「秩父霊場、危機一髪!」
※(埼玉県秩父市・2002年10月25日)
※これは埼玉県の秩父観音霊場に出かけて、人知れずピンチに陥った男の物語である。
☆「秩父へ」
埼玉県の秩父地方には「秩父三十四観音霊場」がある。「西国三十三観音霊場」「坂東三十三観音霊場」と合わせて「日本百観音霊場」を形成する観音霊場だ。この秩父観音霊場では午年に観音菩薩の厨子を開く「御開帳」が行われる。
秩父霊場の中でも「橋立堂」には「馬の顔を頭に頂く」馬頭観世音が祀られていると聞いていた。「午年に馬頭観世音像を見ておくのも悪くないか」という、ただそれだけの思いつきで私はこの小旅行を考えた。ついでに秩父の観光ガイド本やポスターにもよく出てくる「護国観音」と「岩井堂」にも行ってみようと思った。それが小さな旅のきっかけだった。
☆「馬頭観音の堂」
10月25日、天気は快晴、私は朝から秩父へと向かった。まずは当初の目的である橋立堂へ。秩父鉄道の浦山口駅で降りて、徒歩で橋立堂に向かう。舗装された坂道を登り、山の中へと入っていく。しばらく歩くと石段があり、その先に巨大な白い岩塊がそびえていた。その岩の根元に小さなお堂があり、それが「橋立堂」である。
おそらくは昔の仏教修行者がその巨大な岩塊に霊威を感じ、その岩の下に観音を祀ったのだろう。そして後に秩父三十四観音霊場の一つに加えられたのだ。
「橋立堂」というだけあって、あるのはお堂が一つだけ。ただ、堂の手前には土産物屋兼食堂が二軒あり「ミニ観光地」という感じがする。
橋立堂に参拝する。堂の前には回向柱という木の柱が立てられている。その柱のてっぺんに五色の綱が巻かれ、その綱の先は開かれた堂の中へとつながっている。綱の先は本尊の手につながっていて、つまり「柱に触ると観音様と握手!」したことになるらしい。私も柱に触ってから参拝した。堂の奥に厨子があり、扉が開かれていた。そこに馬頭観世音像があった。思ったよりもかなり小さい。四十センチぐらいだろうか。それに全体的に黒っぽいので、「よくわからない」というのが正直なところだ。ただ、小さいけれども「山の中の巨大な岩の下にこれを祀った」という熱情のようなものは感じられる。説明版によると秩父霊場の本尊の中でも最も古い仏像に属するらしいので、長い年月、里人と修行者たちの崇拝を受けてきた仏像なのだ。
参拝を終えた後で土産物屋の一軒に入り、少し早い昼食を取る。「手打ちそば」がお勧めらしいので、それを注文した。出てきたソバは香りの高い意外な拾い物だった。薬味にも「粉のクルミ」と、これまた意表をつく組み合わせ。土産物屋の食事にしては嬉しいものになった。
ところでソバを味わっていると土産物屋の駐車場に一台のバスが停まった。ただのバスではない。窓に金網の張られた警察のバスである。「何事?」と思って見ていたら、十人ほどの警察官が降りてきた。制服から見て機動隊の隊員だ。そのうちの一人が入ってきて「食事できますかー?」との一言。別に事件があったわけではなく単に食事に来たらしいが、秩父の山中で埼玉県警の機動隊員と出会うというのも不思議なものだ。もしかするとこれから私の身に降りかかることになったピンチを暗示していたのかもしれない。
☆「山の上の巨大観音」
橋立堂を出て秩父観音霊場の一つ「大淵寺」に向かう。「護国観音」はこの寺の奥の山の上にある。大淵寺への道は、里の中を歩くのどかな道だった。ただ、石灰岩から成り立っている武甲山から石灰を掘り出している採掘現場が見え、少し武甲山が痛々しい気がする。
大淵寺は「村のお寺」という感じの静かな所だった。日本百観音霊場の中には京都の清水寺や東京の浅草観音といった大寺院もあるが、この大淵寺も「日本百観音霊場の中の一つ」という点では同レベルなのである。それを考えると少し愉快だ。
大淵寺から見上げると、背後の山の上に白い「護国観音」の姿が見えた。戦前に作られたコンクリート製の観音像である。高崎大観音・大船観音と並ぶ「関東三観音」なのだそうだが、他の二つに比べればかなり小さい。(高さ十メートルほど。) それでも秩父地方では最大の仏像だ。
護国観音への急な山道を登る。息を切らせながら「最近、こんな道を登ってないな」みたいなことを考えた。都会で暮らしているとこういう体の使い方をしない。何か忘れていたことを久しぶりに思い出した気分だ。
山の上に護国観音はあった。片方の手に剣を持つ勇ましい観音像なのは、戦前という時期だからなのだろう。確かに高崎大観音に比べれば小さいが(高崎観音は中に入って上ることができる)、私は結構驚いていた。
護国観音は急な山の上の、しかも岩の上に立っている。周囲には平らな土地はほとんどない。護国観音が作られたのは昭和十一年で、当然頂上まで資材を運ぶヘリコプターなどない時代だ。護国観音から見下ろすと、大淵寺につながる谷の樹高がやや低いので、おそらく木を切り倒して麓の大淵寺からワイヤーケーブルなどを設置して資材を引き上げたのだろう。
それにしても急な場所の上に作られた巨大な観音像。やはり橋立堂と同じく、観音を信仰する者たちの熱情がこの観音像を作らせたに違いない。
パンフレットによると護国観音から岩井堂までは「ハイキングコース」を一キロほど。標高差はほとんどなく、山の尾根に作られたハイキングコースをのんびりと歩けば岩井堂に着くはずだ。その時までは私はそう考えていた。しかし、これからが苦難の始まりだったのだ。
☆「恐るべきハイキングコース」
護国観音の裏に回り、岩井堂への「ハイキングコース」を探す。だが、私の前に存在したものは―、「鎖場……?」だった。そう、急な岩の上に鎖が取り付けられ、その鎖を頼りに上り下りをするというアレである。「ハイキングコース」に突然『鎖場』が出現するとは、はっきり言って予想もしていなかった。ただ、鎖場はほんの数メートルだ。「山の頂上に近いので、こんな所もあるんだろう」と思って鎖場を降りた。それからはのどかなハイキングコースが続いていることを信じて。
鎖場が連続しているということもなく、それからは尾根伝いの山道が続いていた。しかし、ほんのちょっと歩いただけである異変に気づいた。「もしかして、あの岩の上を道が通ってないか?」。足元を気にしながら、岩場はすぐに通り過ぎた。ふと左右を見ると、えらく急に落ち込んでいる。足を踏み外すと数十メートル一気に転落しそうだ。「ここはハイキングコースだよな?」と自問自答しながらしながら進むと階段が見えてきた。「さすがに整備してあるのか」とホッとしながら近づくと、階段に見えたもの、それは単に木の根っこだったのだ。牛若丸が修行した鞍馬山の登山道が脳裏に浮かんできた。
「鎖場、岩場、そして木の根がむき出しの険しい山道……これってハイキングコースじゃなくて、修験道の行場じゃないのかーっ!?」
私は存在しない誰かに向かって心の中で突っ込みを入れていた。その思いを否定するかのように傍らにあった「琴平ハイキングコース」という標識が「いーえ、あなたの通っている道は間違いなくハイキングコースでございますよ、へっへっへっ」と答えてくれていた。ハイキングコースである以上、これが一番安全な道だ。この道を進むしかない。
標高差はあまりないはずだが、アップダウンがかなり厳しい。そして時々、岩場や木の根階段が出現するのだ。それが一キロ。予想を上回る行程の上を、山道を忘れてしまった体が歩く。ただ、さすがに深い谷の上に橋がかかっていたのには「やっぱりハイキングコースだったのか……」と納得したが。
ようやく「岩井堂」の標識と石段が見えた時には私はヘロヘロになっていた。左には石段が下へと続いており、これが本当の岩井堂参道らしい。今まで進んできた道は「山歩きを楽しむ人たちが使うハイキングコース」だったようだ。直進して石段を上り、岩井堂を目指す。ゴールはもうすぐだ。
☆「山中の空中楼閣」
石段を登ると岩井堂が見えてきた。麓にある円融寺の奥の院で、秩父の観光ポスターの写真にもよく使われている場所だ。どういう建物かというと「岩壁の横に建てられた朱色に塗られた清水寺の本堂を小型にしたようなもの」とでも表現すべきだろうか。その岩井堂と岩壁の間に荒い石段が延びている。石段を登り、岩井堂の前へとたどりついた。
扉は閉められていて、どこからともなく蜂の羽音が聞こえてくる。かつてこの岩井堂に祀られていた観音像も麓の円融寺に移され、今は建物だけが静かにたたずんでいる感じがする。主人が留守の観音堂にとりあえず手を合わせてから、ひやっとした。下が見える。樹の緑が見える。高さは十メートル近くはあるだろうか。床の木の一部が欠けてそこから下にある樹が見えているのだ。
今の自分を支えているのは古くなった一枚の板でしかない。ふと「板子一枚下は地獄」という船乗りの言葉を思い出した。もし、板のどこかが腐っていてその上に足を乗せたら、自分の体は空中へと転落する。早々に岩井堂から撤退した。
岩井堂の背後には浅いながらも岩窟があった。小さな石仏がいくつか置かれ、護摩を焚いた跡が見える。宗教的には素人の私にも、ここがただならぬ聖地であることが理解できた。聖地だからこそ、人々はこんな山中に岩井堂を建てたのだろう。ここでも私は「宗教的熱情」を感じた。
ふと見ると岩窟の側に「この先に大仏があります」という立て札があった。「護国観音の他にも大仏が!?」と興味を感じた私は岩井堂のさらに奥に向かった。それが私にピンチをもたらすことになるとも知らずに。
☆「江戸時代の仏像」
私は岩壁の横に作られた狭い道を抜け、再び山道に入った。しばらく進むと搭状の岩が見えてきた。近くにあった説明版によると禅宗の偉い僧侶がこの上で座禅を組んで悟りを開いたらしい。ここからは眺めがよく、確かにこの岩の上で座禅を組んだら悟りが開けそうだ。
「大仏はどこなんだ?」と探してみたら、樹木の間に座った人型のものを見つけた。それが「大仏」だった。金銅製の観音坐像で等身大より少し大きい程度。「大仏」という程の大きさでもないが、私はその像を見て結構驚いた。かなり出来のいい観音像で、台座の銘文を見ると江戸時代に江戸・日本橋の有志によって建立された仏像らしい。
なぜ江戸時代の仏像がこんな山の中にぽつんとあるのだろう? それについての説明はどこにもなかった。私はこれも「熱情」と解釈した。日本橋の人々が秩父の山中に置くために血縁したのか、信仰ある人が江戸時代の仏像を秩父の山中に運び上げたのかはわからない。しかし、どちらにしても信仰の「熱情」のお陰でこの観音像がここにあるのは確かなのだから。
ふと気がつくと、観音像の向こうに東屋の屋根が見えた。そこで少し休んでから戻ることにした。しかし、私はそこで人知れず「恐るべき体験」をしてしまうことになる。
☆「謎の万仏殿」
そこはハイキングコースの途中によく置かれている東屋などではなかった。柱の上に屋根が乗り、壁はまったく存在しないという構造は東屋以外の何物でもないのだが、それでもそこは東屋ではなかった。いや、日本の数多くの伝統的宗教施設を見てきた私にとっても、そこはかなり奇妙な建物だった。
その建物は間違いなく宗教的建物だ。ただし、私の知識に照らし合わせてもあまり近いものが見当たらない。それぐらい不思議で奇妙な建築空間。
まず中央の柱には石で作られた輪がはめこまれていて輪の表面には「南無阿弥陀仏」と彫られている。これは「念仏車」というもので一般の寺院でも割と見られるものだ。
四方の屋根の下には「発心門」などと書かれた額が掲げられている。どうやらこの建物自体が一種の曼荼羅世界をイメージしており、四隅の柱の間がそこに出入りする門ということになっているらしい。また屋根の下には「西国観音霊場巡礼」「四国八十八カ所遍路」などと書かれた額もあり、この中は仏教的「万聖殿(パンテオン)」に見立てられているらしかった。
入ってきた所と反対側に祠のようなものがあり、板に「大天狗」「小天狗」と書かれたものが収められている。つまりここは天狗様を祀るお堂と呼んでもいい建物なのだ。ただ、祠の向こうの空中に突き出した二つの板は、決してただのお堂ではないことを物語る。建物の外の空中で板が交差して三角形の平面を形作っていた。その三角形の頂点にワイヤーがかけられて「三角形の廊下」を吊り支えている。
「ワイヤー」と書いたが、この建物は決して昔に作られたものではない。建物全体は木製だが、ところどころにボルトも使われており、建物全体はきわめて新しい。つまりごく最近になって作られた建築物だ。
これはいったい何なのか。それはすぐに理解できた。建物のすぐ側に説明板があったからだ。これは―、「修験道の行場」として作られた建物だった。
☆「修験の行」
説明板によると、古くからこの地で行われている修験道の修行を守り続けている人たちがいて、その人たちが建立したものらしい。そして説明板によると、護国観音辺りから岩井堂までの道は古くからの行場だったらしい。つまり例の「ハイキングコース」は「修験道の行場じゃないのかーっ!?」どころか、そのものズバリだったわけだ。
この建物でどういうことを行うのかも説明板には記してあった。念仏を唱えて中央の柱にある念仏車を回し、それから「外の回廊」を巡る。これを何回も何回も繰り返す。神社で行われる「お百度参り」と本質的には同じもので、そう奇異な修行でもない。「外の回廊」を巡るという点を除いては。
説明を読んだ上で、この建物を見直してみるとそれがどれほど恐ろしいことか理解できた。入ってきた時は気づかなかったが、この建物は岩の上に立てられていて、祠の向こうは崖になっている。生えている樹木でよくわからないが、崖の高さは五メートルくらいはあるだろうか。その崖の上に三角形の回廊は突き出している。回廊から足を踏み外せば五メートル下に落下して大怪我だ。打ち所が悪ければ死ぬだろう。むろん三角回廊には手すりなどという生易しい物はない。幅三十センチほどの板が空中に突き出しているだけだ。
奈良・大峰山での修験道の修行では「覗き」という、断崖絶壁の上から半分身を乗り出させて懺悔を迫る行があり、また各地の修験道の霊山では足を一歩踏み外せば死につながるような場所を好んで行場にしている。そういう点では、修験道の伝統的な行と言える。
それを理解した時、私の心の中に「少しでいいから、それを体験してみたい」という思いが湧き上がってきた。どういうわけか、説明板からも「できればこの行を体験してみてください!」と勧めているような感じがしたのだ、あの時は。こうして私は恐怖の行に足を踏み出してしまったのである。
☆「踏み出してしまった一歩」
私は荷物を置いて、三角回廊の板の上に一歩を踏み出した。板がたわむ。自分の体重に板が耐えられずに折れるのではないかという思いがよぎった。少なくとも見た限りでは、三角回廊の頂点を支えている太いワイヤーは丈夫そうだ。ワイヤーを信じて足を踏み出す。私の体重ぐらいでは問題ないようだ。でも、足を踏み外せば転落することだけは確実。慎重にバランスを取りながら、足を進める。三角回廊と自分の全存在を支えているワイヤーを掴める場所まできた。ワイヤーを掴む。これで足を踏み外して転落という最悪自体だけは防げるだろう。
三角回廊の一辺の長さはせいぜい三メートル。気を抜かなければ無事に回廊を回れそうである。三角回廊の頂点に向かって足を進めようとした時、私の目は前方から飛んでくる黄色い小さな物体をとらえていた。そして恐怖は開幕する。
☆「恐怖来臨」
「スズメバチだっ!」
私は心の中で叫んだ。大きさと色から私はそれは間違いなく一匹の「スズメバチ」。それと同時に「秋の野山で最も危険な生物はスズメバチである」という、今まで完全に忘れていた事実を思い出した。そのスズメバチがこちらに向かって飛行してくる。むろんこの状態で「逃げ場」など全く存在しない。
私の脳はスズメバチに関する情報を瞬時にして立ち上げた。スズメバチの巣に近づいてしまった時には、まず警戒に当たっていたスズメバチがカチカチと警告を送ってきて、それでも巣から離れなければ一斉に襲いかかってくること。それから逃れるためには、警告の段階で髪の毛など黒い部分を白い布などで覆い姿勢を低くして巣から離れること。
白い布など取り出す暇はない。この状態で取り得る唯一の手段は「姿勢を低くしてスズメバチをやり過ごす」ことだ。私は即座に板の上にしゃがみ込んだ。スズメバチが迫る。ブウンと羽音を立てて、スズメバチは私の後方へと飛び―
「俺の背中にとまるんじゃねえええええーっ!!」
私は心の中で絶叫していた。スズメバチはよりにもよって私の背中にとまってしまったのである。
その時は全く気づかなかったのだが、私がいた場所は地上から五メートルの高さの位置だ。そんな地点で姿勢を低くしたところで、何の意味もなかったのだ。
幸いにもいきなり刺されるということはなかった。まだヤツは私のことを『敵』だとは認識していないらしい。しかし、手などで払ってヤツに『敵』だと認識させることは自殺行為になる。私は着ていたポロシャツをちょいちょいと引っ張ってみた。これでスズメバチが飛び立ってくれればという願望を込めて。
「動きゃしねえええええーっ」
またもや私は心の中で絶叫していた。スズメバチは私の背中に張り付いたまま、飛び立つ気配は全くない。攻撃意思はないようだが、その理由は不明。たまたま通常飛行中にとまりやすそうな場所を見かけたので休んだだけなのか、攻撃目標が急に視界から消えたために戸惑って着地しただけなのかは、ヤツ以外には理解不可能なことである。ヤツの攻撃意思がいつ自分に向けられるかわからない。恐怖が背中に張り付いている。
私はスズメバチに刺されたことはないが、子供の頃、アシナガバチに刺されたことがある。ハチ毒全般に対するアナフラキシーショック症状を起こさないとは言い切れない。
そして自分がいるのは地上五メートルの上に渡された狭い板の上。足を踏み外せば骨折は免れないだろうし、動けなくなる危険性も十分にあった。その上、ここは「ハイキングコース」から離れた山の中。人が来るとは限らない。秋の山中で動けなくなること、それは極めて死に近いことを意味する。
この時、私は間違いなく「死地」にいた。「前門の虎、後門の狼」という言葉があるが、背中にヤツが張り付いている以上、それよりも事態は切迫していたのかもしれない。「大林憲司、秩父山中に散る!」危険が迫っていた。
☆「生への脱出」
辺りは天気もよく、鳥の鳴き声が聞こえるだけののどかな雰囲気だった。しかし、私は恐怖と戦っていた。まず私が思ったことは「もし、判断を誤れば死ぬかもしれない。絶対に間違った判断はできない」だった。
しゃがんだ状態のままで全く動かず、必死に頭の中で情報を整理してみた。スズメバチが飛んできた時に「カチカチ」という警告音は出していなかった。従って巣の防御のために飛来した可能性は低い。ヤツは必ずしも攻撃意思を発揮するとは限らない。『敵』と認識させずに離れさせればどこかへ飛んでいくだろう。
ポロシャツを引っ張ってもヤツは動かなかった。これは些細な振動では反応しないであろうということだ。ゆっくり動けば何とかなる。私は決意し、行動を開始した。「死地」から脱出するために。
まず私はワイヤーをつかんだまま、ゆっくりゆっくりと立ち上がった。しゃがんだままでは何も動きが取れないからだ。そして静かに方向を転換する。背中に特別の変化はない。
視界に山の緑ではなく、東屋の床が見えてきた。とりあえず転落の危険を回避するためにはあそこに戻る必要がある。だが、そのためにはつかんでいるワイヤーを途中で手放すしかない。ワイヤーを手放した状態でゆっくりと板の上を進んだのでは逆に転落の危険性が高い。一気に東屋へと戻らねばならない。しかし、急に動いたことにより、背中のスズメバチが驚いて攻撃を仕掛けてくる可能性も高い。東屋に駆け込むと同時に、一気にヤツを振り払うしかない。しかも攻撃意思をこちらに向けさせない方法で。
私は一つの方法にすべてを賭けることにした。これが失敗すれば「大林憲司、秩父山中に散る!」未来が待っているかもしれないが、他に方法はないと判断した。自分の足が踏むべき場所を確認する。ついに覚悟を決め、心の中で「GO!」と叫んだ。
ワイヤーを手放すと同時に板の上を走り、東屋の中に駆け込んだ。駆け込むと同時に私はそこでクルクルと回転を始めた。「遠心力」でヤツを吹き飛ばすために。その目論見は見事に当たった。背中から「ブウン」という羽音がし、私の視界の中に驚いた様に飛び去っていくヤツの姿が見えた。そしてヤツは外の緑の中に消え、二度と戻ってこなかった。私は生存の戦いに勝利したのだ。
ホッとすると、祠の中の「大天狗」「小天狗」の文字が目に飛び込んできた。もしかすると今の出来事は、安易な気持ちで行を試してみた私に対する天狗様の法罰だったのかもしれない。私は祠に向かって侘びを言い、早々に東屋から立ち去ることにした。
☆「旅の終わり」
東屋から出た私はまたもやギョッとすることになる。靴の紐がほどけていたのだ。おそらく例の「ハイキングコース」の激しい動きで靴の紐がほどけてしまったのだろう。そしてもしも、靴の紐がほどけた状態で三角回廊の頂点を目指していたら、途中で靴が脱げて転落していたかもしれない。あるいは「恐怖の来訪者」スズメバチは、私の危険を見かねた天狗様が送ったお使いだったのか。
私は長い石段を下って山から脱出した。麓にある円融寺の本堂に立ち寄ると、かつて岩井堂の本尊だった観音像が静かに微笑んでいた。その観音像に手を合わせた私の心中には「生還、万歳!」という想いがあるだけだった。
こうして恐るべき体験となった小旅行は終わりを告げた。
(終わり)