HISTORY OF THE OGA


序章 老人と風

 私がウォーゲーム(以下WG)を始めてはや19年。RPG暦でさえ17年になろうかとしている。この間、ゲーム界にも有為転変、いろんな事があったし、もちろん、ゲームクラブの歴史にも同じ位いろんな事があった。しかし私にとって当たり前であるこの経緯は、今のOGAのスタッフメンバー、来場者には過去の歴史であり、噂でしか聞いたことのない物語に過ぎないのだ、ということに気づいたのはごく最近、若いスタッフメンバーと話をしていた時なのである。(勿論、気づいた時には愕然とさせられたものだ。)今や私は老人であり、来場者の中には私のRPG暦より若い人さえいるのだ。このことに気づいたので、今、あえて(若者は老人の昔話など聞きたがらないと知りつつ)OGAの、そしてゲームワールドの歴史について書き残そうかと思った。老人としては過去の失敗を若い人の教訓にして欲しいと思うわけだが、別に単なる昔話として読んでもらっても十分満足である。

 さて、それでは、ゲームの話を始めようか。それは、まさに風のようだった。

第1章 それはウォーゲームブームから始まった

 今をさること20年前。将棋と囲碁と麻雀と「子供用ゲーム群」しか存在しなかった日本のゲーム界に、突然、新しい風が吹いた。いわゆる「第1次ウォーゲームブーム」というやつである。当時、まだ家庭用TVゲーム機などは無く(ファミコンて何?ゲームウォッチなんかの液晶ゲーム機はあったなあ。)、地方ではマンガ同人誌などの「存在」さえなかったことの話である。アメリカのモデラーが考えついたという「ウォーゲーム」の概念が商品化され、日本のモデラー(モデラーといえば硬派ミリタリーマニアとイコール─フィギュアなどお菓子のおまけなみのものすらなかった─)が輸入。そして何故かそこから爆発的なWGブームが発生したのである。(何故流行ったのかは未だに誰にも分かってはいない。とにかく、当時はすごく流行ったのだ!)

 さてさて、なんといっても、ボードゲームというものは一人では出来ない。ということで、このWGブームの追い風が日本中に数多くのゲームクラブを生み出した。そして、それらゲームクラブの中に「旧OSGC」と「WHK」という2つのゲームクラブがあった。これが現在のOGAのパパとママという訳である。

 「旧OSGC」は、岡山の老舗玩具店であった岡杉商店を根城としていた(恐らく)岡山では最も古いゲームクラブ。そもそもは岡杉商店に出入りしていたモデラー/ミリタリアンが中心となって作られたコアで真面目なゲームクラブだった。ゲームクラブとしては、県下最古・最大(西日本有数のクラブだった)の名にふさわしく、岡山のWGゲームワールドの発展を目指した活動を多方面に渡って行っていたのが特徴的だった。岡杉商店の2階での月1ゲーム例会がメイン活動であったが、それ以外にも年に2回程度の市民会館を借りての大会の開催や近隣/近県サークルと幅広く提携して、合同コンベンション等も行っていた。遊ばれてたゲームは、2人対戦型硬派系WGがメインで、それに該当するものであれば何でもプレイが可能だった。特に熱心なプレイヤー諸氏はビッグゲームのプレイはおろか、当時でさえ伝説となっていたアクチュアルWG(プラモの戦車や分隊フィギアを使って、広い机に障害物等を配置。物差しとメジャーで射程/移動距離を判定するって奴。ウォーハンマーのWG・版て感じ)さえプレイされていたのである(!)。

 対する「WHK」は倉敷のダイエーおもちゃコーナーを根城としていたゲームクラブ。「岡山はあまりに遠し」という地域意識によって設立された(というわけでもないんだけど)。設立者は−後に現OGA初代会長となる−堀野誠氏。「WGをひろめよう。」をモットーに、倉敷ダイエーの会議室兼倉庫を借りてのゲーム例会をメイン活動とし、それ以外には年2回程度のゲーム合宿や、(すぐ止めたけど)同人誌作り等が行われていた。プレイゲームはマルチプレイヤーズゲームがメインで、次はアニメゲーム。「勝利」という一言に徹底的にこだわった大人のプレイが楽しめる、ミーハーで熱いゲームクラブだった。

 この両ゲームクラブの特徴は、基本姿勢として「ゲームプレイ」と同時に「ゲーム文化の認知・発展」をポリシーとして持ち、又、多くのゲームクラブがある種閉鎖的だったり排他的だったのに対し(いわゆる仲間内クラブという奴ね)、「旧OSGC」は岡山の岡杉商店、「WHK」は倉敷のダイエーおもちゃコーナー、という比較的ゲーマーのたむろしやすい公共(?)の場所を根城としてかまえ来るもの拒まず(どころか、少しでも興味を示した人は全て引きずり込んでいた)であったことがあげられる。初心者がゲームを買いに来た(なんといってもブームなんだから買いに来るって)ついでに、「今、例会やってるんだけど(又は、○○日にここで例会があるけど)よかったら一緒にどう?」と、店員/会員が片っ端から声をかけていて、それが「ゲーム文化の認知・発展」に繋がると皆が思っていた。─かくいう私も、岡杉商店で声をかけられて旧OSGCの例会に顔を出すようになり、旧OSGCの大会で誘われてWHKの例会に出入りするようになり、その後は私自身が、ゲーマーを見ると例会に誘ったりしたものだった。

 勿論、ゲームが好き、というただそれだけの共通項を持つ他人同士が、出会ってすぐゲームをプレイすることがごく自然だったという時代背景もある。が、当時のゲーマーのほとんどは、ゲームをプレイする為に見知らぬ人に声をかけるということが全然苦痛ではなかった。(むしろ、また一人新しいゲーマーと知り合えるという喜びに近い感覚があった。)プレイスタイルの違い、好みのジャンル・ゲームの違い、なんてことも「ああ、こういうプレイスタイルもあるのか」「へえ、このゲームってこうなんだ」という感想と新たな知識に触れた喜びしか生まなかったし、なにより、そんなものはゲームがプレイできる楽しみの前には些細なことでしかなかった。例会、大会、合宿、同人誌、増えつづける新作アイテムと会員数、この右肩上がりのWGブームはいつまでも続き、近い将来には説明さえ必要のない「大人のホビー」として社会に認知される日も近いのではないかと思われていた。だが、その夢はあっけなく終わってしまった。

 WGブームの終わりの原因については、いろんな人が詳しく分析している。曰く、家庭用TVゲーム機ブームに負けた。ファンがRPGに流れた。扱う分野が細分化されすぎ、マニア以外ついていけなくなった。プレイ時間・必要な場所の確保が難しい時代になってきた。etc,etc。

 以上の理由は一つ一つ納得のいくものであるし、「ブームの終わり」は、勿論それらの理由が合わさった結果であろう。だが、個人的には以上の理由は引き金であったかもしれないが、撃鉄ではなかったと思っている。ただ、一つこれを満たしていれば生き残ることができたはずなのにできなかったこと。それは、「社会に対してこの趣味の正当性を主張することができなかった。」ことにあると思っている。

 WGブーム当時のゲーマーは、自分達の趣味について語り、一般の人に正当性を主張し、存在を理解し認知してもらう必要性がある。なんてことは考えもしなかったし、もちろん必要とも思っていなかったし、当然、できもしなかった。そして、WGに対する社会的バッシングが急速に強まり、マスコミ等の気合いの入った非難キャンペーンが始まった時も、「よく知ってもらえれば理解してもらえる」とか「自分達が好きなことさえ続けられるんなら別に外野がなんて言おうがかまわない」という極度に甘い考えしか持っていなかった。出版する側はまだ危機意識が強かった。「ウォーゲーム」という呼び方を「シュミレーションゲーム」と変更していくと共に、専門誌でも巻頭言、編集後記、コラム記事等で「自分達の趣味」の存在意義について理論構築を試みもした。だが、そういった一連の運動もマスコミには無視され、当時の甘いゲーマーには相手にされなかった。そして、「好きなことだけを続けられればいい」と思っていた当時のゲーマーが直面した現実が、「公共施設のゲームサークルへの会場賃の禁止」「各学校でのゲームサークルの維持・新設に対する反対」「大人のみならず若い世代からも─危ない遊びをする人達─よせられる偏見」「新規に入ってくるゲーマーの激減─それに伴う対戦相手の不足」「メーカー・流通業者の撤退による入手難と玩具店頭で維持されてきたサークルの消滅」という事態だったわけだ。(余談ながら、趣味が拡大したとき、そこには必ずバッシングがおこり、それに勝った趣味だけが認知されてきている。例えば、今存在することが当たり前である家庭用TVゲーム機でさえ「目が悪くなる」「家族・友達と遊ばなくなる」「創造力が衰える」といった非難があったのだ。これに対しメーカーは「ファミコンは一日一時間」キャンペーンを大金を使って展開し、又、「ゲームの話題が共通のコミュニケーションツールになっている」「ファミコンをやっている子の方がしていない子より創造力が豊かである」と実例を持って反論してきたことで今があるのだ。つい先頃の同人誌バッシングも「エロ同人誌は参加を認めない」「著作権については著作者からの積極的意義があれば、侵害しているものとする」という態度を明確にすることでようやく存在が認められている。逆にバッシングについてなんの反論もしなかった「サバイバルゲーム」等に至っては完全に社会的認知を失っている。─これが現実という奴なのだ。)

 WGのブームは去った。ゲーム文化の認知・発展という夢は失われた。全て当時のゲーマーが「ゲームをするとはどういうことなのか」を考えもしなかったことが遠因になっていると思う。個人的には、この苦い教訓の結果、私自身は「ゲーム(WGに限らず、RPG、カードゲーム、麻雀等全ジャンルを含む)をするとはどういうことなのか」について一般人に判るように話をすることができるようになったし、この時代をくぐって来た私の知っている多くのベテランゲーマーにもそれぐらいのことは簡単にできているようだ。─だからこそ滅びかけたゲーム文化を滅ぼさずに続けてこれた、という自負もある─さて、読者諸兄はいかがだろうか。「おもしろいからするのだ」などという歩み寄りもなにもない答えしか出ないようでは一般人にゲームの魅力を伝えることはおろか、足を遠ざけさせる結果しか生まないことが(先人の失敗として)伝われば幸いだ。今まで考えたこともなかった、という人は問題意識として持っておくことをお勧めする。それが、ゲームを長く愛し続けられるコツの一つでもあるし、回答が見えてきた時には、「この趣味を続けてきて良かった」という大きな満足を得ることができることは、先達として請け負わせてもらうよ。


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