帝國海軍の八八艦隊計画(戦艦八隻、巡洋戦艦八隻を整備する計画)の一番艦として、大正九年一一月二五日就役。
その後のワシントン海軍軍縮条約の締結もあり、四〇cm主砲を持つ戦艦は長門の他には同型艦の陸奥、米戦艦コロラド、メリーランド、ウェストバージニア、英戦艦ネルソン、ロドネーしかなく、ビッグセブンと呼ばれた。
その後長門は陸奥と共に連合艦隊旗艦を長く務め、日本海軍の象徴として広く国民に愛された。
しかしながら大東亜戦争開戦時には長門の設計はすでに古く、さしたる活躍を見せることもなく時を過ごす。
そして海軍最後の大作戦レイテ作戦に参加、昭和一九年一〇月二三日、雲霞のごとく襲い来る敵機を迎撃し、翌々日には米護衛空母群に対して砲撃、米駆逐艦ジョンストン、護衛空母ガンビアベイ他多数の敵艦を撃沈破するも、レイテ湾直前にて反転、作戦は失敗に終わった。
その後は燃料もなくなり、横須賀にて係留されたまま米軍艦載機の爆撃に晒されるも、その強靱な防御力を見せつけ生き残る。

しかし生き残った長門に課せられた運命は、さらに過酷なものだった。

昭和二一年七月一日、南太平洋ビキニ環礁。
米軍の原子爆弾の威力を確かめるための標的艦として、長門はなんと爆心地よりわずか一〇〇〇mの至近距離に係留される。
炸裂した原子爆弾の恐るべき破壊力は、多くの標的艦を一瞬のうちになぎ倒し、火だるまにし、海へと引きずり込んだ。
しかし長門はその衝撃波もものともせずに健在だった。

同七月二五日。二度目の核実験が行われる。
今度は水中、しかも爆心地からわずか二〇〇mの距離での爆発。どんな強靱な艦船といえどもこの牙を逃れることは不可能だった。
事実長門と同じ距離で爆発を受けた米戦艦アーカンソー、ネヴァダ、空母サラトガは轟沈、しかし爆発の衝撃波が晴れたとき、長門は変わらぬ姿でそこにあった。

それから五日間、七月二九日になっても長門はそのままの姿で浮かんでいた、が、翌三〇日の朝、長門の姿は忽然と海上から姿を消していたのである。
おそらく二九日夜から三〇日朝にかけての間にひっそりと沈んだものと思われるが、長門の沈む姿を見たものは誰一人としていなかったという。

大日本帝國海軍最後の戦艦は、命尽きるその瞬間まで、名誉と誇りを守り通したのである。

スペック(第2次改装後)

基準排水量:39130t
全長:224.5m
最大幅:34.6m
喫水:9.49m
出力:82000馬力
速力:25ノット
航続距離:16ノットにて10600海里
兵装:40cm砲8門、14cm砲18門、12.7cm高角砲4門、25mm三連装機銃10基、13mm連装機銃2基
乗員:1368名
搭載機:水上機3機

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