北九州博覧祭「フェスタリオン光の夜」
※(北九州市・2001年8月13日)
西暦2001年の八月十三日、北九州ではお盆の初日に当たる。この日の夕方、私は北九州市八幡東区にあるスペースワールドの隣で開催されている「北九州博覧祭」会場に出かけた。これは北九州市が主催となって開催した博覧会で、地元企業が中心となってパビリオンを出していた。
私はこの日の前にも博覧祭を訪れている。パビリオン自体は興味を引くものが必ずしも多くはなかったが、その時には見なかった夜間に開催される「フェスタリオン」というナイトパレードはなかなかのものだと聞いていた。今回はそれを見ようと思ったのである。
博覧祭会場内はスペースワールドと違って人が少ない。地元の新聞でも入場者数の少なさを記事にしていたほどだ。パビリオンの魅力不足もあるだろうが、同じような入場料金で隣り合った場所にあるスペースワールドの方をたいていの人は選んでしまうのだろう。
「フェスタリオン」が始まるまではしばらく時間がある。夕方の会場内部を見て回る。韓国の民俗芸能「サムルノリ」が屋外ステージでやっていたので、タイ風焼きそばを食べながら鑑賞する。やはり生の音と動きというものはいい。
焼きそばを食べ終わったところで、メインステージで中国雑伎団の公演があるという放送を聞き、そちらに移動する。武漢から来たという雑伎団の技は人間業を越えていた。たとえば皿回しという芸は皿が落ちないように回し続ける芸だと思うが、この雑伎団の皿回しは見事すぎて「振動する花みたいな飾りを両手に持っている」としか思えない。(ただし、一度だけ皿が落下したので決して固定しているわけではない。) その「花みたいな飾りを持った女性たちがアクロバティックな動きをする」ことに目を奪われて、「皿を落とさないように回し続ける」という本来の芸が全く注目されないという状態になっていたのだ。その他にも一台の自転車に十人以上の人間が乗るなど、体を使った芸を次々と披露していく。会場の中でもここだけは観客が集まり、拍手を浴びせていた。
メインステージの外は夕方から明るさから夜の暗さへと移りつつあった。しばらく会場内をぶらついた後、「フェスタリオン」パレードが行われる通りにやってきた。通りの左右の街路樹はイルミネーションで飾られ、光の並木となっていた。樹木だけでなく、会場内の建物の外壁も柔らかい白色光を放つイルミネーションに飾られている。縁石に腰を下ろして待っているとあちらこちらから観客が集まってきた。やはり「フェスタリオン」は博覧祭最大のイベントなのだ。隣に座った子供が「クリスマスみたいやねえ」と親に素直な感想を漏らしていた。
開始時刻が来た。通りの中央にあるステージで司会者が何やらパレード前のトークを行っているが、はたして真面目に聞いている観客はどれくらいいるのだろうか。司会の「5!4!3!2!1! スタート!」の声と共に「フェスタリオン」は始まった。
初めはレーザーと音によるショー。ステージとは反対側にある建物の外壁に緑色のレーザー光で様々な形を作り出していく。そしてその建物の向こうには八幡製鉄「1901」の溶鉱炉があり、緑色のレーザーはそちらへも延びていく。
「1901」の溶鉱炉は日清戦争の賠償金を元にして作られた、我が国初の近代的製鉄溶鉱炉である。1901年に作られたため、「1901」という大きなプレートが掲げられており、私は「1901の溶鉱炉」と呼んでいる。
この地にはかつて八幡製鉄所という政府直営の製鉄所が存在した。近代は「鉄は国家なり」という時代だった。官営八幡製鉄所は後に民間に払い下げられるが、八幡の製鉄所は日本という国家の文字通り『鉄骨』であり続けたのだ。私も子供の頃は、新日本製鐵八幡製鉄所のお祭りである『起業祭』を通じて「八幡が鉄の街」であることを実感していた。
しかし、高度成長を過ぎてしばらくすると、外国製の安い鉄鋼に押されて日本国内の製鉄産業は落ち込んでいく。いわゆる『鉄冷え』だ。新日本製鐵も合理化を余儀なくされ、ついに日本最初の「1901」溶鉱炉もその火を消した。八幡製鉄所の跡地に作られたのがスペースワールドであり、残っていた工場部分を宅地化する過程で開催されることになったのが北九州博覧祭なのだ。
今年は2001年。つまり1901年に作られた溶鉱炉からは百年目ということになる。北九州博覧祭は製鉄所が誕生してから百周年を祝う祭でもあり、同時に消え去った製鉄所の壮大な供養祭でもある。「1901」溶鉱炉に延びるレーザー光線はそのことを意味しているのかもしれない。
レーザーのショーだけでなく、会場内のイルミネーションも音楽に合わせて点滅を繰り返す。つまり会場全体がコンピューターで制御された光のモニュメントになっているわけだ。密かに21世紀の技術がここにある。
音楽が変わり、若者たちが通りに飛び出してきた。よくは知らないが、ヒップホップ系のストリートダンスというやつだろうか。踊っているメンバーはかなり若い。噂に聞いたところによると市内の高校生が主体だともいう。だからダンスのキレという点ではプロにはまだまだ及ばないが、それでも若さゆえのパワーというものは伝わってくる。アマチュアを使った選択は正しいのかもしれない。
ダンスのメンバーたちが通りの左右に分かれて、そして同じ方向を見た。そちらからは光がやってくる。目玉の「フェスタリオン・パレード」だ。イルミネーションで全身を飾り付けた車がゆっくりと道路を進んでくる。昔なら「花電車」や「花自動車」と呼ばれたシロモノだが、造形が現代アートっぽい。その前後で奇妙な衣装を付けたダンサーが踊っていた。
ダンサーたちの衣装は、この世には存在せずファンタジー世界にのみ存在する謎の王国の宮殿内で動いている者たちの衣装とでも形容すべきだろうか。またはサンバパレードに参加した王様や女王様が、頭の上に不思議なる造形物を載せて歩き回っているというべきか。とにかく「芸術的でかっこいい」服装なのだ。もしかしたら実際にこの世界とは少し違う場所で進化していた「電脳世界の王国」がダンサーを送り込んできたという、イメージすら抱かせるほどである。
光の中でのダンスは続く。ふと気が付くと、この場所から見える皿倉山の頂上付近に光で「八」の文字が描かれていた。昭和二十年八月に八幡を襲った「八幡大空襲」で亡くなった人を弔うために始まったという『八文字焼き』だ。地に光のダンス、山に八の文字の輝き。八幡の光が踊っている。
ダンスはクライマックスを迎えたようだ。ダンサーの誘いにより観客の一部が踊りに加わる。ダンサーと観客が一体となった感動的なクライマックスが――となればよかったのだが、どうもダンサー側の誘導がうまくなく、ただうろうろしている観客が多かったのは少し残念だった。とりあえずフェスタリオンは終了した。
フェスタリオンが終わった後も私は会場にいた。隣のスペースワールドで花火ショーが始まったようで、それを見ていた。花火ショーが行われている場所から遠いので、どういうショーなのかはよくわからないが、時々花火と炎が上がっている。そのうちジェットコースターが火を噴きながら走り抜けていき、スペースワールドの花火ショーも終了した。
帰ろうとすると、フェスタリオンで使用されたイルミネーションの車が戻っていくところだった。まだ輝いている光の並木の中をイルミネーションの車はゆっくりと進む。皿倉山には八の文字が光り、スペースワールドからはサーチライトが放たれ、天で乱舞している。よく見ると「夏の三角形」と呼ばれるデネブ・アルタイル(彦星)・ベガ(織り姫星)の三つの一等星が夜空に光っていた。夏の夜風を受けながら、私はしばらくこれらの光に見とれていた。
八幡の溶鉱炉に火が入って百年。その百年後の「光の八幡の風景」を私は見ている。溶鉱炉に火が入った時、そして八幡大空襲で八幡が焼け野原になった時、その頃の人々はこの光景を予想しただろうか。
ふと私は「我は八幡の子なり」という考えが頭に浮かんできた。百年前、五十年前の八幡の光景とは違うかもしれないが、私が見ているものも八幡の光景であることに変わりはない。この光景は私の記憶に残り続けていくだろう。