HISTORY OF THE OGA


第2章 OH!ロールプレイングゲーム

 WGが消え、新作アイテムの発売が激減しても、カードゲーム、そして(WGを消した遠因ともなった)RPGによって、ゲームサークルは生きていた。いや、参加人数の規模という点では(一時的には)むしろ増加さえしたとも言えた。

 当初、ゲーマーが始めて目にしたRPGは、「ローズトゥロード(RtoL)」であり「トラベラー」であった。がそこで行われていたプレイは(今でこそ言うが)「RtoL」でも「トラベラー」でもなかった。ゲームに付属しているシナリオや「このゲームは物語を楽しむものです」という説明は理解できたが、どうやったら物語ができるのか、がさっぱり判らなかったのである。キャラを作る。モンスターと戦ったり貿易をしたりで小銭を稼ぐ。小銭を使う。モンスターと戦う。(大体、オープンダイスで戦うので)そのうち死ぬ。以上。そして、キャラを作るに戻る。とまあ、こんなプレイが横行していた。シナリオ─というかシナリオもどきというかプロットの出来損ないというか─でさえ、フィーリングとアドリブで適当に─その場で!─作られたものがほとんどだったし、たまに(商業誌等で)発表されたシナリオ─というかリプレイ─でもマスターがどれくらいまで準備しているのか読者の側では想像がつかなかったため、「準備なんか一切しなくたっていいんだ。だってリプレイ見てる限りマスターもプレイヤーも”自由に(好き勝手に)”行動してる(みたい)じゃん。」と勘違いをしていたのだ。─大体、シナリオの導入にしても、依頼型の場合「話が厳しすぎるなら断っても良い」「旨過ぎてうさんくさければ断ってもよい」で、シナリオに興味がわかなければ、プレイヤーは「大陸の果てに」でも「宇宙の彼方」でも、”自由に”旅に出ていい。と思われていたのだ!─こんなプレイでもおもしろいのはおもしろかったので、けっこうプレイはされてはいたが、他のゲームをしなくなるほどおもしろいとも思われてはいなかった。

 「ダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)」の発売は上記のようなプレイングに更に輪をかけた「D&D」の初期シナリオは、正面から突っ込んだら確実に死ぬモンスターやら、ダイスが悪ければ確実に昇天できる罠がけっこうごろごろ存在していた。今の目で見れば、マスター側が「戦いをさけるよう誘導する」「罠の発動等に”神の手”を用い、結果をおもしろくなるよう変える」ことが前提になっているわけだが、当時は「キャラなんて死ぬのが当たり前」という前提下、オープンダイスで(「コロコロ、はい、モンスター側の奇襲成功ね。じゃ、隊列に向けて矢が打ち込まれるよ。コロコロ、前衛の人に2本、残り6本は後ろの魔術師にね。コロコロ、はい、ダメージは○○ね。」てな具合で)びしびし戦死者を続出させ、パーティが全滅したら、同じダンジョンに新キャラでチャレンジ、を平気で繰り返していた。田中よしひさ氏のマンガにもあったが、この過程の中で、プレイヤーは自然に”マンチキン”へと変貌していったものだった。(実際、キャラクターをダンジョンに潜入させる時の緊張感は今とは比較にならないぐらいピリピリしたものだった。「気分はもう傭兵」であり、「RPGとは死ぬことと見つけたり」と平気でうそぶく奴らが横行したものだった。)余談ながら。以上のような経験から、この”単発シナリオ主義”時代を経た年寄りRPGゲーマーは、「物語になるのであれば」自分のキャラクターが死ぬことにほとんど抵抗感がない。当然、年寄りRPGマスターは、「物語になるのであれば」他人のキャラクターが死ぬことにもほとんど抵抗感がない。が、最近の若いRPGゲーマーは、始めてRPGをしたときから”キャンペーン至上主義”時代から入ってきたせいか、キャラクターの死に関する許容量が小さい─というか、むしろ生理的嫌悪感がある─ようだ。ここにかなりのジェネレーションギャップが生じている。以上余談。

 RPGが本格的にプレイされるようになったのは「トラベラー」のシナリオ&サプリメントの充実、そして「D&D」とその超膨大なシナリオ群の誕生が始まりであった。そうか、シナリオとはこんな風に作るもんだったんだ、金ができたらこんな使い方や、あんな使い方もできるんだ、長生きすればキャラの成長(キャンペーンてやつね。)という楽しみも追求できるんだ、とRPGの楽しみは加速度的に広がっていった。マスターはクローズダイス&神の手という技を覚え、プレイヤーはキャラを立てるロール、を覚え始めた。そして、マスターとプレイヤーの間に「物語を構築することが至上であり、その為には、ある程度において「予定調和」「暗黙の了解」「腹芸」があってもいいんだ。」という共通の認識が生まれ、ここにおいてようやくシナリオ中心の現在のようなRPGのプレイングと爆発的な流行がスタートしたのである。

 RPGが流行を始めると、小難しいルールを覚えなくてもプレイできるし、お金もそうかからない(WGでは「勝ちたければ買って研究」が当たり前だった。)ということでWGに比べ初心者にもRPGはやさしいと評判になった。ゲームワールドも、ファンタジー、SF、ホラー、スパイ物、等々広範囲に広がっていき、各ジャンルに興味があればRPGワールドに入ることができた。(さすがにアニメ物はボードの方が入りやすかったようだ。”コブラ”は名作だったが、”カリオストロの城”のプレイは死ぬほど難しかった(恥ずかしかった?)記憶がある)。おかげで会場に来る人の数も再び右肩上がりとなり、存続の危機にたたされた各クラブ・ゲームショップも再び息を吹き返し始めたように見えたし、所謂「RPG的手法」ということで、企業教育、精神治療といった分野にRPGの手法が取り入れられるということもゲーマーを勇気づかせた。コンピューターRPG・テーブルトークRPGからライブRPGへ。ゲーム文化の認知・発展という夢は失われたが、RPG文化の発展こそは、失われた夢を遙に越えて叶えられるのではないか、と多くのゲーマーが思っていた。(と書くと、「当時のゲーマーの脳味噌ってきっとバラ色でできてたんだろうな。」と、今の若い者は思うのだろうが、当時は、多くの人がそんな根拠のない予感─ちょうど、1999年で人類社会もおしまいだ。と思うように─をもってたんだってば。)そして、ここでも、ゲーマーは全ての希望を打ち破られることになる。

 RPGブームの終焉には、引き金はなかった。マスコミに叩かれたわけでもなく、ただ緩慢な終わりを迎えた。ゲーマーはいつものようにゲーム会場に行き、いつものメンバーと至福のゲーム時間を過ごし、それが長い時間の間に卓が立たなくなったことに気づいた時にはもう終わっていた。例えるならそんな最後だった。そしてそれはゲームクラブの終焉でもあったのだ。

 RPGブームの最中、優秀なRPGシステムが次々に発売された。そして、当初多くのゲーマーはそれを歓迎した。マスターもプレイヤーも、ダンジョン、宇宙、都会、過去、未来を遊び回った。しかし、序々に「この世界でずっと遊びたい」という傾向が始まりつつあった。WGゲーム末期にあった「海戦しかしない症候群」「WW2東部戦線しかしない症候群」のRPG版、という奴である。WGの場合、それでも他のゲームに手をつける(つけざるをえない)傾向はあった。いくら海戦しかしたくなくても、そんなプレイヤーばっかりではない。WGゲーマーの数が、各ジャンルの欲求を満たすだけの充分な数はいなかったのだから。しかし、RPGは違った。ゲーマーの数は必要充分に存在していたのだ。その結果、各会場はRPG内輪プレイの花が咲くようになった。会場に行けば自分のしたいRPGの卓がたっているのだから、他の卓に座る必要はなかった。更に、キャンペーン主義が主流となり始め、新規参加者を嫌う/参加者の方も嫌う傾向が生まれた。内輪プレイモードは加速的に進み、「どうせ、内輪でプレイするなら、時間制限やお金や手間のかかる大会会場でしなくてもいいじゃないか。」ということになり、参加者も減り始めた。そして時が流れ、各クラブは高齢化と後継スタッフの不足、そして「新しい参加者は誰も来ないんだし。」という理由で次々に消えていった。そして、内輪プレイの各グループが同じく高齢化で消えていった時、多くのゲーマーは「クラブ」というものが無くなっていることに気づいた。そう、そうやって「旧OSGC」と「WHK」は消えた。後には、何も残らなかった。いや、1つだけ。「内輪プレイと○○しかしない症候群はゲーマーを滅ぼす」という教訓だけが残った。(「今だってOGAでも○○しかしないというのはよくある風景じゃん。」という意見もあるだろうが、ありがたいことに現OGAでは、会長以下参加者の皆さんもかっての教訓を忘れないでいてくれている(?)のか、「初心者や部外者の排除」や「自分の知らない他のゲームなんかしたくもないし、話も聞きたくない」というほど末期的─そう、ゲームクラブが消え去る寸前はそんな雰囲気だったんだってば─ではないので、年寄りとしても(現状に大満足しているわけではないが会長以下スタッフの皆さんがこの傾向をさらに継続しようと頑張っておられることもあって)比較的安心している。今後も、「いろんな人とたくさんのゲームを楽しむ。」という雰囲気が持続するように祈るとともに(些少だが)努力していくつもりだ。


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