水に囚われた少女の見る夢は

 

水に囚われた少女の見る夢は

 

微かな空気の弾ける音に、僕の意識は混濁から引きずり出された。
目を開けて、その音源を探る。
音は、君が大事にしている水槽のポンプからのものだった。
僕は、君を起こさないようにベッドから抜け出して、まるで誘われるように、その水槽の前に行った。

ただ延々と水を循環させ続けるポンプを眺めながら、僕は君の部屋にいた。
薄暗い部屋。
閉め切られたカーテンは、星明りさえ入り込むことを許さない。
唯一の光源は、部屋の壁全てを埋め尽くす水槽の蛍光灯だけだった。
そのひどく人工臭のする明かりは、部屋を仄青く沈ませ、まるで無音の水底に沈んでいるように錯覚させた。

僕は数ある水槽の中から、一番近くにあったものの前に行き、そこに腰を下ろした。
人の手によって造られた空間を、流線型の住人達が行き来する。
その動きは、とてもなめらかだ。
水中で行動するために、生まれてきた彼ら。
その身は豊か過ぎる水草に度々隠されて、僕の視界からよく消えた。
真夏の青草のように豊かに茂った水草は、君の自慢の品だ。

透明なガラスに囲われた空間。
空虚な気体ではなく、確かな液体である、水に満たされた世界。
水槽(あそこ)から見える世界は一体どんな風なのだろう。
彼らは、何を思っているのだろう。

「何、してるの…?」
不意に耳に響いた、君の声。
少し、かすれてる。
君は眠たげに眼をこすりながら、僕の方を見ている。
「別に。ちょっとぼんやりしてただけ」
「そう」
頷いてから、君はベッドから降りて僕の隣にきた。座る時にふわっ、とほんの微かに漂った汗の匂いが、さっきまでの激しい情事を思い出させ、僕をほんの少し動揺させた。
「また、水草の種類増えた?この間まではもう少し空間が空いてたと思うんだけど」
それを悟られたくなくて、僕は君の注意を水槽に向けさせた。でも君は寝起きが悪いから、そんなことをしなくても僕の変化は見破られなかったはずだ、と後になって気付いた。
「うん…あの辺、寂しかったから…」
言いながら、緩慢に指で示す。まだ半分夢の世界に浸かったままの君は、まるで水中を漂っているみたいだ。
眼が、水のように揺らめいている。
「そっ、か…」
それは、僕が一番好きな君。

水槽の住人達は、まるで眠りなど知らないかのように動き続けている。
白銀色の小魚が、キラリとその身を輝かせて、消えた。
「水槽、って…どんな世界だろ…」
君が、まるで夢遊病者のように呟いた。眼は、水槽を見たままだ。
その言葉に、いつか君が言っていたことを思い出す。
ガラスで、隔てられたいと。
ずっと水にいたいと。
その君の言葉を、僕は今も解からないでいる。

どんなに言葉を交わしても、
どんなに肌を重ねても、
君は決してこちらの世界に来ようとしない。
ずっと、君の意識は、この水槽しかない部屋に在る。
それでも、僕は。

「好きだよ」

君にそう告げる。でも君の意識はやっぱり水槽にしかなくて。
僕の声は水の膜に遮られて、君には届かなかった。

「ガラス、割らないで…。死んじゃうから…」

僕を自分で造ったガラス壁で遠ざけながら、君は怯えるみたいに言った。
そう、君は水槽の住人なんだ。
そこでしか、生きていけない。
僕とは、生きていけない。
解っている。
だから。

「―――」

僕は君を好きになったんだ。

循環装置の壊れた、時さえ動かない君の部屋。
空気ではなく水の気配に支配された、この異質な場所で、

僕らは、ガラス越しにキスをした。

(終)