「博多チャンポンVS長崎チャンポン」

★博多チャンポンなるもの
 街を歩いていたら九州ラーメンの店を見かけた。その店の前には『博多チャンポン』と書かれた看板が置かれていた。おそらく「トンコツスープの博多ラーメンの他にも、チャンポンもやっています」という意味なのだろう。ただ、福岡県出身の人間にとってみれば、これは結構恐るべきものに見える。
 なぜなら「博多チャンポン」は決して麺類ではない。いや、それは食べ物どころか、有機物ですらないからだ。

★リアル博多チャンポン
 では、「博多チャンポン」とは何か? 標準語で言うところの「ビードロ」、つまりガラス製で音を鳴らす玩具なのだ。知らない方に説明すると(実は私も子供の頃はビードロなんてものは全く知らなかった)、ガラスを吹いて作られたワイングラス状のもので、ワイングラスと違って一番上部が平たく薄いガラス面になっている。これに息を吹き込んだり吸ったりすると内部の空気圧が変化し、平たいガラス面が変動して音を出す。浮世絵の「ビードロを吹く女」は有名だが、絵の中の美女が吹いているものが言うまでもなく「ビードロ」だ。
 この「ビードロ」はポルトガル語でガラスを表す言葉が語源であり、「ビー玉」が「ビードロ玉の略」だと聞けば納得していただけるかもしれない。
 博多ではこのビードロを「チャンポン」と呼ぶ。これは鳴る時の音が「てぃんぽぉん」と聞こえるからだ。博多にある筑前一ノ宮・筥崎八幡宮の秋の大祭「放生会」では、この「博多チャンポン」が名物となっている。

★長崎チャンポン物語
 一方、日本中でよく知られている長崎チャンポンは、その名前の通り長崎で生まれた麺類だ。「四海楼」という中華料理店で明治時代に始まったと言われている。
 長崎は中国との関係が深く、中華料理の店を開いた華僑の人や中国からの留学生が数多く住んでいた。中華料理店「四海楼」の主人はいつもお腹を空かせている留学生を見て気の毒に思い、ボリュームのある麺類を作って食べさせた。それが「長崎チャンポン」の始まりであるという。
 「チャンポン」の名前の由来については諸説あるが、「ご飯食べましたか?」という意味の中国語「乞飯?」(注…「乞」の横に口偏がついてます。)を福建語で発音した「チャホン?」(注…北京語だと「チーファン?」になる。)から来ているという説が一番納得できるように思う。つまり主人が福建省から来た留学生たちに「チャホン?」と聞いていたのが、麺類の名前になったというものだ。

★異なりしもの
 このように「博多チャンポン」と「長崎チャンポン」は全く意味の違う存在であることがわかっていただけたと思う。「博多チャンポン」の看板を置いていたラーメン店の店主は少なくとも純粋の「博多んもん」ではないようだ(笑)。
 このように同じような言葉でも意味が異なることはあるので気をつけよう―と書いて終わりにすることはできる。でも、本当に「博多チャンポン」と「長崎チャンポン」とは全くの偶然だけで似た言葉になったのだろうか?

★単なる偶然?
 残念ながら「博多チャンポン」と「長崎チャンポン」の関係を示す資料を私は全く知らない。その点で言えば、「博多チャンポンと長崎チャンポンの音が似たのは単なる偶然」としかいえない。
 ただー、「チャホン?」が「チャンポン」になるとは100%限らない。この世界とは違うパラレルワールドでは、長崎の四海楼が「茶保麺発祥の店」というキャッチフレーズを使っているかもしれないのだ。ひょっとすると「博多チャンポン」と「長崎チャンポン」の間には偶然以上の何かがあるのではないだろうか。
 かつて私は福岡のローカル番組で、屋台の酔客が「長崎チャンポンは実は博多で始まったとよー」と語っているのを聞いたことがある。どうも酔客の噂以上の真実性はないようだったが、私はふと気がついた。「長崎チャンポンの名前には博多んもんが関わっていたのではないのか?」ということに。

★初めての単語
 人は全く知らない単語を聞いた時、自分が知っている言葉と同じような響きだった場合、それに似た言葉だと理解するしかない。
 私は母親から、終戦後アメリカからマッカーサーがやってきた時、広島では「アメリカから『松川さん』という人が来たらしい」という噂が流れていたと聞いたことがある。
 また明治時代の東京では犬のことを『亀』と呼ぶことが流行ったが、これは来日した欧米人が自分の愛犬に対して「カマーン!」と叫んでいるのを「あちらでは犬のことを『カメー』と言うらしい」と勘違いしたためだと言う。
 つまり「チャホン?」という言葉を「チャンポン」と聞き違えることのできる人間は、「チャンポン」という言葉を知っている人間にしかできないことではないのだろうか? 要するに筥崎八幡宮・放生会の「チャンポン」を知っている博多の人間だ。

★博多ん者幻想
 博多は日本が鎖国状態にあると日本の端っこでしかない。しかし、大陸との交易が盛んになると日本の最先端になる。明治時代になって朝鮮半島との経済交流が盛んになった時、博多にも海外との商売を始める商人が当然のようにいた。彼らの中には朝鮮半島だけでなく、中国とも商売をする者がいただろう。中国と商売する以上、中国と深いつながりがある長崎に出かけるのは必然的なことだ。
 長崎に出かけた博多商人某氏は、商談か何かで中華料理の店「四海楼」に入ることになった。四海楼の隅には貧乏そうな若者たちがいた。四海楼の店主は彼らに向かって何かを言った。その言葉は博多商人某氏の耳には「チャンポン?」と聞こえた。そしてしばらく経って出てきたのは実にうまそうな中国のうどんだった。博多商人某氏は「ふーん、あん食い物は『チャンポン』ち、いうとねー。面白か名前やねー」と思ったのだった。
 以上の情景描写は私のただの妄想である。しかし、長崎チャンポンが「長崎チャンポン」という名前になった陰には「博多チャンポン」の存在があったのかもしれない。これは永遠に証明できない事実だろうけれど。

「博多チャンポンVS長崎チャンポン」おわり)


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