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後漢書志第二十五

百官二

太常光祿勳衛尉太僕廷尉大鴻臚

太常は,卿で一人,中二千石である.[一]本注曰く:禮儀祭祀を掌り,祭祀あるたびに,先ず其の禮儀を奏上する;行事に及んで,常に天子を贊ずる.[二]博士を選試する毎に,其の能否を奏上する.大射、養老、大喪にあっては,皆其の禮儀を奏上する.毎月晦の前に,陵廟に察行する.[三]丞が一人,比千石である.[四]本注に曰く:凡そ行禮及び祭祀小事を掌る,署曹事を總める(まとめる,総括する).[五]其の署曹掾史は,事に隨って員を為すが,諸卿(他の九卿)も皆そうである.

[一]盧植の禮注に曰く:「如大楽正.」

[二]漢旧儀に曰く:「贊饗は一人,秩六百石,職掌は天子を贊ずること.」

[三]漢官に曰く:「員吏は八十五人,其の十二人は四科,十五人が佐,五人が假佐,十三人が百石,十五人が騎吏,九人が学事,十六人が守学事.」臣昭曰く:凡そ漢官が所載列職人数,今悉く以て注する,頗る繁雑を為すと雖も,蓋し周禮は列官し,陳人役(放)[於]前,以為民極,寔観国制,此則宏模不可闕者也.

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[四]盧植禮注に曰く:「小楽正の如し.」

[五]漢旧儀に曰く:「丞舉廟中非法者.」

太史令は一人,六百石である.本注曰く:職掌として天時、星暦に関わる.凡そ歳将に終らんとするに,新年の暦を奏上する.凡そ国の祭祀、喪、娶之事,職掌として良日及び時節の禁忌を奏上する.凡そ国に瑞応、災異あるに,職掌としてこれを記す.[一]丞一人.明堂及び靈臺丞一人,二百石である.本注曰く:二丞は,職掌として明堂、靈臺を守る.靈臺は日月星気候を掌る,皆太史に属する.[二]

[一]漢官(儀)曰く:「太史待詔は三十七人,其六人は治暦,三人は亀卜,三人は廬宅,四人は日時,三人は易筮,二人は典禳,九人が籍氏、許氏、典昌氏で,各三人である,嘉法、請雨、解事は各二人,醫は一人.」

[二]漢官に曰く:「靈臺待詔四十(二)[一]人,其の十四人が候星,二人が候日,三人が候風,十二人が候気,三人が候晷景,七人が候鍾律.一人が舍人である.」

博士祭酒は一人,六百石である.本は僕射で,中興の時に転じて祭酒となった.[一]博士は十四人,比六百石.本注曰く:易の四つ,施、孟、梁丘、京氏の各易である.尚書の三つ,歐陽、大小夏侯氏である.詩の三つ,魯、齊、韓氏である.禮の二つ,大小戴氏である.春秋の二つ,公羊嚴、顏氏である.(十四人の博士は以上の経典を担当し)職掌として弟子を教える.国に疑事有らば,職掌として問対を承る.本は四百石で,宣帝が秩を増した.[二]

[一]胡廣曰く:「官名の祭酒とは,皆一位之元長者である也.古禮に,賓客が主人の饌を得るに,則ち老者一人が酒を挙げて以て地に祭る,旧説以為示有先.」

[二]本紀で桓帝の延熹二年に,祕書監を置いた.

太祝令は一人,六百石.本注曰く:凡そ国の祭祀に関わる,職掌として讀祝,及び神の迎送に関わる.[一]丞は一人.本注曰く:職掌として小神事を祝する.

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[一]漢旧儀曰く:「廟祭,太祝令主席酒.」漢官に曰:「員吏四十一人,其の二人は百石,二人は斗食,二十二人は佐,二人は学事,四人は守学事,九人は有秩である.百五十人を祝人とする,宰は二百四十二人,屠者が六十人.」

太宰令は一人,六百石である.本注曰く:職掌は工鼎を宰し饌具之物を俎す.凡そ国の祭祀に携わり,饌具を陳べることを掌る.[一]丞は一人.

[一]漢官に曰く:「明堂丞は一人,二百石.員吏四十二人,其の二人は百石,二人が斗食,二十三人が佐,九人が有秩,二人が学事,四人が守学事である.宰は二四百四十二人,屠者は七十三人,衛士は一十五人.」

(子)[予]楽令は一人,六百石である.本注曰く:職掌は伎楽に関わる.凡そ国の祭祀に携わり,奏楽,及び大饗用楽を請い,其陳序を掌る.[一]丞は一人.[二]

[一]漢官に曰く:「定員は吏二十五人,其の二人は百石,二人が斗食,七人が佐,十人が学事,四人が守学事である.楽人は八佾舞三百八十人である.」盧植の禮注に曰く:「大(子)[予]令は古の大胥の如し.漢大楽律,卑者之子不得舞宗廟之酎.除吏二千石到六百石,及関内侯到五大夫子,取適子高五尺已上,年十二到三十,顏色和,身体修治者,以為舞人.」

[二]盧植禮注に曰く:「大楽丞は古の小胥の如し.」

高廟令は一人,六百石である.本注曰く:守廟が役目であり,案行掃除を掌る.丞はいない.[一]

[一]漢官に曰く:「定員は吏四人,衛士一十五人.」

世祖廟令一人,六百石である.本注曰く:高廟の如し.[一]

[一]漢官に曰く:「定員は吏六人,衛士二十人.」

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先帝陵,陵園ごとに令が各一人,六百石である.本注曰く:陵園を守り,案行掃除を掌る.丞及び校長が各一人.本注曰く:校長は,主に兵戎盜賊の事を役目とする.[一]

[一]応劭曰く漢官名秩に曰く:「丞は皆孝廉、郎で年少薄伐の者より撰ばれ,府長史、都官令、候司、馬に遷り補う.」

先帝陵には,陵ごとに食官令各一人がいる,六百石である.本注曰く:晦に望み時節の祭祀を掌る.[一]

[一]漢官に曰く:「陵ごとに食監一人がいる,秩六百石である.監丞が一人で,三百石である.中黄門は八人,従官が二人.」案ずるに:食監は即ち是れ食官令を号したものであろう.

右は太常に属する.本注曰く:祠祀令一人が有り,後に転じて少府に属する.太卜令が有り,六百石で,後に太史と一緒に省かれた.

中興以来,前の凡そ十官が省かれた.[一]

[一]前書を案ずるに,十官とは,太宰、均官、都水、雍太祝、五畤各一尉である也.東観書に曰く:「章帝はまた祀令、丞を置いた,延平元年に省かれた.」

光祿勳は,卿で一人,中二千石である.本注曰く:職掌は宮殿門戸を宿衛し,謁署郎を典じ更に直に戟を執って,門戸を宿衛する,考其徳行而進退之.[一]郊祀之事にあたって,三獻を掌る.[二]丞は一人,比千石である.

[一]胡廣曰く:「勳猶也,易に曰く『為寺』.(官)[宦]寺,主殿宮門戸之職.」

[二]漢官に曰く:「定員は吏四十四人,其の十人が四科,三人が百石,一人が斗食,二人が佐,六人が騎吏,八人が学事,十三人が守学事,一人が官醫.衛士八十一人である.」

五官中郎将は一人,比二千石である.本注曰く:五官郎の主である.[一]五官中郎は,比六百石である.本注曰く:定員は無い.[二]五官侍郎は,比四百石である.本注曰く:定員は無い.五官郎中は,比三百石である.本注曰く:定員は無い.凡そ

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郎官は皆主に更直して戟を執り,諸殿門を宿衛し,出て車騎を充たす.唯、議郎は直中には在しない.[三]

[一]蔡質漢儀に曰く:「中郎は解くに,其府は太学と対する.」

[二]郎は年五十以て五官に属す,故に曰く六百石.

[三]蔡質漢儀に曰く:「三署郎は光祿勳に見え,板を執って拝す;五官左右将が見える,板を執って拝さず.於三公諸卿無敬.」

左中郎将は,比二千石である.本注に曰く:左署郎の主である.[一]中郎は,比六百石.侍郎は,比四百石.郎中は,比三百石.[二]本注曰く:皆定員は無い.

[一]蔡質漢儀に曰く:「(郎)中[郎]を解くに,其府(府)は五官[府]に次ぐ.」

[二]三郎.

右中郎将は,比二千石である.本注曰く:右署郎の主である.中郎は,比六百石.侍郎は,比四百石.郎中は,比三百石.本注曰く:皆定員は無い.[一]

[一]三郎,並定員は無い.

虎賁中郎将は,比二千石である.本注曰く:虎賁宿衛の主である.[一]左右僕射、左右陛長は各一人で,比六百石である.本注曰:僕射は,虎賁郎の主で射を習う.陛長は,虎賁の直接の主で,朝会際に殿中に在る.[二]虎賁中郎は,比六百石である.虎賁侍郎は,比四百石である.虎賁郎中は,比三百石である.[三]節従虎賁は,比二百石.[四]本注曰く:皆定員は無い.侍従の宿衛を掌る.節従虎賁で久しい者より転遷し,才能の差で高くは中郎に至る.

[一]前書に武帝が期門を置き,平帝が更に虎賁と名づけた.蔡質の漢儀に曰く:「(虎賁中郎将は)虎賁千五百人の主で,常員は無く,多く至って千人となった.鶡冠を頂き,右将府に次ぐ.」又

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虎賁は「虎奔」と旧作する,言うに虎の奔る如し也,王莽が古に勇士孟賁有るを以って,故に名づく焉.孔安国曰く「若し虎賁は獣である」,其の甚だ猛きを言う.

[二]漢官に曰く:「陛長は,墨綬を帯び、銅印を持つ.」

[三]荀綽の晉百官表注に曰く:「虎賁諸郎は,皆父が死ねば子に代わる,漢の制である也.」

[四]四郎.

羽林中郎将は,比二千石.本注曰く:羽林郎の主である.[一]羽林郎は,此三百石.本注曰く:定員は無い.侍従の宿衛を掌る.常に漢陽、隴西、安定、北地、上郡、西河凡そ六郡良家より選び補う.本は武帝が以て便馬従獵をして,還宿殿陛巖下室中,故に巖郎と号した.[二]

[一]案ずるに:漢末にまた四中郎将があって,帥師して征伐した,何時置かれたかは分からない.董卓が東中郎将,盧植が北中郎将となり,獻帝は曹(操)[植]を以って南中郎将とした.

[二]前書に曰く初め建章営騎と名づけて置いた,後に更名した.出て三百石丞、尉を補う.荀綽の晉百官表注に曰く:「其の厳諮ョ鋭を言う也.」案ずるい此れ則ち巖郎と為すも,與志では同じでない.蔡質の漢儀に曰く:「羽林郎は百(一)[二]十八人,常員ではない,府は虎賁府に次ぐ.」

羽林左監は一人,六百石である.本注曰く:羽林左騎の主である.[一]丞は一人.

[一]漢官に曰く:「孝廉郎で作られ,羽林九百人の主となる.二監官は史吏に属する,皆羽林中より出て,有材者が作る.」

羽林右監は一人,六百石である.本注曰く:羽林右騎の主である.丞は一人.

奉車都尉は,比二千石である.本注曰く:定員は無い.[一]御乘輿車を掌る.

[一]漢官に曰く三人.

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駙馬都尉,比二千石.本注曰く:定員は無い.[一]駙馬を掌る.

[一]漢官に曰く五人.

騎都尉,比二千石.本注曰く:定員は無い.[一]本は羽林騎を監督した.

[一]漢官に曰く一十人.

光祿大夫は,比二千石.本注曰く:定員は無い.[一]凡そ大夫、議郎は皆顧問応対を掌り,定まった仕事はなく,唯、詔令あるときにのみ使いとなる.凡そ諸国の後嗣之喪にあたって,則ち光祿大夫が弔を掌る.

[一]漢官に曰く三人.

太中大夫,千石.本注曰く:定員は無い.[一]

[一]漢官に曰く:「二十人,秩比二千石.」

中散大夫,六百石.本注曰く:定員は無い.[一]

[一]漢官に曰く:「三十人,秩比二千石.」

諫議大夫は,六百石.本注曰く:定員は無い.[一]

[一]胡廣曰く:「光祿大夫は,本は中大夫と為っていた,武帝が元狩五年に諫大夫を置いて光祿大夫とし,世祖中興して,以て諫議大夫と為す.また太中、中散大夫が有る.此れ四等は古に於いて皆天子の下大夫と為り,列国の上卿と視られたのである.」漢官に曰く三十人.

議郎は,六百石.本注曰く:定員は無い.[一]

[一]漢官に曰く:「五十人,常員ではない.」

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謁者僕射は一人,比千石.本注曰く:謁者臺率を為す,謁者の主であり,天子が出ずるとき,奉じて引く.古には武事を重ね習い,射を主とするを有って以てこれを督録した,故に曰く僕射.[一]常侍謁者が五人,比六百石.本注曰く:殿上の時に威儀を節するのを主とする.[二]謁者は三十人.其の給事謁者は,四百石である.其の灌謁者郎中は,比三百石である.本注曰く:賓(客)を贊導し受事する,及び上章報問を掌る.将、大夫以下之喪にあって,職掌として弔の使いとなる.本の定員は七十人,中興して但三十人のみとなった.[三]初め灌謁者となり,満歳して(一年間勤め終えて)給事謁者となる.[四]

[一]蔡質の漢儀に曰く:「見尚書令,対揖無敬.謁者見,執板拝之.」

[二]漢官に曰く:「謁者は三十人,其の二人は公府掾で,六百石の(特)[持]使である也.」

[三]荀綽の晉百官表注に曰く:「漢は(謁者に任じる人材に)すべて年五十の孝廉を用い,威容嚴恪で能く賓者たるものが之を為した.明帝の詔に曰く:『謁者は乃ち(聖帝)堯の尊官である,以て舜を試みて四門に賓する所,四門に穆穆たる者である也.』昔燕の太子は荊軻を使って始皇帝を劫致し,変が両楹之間に起こったが,其の後ろから謁者が匕首を持って(荊軻の)腋を刺した,高祖は偃武行文するに際し,故に之を易とし以て板(書)したのである.」

[四]蔡質の漢儀に曰く:「府に出る丞、長史、陵令は,皆儀容端正で選ばれ,任じられて使者を奉じた.」

右は(以上は)光祿勳に属する.本注曰く:光祿に属する職は,五官将より羽林右監に至るまで,凡そ七署.奉車都尉より謁者に至るまでは,以て文属する焉.旧では左右の曹を有し,秩は二千石を以てし,上殿中,尚書奏事を受けることを主とし,之を平省した.世祖は省き,小黄門郎を使って受事させ,車駕が出ると,給黄門郎が兼ねた.有請室令,車駕出,在前請所幸,徼車迎白,示重慎.中興して但、郎を以って兼ねたが,事訖わると罷めた,また車、戸、騎の凡そ三将,[一]及び羽林令が省かれた.

[一]如淳曰:「主車は曰く車郎,主戸衛は曰く戸郎.」

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衛尉は,卿で一人である,中二千石である.本注に曰く:宮門衛士,宮中徼循事を掌る.[一]丞は一人,比千石である.

[一]漢官に曰く:「員吏は四十一人,其の九人は四科,二人二百石,文学は三人おり百石,十二人が斗食,二人が佐,十二人が学事,一人が官醫である.衛士が六十人である.」

公車司馬令は一人,六百石である.本注曰く:宮の南の闕門を掌り,凡そ吏民の上章,四方の貢獻,及び公車で徴詣される者にかかわる.[一]丞、尉は各一人.本注曰く:丞は曉諱を選び,非法を知るを掌る.尉は闕門の兵禁を主とし,非常を戒める.[二]

[一]獻帝起居注に曰く:「建安八年,議郎の衛林が公車司馬令と為り,位は将、大夫に随った.旧(にはつぎのようにある)公車令は都官、長史とともに位は将、大夫に従うが,それはこの衛林より始まるのである.」

[二]胡廣曰く:「諸門はそれぞれの陳屯が部(管轄)とし来道すると,其の旁で当に兵たりて,以って威武を示して,戟を交え,以て妄りに出入する者を遮る.」

南宮衛士令は一人,六百石である.本注曰く:職掌は南宮の衛士である.[一]丞は一人.

[一]漢官に曰く:「員吏九十五人,衛士五百三十七人.」

北宮衛士令は一人,六百石である,本注曰く:職掌は北宮の衛士である.[一]丞は一人.

[一]漢官に曰く:「員吏七十二人,衛士四百七十一人.」

左右都候は各一人,六百石である.[一]本注曰く:主に戟士,宮を徼循する,及んで天子の考を収める所を有する.[二]丞は各一人.

[一]周禮に司寤氏は夜士を有するとある,干寶の注に曰く:「今の都候之属である.」

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[二]漢官に曰く:「右都候は員吏二十二人,衛士四百一十六人.左都候は員吏二十八人,衛士三百八十三人.」蔡質の漢儀に曰く:「宮中に罪を劾奏されたもの(諸)が有ると,左都候が戟を執って車を戲し縛して詔獄に送付する,官に在るものは大小を問わずそれぞれ所属するところに付される.馬皮を以って覆う.尚書令、尚書僕射、尚書に見えると皆板を執って拝する,丞、郎に見えると皆揖する(胸の前で手を組み合わせて礼する).」

宮掖門には,門ごとに司馬が一人つく,比千石である.本注に曰く:南宮には南屯司馬がいる,平城門に主する;[一](北)宮門には蒼龍司馬がおり,東門に主する;[二]玄武司馬は,玄武門に主する;[三]北屯司馬は,北門に主する;[四]北宮には朱爵司馬がいる,南掖門に主する;[五]東明司馬は,東門に主する;[六]朔平司馬は,北門に主する:[七]凡そ七門である.[八]凡そ宮中に居る者は,皆門の属する所に於いて口籍を有する.宮名は両字で,鐵印文符を為す,案ずるに省符(符を省かれたもの)が乃ち之に内するのであろう.[九]若し外人(外部の人間)が以て事をして当に入らんとするに,本(宮)[官]の長史が封棨を為して伝える;其の官位を有するものは,出入りするに御者に命令して其の官を言わせる.

[一]漢官に曰く:「員吏九人,衛士百二人.」古今注に曰く建武十三年九月,初めて此門が開かれた.

[二]案ずるに雒陽の宮門の名は蒼龍闕門と為す.漢官に曰く:「員吏六人,衛士四十人.」

[三]漢官に曰く:「員吏二人,衛士三十八人.」

[四]漢官に曰く:「員吏二人,衛士三十八人.」

[五]漢官に曰く:「員吏四人,衛士百二十四人.」古今注に曰く:「永平二年十一月,初め北宮朱爵南司馬門と作られた.」

[六]漢官に曰く:「員吏十三人,衛士百八十人.」

[七]漢官に曰く:「員吏五人,衛士百一十七人.」

[八]漢官に曰く:「凡そ員吏は皆隊長の佐である.」

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[九]胡廣曰く:「符に用いる木は,長(可)さ[尺]二寸,鐵印して以て之を符とする.」

右は(以上は)衛尉に属する.本注曰く:中興に旅賁令,衛士一人、丞が省かれた.[一]

[一]漢官目録に曰く:「右の三卿(太常、光祿勳、衛尉)は,太尉の部とする所である.」

太僕は,卿で一人であり,中二千石である.本注曰く:車馬を掌る.天子が出る毎に,奏駕上鹵簿用;大駕は則ち執馭する.[一]丞は一人,比千石である.

[一]漢官に曰く:「員吏七十人,其七人四科,一人二百石,文学八人百石,六人斗食,七人佐,六人騎吏,三人假佐,三十一人学事,一人官醫.」

考工令は一人,六百石である.本注曰く:兵器弓弩刀鎧之属を作るを主とする,成れば則ち執金吾に傳えて武庫に入れる,及んで諸雜工を織綬することも主とする.[一]左右丞がいて各一人である.

[一]漢官に曰く:「員吏百九人.」

車府令は一人,六百石である.本注曰く:諸車に乘輿することを主とする.[一]丞が一人いる.

[一]漢官に曰く:「員吏二十四人.」

未央廄令は一人,六百石.本注曰く:乘輿及び厩中諸馬を主とする.[一]長楽廄丞は一人.[二]

[一]漢官に曰く:「員吏七十人,卒騶二十人.」

[二]漢官に曰く:「員吏十五人,率騶二十人.苜蓿菀官田所一人守之.」

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右は太僕に属する.本注曰く:旧有するのは六廄,皆六百石の令であるが,[一]中興して省約され,但し一廄のみ置かれた.後に左駿令、廄が置かれた,乘輿御馬を別主したが,後に或いは并わせ省かれた.また牧師菀が有る,皆令官である,主に養馬を役目とし,河西六郡界中に分在していたが,中興して皆省かれた,唯、漢陽にのみ流馬菀が有ったが,但し羽林郎を以て監領とした.[二]

[一]前書に曰く,大廄、未央、家馬三令が有る,各五丞一尉である.また車府、路軨、騎馬、駿馬の四令丞がある.晉灼曰く:「六廄は名である也,馬萬匹を主とす.」

[]古今注曰:「漢安元年七月,置承華廄令,秩六百石.」

廷尉,卿一人,中二千石.[一]本注曰く:平獄を掌る,奏の当に応ずる所である.凡そ郡国が讞疑罪,皆處当以報.[二]正、左監各一人がいる.[三]左平は一人,六百石.本注曰く:詔獄に平決するを掌る.

[]応劭曰:「兵獄同制,故稱廷尉.」

[二]胡廣曰く:「讞,質也.」漢官に曰く:「員吏百四十人,其十一人四科,十六人二百石廷(史)[吏],文学十六人百石,十三人獄史,二十七人佐,二十六人騎吏,三十人假佐,一人官醫.」

[]前漢有左右監平,世祖省右而猶曰左.

右(ここまで)は廷尉に属する.本注曰く:孝武帝以下(以来),中都官獄二十六所を置き,各令長名世祖が中興すると皆省かれた,

そのため唯、廷尉及び雒陽のみが詔獄を有した.[一]

[一]蔡質の漢儀に曰く:「正月旦に,石官が朝賀したが,光祿勳劉嘉、廷尉趙世がそれぞれ辞して(欠席して)朝する能わず,高賜が挙奏した:『どちらも以て病を被り篤く困じ,文武之位を空けて,

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上卿之贊を闕しております,忠信斷金之用が既に無いばかりか,而して敗禮傷化之尤さえ有ることで,不謹不敬であります!廷尉に光祿勳劉嘉の罪を治めさせ,河南尹に廷尉趙世の罪を治めさせるよう請いもとめます.』議して以て趙世が廷尉を掌っていたことから,故に他官に転属させ(それぞれの罪を治めさせ)た.」

大鴻臚は,卿一人,中二千石である.[一]本注曰く:職掌は諸侯及び四方の帰義した蛮夷のことを扱う.其の郊廟行禮にあたり,贊導し,行事を請う,既可,以命司.諸王が入朝すると,当に郊に迎え,其の禮儀を典じる.郡国が上計するに及び,四方から来るのを匡し,亦た焉に属する.[二]皇子が王に拝するに,贊だって印綬を授ける.諸侯、諸侯嗣子及び四方の夷狄で封する者が拝するに及び,臺下鴻臚にて召して之を拝する.王が薨じると則ち使いをやって之を弔問させ,及んで王嗣に拝する.丞は一人,比千石である.

[一]周禮に「象胥」とある,干寶の注に曰く今の鴻臚である.

[二]漢官に曰く:「員吏五十五人,其の六人は四科,二人が二百石,文学は六人で禄は百石,一人が斗食,十四人が佐,六人が騎吏,十五人が学事,五人が官醫である.」永元十年,大匠の応順が上言した:「百郡の計吏は,国を観る光です,而して舍は旅に逆らい,崎嶇するに私館,衣物を直裝するため,敝朽暴露(露に曝されひさしく朽ちており),朝会では邈遠く,事しても肅給ありません.昔[晉]は,霸国盟主たる耳,舍諸侯於隸人(諸侯と会盟した際、諸侯が引き連れてきた隷人にまで諸侯のような格式の舎に宿させ),子産は以て大いに譏と為したのです.況んや今の四海の大なるや,而して(百)[可]無乎(百程度の数に対して扱いをけちるようなことをすべきでしょうか)?」和帝は其言を嘉納し,即ち創業したのである焉

大行令一人,六百石.本注曰く:諸郎に主する.[一]丞が一人.治禮郎四十七人.[二]

[一]漢官に曰く:「員吏四十人.」

[二]漢官に曰く:「其四人は四科,五人が二百石,文学は五人おり百石,九人が斗食,六人が佐,六人が学事,十二人が守学事.」東観書に曰く:「主齋祠儐贊九賓.又有公室,主調中都官斗食以下,功次相補.」案ずるに盧植の禮注に曰く:「大行郎は亦た謁者の如し,形

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貌を兼ね挙げる.」

右は大鴻臚に属する(ここまで大鴻臚に属する).本注曰く:秦を承り属国を典じる有り,別に四方夷狄朝貢侍子が主としてあったが,成帝の時に大鴻臚と併せて省かれた.

中興省は驛官、別火の二令、丞がいる,[一]郡の邸長、丞に及び,但郎に令して郡邸を治めさせるのみ.[二]

[]如淳曰:「漢儀注:『別火,獄令官,主治改火事.』」

[二]漢官目録曰:「右三官(太僕、廷尉、大鴻臚か?)は,司徒の所部である.」