ有馬箕面電気軌道の電車が少ないことなどもあった。そこで、第3回大会からは鳴尾球場に移されることとなった。
 全国中等学校優勝野球大会が鳴尾に移された後も、豊中運動場は関西を代表するグラウンドとして野球や陸上競技の大会が開かれた。極東オリンピックの陸上競技(1917年)、第1回日本フットボール大会(ラグビー及びサッカー)、日本オリンピック(1918年)の会場となり、多くのスポーツファンを集めた。

 
しかしながら、1918年2月に箕面有馬電気軌道は阪神急行電鉄と改称し、宝塚を一大レジャーゾーンとして拡充する計画が持ち上がってきた。そして1922年に規模も設備も豊中運動場を上回る宝塚運動場が完成すると、豊中運動場がそれまで果たしてきた役割が宝塚運動場に移され、閉鎖された。その後、豊中運動場の跡地は住宅地として開発された。
 豊中運動場の跡地は現在の豊中市玉井町3丁目にあたる。玉井町の一角には「全国高等学校野球選手権大会発祥の地」という標注が、地元豊中市によって建てられた。また、1988年には全国高校野球選手権大会が第70回を迎えたのを記念して、豊中運動場の跡地横に「高校野球メモリアルパーク」が朝日新聞社、日本高校野球連盟、豊中市によって建設された。

参考文献
阪急ブレーブス・阪急電鉄株式会社編(1987):『阪急ブレーブス五十年史』株式会社阪急ブレーブス・阪急電鉄株式会社,426p.
朝日新聞百年史編修委員会編(1991):『朝日新聞社史 大正・昭和戦前編』朝日新聞社,659+23p.

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