永遠の旅人

キューピー/DIANA様(QPHOUSE) 作








 朝、目が覚めて少女は、今日は特別な日だ、と噛み締めながらベッドを出た。
 クローゼットから、お気に入りの白いブラウスと水色のスカートを取り出し、身に着ける。自慢の栗色の髪をブラシで梳かし、白いリボンを後ろに一つ止める。きゃしゃな白い靴下にちょっとおしゃれな赤い靴。
 階下の食堂で朝食を摂ると、彼女はすぐに席を立ち、肩には黒地に赤系統の糸で花を縫い取りしたストールを羽織る。
 「母さん、行って来ます」
 「どこへ行くの、リナ? おめかしして?」
 「うん。人に会うの」

 「あらまぁ? デート? いつのまにボーイフレンドなんか?」
 「そんなんじゃないわよ。古いお友達に会うの」
 「そう、お昼までには帰っていらっしゃい」
 「そうする」
 リナは靴音も軽やかに町中の石敷きの通りを抜け、南の門から街道に入り、緩やかに登道を辿って木々に囲まれた尾根に出る。
 そこで、道端に立つ木の幹にもたれて、風にざわめく木々の葉の音を聞きながら、待っていた。その人が来るのを――

 ――来た。約束通りに……
 リナの視線の先、ちょうど町とは反対の方向から、街道を一人の男が歩いて来る。白いフードを目深に被り、白いマントに身を包んでいるが、その肩につもったほこりが、男の旅路の長さを窺わせる。それでも、男の足取りは軽い。尾根に立つリナの姿を見とめると、その足は一層速くなった。
 「こんにちは。元気そうね、ゼルガディス」
 「ああ……リナも元気そうだな」
 「ええ、相変わらず、ね」
 旧友にしては味気ない挨拶を交わし、二人は街道から脇道を通り、小川のほとりで並んで岩に腰を下ろした。
 「……それにしても驚いた」
 ゼルガディスがリナを見詰めて言う。
 「なあに?」
 「この五年、君がどう成長しているかいろいろ想像したが……こんなに美しくなっているとは……」
 「あら、ありがとう」
 リナはお愛想ではない笑顔をゼルガディスに向けた。しばらくその笑みに惹きつけられたゼルガディスは、やがて、ゆっくりとした動作でフードを取る。その陰から現われたのは、陽光に輝く金属の髪と、硬質な艶やかさを見せる青黒い肌。
 人ならぬその姿であっても、目鼻立ちの端正さは疑いようも無く、さらに、その目に宿る強い意志と情熱の光に、リナも目を奪われていた。
 「この言葉を君に告げる日が来るのをどれほど待ったことか……リナ、君はもう十七歳になった。俺の妻となって俺と一緒に来てくれないか」
 いっとき、返答は無く、ただ、小川の水音と風になぶられる木の葉のざわめきだけがその場を占める。
 やがて。
 リナはゆっくりと首を横に振った。
 ゼルガディスの口から、深いため息が漏れる。
 「……やはり、五年という月日は長いか……誰か恋人でも?」
 「ううん……そうじゃないわ」
 「では……もう一度考えてみてくれないか? 俺の運命は君にかかっている」
 「……それはよく知っているわ……」
 リナはこの五年、ゼルガディスが語ったことを一日たりとも忘れなかった。

   ★   ★   ★   ★   ★

 「俺のこの姿はいわば烙印だ」
 街外れの森で初めて出くわした時、リナはその男の姿を見ても叫ぶことも逃げることも無く、かといって物珍しげに見詰めるでも無く、昔からの知り合いと遊ぶように振舞っていた。そんな彼女にゼルガディスは自分の過去を語って聞かせた。
 「俺は若い頃から魔道と剣を学んでいたが、もうこれ以上、修得する呪文がない、とわかった時、分不相応な力を求め、結果的に神を冒涜したとみなされた。天は俺に、この姿で永遠にこの世界をさ迷い続けることを課した。唯一の救いは、一人の女性が俺に永遠の愛を誓って俺の妻となることなんだ。その時、俺はこの呪わしい運命から解放され、元の姿に戻って人々と一緒に暮らせるようになる」
 この世に、天罰として放浪の運命を担わされた男の話は、『永遠の旅人』の伝説として知られている。リナもそれは聞いたことがあった。
 「じゃあ、あたしが永遠の愛を誓ってあげる」
 無邪気なリナの言葉に、ゼルガディスはその栗色の髪を片手でクシャリと撫でる。
 「それはありがたいが……君は俺の妻になるにはまだちょっと若過ぎる。君の身近で十二かそこらで結婚した娘はいるまい?」
 「……あ、そうか……じゃあ、十五になったらいい?」
 「残念ながら、俺は同じ場所には五年以上の月日を開けてでないと近づくことはできない。しかも一箇所には一日しか留まれないんだ」
 「じゃあ、ゼルは毎日毎日、違う土地に移って行かなければならないの?」
 「そうだ……」
 「大変ね……」
 リナは膝を抱えて俯いた。しばらくそのままでいたが、その様子を見ていたゼルガディスがそっと少女の肩を抱いてこう言った。
 「五年後にまた、ここに来ていいだろうか? その時には、君は十七歳。十分に結婚できる年齢になっている。五年経ったら、君の前に現われて君に結婚を申し込みたい。それまで……」
 言いかけてゼルガディスは黙り込み、やがて続けた。
 「いや、五年間、君の気持ちを縛り付けることはできない。君も大人になる。俺のような愚か者への同情よりも、もっと純粋な恋愛をした方がいいだろう。だから、君は俺へ永遠の愛を誓うことを義務のようには思わないで居てくれ。ただ、五年後にまたここで会うことだけ、約束して欲しい」
 「うん!あなたこそ、約束、忘れないでよ!」

   ★   ★   ★   ★   ★

 そして約束の五年目の日、ゼルガディスは戻って来た。
 リナと別れて以来、彼はほかの女性から永遠の愛を誓ってもらうことなど眼中に無く、その意味でゼルガディスは五年という月日を棒に振ったと言える。
 そして、思い描いていた以上に美しく成長したリナに出会い、自分の運命のことなどどうでもよく、ただ、彼女の愛を欲しいと願ってプロポーズしたのだが……
 年月とは残酷なものだ……
 「ねえ、ゼル。あなた、あたしがあなたを嫌いになって断っていると思っているでしょう?」
 「……仕方が無いさ。これほど美しくなったんだ。男たちが放っておくわけはない。俺のような異形の者より、普通の男が良くなるのは当たり前だ」
 ぺしぃぃぃぃんっ!
 いきなりの衝撃にゼルガディスは大きくバランスを崩して、腰を下ろしていた岩から転げ落ちるところだった。驚いて振り返った彼の鼻先に、リナは手に持ったスリッパを突きつける。
 「なっ……何だ? それは?」

 「スリッパよ! 見れば分かるでしょう!」
 「それは分かる! しかし、そのスリッパがどうしてここで出て来る?」

 「きっとあなたは勝手に解釈して落ち込むだろうと思ったから! だからどついて目を覚まさせるために家から持って来たのよ!」
 「……わ……わざわざ?」
 「そうよっ! だって、あたし、あなたを好きになったんですもの! 子供のような好意じゃないわ。心底、あなたが好きなのよ!」
 「!」
 思いもよらない言葉に、ゼルガディスは目を見開き、口もぽかんと開けた間の抜けた表情で固まってしまった。
 リナはスリッパを引っ込め、改めて腰を下ろした岩の上で居ずまいを直すと、自分自身に言い聞かせるように話し始める。
 「この五年、あたし、ずっとあなたのことを考えて来たわ。あなたの身体にかけられたのは天の呪いでしょう? じゃあ、その呪いを解くにはどうしたらいいのか。あなたは誰か女性があなたに永遠の愛を誓って結婚することだ、と言ったけれど、それがどうして解呪に繋がるのか、詳しく知りたくて魔法や呪術の勉強もしたわ」
 ようやく硬直が解けたゼルガディスは、リナが魔法を勉強したというのに、少し眉間にしわを寄せた。
 「毎日毎日、あなたを想って暮らして来たの。そしてあなたが帰って来る日が近づいて来たら……あたし、気がついたの。あたしは、今のあなたが好きなんだ、って」
 「今の……俺? それは……」
 リナは少し上目づかいにゼルガディスを見詰める。
 「ごめんなさい。怒られることは覚悟しているわ。でも、あたし、今みたいに、熱意と信念のこもった目をして放浪しているあなたが好きなの。あなたが、穏やかな目をしてひとところに落ち着く姿を見たいとは思わないのよ」
 「…………」
 ゼルガディスはリナの目に見入った。探るように。問い掛けるように。
 リナもゼルガディスの目を見返す。訴えるように。祈るように。
 時が止まったように見詰め合う時間を絶ったのはゼルガディスの方だった。静かに目を伏せて視線を逸らすと、腰を下ろしていた岩から立ち上がる。
 「どこへ行くの?」
 「君に断られた以上、ここに留まる意味は無い。またいつもの旅に出るさ……」
 同じように立ち上がって何か言おうとするリナを制して。
 「俺はいかに俺が浅はかだったか、を思い知ったんだ。君はこの五年、俺のことを毎日考えて来た、と言った。そのために魔道の勉強まで……果たして俺はそれに見合うだけの想いを抱き続けてきたのだろうか? いいや、違う。俺はただ、君に永遠の愛を誓ってもらって人間の身体を取り戻し、君を妻にすることだけを考えていた……自分のことだけを。俺はそんな自分を恥じている」
 「……じゃあ、あたしがあなたを本当に好きだっていうことは分かってくれたのね」
 銀色の髪が前後に揺れる。
 「ありがとう。今、俺は幸福だ。君の愛に答えたいが、俺にできることは少ない。君が好きなのが、旅をしている俺だというのなら、俺はまた旅に出る。それくらいしか自分の想いを表すことができない情けない男だが……五年後にまた会いたい」
 すぱぁぁぁぁぁんっ!
 「……っ?」
 再び、リナのスリッパがゼルガディスの後頭部に直撃した。
 「どうして発想を変えられないのよ! どうしてあたしと五年後にしか会えない、と決めつけるのよ! 一度は神に立てついたんでしょう? だったら今度は神を欺くことぐらい考えなさいよ! あたしの気持ちに答えたいのなら!」
 「な……! 何だって!」
 一度、自分の過ちに手ひどい報いを受けているゼルガディスには、リナの言い分はあまりに大胆だった。
 「あなたは一箇所の土地には五年ごとにしか近づけない。そう言ったわよね?」
 「そ……そうだ」
 「じゃあ、あたしがここを出て、別の都市に行ったら? あなたが次に行く町を知らせてくれたら、あたしはそこへ行くわ。それなら会えるでしょう?」
 「…………!」
 確かにそうだ。同じ町へ近づくことはできないが、旅の道連れのように同じ人間と数日一緒に行動したこともある。
 「だが……それでは君もしょっちゅう旅をすることになるが……」
 「あたしはもう十七歳よ。身を守る魔道だって身につけたわ。家族も、あたしが旅に出ることはいろいろ勉強になるだろうって賛成してくれているの」
 「……と、いうことは……?」
 リナは両手を腰に当て、まっすぐにゼルガディスを見上げた。
 「五年も待つことはないわ。あたしはすぐに旅に出て、あなたと同じ道を行く。あたしの好きなあなたの姿を、いつも見ていられるように」
 天にも上る心地でゼルガディスは目を見開いた。
 が。
 「君は、今の姿の俺が好きだ、と言ったが……だとすると、そういう姿の俺と一緒に旅をする、ということか?」
 今度は栗色の髪が前後に揺れた。
 再び、ゼルガディスの口から深いため息が漏れる。
 「……それは、俺にとってとても辛いことだが……だが、君が望むならそうしよう。俺ももっと君のことを知りたいし、一緒に旅をすればよく分かるだろうから」
 「ありがとう! 分かってくれて!」
 リナは初めて、ゼルガディスの胸に飛び込んだ。
 柔らかい身体と滑らかな髪に触れて、ゼルガディスの中で攻撃的な欲望が渦巻く。それを抑えながら、リナの髪をなで、彼はしばらく彼女を抱き締めていた。
 「……それで、いつ旅立つ? まさか、今日、これからすぐ、というわけにもいくまい?」
 「そうね……明日の早朝がいいわ。今夜は家族と過ごしたいし。明日の早朝なら、まだここにいられるんでしょう?」
 「ああ、そうだ。……向かう先に、行ってみたいところはあるか?」
 「ゼルが行きたいところでいいわ……」
 すでに世界を何周もしているゼルガディスには、特に行きたい所はないが、ここからさほど遠くもなく、さりとて滅多に行ける場所でもない町を幾つか思い浮かべ。
 「では……そうだな、ヴェゼンディあたりではどうだ?」
 「うん! いいわ!」
 小さな肢体が離れようとする瞬間、ゼルガディスはしっかりと彼女を抱き締め、見上げてくる顔に覆い被さる。
 「放して……」
 「キスだけだ……嫌か?」
 「……ごめんなさい」
 逃れようもない熱い視線に抵抗して、リナは固く目を閉じる。
 ゼルガディスは彼女の頬に唇を寄せて、もう一度抱き締めてから、ようやくその華奢な身体を放した。
 「また明日」
 「……また明日」
 恥じらいか、怯えか、リナの声は小さかった。
 (まだ子供だな……この程度でも刺激が強いか……)
 ゼルガディスはいたわるように彼女の髪をクシャリとなでた。五年前、そうしたように。
 「子供扱いしないで!」
 怒った声に苦笑して、ゼルガディスはもう一度、彼女の髪にキスをした。
 真っ赤な顔をして、リナは逃げるように、突然、空に舞い上がる。
 それを見て、ゼルガディスはたまげてしまった。彼も魔道を使うし、一時期、自分にかけられた呪いを解く方法が他にないか、と研究したこともある。そんな彼でさえ、飛行術を見るのは初めてだった。それはとりもなおさず、リナの魔道の知識と実力が、桁外れであることを意味する。
 (下手に手を出したら、しっぺ返しがキツいかも……)
 宙で一旦止まった彼女を見上げていると、その茶色の瞳がきらめいている。思わず、ゼルガディスは片手を挙げて手を振った。リナも手を振って挨拶し、家へ飛びかえって行く。
 二人とも口に出しては言わなかったが、明日から始まる二人だけの旅の喜びに満ち溢れていた。そして何より、相手が自分と同じように喜んでいることを知り、幸福だったのだ。
 『永遠の旅人』の伝説が終わる日はそう遠くはない――