

パズル自作派 | ||||
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創造性とはなんだろう。『創造的に生きよう』と題するページでは「既存の情報の新しい組合わせを作る能力」と定義した。 このような能力をどのようにすれば伸ばすことができるだろう。自律訓練法は余計なストレスを取り、脳の活動を容易ならしめる効果がある。手帳を活用すれば日々の情報を蓄積・管理することが容易になるだろう。しかし、それだけでは「新しい組合わせ」は得られないのである。
というような問題は作業現場ではいくらもあるものだ。各液体の量が分かっているのなら、液面から一定量、底から一定量吸い出せばいい。比重が分かっているなら、その中間の比重の色付きの液体(溶合ってしまうようなものは不可)を混ぜてやれば境界面に集まるから分離できる(これは病院で使う採血管の分離材と同じ)。一方の液体にだけよく溶けるインクのようなものを入れて振り混ぜるとそっちだけが染まるので分けられる。沸点が違うなら、温度を変えて分別蒸留することもできる。凝固点が違うなら、冷やせば一方だけ凍り付くから分けられる。 何かを行うための方法はいくらでも考えられる。考えているうちに荒唐無稽な珍説になってくる。ここが勝負だと私は考えている。当たり前のアイディアは誰でも考える。当たり前と荒唐無稽の接点に「既存の情報の新しい組合わせ」は存在している。 ベンゼンは六個の炭素原子が環状に結合したものだ、と解いたのは「尻尾を咥えて回る蛇」の逸話で有名なフリードリッヒ・A・ケクレ(1829〜1896)だ。ベンゼン化合物の組成式は化学者ならみな知っていたが、余った二つの炭素原子の「腕」がどのように結合しているかを解ける人はいなかった。ケクレの解はまさにパズルの解答だ。 新発見はいつもパズルの解のようにして見出される。
よくある図形パズルの一例だが、実際に作業現場で遭遇する可能性も高い問題である。
答えは五歳である。これは決してよくある閏年パズルの類ではない。本当に五歳なのだ。 多くの人は勘違いをしているが、人は生れた当日は「生後0日」なのだ。生後一日は花ちゃんの場合3月4日なのである。閏年を考えに入れず、花ちゃんが生後365日を経過する日を数えてみると、3月4日であることがわかる。実際のところ、小学校で4月1日生まれの子はその前日の3月31日生まれの子と一緒に上の学年に入れられるのだ。4月2日からがその年度の入学になる。
これも勘違いされていることだが、2000年末までは20世紀なのである。新世紀(21世紀)は2001年から始まる。考え見れば分かることだが、西暦紀元1年の前は紀元前1年だったのだ。西暦紀元0年が無い以上、西暦で言うところの1世紀は西暦1年〜100年の間でなければならない。よって20世紀は1901年〜2000年である。 あらゆることに疑問を持ち、矛盾や誤謬を敏感に察知するようになるためにも、パズルは卓効がある。そういう感覚を磨くためには タロットカードやルーンなどシンボルを使った占いに習熟することや、ダウジングなんかも非常に値打ちがある、と最近思うようになってきた。
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パズルとクイズ、よく混同される言葉だが、ここに明確な定義を示しておこう。 クイズは主に知識を問うもの。従って、知っているか知らないかで、成否は決まる。どんなクイズの帝王でも、知らなければそれまでだし、たとえ知力がままならない人でもたまたま知っていれば答えられるのがクイズである。 パズルとは主に推理力・洞察力を問うもの。そこでは知識はあまり問題では無い。ある図形をハサミで切ってつなぎなおして正方形にせよ、という問題では、もちろん幾何学的法則に明るければそれにこしたことはないが、必須ではない。問われているのは「発想力」である。 クロスワードパズルは、そういう意味では半分以上クイズに近いと言える。ところが、縦横のキーにまったくヒントの無いクロスワードがある。これは見事にパズルである。 あるいは、「受付け業務システムが急にフリーズしてしまうことがある。これは『まったく同じタイミングでデータベースのあるデータに二つの端末からアクセスが生じると両方がロックされてしまう』とSEから説明があった」とする。クイズ大好きの人はこれをしっかり知識として憶えるだろうが、パズル大好きな人は「妙な話しだ」と思う。
真実は知らない。ひょっとしたら富士通のシステムは気の荒い事務員を十分に飼い慣らせていないのかもしれず、SEの説明が正しいのかもしれない。しかし、間違いか、意図的なウソか、あるいは画期的な発見が隠れているのかも(この場合は、ンなことはないが)しれない。パズルに必要なのは「真実」ではない。いかに、非日常的なことを考えたかだ。
古くからのパズルマニアの集まりというものは、それは凄いもので、大学講師やら研究所の研究者やら弁護士やらが集まって、延々とタコのふんどしの絞め方を議論するのだそうだ。 普段からパズルをやっていると、日常の何気ないことの矛盾にピンとくるようになる。「パズルを解く」とはこの「矛盾」を解決することに他ならないからだ。 パズルには大きな効用がある。このページではそれを紹介していく。
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私が小学生の頃はいろんなパズルが玩具店で売られていた。ペントミノタイプのプラパズル、組み木タイプのパズルなどはお菓子のおまけについていた。知恵の輪やら15パズルやら5パズルやら何やらかにやら、けっこうバラエティがあった。ところがルービックキューブの大流行のおかげで、そういった素朴なパズルは「時代遅れ」となり、かんじんのルービックキューブの流行が去っても、それらは店頭に戻っては来なかった。おかげで、手に入りやすいパズルといえばインテリアにもなるジグソーパズルばかりになってしまった。 一方、今、パズル専門誌というのがわりと売れているようで、パズル専門のホームページも多い。ただ、そこで扱われているパズルというのがナンバープレース、お絵描きロジック、クロスワードなど、ペンシルパズルと呼ばれるタイプのものがほとんどなのだ。それはそれなりに面白いのだが、いかんせん、実生活に活用できるとか、発想が広がるとか、そういう副次的効果が期待できず、ただ根気と注意力・集中力と(限られた範囲の)推理力が身につくに過ぎないように思える(実際、3週ほど集中して実践してずいぶんと資格試験の役に立った。受験生の基礎訓練にはいいかも)。実はこの種のパズルは大量生産が可能なのだ。専用ソフトを使ってボコボコ作れる。よって雑誌のページ数を稼ぐにはいい。 残念ながら、私の好きなひねくれパズルや、私の苦手な幾何パズルは大量生産ができない。作家の皆さんが知恵を絞って身を削って作ったパズルなのだ。ゆえに、解くものの血肉になるのだ。高い知能と自由な発想を持つパズル作家のエッセンスを吸収することができるのだ。
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物事には得意・不得意ということが付き物だが、パズルにも当然当てはまる。私の場合、論理パズルの類やとんちモノは比較的得意で、数理パズルもイケる方だが、幾何パズルが極めて苦手である。だからタングラムに力を入れているのだが、図形分割問題なんか、まるで分かる気がしない(これは「攻め方」があることが分かってきた)。パズルを創造性開発の一手段として活用しようとする場合は特に、バランス良く各分野のパズルをすると同時に、苦手分野を無くすように努めねばならない、などと受験生を相手にするようなことを書いてしまった...
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