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マジンガーZをKOしたテコンロボット
 このように映画製作の基本技を磨いた末に出来上がった金監督の最初の劇場用長篇アニメ『ロボットテコンV』は、洪吉童以後10年近く、こうだという作品なしに、沈滞と小康の一路を突っ走っていた国産アニメ市場と映画館景気を復活させる起爆剤の役割を果たした。
 監督生活30年を合わせて、キム監督の最大のヒット作であり、デビュー作である『ロボットテコンV』に対する世間の反響は並大抵のものではない。

 公開の日、非常に寒い天気だったんですが、大韓劇場では、その裏側の「韓国の家」まで列ができ、何時間も待って結局見れずに帰っていった人も相当の数になりましたよ。

 そのときは『ほんとうに、世の中が豆粒くらいに思えた』と、キムさんは言う。

 若い年で無数の先輩映画監督を押しのけたという自信感も生まれ、その一方で、彼らに申し訳ないとも思いました。

 『スターウォーズ』とおなじ時期に公開されたが、公開館がぎっしりあふれる光景は、新鋭監督である彼の自負心を目一杯鼓舞させてくれた。
 勧善懲悪と勝負欲だけ植え付けるサムライ型ロボット『マジンガー』に染まっていた当時の子供たちのために、窮理の末生まれたテコンロボットが、とんでもない歓呼を受けたのだ。機械ロボットテコンVは、当時新興工業国家として、まさに跳躍していたこの国の無数の子供たちを、以後、電子産業の主役、尖端工学の戦士として育てていった。
 テコンVの技術は、事実、当時の水準を何段階か飛び越えていたのだ。効果音響を担当していたキム・ボルレさんは、韓国的な格好良さを出すために、銅鑼と牙箏の音を利用して、ロボットが飛ぶときの効果音をミキシングしたかと思えば、単純に動く漫画ではない、生きているように動く感じを最大限に再現するために、実際の俳優の動作をライブアクションで撮影した後、作画でいちいち分析してアニメ化する、ロトスコーピング技法を導入した。

 ロボットのアクションはテコンも示範動作を基礎に作画しました。だから、テコンドーの動作、モーション、一つ一つがとてもリアルだったでしょう

 当時、この映画のアクションがどれだけ正確だったか、巷間ではキム監督がテコンドーの有段者だという噂まで出るほどだった。
 音楽と動作もよく合っていた。主題歌と挿入曲を先に作曲して、その拍子に合わせて動作を描いたので、音響と画面がよく合っていた。人造人間ミリのテーマは、ティム・ライスの音楽を凌駕するという評をうけ、われわれの耳になじんだテコンV2弾の音楽は、ソラボルレコード社を通して記録的なオリジナル・サウンドトラック販売量を記録するなど、総合映像物としても、その完成度を認定された。

 人物設定も斬新だった。テコンVの「マサオ」の場合、生れた時から悪人として設定された「青い骸骨13号」流の平面的機械的悪人ではなく、悪人としてのアイデンティティをもっている、現実的で三次元的な人物。生命力を見せてくれるキャラクラーという点に、先進的な典型を提示したのである。無条件的に撲殺しなければならない、死んで当然といったマジンガーZ流の悪漢ではなく、「理由ある」悪漢、苦悩する悪漢のはじめての登場だった。

不発におわったテコンVの神話
――人気が天井知らずだったが、お金も相当に稼がれたでしょう

 結論からいえば、「お金はブタが食べ、宙返りはクマがする式訳注:苦労する人と、利益を得る人が別々にいるという意味」でした。そのときは、わたしが興行をよく知らなかったんです。映画館が契約してフィルムを、持っていったら、興行収入に従って一定分を配当しなければならないが、いちいち確認できないですし…。それに、大成功をしても、製作当時使ったお金のために、かえって家まで抵当に入れられてしまいました。
 家を担保に人の金を引き出して『どうにかこうにか』作った最初の作品が彼にもたらしたのは、華麗な成功のファンファーレに比べてあまりにも取るに足らないものだった。当時音楽を担当していたチェ・チャングォンさん(ソウル礼典実用音楽科教授)は、テコンVのサウンドトラックで、以前に『す早くなさいませ』のようなミュージカルで負った負債を返すほどだったが、監督であるキムさんの場合、大金を稼いでいたはずだが、実状はそうではなかったのだ。
 その後、興行システムを知るようになって、お金もかなり稼ぎました。しかし、興行というのは妙なもので、何作品かでちょっと稼いでおいても、一つの作品がだめだと、そのときは、またすっかり出ていくもんでしょう。
 こうした経験から、彼は、その時までうとかった知的財産権の概念を自覚し、アニメを作りながらキャラクラー事業でお金を稼いだ最初の人物となった。
 「スーパーテコンV」で玩具業界から2千万ウォンを貰いました。82年度にそれだけのお金があれば、当時最高級だったウンマアパート一棟を買うことができたでしょう。当時はキャラクラーや著作権というい概念もなかった時代で、映画がちょっと当たったら、誰も彼もキャラクラーを無差別に利用して盗用するのが常でした。何も知らなかったテコンV1弾の時は、プリント商品からカバン・運動靴・Tシャツなどで、お金のざぶとんにすわった人が山のようにいた。しかし、「ロボットテコンV2弾」では、私が規制をかけはじめたんですよ。そうして87年「ウレメ1弾」のときは、キャラクラー使用料だけで1億(¥1000万)を稼ぎました。製作費よりたくさんのお金ですよ。

 しかし、残念ながらも『ロボットテコンV』の場合、原版フィルムが現在アメリカ業者に渡っている状況だ。製作に参与した同僚がフィルム輸出過程で何も知らずに原版をまるごと渡してしまったことは『信じられないくらい無知だった』。零細システムのせいで人の手に渡って行った『テコンV』上中下3編オリジナルフィルムは、現在ではもう一度譲り受ける道はない。

 フェスティバルだ何だと、展示があるごとに、いつも使用権のために電話をかけてそう言ってくるんですが、その度に地団太を踏むんです。ロイアリティのある1時間20分ものを1時間に再編集して、アメリカ内でそこそこの商売をしたといってるんですよ。
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