2003_05_14

資料集

  1. 孫文の見た日露戦争勝利に沸くアラビア人
  2. 日本兵の骨を持ち帰る米兵
  3. マギー神父
  4. リンドバーグ日記にみる日本兵と米兵
  5. 百人斬りの記事
  6. アメリカ人によって書かれた正反対の記事

孫文の見た日露戦争勝利に沸くアラビア人

 三十年前日本は不平等条約を排除して独立国となった時に、日本に非常に接近して居る民族・国家は大なる影響を受けたことは受けましたが、アジア諸民族をして全体的にそれ程大なる感動を受けさせることが出来なかったのであります。然し乍ら、それより十年を過ぎて日露戦争が起り、其の結果日本が露国に勝ち、日本人が露西亜人に勝ちました。これは最近数百年に於ける亜細亜民族の欧州人に対する最初の勝利であったのであります。此の日本の勝利は全アジアで影響を及ぼし、アジア全体の諸民族は皆有頂天になり、そして極めて大きな希望を抱くに至ったのであります。此の事に付て私が親しく見ました或る日東郷大将が露国の海軍を敗った、露西亜が新に欧州より浦塩に派遣した艦隊は、日本海に於て全滅したと言うことを聞きました。此の報道が欧州に伝わるや全欧州の人民は恰も父母を失った如くに悲しみに憂えたのであります。英国は日本と同盟国でありましたが、此の消息を知った英国の大多数は何れも眉を顰め、日本が斯くの如き大勝利を博したことは決して白人種の幸福を意味するものではないと思ったのであります。これは正に英語でBlood is thicker than water(血は水より濃い)という観念であります。暫くして私は船でアジアに帰ることになり、スエズ運河を通ります時に、沢山の土人が、其の土人はアラビア人であったようですが、私が黄色人種でありますのを見て、非常に喜び勇んだ様子で私に〈お前は日本人か〉と問いかけました。私は〈そうではない。私は中国人だ。何かあったのか、どうしてそんなに喜んで居るのか〉と問いましたところ、彼等の答えは〈俺達は今度の非常に喜ばしいニュースを得た。何でも日本はロシアが新に欧州より派遣した海軍を全滅させたと言うことを聞いた。この話は本当か。俺達はこの運河の両側に居て、ロシアの負傷兵が船毎に欧州に送還されて行くのを見た。これは必定ロシアが大敗した一風景だと思う。以前我々東洋の有色民族は何れも西洋民族の圧迫を受けて苦痛を嘗めて居て、全く浮かぶ瀬がないと諦めて居たが、今度日本がロシアに打ち勝った。俺達はそれを東洋民族が西洋民族を打敗ったと見なすのだ。日本人が勝った。俺達はその勝利を俺達自身の勝利と同様に見るのだ。これこそこおどりして喜ぶべきことなのだ。だから俺達はこんなに喜んで居る、こんなに喜んで居るのだ〉と言うことでありました。

「大アジア主義」一九二四年一二月二十四日神戸高等女学校において神戸商業会議所外五団体におこなった講演  『孫文選集』一九六六年

                                          橋川文三『黄禍物語』より抜粋

日本兵の骨を持ち帰る米兵

天人怒る鬼畜の米兵 英霊の神骨を冒涜 紙切ナイフ作って大統領へ贈る
【チューリッヒ二日発同盟】
 ガダルカナル島戦闘以来米国兵の残虐性については亜欧戦線において幾多の実例がみられるが、ワシントン情報によれば最近米国内において目下太平洋戦線に出動中の米軍兵が記念品として不埒にも戦死した日本軍将兵の頭蓋骨その他の骨を本国に送付した事実があり死体冒とくの理由で米国内でも重大問題となっているといわれる。即ちミズリー州のカトリック教大司教管区内の一教徒が友人の家の子供が南太平洋戦線に従軍中の兄から送ってきた日本人の頭蓋骨を玩具にしているのを見て、その旨教会へ通知したのが端緒となり死体冒涜問題が重大化するに至った。更にワシントン・メリ・ゴーラウンドの執筆者としてまた政界通として知られるドリュー・ピアソンもペンシルヴァニア州選出下院議員フランシス・ウォルターがルーズヴェルトに太平洋戦線で戦死した日本兵の白骨で作った紙切小刀を送った事実を暴露しており同様の事例は枚挙に遑がない様子である。なおミズリー州のカトリック教会は太平洋戦線の兵隊から記念品として日本兵の頭蓋骨やその他の骨を貰いうけることについて米人に厳重警告したが、同教会の機関週報『アーチ・ディオシイス』誌は教会の掟は〈邪悪な目的をもって死体を冒とくすることを禁じている〉ことを宣言し次の通りに述べた〈死後人間の身体に当然払われるべき節義として頭蓋骨は適当に埋葬されなければならない、この国においてはいずれが敵の身体の一部であるという事実に差別をつけない〉この週報の警告は友達の家の小さい子供達が南太平洋から兄が送って来た日本人の頭蓋骨を玩具にしていたことを知らせた手紙に対する回答であった。

米に『首狩時代』再現 /独外務省 髑髏写真を披露
【ベルリン四日発同盟】
 アメリカ雑誌ライフの五月号に掲載された問題の日本兵頭蓋骨写真は早くもドイツ外務省の入手するところとなり四日の外国新聞記者団会見に披露された。その写真はアメリカの一少女が机の上におかれた人間の頭蓋骨を眺めているところを撮影したもので写真の説明に曰く
 これは日本兵の髑髏でアメリカ兵が記念品としてこの少女に送って来たものだ。彼女は今この髑髏の寄贈に御礼の手紙を書こうとしている。
とあり、ドイツ外務省当局はこの写真を披露するとともにつぎの見解を発表した。
 かかることはドイツ人の考え方をもってしては到底想像もつかぬことでアメリカの道義が如何に頽廃しているかをもっとも明らかに示すものといえよう。正に〈首狩り時代)の再現である。アメリカが往昔の食人時代に復帰していることを物語るものにほかならない。

右のライフに掲載された写真がミズリー州カトリック教機関週報アーチ・ディオシースの取り上げた事件と同一のものであるか否かは判明しないがこの外にドリュー・ピアソンの暴露した〈紙切ナイフ〉事件もあり以上から推察すると日本兵の神聖なる死体を冒涜する蛮行は正にドイツ当局の指摘する通りアメリカが〈首狩り時代の昔に還って〉アメリカ国民間の流行となっていることを物語るものとして見てよかろう。

『信濃毎日新聞』昭和十九年八月四日                橋川文三『黄禍物語』より抜粋                                           

マギー神父

坂西志保(前ワシントン図書館東洋部長)

(前略)その後工藤さん(前東日ロンドン支局長)の仰しゃったようにリメンバー・パールハーバーを盛んに使った。南京で支那人が殺されたという宣教師の報告を使って、アメリカ人に向って日本に敗ければお前たちは丁度支那人が南京で遭ったと同じような目に遭うから敗けてはならぬ。敗けたら大変だ。殊に一番宣伝の効いた点は、ドイツ人は同じく敵人だけれども、白色人種であるから大体自分たちと同型であって、殊にアメリカあたりはドイツ系の人が非常に多いから、何をしてもやることが分かっている。大体見当がつく。ところが日本人は今まで非常に馬鹿にされておったところへ持ってきて、今度は大変なことをやりだしたのですからして、さぁ大変だ、何をやるか分からぬ、そういう考えが非常に国民の間に強い。それをアメリカは盛んに宣伝して、日本人は元来非常に残虐性があるのであって、彼らは猿と人間との中間のような動物で、何をやるか分からない、恐ろしいからしっかりしろということで、また人民もそれをすっかり信じてしまっている。

座談会「敵の銃後・味方の銃後」『少女の友』昭和十八年二月号    橋川文三『黄禍物語』より抜粋                                           

リンドバーグ日記にみる日本兵と米兵

  六月二十一日 水曜日

 合衆国軍、シェルブールを孤立化させる。ドイツの対英ロケット爆撃が続く。

 日本軍兵士殺害に関する将軍の話  数週間前のことだが、最前線のさる技術科軍曹が、もう二年以上も太平洋地域で戦闘部隊と行動を共にしながら、ついぞ実践に参加した経験がなく・・・・・帰国する前にせめて一人だけでも日本兵を殺したいと不平を漏らした。軍曹は敵の地域内に侵入する偵察任務に誘われた。
 軍曹は撃つべき日本兵を見つけられなかったが、偵察隊は一人の日本兵を捕虜にした。今こそ日本兵を殺すチャンスだと、その捕虜は軍曹の前に引き立てられた。
 「しかし、俺はこいつを殺せないよ! やつは捕虜なんだ。無抵抗だ」
 「ちぇっ、戦争だぜ。野郎の殺し方を教えてやらあ」
 偵察隊の一人が日本兵に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めた途端に、日本兵の頭部に腕が巻きつき、喉元が「一方の耳元から片方の耳元まで切り裂かれた」のだった。
 このやり方全体は、話をしてくれた将軍の全面的な是認を受けていた。私がそのやり方に反対し、どうしても捕虜を殺さねばならないのなら疚しくない、蛮行に非ざる方法に訴えるべきだと主張すると、私は悠然たる侮蔑と哀れみの態度に接した。「野郎どもがわれわれにやったことだ。やつらを扱うたった一つの方法さ」
 

  六月二十六日 月曜日

・・・・小屋の壁の一つに、絹地の日本国旗が三枚かかげてあった。日本軍兵士の死体から取ったものだという。その一枚は記念品として十ポンド(三十三ドル)の値打ちがあると、ある将校は説明した。日本軍将校の軍刀を所持する男は二百五十ポンドなら譲ってもよいと言った。談たまたま捕虜のこと、日本軍将兵の捕虜が少ないという点に及ぶ。「捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることができる」と、将校の一人が答えた。「ところが、わが方の連中は捕虜をとりたがらないのだ」
 「*******では二千人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった百か二百だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう」  「あるいは両手を挙げて出て来たのに撃ち殺されたのではね」と、別の将校が調子を合わせる。
 「たとえば***隊だが、かなり残酷なやり方で切り刻まれている隊員の遺体を発見した。それ以来、連中は日本兵をさほど多く捕虜にしなくなったと考えて間違いない」
 話は次いで空中戦や落下傘脱出に移る。一座の操縦士は一人残らず、落下傘で降下中のパイロットを撃ち殺して差し支えないと主張した。「これも、最初はジャップの方からやり出した。やつらがその手を使いたければ、われわれにだって同じ手が使えるということだ」落下傘にぶらさがったまま、日本軍に撃ち殺されたアメリカ軍パイロットの話が幾つか披露された。

  七月二十一日 金曜日

 ・・・・激しい砲火は樹木の枝葉をもぎとり、尾根そのものは稜線がくっきりと青空に浮かび上がるほどになっている。オウィ島に来て以来、昼夜を分かたず、この日本軍の強力な拠点に間断なく加える砲撃の轟きが海上を伝って届く。今日の午後、断崖の上に佇み(発疹チフスに罹る恐れもあるので地面にはとても坐れぬ)、砲撃が尾根に撃ち込まれるのを眺めやった。もう何週間も、二百五十名から七百名の間と推定されるいわば一握りの日本軍は圧倒的な強敵に対して、また充分に補給された火器が撃てる限りの猛砲撃にも、その拠点を死守し続けて来たのだ。

 仮に攻守ところを変えて、わが方の部隊がかくも勇敢に立派に拠点を死守したのであれば、この防衛戦はわが国の歴史上、不撓不屈と勇気と犠牲的精神との最も栄光ある実例の一つとして記録されたに相違ない。が、安全でかなり贅沢な将校クラブに坐しながら、これらの日本軍を「黄色いやつばら」と表現するアメリカ人将校の言に耳を傾けねばならないのである。彼らの欲求は日本兵を無慈悲に、むごたらしく皆殺しにすることなのだ。オウィ島に来て以来、敵に対する畏敬の言葉も同情の言葉も聞いた憶えは全くない。

 自分が最も気にしているのは、わが将校の側にある殺戮の欲望ではない。それは戦争に固有なものである。問題は敵の尊敬に値する特質にさえ敬意を払う心を欠いていることだ・・・・・・勇気、艱難、死、信念に殉ずる覚悟、卓越した訓練と装備にもかかわらず次々と殲滅されて行く部隊等に対し敬意を払う心が全くない。われわれには勇敢な行為であっても、彼らがそれを示すと狂信的な行為ということになる。われわれは声を限りに彼らの残虐行為をいちいち数え立てるが、その一方では自らの残虐行為を包み隠し、ただ単なる報復措置として多目に見ようとする。

 アメリカの兵の首を斬り落とす日本兵は”どぶネズミ以下”の東洋流の蛮行だ。日本兵の喉下を切り裂くアメリカ兵は「ジャップが戦友に同じような真似をしたのを知っていたからこそ、同じようなことをやってのけたまでの話だ。」東洋流の残虐行為がしばしばわれわれのそれより極悪であることを問題にしているのではない。結局のところ、われわれは自分にも、また耳を傾けてくれる人たちにも、われわれがあらゆる”善”と文明の擁護者だと絶えず言い聞かせてきたと言うことでもある。

 私は突っ立ったまま、密林の焼け焦げた跡や、日本軍が身を隠している洞窟と思しき断崖の黒点を眺めやる。あの焼けただれた地域の地表下に極度の苦悶が隠されているのだ・・・・飢餓、絶望、そして死体や死に瀕した男たち。ただ祖国愛と信ずるもののために耐え、よしんば心底で望んだとしても敢えて投降しようとはしない。なぜならば両手を挙げて洞窟から出ても、アメリカ兵が見つけ次第、射殺するであろうことは火を見るよりも明らかなのだから。

 しかし、われわれは彼らに爆撃を加えて洞窟からいぶり出さねばならぬ。戦争だからである。もしわれわれが彼らを殺さねば、われわれが投降の可能性を無くしたが故に彼らはわれわれを殺すであろう。それにしても、われわれがもし日本兵の遺体の歯をもぎとったり、ブルドーザーで遺体を穴の中に押しやり、浚った土をかぶせたりする代わりに、人間にふさわしい埋葬を営んでやることが出来るのであれば、私はわが国民性にもっと敬愛の心を抱けたに相違ない。ブルドーザーで片付けたあとは墓標もたてずに、こう言うのである。「これが黄色いやつばらを始末するたった一つの手さ」と。

  七月二十二日 土曜日

・・・・今朝爆撃された地域に関する報告が入って来る。爆撃、砲撃に続いて歩兵部隊が出動した。彼らは「一弾も撃たずに」同地域を占領した・・・・ある洞窟では日本兵の死体が約四十個も発見され、「それよりかなり多数の身体の一部分」が散乱していた。わずかな生存者は茫然自失の状態で坐るか横になっているかして、アメリカ兵を目にしても身じろぎさえしなかった。第一報では一名だけ捕虜にしたとあったが、後刻、歩兵部隊の佐官将校が私に語ったところによれば、「一名も捕虜にとらなかった」という。「うちの兵隊ときたら全然、捕虜をとりたがらないのだ」

  七月二十四日 月曜日

・・・・丘の斜面を降りていくと、峠に差しかかる。そこには一人の日本軍将校と、十人か十二人の日本軍兵士の死体が、切り刻まれた人体だけが見せるような身の毛のよだつ姿勢で四肢を伸ばしたまま、横たわっていた。彼らは峠の防衛戦で倒れ、死体は埋めずに放っておかれたのである。戦闘は数週間前に行われたので、熱帯地の暑気と蟻とがそれぞれの働きをなしていた。頭蓋骨を覆うわずかな肉片だけが残っている。ある場所では一個の遺体に二つの首が並んでいるかと思えば、他の場所では遺体に首が無かった。なかには四肢がばらばらになり、身体のかけらしか残っておらぬ死体もあった。そして同行の将校が言ったように、「歩兵はお得意の商売にとりかかったようだ」つまり、戦利品として金歯をことごとくもぎとったというのである。

 洞窟郡へたどり着くまでには山道を横切り、もう一つの丘を登らねばならぬ。山道の片側にある爆弾で出来た穴の縁を通り過ぎる。穴の底には五人か六人の日本兵の死体が横たわり、わが軍がその上から放り込んだトラック一台分の残飯や廃物で半ば埋もれていた。同胞が今日ほど恥ずかしかったことは無い。敵を殺す、これは理解できる。戦争の欠くべからざる要素だ。敵を殺戮する最も効果的ないかなる方法も正当化されるだろう。しかし、わが同胞が拷問によって敵を殺害し、敵の遺体を爆弾で出来た穴に投げ込んだ上、残飯や廃物を放り込むところまで堕落するとは実に胸くそが悪くなる。丘を登りつめるまでに、われわれはもっと多くの日本軍将兵の死体をまたいで歩かねばならなかった。どうやら日本の海兵隊員に違いない・・・・・

  七月二十六日 水曜日

 夕食後、マクガイヤ少佐と車で、日本軍の使用していた洞窟がある近くの断崖の麓へ・・・・断崖の三分の二のところに大きな入り口があり、周辺の珊瑚石灰岩は爆弾の跡だらけ。険しい小途を登り、日本軍の補給物資集積所や数十個の砲弾の薬莢、アメリカ製火焔放射器のホースと思われる物品等の横を通り過ぎる。付近のあらゆる樹木は裂け、枝の葉がもぎとられている。洞窟の入り口では日本製の壊れた機関銃が数挺、弾薬が数箱、衣服の切端などが転がっていた。入り口を入ったところで、日本兵の死体に出くわした。直立不動の姿勢のまま、縄で柱に縛りつけられてあった。

  八月六日 日曜日

 ・・・・テントの中央には掲示板があり、告知事項や情報部の各地図が掲げてある。片隅の黒板には出動要員の操縦士一覧表、使用機種、飛行命令等が張り出してある。黒板の下方にはチョークで横臥ヌードが描いてあった。真上から日本兵の白く光るシャレコウベが吊り下げてあった。

  八月十一日 金曜日

 「たとえば第四二連隊だ。連中は捕虜を取らないことにしている。兵どもはそれを自慢にしているのだ」
 「将校連は尋問するために捕虜を欲しがる。ところが、捕虜一名に付きシドニーへ二週間の休暇を与えるというお触れを出さない限り、捕虜が一人も手に入らない。お触れが出た途端に持て余すほどの捕虜が手に入るのだ」
 「しかし、いざ休暇の懸賞を取り消すと、捕虜は一人も入ってこなくなる。兵どもはただ、一人もつかまらなかったよとうそぶくだけなんだ」
 「オーストラリア軍の連中はもっとひどい。日本軍の捕虜を輸送機で南の方に送らねばならなくなったときの話を覚えているかね?あるパイロットなど、僕にこういったものだ。捕虜を機上から山中に突き落とし、ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告しただけの話さ」
 「例の日本軍の野戦病院を占領したときの話を知っているかね。わが軍が通り抜けたとき生存者は一人ものこさなかったそうだ」
 「ニップスも、われわれに同じことをやってのけたのだからね」
 「オーストラリア軍ばかりを責めるわけにはいかない。性器を切り取られたり、ステーキ用に肉を切り取られたりした戦友の遺体を発見しているのだ。」
 「オーストラリア軍はジャップが本当に人肉を料理していた場所を占領したことがある。」  

  八月十四日 月曜日

・・・・戦闘飛行連隊管制班の連中が自発的にパトロールを実施し、相当数の”ニップス”を殺したと将校達は語る。そのリーダー格は管制班に所属するチェロキー・インディアンの混血であった。「連中はちょいちょい、自分たちで殺したジャップの大腿骨を持ち帰り、それでペン・ホルダーとかペーパー・ナイフとかいったような品を造っている」当地の将校達は、P47の行動半径内に日本軍の抵抗がないと腿肉の嘆をかこっている。

  八月二十七日 日曜日

 ・・・・地面の至るところに弾薬箱が散乱し、アメリカ軍の墓地ができている。白い十字架が立つ墓地もあった。墓標前の土盛りには海兵隊の鉄兜が置いてある。日本軍将兵・・・・数千人の墓地には墓標らしきものさえ立っておらぬ。死体はブルドーザーがさらって穴の中に放り込み、その同じブルドーザーがかき集めた石灰岩で上から蔽ったのである。島が小さかったので、敵の死体さえ埋めねばならなかったということだ!

  九月九日 土曜日

 ・・・・アメリカ軍の戦死者は個別的に埋葬されたが、日本軍の戦死体はトラックに積み込み、ブルドーザーが掘り返した大きな穴に放り込んだ。原住民が主として死体の処理に当たり、彼らは多くの死体を”臭気”で見つけ出したそうである。  将校の話によれば、穴の中の遺体を「ブルドーザーにかける」前に、何人かの海兵隊員が遺体の間に分け入り、ポケットを探ったり、金歯探しに棒で口をこじ開けたりした。金歯を仕舞い込む子袋を持っている海兵隊員さえいた。その将校はさらに耳や鼻を切り落とされている日本軍の戦死体を幾つか見たとも言った。「平が耳や鼻を切り取るのは、面白半分に仲間に見せびらかすためか、乾燥させて帰還するときに持ち帰るためですよ。日本兵の生首を持っている海兵隊員まで見つけましてね。頭蓋骨にこびりつく肉片を蟻に食わせようとしていたのですが、悪臭が強くなりすぎたので、首を取り上げねばなりませんでした」行く先々で聞かされる似たり寄ったりの話だ。

チャールズ・リンドバーグ 新庄哲夫訳 『孤高の鷲 リンドバーグ第二次世界大戦参戦記 上・下』 学研M文庫

百人斬りの記事

東京日日新聞 

昭和十二年十一月三十日の記事  
(常州にて二九日、浅海、光本、安田特派員発)
常熟、無錫間の四十キロを六日間で踏破した○○部隊の快速はこれと同一の距離の無錫、常州間をたった三日間で突破した。まさに神速、快進撃、その第一線に立つ片桐部隊に『百人斬り競争』を企てた二名の青年将校がある。無錫出発後、早くも一人は五十六人斬り、一人は二五人斬りを果たしたといふ。一人は高山部隊向井敏明少尉(二六)=山口県玖珂郡上代村出身=。一人は同じ部隊野田毅少尉(二五)=鹿児島県肝属郡田代村出身=。柔剣道三段の向井少尉が腰の一刀『関の孫六』を撫でれば、野田少尉は無銘ながら先祖伝来の宝刀を語る。無錫進発後、向井少尉は鉄道線路二六・七キロの線を大移動しつつ前進、野田少尉は鉄道線路に沿うて前進することになり、一旦二人は別れ、出発の翌朝、野田少尉は無錫を距る八キロの無錫部落で敵トーチカに突進し、四名の敵を斬って先陣の名乗りをあげ、これを聞いた向井少尉は奮起起こってその夜横林鎮の敵陣に部下とともに踊り込み五十五名を斬り伏せた。その後、野田少尉は横林鎮で九名、威関鎮で六名、二九日常州駅で六名、合計二五名を斬り、向井少尉はその後常州駅付近で四名斬り、記者が駅に行った時、この二人が駅頭で会見している光景にぶつかった。

 向井少尉  この分だと、南京どころか丹陽で俺の方が百人くらい斬ることになるだらう。野田の敗けだ。俺の刀は五十六人斬って刃こぼれが、たつた一つしかないぞ。

 野田少尉  僕等は二人共逃げるのは斬らないことにしてます。僕は○官をやっているので成績があがらないが、丹陽までには大記録にしてみせるぞ。

昭和十二年十二月十三日の記事
(紫金山麓にて、十二日浅海、鈴木両特派員発)
南京入りまで『百人斬り競争』といふ珍競争をはじめた例の片桐部隊の勇士、向井敏明、無駄巌両少尉は、十日の紫金山攻略戦のどさくさに、百六対百五といふレコードを作って、十日正午両少尉はさすがに刃こぼれした日本刀を片手に対面した。

 野田『おいおれは百五だが、貴様は?』向井『おれは百六だ!』・・・・・両少尉”アハハハ”結局いつまでに、いづれが先きに百人斬ったかこれは不問、結局『ぢやドロンゲームと至さう、だが改めて百五十人はどうぢや』と忽ち意見一致して十一日からいよいよ百五十人斬りがはじまつた。十一日昼、中山陵を眼下に見下す紫金山で敗残兵狩真最中の向井少尉が『百人斬りドロンゲーム』の顛末を語ってのち、
 『知らぬうちに両方で百人を超えていたのは愉快じや。俺の関の孫六が刃こぼれしたのは、一人を鉄兜もろともに唐竹割りにしたからぢや。戦い済んだらこの日本刀は貴社に寄贈すると約束したよ。十一日の午後三時、友軍の珍戦術、紫金山残敵あぶり出しに、俺もあぶり出されて、弾雨の中を『えい、ままよ』と刀をかついて棒立ちになつていたが、一つもあたらずさ。これもこの孫六のおかげだ』と飛来する敵弾の中で、百六の生血を吸った関の孫六を記者に示した。

アメリカ人によって書かれた正反対の記事

東京朝日新聞 昭和十二年十二月七日 ニューヨーク発  パターソン

いま南京は、国府軍が郊外十マイルの全村落に放った猛火のため、その避難民、敗走してきた兵隊などによって、大混乱をきわめている。全戸二万を数える鎮江は全市、火に包まれているが、これは国府軍自身によって焼かれているもので、私にはまったく無意味の破壊のように思える。まったく物凄い破壊としかいいようがない

『アジアの戦争』 エドガー・スノー

南京に逃げ帰った国府軍の軍紀は厳正で、略奪などの非行は行なわれなかった。すべての略奪は、勝ち誇った日本軍によって行なわれた

鈴木明『南京大虐殺のまぼろし』より引用