ドラメモリアル

ここでは「ドラえもん」に関する僕のエッセーを中心としたものを載せています。


序文 〜青い空はポケットさ〜

 ある作品がシリーズとなって年数を重ねて行けば、どの時期の作品が一番素晴らしいか、という事に関して意見が分かれるのは必然的な事だと思う。で、それは当然「ドラえもん」にも存在している。
 それは具体的に言えば、初期のドタバタに代表されるギャグ主体の話と、中期以降に目立ってきたほのぼの、ハートフル路線に関しての事である。それぞれの支持者達は、勿論自分が支持している作風のドラえもんは支持してきたが、逆に自分たちの気に入らない作風のドラえもんに対してはかなり厳しい意見をいうこともしばしばだし、もっと露骨な形でけなす事もあるという。
 しかしいつまでもこの様な状況が続くのはいい事ではない。作風に違いはあれど、作品の中で描いてきた事は作者が同じである以上、不変のものであるはずだからだ。作品を別々のものとして考えるのではなく、「ドラえもん」という作品をトータルに見つめる事が重要ではないか、と僕は思うのだ。
 アニメの歌曲の中に「青い空はポケットさ」というものがあり、その歌の最初の一節はこうなっている。『あおいそらはポケットさ しあわせつつむポケットさ』。ドラえもんの身体は青い。ドラえもんとは、僕達が思う「作品へのあらゆる想い」をすべて包みこんでしまう「青い空のポケット」そのものなのではないか。僕達は自分一人の考えに固執することなく、ドラえもんというポケットに包みこまれた全ての想いを考えていかなければならないのだ。


出会い 〜低学年期〜

 僕はドラえもんとの明確な出会いを記憶していない。なぜなら物心ついたときには既に家にはてんコミ7巻までが置いてあり、アニメも毎週見ていたからだ。つまり当時の僕にとっては「ドラえもんを読む」とか「ドラえもんを見る」というのは生理現象と同じくらい、当然のことだった。
 初めて観に行った映画は「魔界大冒険」だった。「海底鬼岩城」はテレビで見た記憶があるが、それはうろ覚えである。当時は「パーマン」や「忍者ハットリくん」もやっており、藤子アニメ全盛期の頃だった。だが正直アニメそのものはあまりよく覚えていない。途中で出るエンドロールがやけに印象に残っている。もちろん主題歌など全然覚えていない。今パンフレットを見ると、小泉今日子の歌だったにもかかわらず、歌詞が掲載されていない。不思議なものだ。
 ドラえもんは好きであったが、幼稚園や学校ではあまり話題にはならなかった。幼稚園の時は当時再放送していた「ウルトラマンA」や「ウルトラセブン」などのウルトラマンシリーズに夢中になっており、小学生になるとみんなの注目はファミコンに移った。
 この頃、知り合いの家に遊びに行った時、そこに置いてあったてんコミをいくつか読む。そのため、16巻ぐらいまでは話の内容をある程度把握していた。ついでに言えば「FFランド」もこの頃発売だが、さすがに毎週買うだけのお金などはないので、それは最初から眼中に入れていなかったが、ただ一つ、「ドラえもん道具カタログ」というやつだけは買った。結構面白かったが、なんか文章は好きではなかったので、早々に行方不明になってしまったと思う。コロタン文庫の「ドラえもん全百科」シリーズの方が、いろんな道具を知ることが出来て面白かった。
 小二の頃、ファミコンで「ドラえもん」が出る。もちろん購入して一気にクリアした。「海底編」が厄介だったがそれでもクリア。今でも時々プレイする、楽しい作品だった。
 そう言えば、「海底鬼岩城」のカラーコミックスみたいなヤツを昔持っていたけれど、てんコミ版を買ったのを期に捨ててしまった。今考えるとすごく残念。でもそのおかげで初出時とてんコミ版の違いは今でもよくわかる。でもよく考えれば、物の価値観が全く違う子供時代から物を取っとけ、っていっても無理な話だよなあ…。
 確か学習雑誌内で、「秘密道具コンテスト」とかいう物をやっていたのはこの時期だったと思う。最優秀賞はかの有名な「ミニドラ」なのだが、僕が送ったのは今思い出しても赤面してしまうほどのバカらしい道具なので、ここでは書かない(笑)。


完全なる目覚め 〜高学年期〜

 いつの頃からか僕は「映画ドラは小学生の間しか見にいかない」と思うようになり、そういう意味では「アニマル惑星」が劇場で見た最後のドラ映画という事になる。正直、「竜の騎士」以降は大長編にも面白みを感じられなくなっており、あまり見にいきたいとは思わなくなっていた。今考えると失礼な話だ。もっとも、劇場には今でも行っていないのだが(笑)。
 竜の騎士の連載が一時休止になったことは全く知らなかった。かなり後、と言うか最近になって知ったので(笑)、このようなことになっていたことに驚いた。今思うと、そのためにあのような「最終回」の噂が流れたような気もする。あの噂は当然学校でも話題になり、サザエさんの方の噂と一緒になって、結構本気になっていた連中もいた。僕はもちろん否定していたが、噂が広まっていた当時はドラのコミックスですらあまり持っていなかったので、強く否定できなかった事が悔やまれる。未だにあれを信じている奴もいるのかなあ。だったら嫌だなあ。
 さすがに学校でドラの話題が出てくることはほとんど無かったが、「パオパオチャンネル」上で放送されていた「藤子不二雄劇場」でのドラは結構話題になることがあった。小さい頃に見たやつの再放送ばかりだったからだろうか。今思うと古き良き時代を偲ばせる、良い時代だったと思う。
 そのパオパオチャンネルで「ドラえもん博士大賞」というものが三度開かれたが、僕は応募もしなかった。たぶん恥ずかしさがあったのだと思うが、今になって情報を集めると、応募しなくて良かったと思う。僕は伝説の名作「ドラえもん百科」を持っていなかったので、もし出たとしても、本選に残る事は出来なかっただろう。
 小学六年のとき、急にドラを全巻集めようと思い立った。理由は・・・・思い出せない(笑)。何故かはわからないが、とにかく集めようと思い立ち、その当時に出ているコミックスの収集作業に入った。しかし唯一にして絶対の問題がそこには存在していた。それはいうまでも無く、「資金」である(笑)。小学生の月々の小遣いではとてもじゃないが足りないので、僕は当時入会していた「進研ゼミ」の「赤ペン先生」に目をつけた。これは一科目ごとに百点を取ると、百円分の図書券をくれたのだ。全部満点ならば一気に四百円!別に驚く額でもないが、その他家の手伝いなんかをして金を稼いだが、結局全てそろえたは中学生になってからだった。
 コミックス集めには色々苦慮したが、この時期の苦労と、手に入れたコミックスが今となっては僕の巨大な財産になっている。人生ってわからないですね。
 同じ頃、ファミコンで「ギガゾンビの逆襲」が出る。これは面白かった。私見ではゲームドラベスト1だと思う。やはり音楽が面白かった。特に海底編と地底編は今でも好きだ。システムはドラクエっぽいけど、それもまた良し。


円熟 〜中学期〜

 映画こそ見に行かなくなったものの、コロコロコミックは中二の頃まで買い集めていたので、ドラビアンナイトあたりまでは原作を読んでいた。しかし次第にコロコロ自体を買うのが面倒になってきたし、当時ロックマンのマンガ連載が始まったこともあって、僕の興味はボンボンの方に移っていったため、コロコロは立ち読みで済ませるようになってきた。だから一応、雲の王国が絵物語になってしまったことは知っていた。さすがにショックだったが、次の年ではきちんと連載が再開していたので、とりあえずは一安心という具合であった。
 さすがに中学や高校の頃になると、学校でドラえもんの話題をすることはほとんどなく、たまに例の最終回の噂が話題の時に、僕が参加する具合であった。もう既に僕がドラに詳しいことは有名だったので、「ドラでわからないことがあれば、とりあえずあいつに聞け」と言う風潮もあった。今では考えられないが、少なくとも今の大学の自治会内では、そういった感覚でまかり通っている。
 スーファミの「妖精の国」は中三の頃、中古で買った。「ギガゾンビの逆襲」と比べると明らかにパワーダウンしている。はっきり言ってつまらなかった。だから「2」以降は買ってない。この時の期待はずれが大きすぎて、未だに64版にもPS版にも手を出せずにいる。
 中学三年の頃、国語の授業の一環でディベートをすることになったのだが、最初の議題は親しみやすいものから始めると言う理由で、「ドラえもんの主役はドラかのび太か」と言うものになった。こういう議題ならば僕の独壇場だ(笑)。と言っても、さすが国語の授業だけあって、最近のテレビ討論番組のように無意味に論を戦わせて、ややもすると罵詈雑言まで飛び出してしまうような、そんなものではない。きちんと意見発表、意見討論、傍聴者の意見や質問と、きっちりとやるべきことが決まっていた。
 で、僕は「のび太」側についた。本来は「ドラえもん」派なのだが、当時の先生の「逆の立場に立って考えることも大切」という意見を尊重して、敢えて逆の立場になった。確かにその立場になってコミックスを読み返してみると、いろいろ新しい観点が見えてくる。今にして思うと、この時に学んだ「作品の様々な見方」が、僕の作品評論の原点のように思う。肝心のディベートだが、あまりにもルールがきっちりしていたために、あまり自由な意見を話すことが出来なかった。それでも傍聴者の中で、最初ドラ派だった人がのび太派へと考えを変えてくれた時は、自分の意見が通じたのだなと嬉しくなったものだ。逆に許せないのは、ドラ派の代表者として出てきた三人のうちの女。代表者として出張って来たくせに、最後の意見で「私はマンガをそう読んでいないので、そんなことは知らないんですけど」などとぬかしやがった。だったらそんなところに出てくんなっつーの。何様だってんだ、てめーは。


ショック 〜高校期〜

 高校生ともなると、あまりドラに関する思い出はなくなる。僕はグッズを集めるような人間ではないので、単行本が45巻まで出揃ってしまった時点でドラに対する興味を失ってしまっていた。それでもちゃんとテレビで放送される映画は見ていたのだが。
 高校生の時に怒った最大の事件と言えば、やはり「藤子・F・不二雄先生他界」だろう。前述のようにマンガ世界からもほとんど完全に離れていた僕にとって、このニュースはまさに青天の霹靂だった。初めてその事を知ったのは、9月24日の朝刊だったか、夕刊だったか。朝に読んだのか学校から帰ってきてから読んだのかも憶えていないが、読んだ瞬間にショックを受けた。さすがに涙こそ流さなかったものの、自分の親が死んだかのような悲しみを覚えた。同時にやはりドラえもんの行く末も気にかかった。
 F先生他界の報は業界のみならず、日本全体を揺るがしたようで、日本中でいろんな噂や風説が乱れ飛ぶことになった。今となっては当時の噂が全部ウソだということもわかるけど、当時の僕は一部の噂を信じてしまっていた。それは「F先生は生前、話のプロットをたくさん遺していた」というもの。だからその頃は「とりあえず映画は続くんだな」と安心したものだったが、後にそれが風説だったことを知ってがっかりした記憶がある。
 その年の大晦日の紅白歌合戦では、ドラえもんのキャラクターのコスプレをした俳優陣が寸劇を披露していた。確か歌合戦のテーマに沿ったものだと思うけど、今調べてみるとSMAPの中居がスネ夫、松田聖子がしずかだったらしい。よく憶えてはいないが、これを見てF先生がこの世からいなくなってしまったことをさらに実感した記憶がある。そんなわけで「ねじ巻き都市冒険記」は劇場まで見に行こうかと思っていたのだが、結局行かずじまいだった。まあ遺作とはいえ、行かなくて良かったと後で思うようになるのだが。


さなぎの時期 〜浪人―大学一年〜

 ものの見事に大学受験は全滅し、僕は浪人として勉強する事にしたが、それでももちろん遊びまくった。しかしドラに関してはあまり僕の中で重要な位置を占めることは既になくなっていた。原作コミックスもすべて揃え、大長編コミックスで手に入れていないものがいくつかあったものの、もはやあまり魅力を感じなくなっていた。これは今でも変わらない見解だが、やはり何だかんだ言ってもF先生の死と共にドラえもんは確実に「終わった」のである。だからそれ以降も続けるアニメや映画には正直歯がゆい思いを抱いていた。ここまでして続けても何の意味もないではないか。F先生の原作に触れなければ意味がないのに、アニメや映画がその役割を果たし、なおかつアニメや映画独自の個性を強烈に打ち出しているとはどうにも思えなかった。
 そんな中、97年の12月に面白い本が発売された。今ではもはや入門書扱いの小学館文庫「ド・ラ・カルト」である。朝の新聞広告で「ドラえもん」の字が載っているだけでそこに注目してしまったのだから、ここまで来るとマニアとしての血がそうさせているとしか思えないね。で、早速予備校をサボってそれを購入して読みふけった。はっきり言って驚かされる事ばかりだった。買う前は謎本のたぐいと一緒なのではないかと思っていたが、その内容の濃さに驚嘆した。同時に僕の知らない事がたくさん書かれており、いかに僕が井戸の中のカエルだったかを思い知らされた気がする(そこまで自惚れてはいなかったけど)。当時は「「ドラミちゃん」というマンガがあった」とか「ドラの最終回は三つある」という事さえまったく知らなかったのだ。何でも知ってるふりして大人ぶって現状を批判していた自分という人間の小ささをこの時に思い知らされてしまったのだ。
 こんな事もあって、僕は再び原作を一から読み直し始めた。受験の時期はすぐそこまで迫ってきているのにである(笑)。この時の感覚、そして感想が後にHPに少しだけ生かされているのである。
 しかし大学に入学しても新しい状況が発生する事はなく、僕も何かを行動するということはなかった。映画も公開されていたのは無論知っていたけど、行く事はなかった。この判断は約一年後のテレビ放映のたびに間違っていなかったと確信を深める事になるわけだが(笑)。そして大学二年になってから、僕は劇的に目覚める事になる。


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