字(あざな) 〜三国志のマメ知識〜

 人名には3つの種類がある。姓と名と字(あざな)だ。
 劉備だと姓は「劉」、名は「備」、字は「玄徳」となる。諸葛亮は姓は「諸葛」、名は「亮」、字は「孔明」となる。
 基本的に「劉備玄徳」のように姓名字を書くことはない。書くと作家の田中芳樹に怒られる。

 中国では名は気安く呼んではいけないと言う考えがあり、名の替わりに字を呼ぶ事になっている。
 幼なじみのような親しい間柄では字で呼びあう。普通の付き合いなら姓に官職名をつけて呼ぶ。典韋であれば典校尉と呼ぶだろうし、許チョなら許将軍だろう。
 名で呼ぶのは互いに首を狙い合う間柄になる。ただし、文章では基本的に名を使う。

「孝」の精神を大切にする当時の社会では、親の名を呼ばれる事を嫌っていたらしい。また、皇帝の名も大事で気安く使う事はできなかったそうだ。
 三国志では「秀才」を「茂才」と書いている。これは後漢を起こした光武帝が劉秀と言う名前だったからだ。そうなると、理屈では漢が滅んでからは「秀才」を使うようになったはずなのだが、どうなのだろう。
 そうなると蜀では劉備が皇帝となるので「備」の字は使わなかったはずである。軍備とか準備とかを気楽に言えず結構大変だったのではないだろうか。
(02/12/8)

 字は名に関係したものをつける事が多い。
「三国志 きらめく群像(高島俊男)」によれば、曹操の字「孟徳」は『荀子』の勧学篇にある「徳操」にを名と字にわけて長男を意味する「孟」をつけたもので、諸葛亮は『説文』の『亮は明なり』を名と字に分けて「孔(大いに)」をつけたそうだ。


 そうなると関羽は「雲長」で飛ぶことに関連した文字に、もとの字「長生」から「長」だけを持ってきたのだろう(この人は改名しています)。
 趙雲も飛ぶことに関連し「子龍」としたのだろう。「子」は、兄弟が字をそろえたいときによく使うようだ。なにか理由がありそうだが、まだわかりません。

 ちなみに曹操の息子は、曹昴(子脩)、曹丕(子桓)、曹彰(子文)、曹植(子建)、曹峻(子安)、と字に「子」つく者が多い。
 ただ、曹沖(倉舒)、曹宇(彭祖)、曹彪(朱虎)などは字に「子」がつかない。残りの子は字が伝わっていない。
 ついでだが、曹操の従弟、曹仁(子孝)、曹純(子和)、曹洪(子廉)も字に「子」がついている。
 彼らは従弟(いとこ)とあるが、曹操の子供の世代と判断されているようだ。
 なお、曹仁は曹操より13歳年下である
 ちなみに曹操の族子、曹真(子丹)も字に「子」がつく。

 字のつけ方で有名なのが「伯・仲・叔・季」の法則で、それぞれ「長男・次男・三男・四男」の字につけられることが多い。
 例えば長男には、孫策(伯符)、陸遜(伯言)、姜維(伯約)、司馬朗(伯達)などがいる。
 次男には司馬懿(仲達)、許チョ(仲康)、董卓(仲穎)、孫権(仲謀)などがいる。
 三男は董旻(叔穎)、諸葛融(叔長)、司馬孚(叔達)などがいる。あ、ちなみに董卓の弟と、諸葛瑾の三男と、司馬懿の弟です。
 四男には馬良(季常)、劉璋(季玉)などがいる。

 たぶん、五男は「幼」で馬謖(幼常)や周泰(幼平)は五男なのだろう。
 それと長男には「孟」も多く使われる。曹操(孟徳)や馬超(孟起)などがそうだ。
 また、二番目には「公」とつける場合もある。周瑜(公瑾)や袁術(公路)や徐晃(公明)などがそうだ。

 ちょっと面白いのが諸葛喬だ。彼は諸葛瑾の次男なので「仲真」という字だったが、諸葛亮の養子になり長男になったので字も「伯松」とかえている。
 実父や義父ににて生真面目な性格だったのだろう。
(03/5/26)
「公」について追加(05/2/5)

「伯・仲・叔・季」について修正。
 これらの字は「長男・次男・三男・四男」に付けられると書いたが、やや間違っているので修正する。
 上で曹操の子の世代について書いたが、当時は父方のいとこは同じ世代とみなし兄弟と同等に扱うことが多い。
 つまり、「仲・叔・季」がついても、必ずしも「次男・三男・四男」では無い。
 鍾毓と鍾会は鍾ヨウの長男と次男だが、字は「稚叔」と「士季」だ。(「世説新語 著・劉義慶 訳・森三樹三郎」和訳注)  おそらく鍾毓の兄弟の子が先に二人生まれていたため、繰りさがって「叔・季」を使ったのだろう。

 高島俊男「中国の大盗賊・完全版」に次の文がある。
『「季」というのは単に「末っ子」ということであって、「字」いうほどのものじゃない。高祖の長兄は「伯」、次兄は「仲」というのであるが、これも「一番上の子」「二番目の子」ということにすぎない。』
 つまり、三番目から先は状況に合わせて使っているようだ。
「季」が「末っ子」ならば、「幼」は「あまりっ子」だろうか。

 司馬の八達として有名な、司馬八人兄弟の字は晋書によれば以下の通りだ。
 司馬朗(伯達)、司馬懿(仲達)、司馬孚(叔達)、司馬馗(季達)、司馬恂(顕達)、司馬進(惠達)、司馬通(雅達)、司馬敏(幼達)
 ここでは「季」は四番目として使われ、「幼」で止まっている。

 週刊少年マガジンで連載中の「覇王の剣」では二番目に多い字として「公」が上がっていた。
 袁術(公路)の例もあるので、信頼しても良さそうだ。
 周瑜(公瑾)は「正史 三国志7」の和訳注の家系図をみると、名が伝わっていない兄と「周崇」「周忠」と言う いとこがいる。こちらも二番目と考えていいだろう。

 また、一番目には「元」がつく傾向もありそうだ。
 弟がいることが確認できた人物を以下に示す。
 韋康(元将)は弟に韋誕(仲将)、夏侯惇(元譲)は弟に夏侯廉(字は不明)、司馬師(子元)は弟に司馬昭(子上)、顧雍(元歎)は弟に顧徽(子歎)、諸葛恪(元遜)は弟に諸葛喬(仲真)と諸葛融(叔長)、陳登(元龍)には弟が三人いる。
 また、曹丕の長子・曹叡も字が「元仲」だ。でも、この人って「元」なの、「仲」なの?

「元」について確信はもてないが、一番目と考えてもよいのではないだろうか。
 つまりホウ統(士元)や徐庶(元直)も長男だと思われる。もちろん、断言はできないし、しない。


 姓名字について

 例外的に姓名字を書いている例もある。
 三国志演義の古い版である「弘治本・三國志通俗演義」の作者名は次のように書かれている。

『晋 平陽候 陳壽 史傳
 後學 羅本貫中 編次』

 晋代の平陽候である陳寿が歴史・伝記を書き、後に羅本(字は貫中)が編集したという意味だ。
 ここで、羅貫中は姓名字をまとめて書いている。
 作者の署名として、姓名字をまとめて書いた例だ。陳寿は字の「承祚」が書かれていないので、署名としても特殊な例かもしれない。
 どちらにしても、話し言葉としては姓名字をまとめて言ったりしません。

「弘治本・三國志通俗演義」の写真は「歴史群像【中国戦史】シリーズ 真 三國志 一 」と「三国志演義の世界(著:金 文京)」に載っています。
(05/2/5)

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