慣れ親しんだ玄関の戸を開ける。
 いつもの空気、いつもの寒さ。ふと空を見上げる。近づきつつある、いや正確には生まれつつある不穏な雰囲気を映してか、空はうっすらと鉛色の雲が目の届く限りの広い天を覆っていた。

 いつもなら、このまま学校へと向かう時刻。
 今日は藤ねえが学校で何をやらかすのか。
 今日の後藤くんは何の番組の影響を受けているだろうか。
 今日は一成に何を頼まれるだろうか。
 そんなことをのんびりと考えながら、次第に人が増えてく通学路を一人歩んでいる時刻。

 けれど今日、俺たちは決戦へと向かう。
 いつもの風景。いつもの日常。
 それが明日からも続くように。
 俺たちの、そしてこの街に住む全ての人たちの明日を守るために。

 キャスター。
 セイバー。
 遠坂。
 桜。
 イリヤ。

 俺たちは玄関先で一度顔を見合わせると、決意を忘れないように強く頷いた。
 みんなで、またここに帰ると。
 誰にも知られずひっそりと行われる最後の戦いに、必ず勝って全員が生き残ると。
 
               オヤジ
(――――行ってくるよ、切嗣)
 
 最後にもう一度家を振り返る。
 あの火災から十年。切嗣に育てられ、俺の第二の人生が始まった場所。
 藤ねえと、桜と、そしてキャスターやセイバーや遠坂、そしてイリヤ。たくさんの家族ができた場所。
 そして、切嗣が愛し、そして眠った場所。
 絶対にここにもう一度帰ってくる。だからどうか見守っててくれ。オヤジの果たせなかった夢は、オヤジがやり残したことは、俺が、ちゃんとカタチにして見せるから――。



 2月14日 〜Final〜





 第三十一話 〜Dance In The Dark〜





 深山町の外れ。円蔵山柳洞寺。
 聳え立つ山。心霊が羽を休めし厳かな空気を纏った柳洞寺の麓から、長い石段を見上げる。
 さっきからこの山に一歩近づくごとに妙な胸騒ぎがテンポを上げて、リズムを上げていくのが分かる。
 胸の奥でもやつく嫌な感じが少しずつ大きくなっていくのが分かる。
 それは俺たちが一歩一歩、この世全ての悪に近づいている証拠でもあり、すなわち言峰はここにいると言う証拠でもある。
 神仏を崇める寺の真下にこの世全ての悪が生まれようとしている、その矛盾は、場合が場合なら皮肉で滑稽な笑い話。
 だが、アレは一度この世に生まれでたらあとは純粋な破壊を持ってこの世を地獄に変えるのみ。笑ってなんかいられない。なんとしても止めなくてはならない。
 大聖杯を破壊すること。
 言峰を倒すこと。
 そして、生きて帰ること。
 それは正義の味方としてやるべきことでも、聖杯戦争のマスターとしてやるべきことでもない。
 ただ、この街に住む一人の人間として。衛宮士郎として。
 そして、衛宮切嗣の息子として。
 俺は、その難しいことをこれからやり遂げなければいけない。

「こっちよ。そこの横穴から入っていけるわ」
 イリヤの案内で、階段から外れて横穴へと入っていく。何度もここを訪れている俺ですら入ったことも見たこともない穴へと足を踏み入れる。
 そこは当然のように真っ暗で、一歩中に入っただけで全身にまとわりつくような悪寒が、まさにここは冥府への入り口に相応しいとすら思わせる。
 魔術で明かりをつけてもらって進んでいく。入り口の狭さは距離と共に反比例し、下ってゆくごとに少しずつ余裕を持って通れるようになっていく。もしかしたら、元々ここで行われた儀式のために、大昔の魔術師たちが手を加えてきたのかもしれない。

 耳の奥で何者かが呻く声が聞こえるような錯覚に陥る。
 これは幻聴だ。頭ではそう分かっている。救いを求める亡者が、救いの手を差し伸べない神にすがる怨嗟の声。そんなもの、こんなところで聞こえるわけはない。
 だけど胸の中に広がり続ける靄と一緒くたに混じり合って、やつらはさっきから悪い予感を植えつけてゆく。
 俺が神経質すぎるのか、それともみんなも聞こえているのか。俺が気にしすぎなのか、それともアンリマユと言峰の仕業か。
 怖いわけじゃない。進むべき道が間違っていないと示してくれると言う点ではむしろありがたい。だけど、もしかしたら、俺たちは間に合わないんじゃないか。疲弊しきった俺たちが力を回復しようと昨夜のん気に寝ていた間に、アンリマユは生まれてしまってたんじゃないか。この頭の中に直接飛ばしてくるような声は、アンリマユの誕生の喜びの産声なんじゃないか。
 そんな不安がふつふつと湧き上がっては、その不安をかき消すように首を振って目の前を凝視し、歩み続ける。
 殿(しんがり)の俺からはみんなの表情は見えない。みんなは無言のまま進んでいく。止まることなく、イリヤとセイバーを先頭に、始まりの地を目差して。

 やがて、先頭のイリヤとセイバーが立ち止まり、俺たちはすぐに追いついた。
 そして見た。二人が止まった理由を。目の前に現れた、道の変化を。これまでの狭い通路とは違い、大きく開けた空間を。

 果たしてここは、自然が作りし天然の礼拝堂か。
 空も飛べそうなほどに高く広がった天井は、俺たちがいつの間にかずいぶんと深くまで降りてきたことを物語る。
 円を描くように丸く展開した岩壁は、ホールのように俺たちを迎え入れ、小さな足音を何重にも反響させて歓迎の曲を奏でる。
 使い魔として明かりをくれた水晶の鳥が、自ら放つ輝きを強くする。それはまるで、客を迎える煌びやかなシャンデリア。
 その光が、奥に開いた小さな道を照らす。

 そしてその前にいる、一つの黒い影をも。

「――――!!」
 弾かれたように、武装したセイバーが剣を構えた。
 宝石が、影が、杖が、双剣が、魔術刻印が、それぞれの手の中に現れる。
 
 俺たちの存在に向こうが気付いているにもかかわらず、奥にいる黒い影は襲い掛かってくる気配は無い。
「綺礼……?」
「いえ……昨夜感じた気配とは別物ね」
 ここからでは見えないが、あれは言峰ではない。根拠は無いが、心がそう言っている。
 胸の奥に垂れ込める暗雲は、まだまだこんなものではない。絶望と歓喜が入り混じった冥府からの声は、まだまだボリュームを上げ続ける。この身を呑み込もうとする闇は、まだこの程度ではない。
 言峰は、まだこの先にいる。
 警戒しながら――正面だけではなく、上や足元からの不意打ちにも全力で警戒しながら――この広場に二つしかない、もう一つの道への入り口へと近づく。
 
 最初にその影を見定めたセイバーの顔が凍りつく。
 そして、キャスターや遠坂も。
 もちろん、桜もイリヤも、そして、俺も。
「馬鹿な――――なぜあなたがここにいるのです――――」

 その影を睨みつけながら、セイバーは剣の切っ先をその影へと向ける。
 信じられない、という顔をしながら、キャスターと遠坂が詠唱の構えを見せる。


「ギルガメッシュ――――!!」
 俺は奴の名を呼びながら、汗のにじむ手で双剣を握り締める。



 なぜこいつが――そんな当たり前のような疑問を沸きあがる戦意で押しとどめ、徐々に間合いをつめていく。
 奴が俺たちを殺すために何らかのアクションを起こしたならば、その瞬間に俺たちは攻撃を始めていただろう。
 こいつを倒さずしてここは通れない。そんなことは今更言うまでもない。

 ――だが。
 
 奴はまるで案山子のように、微動だにせず俺たちを見ていた。

「何なの……?」
 最初に言葉を発したのはイリヤだった。理解できない、と言いたげな苛立ちを含んだ声が、反響して耳に届く。
 その違和感に気付いたのは、更に近づくにつれ、奴の全身、表情や着装までを見ることが出来たときだった。
「せ、先輩……」
「な――んだ、こいつは」
 
 影のように見えたのは、洞窟の中で光が弱いからだと思っていた。だが、近づいて見てもなお、その人影は色の無い影法師そのもの。
 それは、ギルガメッシュであってギルガメッシュではなかった。
 世界の支配者として、誇り高く俺たちを見下してきたあの黄金のサーヴァントは何処にもいなかった。
 それは、黒いサーヴァント。
 いや、サーヴァントとすら呼べぬ、生命の息吹が枯れ果てた黒い操り人形。
 黄金の鎧が、漆黒に塗りつぶされていた。
 黄金の髪も、真っ黒に染め抜かれていた。
 肌の色も、まるで影と本人が入れ替わったかのように、全身が黒に変わっていた。
 そして黄金の中で唯一、世界を燃やし尽くさんばかりに爛々と光っていた赤い瞳が、どす黒く濁っていた。
 その目には生気がなく、意思が無く、表情が無く、そして、命が無かった。
 それはヒトではなく人形の目。出来損ないの蝋人形のように、髪も、肌も、顔も、鎧も、生命の欠片も感じさせないただの黒い部品にしか見えない。
 そしてその体こそ、バーサーカーを汚染していた聖杯の泥そのもの。肉体を構成する泥は腕や鎧を伝って際限なく流れ、どろどろにただれ落ち、行き場をなくしては岩肌の地面へと落ちて濁った水たまりを形成する。
 それは既にサーヴァントではなく、ましてやヒトですらない。その作り物のような非現実感と、目にするだけで嫌悪と同情の念を禁じえないおどろおどろしさはまるで肉体の腐敗した屍人(ゾンビ)のごとし。
 俺たちが昨日遭遇した黒いバーサーカーですらない。アンリマユに黒く塗り潰されたバーサーカーですら、その肉体には生身の圧迫感と、本能を縛り付ける野獣のような生きた声と、瞳の中にも爛々と輝く命の光があった。
 だが目の前のこれはそれ以下だ。そもそも言峰の言ったことが本当なら、アンリマユの餌として食べられたギルガメッシュは肉体ごと消滅したはず。

 ならば、コレは、何だ。
 コイツハ、ダレダ。

「……何がどうなってるのよ」
 遠坂の独り言にも似た問いにも、黒いギルガメッシュは答えない。
「……そういうこと。まったく、ずいぶんと悪趣味な人形遊びが好きなのね、あの神父は」
 その代わりとでも言うように、あきれた様なため息のこもった声をキャスターが漏らした。

「キャスター。あれに見当がついているのか?」
 キャスターはええ、と頷く。
「あのギルガメッシュの肉体は既に滅んでいるようです。あれからは私自身の使う竜牙兵や……かってアルゴー船団の冒険で出会った、青銅の巨人タロスといった魔導生物の感覚に近いものを感じます」
 青銅の巨人タロス。それはクレタ島の番人として、メディアやヘラクレスたちを待ち受けたゴーレム。踵の栓を抜かれて全身を巡る灼熱の血液を失い倒されたという、神話上の伝説の巨人。
「……となると……アレは本当にただの人形?」
「そうよ凛。見たところ、アレはギルガメッシュの肉体をバーサーカーのように汚染させて操っているわけでもない。聖杯の泥を使って、ただギルガメッシュに似た泥人形として作り出されただけの粗悪な門番。
 おそらく手駒を全て失ったあの神父の最後の切り札と言ったところかしら? 肉体の強度も知能もサーヴァントの足元にも及ばない。仮にもあれほどの英霊をここまで堕とすなんて、見てるだけで虫唾が走るわ」
 本物のギルガメッシュだったら、無数の魔弾がとうに射程内に入っている距離でキャスターが説明しているにも関わらず、黒いギルガメッシュはなんらアクションを起こさない。
 既にアレに自我などないのだろう。おそらくは言峰のインストールした命令――せいぜいが『この通路を通ろうとする敵を始末しろ』程度だろうが――を守るだけの、ロボットとなんら変わりない。
 そういう意味では、汚染され黒化してなお、意識を持って俺たちを敵と認識してきたバーサーカーのほうがずっと怖い。 
 もっとも、問題は。
「ただし、アレがどれだけ強いのかは私だって分からないわよ」
 人形だからと言って、アレが俺たちを素直に通してくれるはずがないということだ。

「じゃあ――仮にこいつをクロガメッシュとでも呼ぶ?」
「センスないわねリン。なんか売れない洋菓子みたいよ」
「貴女たち、この状況でよくそんなこと言えるわね……」

 目の前の現実に押しつぶされないような軽口を叩きながら、しかし身体はいつでも反撃に備えつつ奴との距離を少しずつつめる。
 ギルガメッシュと出口との距離はおよそ5メートル。俺たちとギルガメッシュとの距離もそろそろ5メートル。

 そこで、奴の身体に変化が起きた。

 身体を削るように、泥で構成された不定の肉体から流れて零れ落ちていただけの黒い泥が、肉体から離れてそのまま宙に浮かんでいく。
 一つ、二つ、三つ、五つ、十、二十、四十。それはかってメソポタミアの英雄王が集めた世界中の財を用いた華麗なる魔弾にあらず。
 その身を削り、肉体をそのまま弾として相手にぶつける醜い泥の弾。
 それは奴なりの最終警告のつもりか、ギルガメッシュの周りにふわふわと浮く泥弾は、俺たちが後一歩でも前に踏み出たら即座に俺たちめがけ降り注ぐだろう。

 破壊力ならば、あの泥弾一発一発は本物のギルガメッシュの魔弾の足元にすら及ばない。
 だが、アレは小さいとはいえサーヴァントも人間も等しく汚染し、呪い殺す聖杯の中身だ。直撃すれば危険なことに変わりは無い。いや、一発身に受けた時点でこちらの動きが封じられる可能性があるという点では、ある意味本物より厄介な攻撃だ。

「どうする士郎。私たちが取るべきアクションは三つ――ここで全員であれを倒すか、あれを振り切って全員で先に進むか、それとも戦力を二つに分けるか」
「…………」
 遠坂の声には、焦りや恐怖の色は無い。ただ、ひたすらに重く感じられた。この場で決断しろ、ここが運命の分かれ道だ。間違えたら俺たちに未来は無い。十分すぎるほどそれを伝えようとしていた。そんなことは俺だって既に承知している。

「キャスター。あの泥人形は、時間稼ぎのために言峰が用意したものだと思うか?」
 身長ほどもある杖を前方に突き出しながら、キャスターはしっかりと頷いた。
「はい。確かに脅威ではあるけれど、私たちが勝てない相手ではないはずです。あの身体を構成している泥とて無限ではないようですし、狙いは私たちが大聖杯の元へ至るまでの時間稼ぎでしょう」
 それならば、決断は簡単だ。
 ことキャスターの分析は絶対に間違いがない。ならば、俺はそれを信じて行動する。
                        ・ ・  ・ ・  ・ ・  ・ ・  ・ ・ ・ ・
「ということは――逆に言えば、言峰は時間稼ぎを必要としていると言うことだ。既にアンリマユが生まれたのなら、そもそもこんな粗悪な偽者なんて作る理由はない。つまり、時間をかけなければ俺達はアンリマユの誕生に間に合う」
「ええ――ということは、ここで時間を取られては,間に合わなくなると言うことね」
 俺の考えに同意するようにイリヤが引き継ぐ。誰に守られるでもなく、自分の力で道を切り開こうとするように、イリヤは俺たちと同じラインに立ってギルガメッシュの向こう、全ての始まりへと続く最後の道を見ていた。
 そう。だからここで全員がこの場に残ると言う選択肢は最も愚かな選択だ。それはみすみす言峰の策にはまり、時間を無駄にしてしまうだけ。
 かといって、ここでこいつをやり過ごすのも無理だ。背後からあの泥弾で狙われるのも、言峰とギルガメッシュに挟み撃ちにされるのも危険すぎる。
 ギルガメッシュをなんとかしながら、俺達は急いで先に進まないといけない。矛盾しているがそれしかない。そしてそれをやるためには、選択肢は一つしかない。

「――では、私がここを抑えます。シロウたちは先を急いでください」
 戦場に出陣せし暁の騎士王の表情を纏い、セイバーが一歩前に出る。
 既に抜かれていた不可視の剣を覆う風の鞘は、強風から暴風へと変わっていく。
 それに反応してギルガメッシュの漆黒のガラス玉のような瞳がセイバーを捉える。かって、セイバーに求婚し、執拗なまでにセイバーを求めたという英雄王の執着と野心に満ちた眼差しはそこには微塵も無かった。

「え……セイバーさん!?」
「大丈夫です桜。私の風王結界ならばあの泥弾もこの身に触れさせることなく凌げましょう。私のエクスカリバーならば、この洞窟を壊さない程度に調整をしても泥に触れることなくあの肉体を消滅させられるだけの威力は出せましょう。
 何より私は士郎と、そして桜、あなたの剣です。あなたたちの身を守り、道を切り開くのが私の役目ですから」
 
 ――そう。理想ならばセイバーにこの場を任せるべきだ。
 言峰を相手にするのに、セイバーと言う最強の前衛が欠けるのは痛い。しかし腐っても最強のサーヴァントを模して作られた人形、しかも聖杯の泥を相手に、いくら魔術に長けているとはいえ戦力的にはサーヴァントに劣る遠坂やイリヤが相手をするには不確定要素が強すぎるにも程がある。
 そしてまた、俺たちが最優先すべきはギルガメッシュの相手でも大聖杯の破壊でもなく、言峰を倒すこと。それには俺とキャスター、どちらが欠けてもそのための作戦が成り立たなくなる。
 こんなとき、あいつらがいてくれたら……などと思ってはいけない。俺達は今の戦力で道を切り開くしかない。あいつらは自らの役目があるにもかかわらず、俺たちのために戦って、そしていなくなってしまったのだから。
 
「分かった、頼んだぞセイバー」
「はい。シロウ、私が戻るまでどうかご無事で」
 ギルガメッシュの合図一つで、泥弾はいっせいにセイバーへと降り注ぐだろう。その瞬間を狙って、俺達はギルガメッシュの横を突っ切り、あの通路へと飛び込む。後はセイバーが背中を守ってくれることを信じて。そのために、その瞬間に末足を爆発させるだけの力を溜め込んでおく。
 あとはタイミングを計る。セイバーが討って出て、そのコンマ一秒後に俺たちが行動できるように。

 ……だが。
 今にも出掛かった足を、一人の声が止めた。
「待ってください……私も、残ります」
「「桜!?」」
 思わぬ人物からの主張に、キャスターと遠坂の反応が重なる。二人とも、桜を本当に大切に思い、見守ってきた存在だからだろう。桜が自ら戦いの場に残ると言い出すなど、キャスターも遠坂もどうして予想していただろう。もちろん、俺だってそうだ。
 俺は桜の方を向いて、言葉に出来ないけれどとにかく何かを言おうとして……止めた。

 その先を見据え、拳を握り締め、凛として立つ桜の姿は、弓道で的を前にしたときの如く。
 揺るぎ無く、迷い無く、決意を秘めた瞳でギルガメッシュを射抜くように立つ姿が見せるは、この少女の得た本当の強さ。
 
「……よろしいのですか、桜?」
 怯えるでもなく、高揚するでもなく、ただ自分の使命を果たそうという意思を貫かんとする桜には、キャスターも遠坂もそれ以上何も言えず顔を見合わせる。
 ただ一人、セイバーのみが。桜のサーヴァントにして、桜とお互いに命を預けあう関係になるセイバーだけが、止めるのではなく、最後に一度だけ意思を確認するように尋ねた。

「はい。私はセイバーさんのマスターです。セイバーさんが少しでも早くあれを倒して、先輩たちの元にいけるように助けるのが、私のすべきことだと思います。
 足手まといにはなりませんから、どうかお願いしますセイバーさん」
「……」
 セイバーは身体を半分捻り、桜と正面から向き合ってその真っ直ぐな瞳を覗き込む。そして、満足そうに口元を綻ばせた。
「あなたが一緒なら心強い。――シロウ、凛。桜を少しお借りします」
「……分かったわ。桜、セイバーの足を引っ張るんじゃないわよ」
「気をつけろよ、桜」
 セイバーは桜を認めてくれた。
 だから俺たちも認めよう。桜を、守るべき存在ではなく、セイバーのパートナーとして任せられる存在と。
 信じよう。おそらくは相当の死闘になるかもしれない強敵との戦いに身を投じる桜が、セイバーと一緒に無事に追いついてくることを。

 もう一度、タイミングを計って呼吸をあわせる。
 俺たちがこんなに無防備に話をしていたにもかかわらず、まだ俺たちを敵とみなす射程の外とみなした黒ギルガメッシュはこちらの不意すらついてこない。
 自我を持たない、ただの人形など所詮はこれが限界だ。いくら聖杯の泥で武装し、いくら英雄王ギルガメッシュのカタチを真似ようとも、セイバーと桜がこんな奴に負けるはずは無い。

 ――3

 足に魔力を込める。

「サクラ――強くなったわ、あなた」

 ――2

 腰を落とす。

「ありがとうございますイリヤさん。先輩をよろしくお願いします」

 ――1

 まっすぐ、前だけを見る。

「ええ。あなたも死なないでね」

 ――0

 セイバーが、ギルガメッシュへと切りかかる。

 ――マイナス、コンマ0.1

 ギルガメッシュが反応する。瞬く間に境界線を越えたセイバーに、待機していた泥弾が襲い掛かる。

 それと同時に、俺達は駆け出す。
 奴の横を掻い潜り、奴が守っていた通路へとひとかたまりで辿り着く。既に放たれた泥弾は俺たちの方向へ軌道修正など出来るはずもない。
 少しだけ振り返る。セイバーの剣の一振りで、初撃の泥弾はあっさりと吹き飛ばされていた。
 
 第二撃、待機したままの残りの泥弾が広範囲へと放たれる。
 今度は俺たちが駆け込もうという通路と、セイバーの両方にめがけて泥弾が襲い掛かる。
 セイバーは自分へと飛来する泥弾を風の結界で吹き飛ばしながら、ギルガメッシュと俺たちの斜線上に割り込もうと滑るように駆ける。
 それでもセイバーが間に入るより早く、数発の泥弾は俺たちめがけて飛来する。俺は剣を、遠坂は宝石を、キャスターは杖を、迫り来る泥弾から身を守るために構える。
 
 そのとき、空間に暗幕が下りた。

 急にそこだけが夜になったかのように、黒いカーテンが俺たちを守るように広がり泥弾を受け止める。
 暗幕にぶつかった泥弾は、そのまま流れ落ちて地面へと垂れてはその力を失う。
「――桜!」
 キャスターが叫ぶ。その視線の向こうには、影を纏った右手を俺たちへと向けて俺たちを守ってくれた桜がいた。
 『ここは任せて、急いでください』
 ――そう言いたげな微笑。俺たちを安心させてくれる、柔らかな微笑を浮かべて。

 ならば、もう振り返らず進もう。
 虚数魔術を利用し、影を武器とし防具とし使い魔とする桜の魔術は、まだ荒削りとはいえたいしたものだ。
 そしてあの泥弾は、確かに身体に触れればそれ一発で致命傷となるだろう。だが、破壊力はギルガメッシュの宝具の魔弾には遥かに劣る。俺たちの魔術で防ぎきることが出来るならば、あの程度の攻撃で済んでいるうちは大丈夫だろう。
 仮にも言峰が俺たちを相手にしての時間稼ぎに作った人形だ。一筋縄ではいかないだろう。けれど、セイバーと桜ならあんな奴には絶対に負けない。
 だから、二人の勝利を信じて、そして俺たちの背中を二人が守ってくれることを信じて、俺達は振り返らずに先に進もう。
 さらに下へと伸びる道を、駆け足で進もう。




 






 そして、広い空間に出た。
 


 さっきの場所を礼拝堂にたとえれば、この空間はまるで遊技場のような広さを誇る。
 どれだけ深くまで来たのか、天井ははるか高く、自然が作り上げた天然の造形美が限りなく広がっている。
 広い地面は円を描くように先に行くにつれて広がり、遠く奥のほうでまた収束するように狭まる。
 その中心部、平たい大地にあけられた、クレーターを思わせる大きな窪みがひときわ存在感を際立たせていた。

 そして、その中央、この距離からでも見上げないと見えないほどの高さに浮かんだ宙には。

 用意された祭壇を揺り篭にするかのように、

 黒き胎児が、脈動しながら眠っていた。

 羊水のようにその身を覆うものは、ここからでも見て取れるほどに真っ黒に汚染された黒い泥。
 まるでそれは冥府の底で煮え続けるマグマを連想させる。

 そうだ――あれは。

 あの日、あの時の大火災で、俺が、見た、

 燃え盛る炎が照らす深紅の空に浮かんでいた、

 うねりを上げる炎が全てを燃やし、全てを奪い、全てを飲み込んだ、その凄惨な光景をじっと見ている怪物の目玉のような、

 かってない地獄の――具現化たる黒い孔。



 気がつくと、俺はクレーター目差して駆け出していた。
 先行する俺に追いつこうと、後ろからキャスター、遠坂、イリヤが追随してくる。
 羽のように、風のように、全力であの中心部を目差す。首筋に汗がにじむが、ふき取る気分にもなれない。
「イリヤスフィール。あのクレーターのところにあるのが大聖杯なの?」
「そうよ。あのクレーターには大聖杯の調整役として作られたご先祖様が収まっているの。あのクレーター全体に刻まれた魔術刻印そのものが、聖杯戦争を動かす大掛かりな術式」
「……仮にわたしと桜とイリヤとキャスターが集まっても、魔術的に解除するのは無理そうね。何よあの大きさ」
 そっちの方面には疎い俺でも理解できる。あれは、現代の魔術師にどうこうできるモノじゃない。直径50メートルを超える魔法陣など常識的に――たとえ魔術師の常識から見ようが――ありえない巨大さだ。考えてみればサーヴァントを七体召還させ、魔法すら実現させかねない奇跡を起こそうと言う魔術を発動させる代物だ。全ては、ただ一つ、門の向こうへの到達。それのみを目指した先人の執念にどうやって太刀打ちすればいいのか。そうなれば、やはり力づくでの物理的破壊だろう。この基盤さえ崩せばこの儀式も終わる。
 ……もっとも、その前にどうしても俺達はあいつを倒す必要があるだろう。
 みすみす大聖杯を破壊などさせるつもりはあいつも毛頭無いはずだ。ならば、あいつはきっとそこにいる。

 

 ――そして、すり鉢状のクレーターへと降りる淵、地面と大聖杯の境界線。
 そこに、あいつは立っていた。
 立ちはだかるように、守るように。
 
 黒衣を纏い、俺たちを見ても何も語らぬ表情を崩すことなく、ただそこに立っていた。

 
 俺たちの、最後の敵が。


 ――言峰、綺礼が。



「ほう、存外早かったな。……なるほど、セイバーに足止めをさせたか」
 俺たちの顔を見回し、言峰は抑揚の無い声で言った。
 
 その目を見たとき、言いようの無い寒気が背筋を伝った。
 人間の知性や理性と言った光がまったく見えない、虚無一色で彩られた瞳。
 目と目が合ったにもかかわらず、何か奴との間に『ずれ』を感じさせられた違和感。
 奴の、俺たちを通り過ぎてなお何かを見ようと遠くを見るが如き視線。
 
「言峰、お前まさか目が――」
 その戦慄の正体。
 あいつは――俺たちを見ているようで、見えていない。
 すでにあいつの目は、ギルガメッシュと同じ。人間らしさを感じさせない、ビードロのような無機質な瞳。
「そうだ。既に両目ともよく見えん。ついでに言うならば、味覚と嗅覚も既に無い。古い記憶もところどころ曖昧だ。それから心臓に近い左半身もうまく動かんな。どうやら私の肉体では、サーヴァント複数の魂を収納するには無理があるようだ」
「当然よ。アインツベルンの聖杯ですら、サーヴァントの魂を取り込むたびに余分な人間としての機能が失われていくのよ。ましてやそんな紛い物の出来損ないで、よくもまぁバーサーカーやギルガメッシュの魂を取り込んだものだわ」
 イリヤが心底あきれたような声を出す。まだ聴力は残っているのか、言峰はそれを理解したように小さな笑みを浮かべた。
「そうか。だが問題は無い。アンリマユの誕生は、目ではなくアンリマユと繋がったこの身体で理解することが出来る。どの道アンリマユが生まれたら朽ち果てる身体だ。惜しくも無い」
 淡々と言峰は言う演技でも強がりでも、ましてや自嘲でもなく、奴は心から、そんなことは些細なことだと言いたげに。

「それよりも、お前たちには見えるかあれが。私にはもうよく見えないが、今はどうなっている? この世に生を受ける歓喜の瞬間を待ちわびて、期待に喜び震えているか?」
「――ああ。一刻も早くお前を倒さないといけないってことがよく分かるくらいに成長してる」
「そう殺気立つな。まだもう少し時間はある。無垢なる赤子の前でいきなり殺しあうというのも無粋なものだろう。最後に何か話すことでもないか衛宮士郎」
「――無いな。あんたの時間稼ぎに付き合う気はない」
 元々こいつと話し合うようなことなんてもう何も無い。
 言峰と俺たちとは、根本がずれている。それは正義とか、道徳とか、信念とか、そんなもので片付けられるレベルじゃない。何を愛するか、何を良しとするか、それを決定付ける魂そのものがそもそも違う色をしているのかもしれない。今更話し合ったところで、俺たちの考えが一致することも、ましてや奴の考えが変わることも、絶対にありえないと今なら断言できる。
「嫌われたものだ。――なら凛、お前はどうだ」
 話を振られた遠坂は、やや不機嫌そうに腕を組んで苦い顔をした。
「そうね。最後だからついでに聞いておくけど、あのギルガメッシュみたいなのは何なの」
「ふむ。あれはお前たちも予想したように、本当にただの人形だ。アレの魂は相当に頑固でな。最後まで泥に抵抗したままで、ついにその魂を汚染することは適わなかった。
 おかげでお前たちへの足止めの駒が無くてな。あれは飲み込んだ奴の鎧をベースに、外見と中身をギルガメッシュに似せて肉付けした使い魔以下の存在にすぎん」

 うちの庭で、月光を背に俺たちを見下ろしていた黄金の騎士の姿を思い出す。
 冷酷な暴君と呼ぶに相応しい、いけ好かない奴だったが、それでもあのギルガメッシュは確かに王としての誇りと強さを持っていた。
 自らが王であることになんの躊躇いもなく王であり続ける姿は、確かに英雄王と呼ぶに相応しいやつだった。
 ……それだけに。
 イリヤのバーサーカーを汚しただけじゃなく、ギルガメッシュまでもただの戦闘マシンへと堕としたこいつは許せない。

「そう、安心したわ。鎧がベースってことは、この場で量産したりはできないってことね」
「そうだな。私の力では奴の概念が濃く残っていた鎧でもベースにしなければ、あれだけのものは作れんさ。いくらいい土を使おうが、それを使って器を焼く陶芸家の腕が未熟ならばいい陶器は作れないようなものだな。だが侮らない方がいい。セイバーが無事に追いついてくるとは限らん。……そこのお嬢さんはどうかな」
 キャスターはそれだけで人を氷付けにできそうなほど鋭く冷たい視線で言峰を刺していた。
 見えなくともその視線は感じたのだろう。言峰はキャスターのいる空間に身体を向けて、その視線の意味を問う。

「そうね。私もかってあなたと同じようなことをしたことがあるわ。目に映る自分以外の全てを燃やし尽くして、何もかもを滅ぼそうとした。だから参考までに聞きたいのだけど、あなたがここまでする理由は何かしら? 自分を異端視したこの世界に復讐するため、とかではないのでしょう?」
「無論だ。そもそも私自身、自分が普通とは違う異常者であることは自覚している。私にとっての美とは人間が忌み嫌うものであり、私にとって理解できないものこそが普通と呼ばれるものたちだ。それを自覚していなければそもそもかっての私は散々悩むことなど無かった。
 復讐? そんなことをして何になる。そもそも私は異端ではあるが、世界が私を異端視することになど何の問題も無い。私にとってはそれは単なる自己の存在を確立させてくれる救いにはなれど、復讐の動機などもっての外だ」
「ありがとう、はっきりしたわ。やっぱり私とあなたは違うみたい。自分と違うから殺していい、なんて理屈は到底ありえないにしても、少なくともあなたに遠慮する必要はないということはよく分かったわ」
「そうだなキャスターのサーヴァントよ。お前は私とは違う。お前の生前がどのようなものであったかは詳しくは分からん。が、少なくとも裏切られて絶望したと言うことはお前もやはり普通の人間たちと同じ魂を持っていたということだ。いや、人間の業をただ相手に返しただけのお前は、ある意味快楽や利益のために罪を犯す人間よりよほど純粋な心を持っているのかもしれん」
 ……意外だ。
 言峰の考えていることなど、俺にはさっぱり理解できないし、理解したくも無い。
 だが奴は奴なりに、常識そのもの、そして人間としてのモノの考え方はしっかりと持っている。その上で、ある意味的確にキャスターのことを理解している。
「それはありがとう。私たちは違った意味で純粋だったのかもしれないわね。私はかって純粋な白だったために神に弄ばれて絶望から魔女になった。あなたは純粋な黒だったために、光の道を歩くことなく闇を歩き続けた。悪を正義と信じるわけでもなく、破壊や殺戮に楽しみを見出しているわけでもない。ただ純粋に、自分に出来ることがあった。それはアンリマユと言う、生まれかかった生命を誕生させることだった。だからそれをしようと思った。そしてそれがたまたま、この世全ての悪だった。それだけのことなんでしょう?」
「どうかな。今となっては私にもよく分からん。確かなのは今ここにある事実のみだ。私はアンリマユを誕生させる。お前たちは私を倒してそれを阻止する。実に単純な図式ではないか。
 嬉しいか衛宮士郎。お前の目の前にいる私はまさに悪以外の何者でもない。正義の味方として、これ以上ない最高の敵役ではないか」
「……違う」
 奴の言葉が本心からか、単に悪意をもって俺の傷を切り開こうとしているのか、そんなことはどうでもいい。
 だが、奴の言葉――悪を倒すための正義、それだけは全力をもって否定する。

「俺が欲しいのは正義の味方なんて肩書きでも、ましてや正義の味方として倒すべき悪でもない。ただ――理由もなく理不尽に苦しむ人たちが一人でもいなくなればいい。悪も正義もないところで、みんなが普通に笑って、泣いて、怒って、幸せに暮らせていればいい」
 それは、永遠を望む代わりに、何気ない日常、一瞬で過ぎ去ってく生を望むように、

「そしてもう、お前に言われなくても、全ての人を救うなんて理想が不可能だってことも分かってる」
 幾千億年前の光を見せる星を手に掴むことなど、人の一生のうちでは出来ないように、

「救いたくても救えない人間、救えなかった人間がいくらでもいるってことも分かってる」
 永遠に流れ続ける時の流れが、すくった手の隙間から零れ落ちるように、

「ほう――衛宮切嗣の理想を呪縛と知らずに背負い続けてきたことに自ら気付いたか。ではお前はどうしたい? その未来に何を見て戦う、衛宮士郎」
「――それは、これから見つけるさ」
 
 答えなどすぐには見つからない。
 衛宮士郎が10年かけて背負ってきたものを捨てた今、それに変わる理想などたった数日で見つかるわけもない。
 それでも全てを救うために足掻くのか。
 切り捨てることをやむを得ずと悟るのか。
 それともこの手が届く範囲のものを何よりも愛でるべきなのか。

 それすら今の俺には、どれが正しいのかなんて分からない。
 
 けれど今、確かなことは、二つ。

 俺はみんなを死なせたくない。だから戦う、守るために。
 
 俺はこれからも生きていかなくてはいけない。この世界で。その答えを見つけるために。

「だから戦う――俺だけの答えを見つけられる、その日まで生きていくために。そのために俺たちが生きるこの世界が続いていくために!!」

 世界を終わらせないために。
 いつか答えが見つかる日まで生きるために。
 そのためには今、アンリマユの誕生を阻止しなければいけない。そのために、俺はここに来たのだから。



「ならばもう言葉は要るまい。生きたければ勝て。それがお前の答えと言うのならな」

 言峰を覆う漆黒の衣が肥大していく。
 否、それは最初から衣などではなかった。
 生き物のように、脈打ちながら言峰の体の上を這い、覆い、滴り落ちるその外装はあのギルガメッシュの体と同じ聖杯の汚染された泥。既に向こうとの繋がりを確立させた奴の体は、もはや肉体と泥が一体化していた。
 その中心は、聖杯そのものだという奴の心臓。孔が開いているかのように、そこから枯れることなく延々と泥があふれ続けていた。
 あふれ出た泥はカタチを持って、少しずつ言峰を守るように全身を覆っていく。体の芯に肉付けされていく人形の如く、言峰綺礼と言う肉体そのものを芯として、泥が、言峰綺礼とは似て非なるモノを作ろうと肉付けしていく。
 
「……何よ、あの悪趣味な姿は」
「まったくね。私が生きていた神代にも、あんな不気味なのはいなかったわよ」

 俺たちの目の前で、見たことも聞いたこともない化け物が生まれていく。
 顔は基本的に言峰綺礼のまま、しかし首から下は一滴の白もなき泥が構成する、まるでクラゲのように幾本もの触手を持った、生物とも人とも悪魔ともとれない異形の姿。
 数えるのも馬鹿らしいほどに体中から生える無数の触手は、その全てが呪いの泥で作られたもの。あれに捕まったら最後、よくて廃人、悪くて即死。俺たちの気配を察することが出来るのか、その先端は狙いを定めるように全て俺たちへと向けられている。

「気をつけるがいい。捕まったらそれで最後だ」
「は――上等だ――!!」

 セイバーの到着を待っている余裕は無い。
 前衛は俺が担う。逃げ回るだけでは俺たちは生き残れないし、言峰を倒すことも出来ない。
 だから、今ここで俺達は戦う。

 ――投影、開始。
 
 両手には剣を。
 あの触手を防ぎ、道を切り開くための二本の剣を。

「δναμη!」
 
 身体にはキャスターの強化の魔術を。
 一振りで敵を倒せる腕力を。触手の動きについていける脚力と反射神経を。動きを見極められる視力を。何より、キャスターと二人で戦っているんだという、体中を流れる絆の証を。

「……援護は任せたぞ」
「任せなさい、士郎」
「安心して、シロウはわたしが守るわ」
「士郎――お気をつけて」
 そして、背後には、守るべき仲間を。

 力がみなぎる両足で大地を踏み込み、一気に爆発させて飛び出す。

 目に映るは、この世全ての悪の下に立つ、最後の敵。
 そして、それを守ろうと一斉に襲い来る触手の群れ。
 
 さあ、始めよう。
 全てを終わらせるための戦いを。
 長きに渡る因縁を解き放つための、ラストダンスを。

 続く



あとがき
 時間をかけた割りに、今回はちょっと短くなってしまいました。
 バトルはバトルで分けたほうがいいかなと思ったので、前後編、みたいな感じで最終決戦を分けて見ました。やや盛り上がりに欠けますが、クライマックスのための繋ぎの回です。
 たぶん、今更時間稼ぎのためにギルガメッシュ(みたいな人形)出したのは賛否両論あることと思います。これは原作にはない、完全なオリジナルですし、どう見ても戦力過剰なセイバーを最後の決戦に出させないために無理やり出した感が否めないのは私も否定できません。
 結局のところ、全力エクスカリバーさえあれば言峰も大聖杯も楽勝なんじゃないかという自問に対して有効な反論がついに見つからず、やっぱセイバーを言峰と戦わせるのは盛り上がらないよなぁということで足止め役として出したというのが正直なところです。
 ギルガメッシュファンのみなさん、申し訳ありません。 

 ちなみに、前にもどこかで述べたかもしれませんが、本当はここで葛木VS言峰を当初は考えていました。
 葛木先生も元は凄腕の暗殺者ですから、山の空気に不穏なものを感じた葛木が山を調べていくうちに大聖杯への道を見つけ、言峰と拳同士でいい勝負をするが聖杯の力の前に返り討ちに合い、葛木の治療のために凛や桜は戦闘に参加しなくなる、というプロットも練ってました。
 言峰の拳法VS葛木の暗殺拳なんて素敵じゃないか、とアイデアを思いついた当初は張り切ったものでした。
 しかし、たとえ不穏な空気を感じても、原作のキャスターと出会った葛木ならまだしもこの話での、無為に日々を生き続ける葛木が自ら動くことはまずありえないだろう、という結論に達し、結局没にしました。
 最終決戦だからこそ、一番盛り上げたいが、やはり違和感の無い自然な流れでクライマックスに持っていきたい。だから時には自分のやりたいことを抑え、キャラたちの立場に立って(読者の立場に立って、ではなく)話を作ることも重要だと私は思います。
 話を作るのは作者ですが、実際に世界の中で話を動かすのは他でもない、キャラクターたちですから。面白い話よりも、原作のファン、キャラたちのファンが納得のいく展開にするのが一番ではと私は思います。

 まぁ、だからこそ葛木はともかく言峰がギルガメッシュに似せたものを作る展開は…と文句を言われても仕方が無いのですが。
 ここまできておいてなんですが、長編を作るのは本当に難しいです。
 
 それと難しいのが言峰のキャラ作りですやはり。こいつの行動原理とかセリフとか、原作である程度描写しているとはいえ原作に無い行動やセリフを出そうと思ったらこいつが一番悩みます。結局、言峰らしさがあまり出せなかったかもしれません。

 次回はセイバー&桜の戦い、そして士郎&キャスターの戦い。あともう少しで本当に終わります。頑張ります。

 戻る