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後漢書志第二十六

百官三

宗正大司農少府

宗正は,卿で一人,中二千石である.本注曰く:王国の嫡庶之次,及び諸宗室の親属遠近を序録し,郡国で歳して因って計上される宗室の名籍を掌る.若し法を犯したものが有ると髡に当る以上は,先ず諸宗正に上し,宗正より以て聞き,乃ち決を報いる.[一]丞は一人,比千石である.

[一]胡廣曰く:「また年に一度、諸王の世譜差序秩第を治める(諸王の世譜を治め、序列に差をもうけ、秩序をたてる(第する)).」漢官に曰く:「員吏四十一人,其の六人は四科,一人が二百石,四人が百石,三人が佐,六人が騎吏,二人が法家,十八人が学事,一人が官醫である.」

諸公主には,公主毎に家令一人をおく,六百石である.丞が一人おく,三百石である.本注曰く:其の余りの属吏には増減があって定員が無い.[一]

[一]漢官に曰く:「主簿一人,秩六百石.僕一人,秩六百石.私府長一人,秩六百石.家丞一人,三百石.直吏三人,従官二人.」東観書に曰く:「其の主が薨じて子が無ければ,傅を一人置いて其家を守らせる.」

右(以上)は宗正に属する.本注曰く:中興して都(の)司空令、丞が省かれた.[一]

[一]如淳曰:「主罪人.」

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大司農は,卿で一人,中二千石である.本注に曰く:諸々の銭穀金帛諸貨幣を掌る.郡国は四時にあたるとその月旦に銭穀簿を見て上る,其逋未畢,各々具えるに之を別にする.邊郡の諸官は調度者を請い,皆報給を為し,損が多く益が寡い,相取って給足する.[一]丞一人,比千石.部丞一人,六百石.本注曰く:部丞は帑蔵を主とする.[二]

[一]漢(書)[官]曰く:「員吏は百六十四人,其の十八人は四科,九人が斗食,十六人が二百石,文学は二十人で(禄は)百石,二十五人が佐,七十五人が学事,一人が官醫.」

[二]古今注曰く「建初七年七月,大司農に為させて丞一人を置く,秩千石である,帑蔵を別主とする」,則ち部丞は是に応じているが而して秩は同じでない.応劭の漢官秩は亦た二千石と云っている.

太倉令は一人,六百石である.本注に曰く:主に郡国より受けて漕穀を伝える.[一]丞一人.

[]漢官曰:「員吏九十九人.」

平準令は一人,六百石である.本注に曰:職掌は物賈を知ることにあり,練染を主とし,采色を作る.[一]丞は一人.

[一]漢官曰く:「員吏百九十人.」

導官令は一人,六百石である.本注に曰く:舂御米を主とし,及んで乾糒を作る.導き,擇ぶ也.[一]丞一人.

[]漢官曰:「晨吏百一十二人.」

右(以上)は大司農に属する.本注曰く:郡国の塩官、鉄官は本は司農に属した,中興して皆郡県に属すこととなった.[一]また廩犧令が有り,六百石で,鴈鶩之属を犧牲とする祭祀を掌る.[二]雒陽市長、[三]滎陽敖倉官に及んでは,中興して皆河南尹に属すこととなった.

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余りの均輸等は皆省かれた.[四]

[一]魏志曰く:「曹公は典農中郎将を置いた,秩二千石である.典農都尉は,秩六百石である,或いは四百石である.典農校尉は,秩比二千石である.主とする所は中郎の如きであるが.部(仕事の範囲、所轄)は分別されて而も少なく,校尉丞がいる.」

[二]漢官に曰く:「丞は一人,三百石.員吏は四十人,其の十一人が斗食,十七人が佐,七人が学事,五人が守学事であり,皆河南属県の給吏者である.」

[三]漢官に曰く:「市長は一人,秩四百石である.丞は一人,二百石で,法に明るく補う.員吏は三十六人,十三人が百石嗇夫で,十一人が斗食,十二人が佐.また櫂丞が有り,三百石である,別治中水官(別に治中水官がいる/中水官を別治する),主に水渠にかかわり,馬市の東に在った,員吏六人を有する.」

[四]均輸者は,前書孟康の注に曰く:「謂諸当所有輸於官者,皆令輸其土地所饒,平其所在時賈,官更於他処貨之.輸者既便,而官有利.」塩鉄論:「大夫曰く:『往者郡国諸侯(郡国諸侯が往くと),各々其の物を以て貢輸するため,往来は煩雑,物は多く苦惡し,或いは其の費を償しません(それにかかった費用を踏み倒す),故に郡は輸官を置いて以て相給運し,而して遠方の貢を便じているのです,故に均輸と言うのです.京師にて府を開き委ね,籠貨物を以て,賤じれば則ち買い,貴ければ則ち売るならば(安ければ府庫に購入し高騰していれば府庫から売り払えば),是以て県官をして実を失わせず,商賈するに利する所無いものです,故に平準と言うのです.このように準が平らげば則ち民は職を失わず,均輸は則ち民が劬勞しません,故に平準、均輸は,万物を平らかにするを以て而して百姓を便ずる所なのです也.』文学に曰く:『古の賦税は民に於いてである也,其の工する所に因って,拙する所を求めない.農人は其の収穫を納め,工女は其の織を效する、とあります.今は其の有する所を釋して,其の無き所を責めております,百姓が貨物を賤買して以て上の求めに便じているのです.闔メ郡国は或いは民に令して布絮を作らせ,吏が難を留めて之と市を為しております.吏の入る所独りが齊、陶之縑,蜀、漢之布ではないのです也,民閧烽ワた為す所なのです耳.姦が行われて平が売られたなら,農民は重く苦しみ,必ずや女工を繭税で苦しめ,未だ輸之均を見ないことになります也.県官が猥発し,闔門市すれば,即ち万民が並び収めましょう.並び収めれば則ち物は騰躍し,騰躍すれば則ち商賈に利すことになります.自ずと市すれば則ち吏は姦を容れ,豪吏は商いに富み,あるいは貨を積みあるいは物を儲けることでしょう,以て其の急を恃んで,輕賈姦吏は,収めるに以て貴きを取るため,未だ準之平を見ないことになります也.蓋し古の均輸は,労逸を斉しくすることを以て而して貢輸を便ずる所のものでありまして,以て利を為し而も万物を賈する(今のやり方とは)非ざるものです也.』」王隆の小学漢官篇に曰く:「調均報度,輸漕委輸.」胡廣注曰:「辺郡の諸官で調を請う者は,皆之に調均報給を為す也.水を以って通輸するのが曰く漕である.委は,積である也.郡国に金帛貨賄を集め積む所,時に随って諸司農に輸送することが,曰く委輸であり,以って国の用に供するのである.」前書はまた都内に籍田令、丞が有ったとしている,斡官、鉄市両長、丞,郡国諸倉農監六十五官の長、丞は,皆之に属する.

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少府は,卿で一人,中二千石である.本注曰く:職掌は御諸物,衣服寶貨珍膳之属を中服することである.[一]丞一人,比千石である.

[一]漢官に曰く:「員吏は三十四人,其一人は四科,一人が二百石,五人が百石,四人が斗(石)[食],三人が佐,六人が騎吏,十三人が学事,一人が官醫.少者小也(若いものは小とする),小は故に少府と称する.王者は租税を以って公用と為し,山澤陂池の税は以て王に供されてこれ私用となる.古には皆小府と作った」.漢官儀に曰く:「田租、芻ノは以て經用に給す,凶年には,山澤魚塩市税は少府が以て給して私用とする也.」

太醫令は一人,六百石.本注曰く:諸醫を掌る.[一]薬丞、方丞は各一人.本注曰く:薬丞は主に薬にかかわる.方丞は主に薬方にかかわる.

[一]漢官曰く:「員醫二百九十三人,員吏は十九人.」

太官令が一人,六百石である.本注曰く:御飲食を掌る.[一]左丞、甘丞、湯官丞、果丞は各一人.本注曰く:左丞は主に飲食にかかわる.甘丞は主に膳具にかかわる.湯官丞は主に酒にかかわる.果丞は主に果(果物野菜)にかかわる.[二]

[一]漢官曰く:「員吏六十九人,衛士三十八人.」荀綽の晉百官表注に曰く「漢制では,太官令は秩千石.丞四人がいて,秩四百石であった」,(この百官志)志と同じではない.

[二]荀綽は云う:「甘丞は諸甘肥を掌る.果丞は外の諸果菜茹のために別に在る.」

守宮令は一人,六百石である.本注曰く:主に御紙筆墨にかかわり,及んで尚書の財用とする諸物及び封泥にかかわる.[一]丞は一人.[二]

[一]漢官曰く:「員吏六十九人.」

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[二]漢官曰く:「外官丞がおり二百石である,公府吏の府である也.」

上林苑令が一人,六百石である.本注曰く:主に苑中の禽獣にかかわる.頗る民居有って,皆之を主(仕事)としている.其の獣を捕らえて得て太官に送るのである.[一]丞、尉が各一人.

[一]漢官曰く:「員吏五十八人.」案ずるに桓帝はまた鴻徳苑令を置いた.

侍中は,比二千石である.[一]本注に曰く:定員は無い.職掌は左右に侍して, 事を贊導し,顧問となって応対することである.法駕が出ずると,則ち多識者(博覧強記で才識あるもの)一人が参乗し,余は皆騎馬に乗って車後に続いてお供する.本は僕射一人が有るだけだったが,中興して転じて祭酒と為り,或いは置き或いは否とされた.[二]

[一]漢官秩は千石と云う.周禮に「太僕」とあるが,干寶の注に曰く:「若し漢の侍中である.」

[二]蔡質漢儀に曰く:「侍中、常伯は,旧儒高徳,博学淵懿を選ぶ.仰いでは占い俯しては視て(天文地象をよく読みとって),切問あれば近対する(その場で問われたらそこで答える),公卿に喻旨し,上殿して称制する,参乗のさいには璽を佩いて秉する.員(定員)は本は八人,陪見するに旧は尚書令、僕射の下で,尚書の上に在った;今は官は禁中を出入りするが,更められて尚書の下に在る.司隸校尉は侍中に見えると,板を執って揖する(手を組んで礼を行う),河南尹も亦た同じようにする.また侍中は旧は中官と倶に禁中に止まったが,武帝の時に,侍中の莽何羅が挾刃して謀逆した,是ゆえに侍中は禁外に出され,有事に乃ち入るが,畢すれば即ち出ることとなった.王莽が秉政すると,侍中は復た入ることとなり,中官と共に止まった.章帝の元和中に,侍中の郭舉が後宮と通じて,佩刀を抜いて上を脅かしたことがあった,郭舉は誅に伏し,侍中は是ゆえに復た外に出された.」

中常侍は,千石である.本注に曰く:宦者であり,定員は無い.後に秩を増されて比二千石となった.職掌は左右に侍して,内宮に入るのに従い,内事を贊導し,顧問応対給事にかかわる.

黄門侍郎,六百石である.本注に曰く:定員は無い.職掌は左右に侍従し,給事に中り,関から中外に通じる.諸王が殿上で朝見するに及んで,王を引いて坐に就かせる.[一]

[一]漢旧儀に曰く:「黄門郎は黄門令に属する,日暮入ると青門(青瑣門)に対して拝する,名づけて曰く夕郎と.」宮閣簿青門は南宮に在る.衛(瓘)[権]注の呉都賦は

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曰く:「青,戸邊青鏤也.一に曰く天子門内有眉,格再重,裏青畫曰.」獻帝起居注に曰く:「帝が初め即位されると,初めに侍中、給事黄門侍郎を置かれた,定員は各六人,禁中を出入りし,帷幄に近侍したため,尚書事を省いた.給事黄門侍郎を改めて侍中侍郎と為し,給事黄門の号を取り去ったが,旋して復た復故した.旧の侍中、黄門侍郎は以て中宮に在った者で,不與近密交政.黄門を誅して後,侍中、侍郎は禁闈に出入りしたが,機事が頗る露になったため,是ゆえに王允は乃ち此のことを尚書に奏上して,出入りするを得ないよう,賓客と通じないようにしたが,それは此れ自り始まるのである也.」又曰く:「諸々の奄人の官は,悉く議郎、郎中を以てして称え,秩は故のようであった.諸々の署は両梁冠に命令し,陛は殿上で,都官従事已下を召すを得る.」

小黄門は,六百石である.[本注に曰く]:宦者は,定員が無い.職掌は左右に侍して,尚書事を受けることである.上は内宮に在って,関より中外を通り,中宮已下事に及ぶ.諸公主及び王太妃等は疾有って苦しむと,則ち使って之を問わせた.

黄門令は一人,六百石である.[一]本注に曰く:宦者である.主に省中の諸宦者にかかわる.[二]丞、従丞が各一人いる.本注に曰く:宦者である.従丞は主に出入して従う.

[一]董巴曰く:「禁門は曰く黄闥と,以て中人をして之を主させる,故に号して曰く黄門令と.」

[二]漢官に曰く:「員吏十八人.」

黄門署長、畫室署長、玉堂署長は各一人.丙署長は七人である.皆四百石,黄綬である.本注に曰く:宦者である.各々主に中宮別処にかかわる.

中黄門従僕射は一人,六百石である.本注に曰く:宦者である.主に中黄門従にかかわる.居して則ち宿衛し,門戸を直守する;出ては則ち騎従し,輿車に夾乘する.

中黄門は,比百石である.本注に曰く:宦者である,定員は無い.後に増して比三百石となった.給事禁中を掌る.

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掖庭令は一人,六百石である.本注に曰く:宦者である.後宮貴人采女の事を掌る.[一]左右丞、暴室丞は各一人である.本注に曰く:宦者である.暴室丞は主に婦人で疾病に中った者を,此室に就け治すことにかかわる;其の皇后、貴人に罪有れば,亦た此室に就ける.

[一]漢官に曰く:「吏従官百六十七人,待詔五人,員吏十人.」

永巷令は一人,六百石である.本注曰く:宦者である.官婢を典じて侍使する.[一]丞は一人.本注に曰く:宦者である.[二]

[一]漢官に曰く:「員吏六人,吏従官三十四人.」

[二]漢官に曰く:「右丞一人,暴室一人.」

御府令は一人,六百石である.本注曰く:宦者である.官婢を典中し衣服を作らせる、及び浣之属を補う.[一]丞、織室丞は各一人.本注曰く:宦者である[二].

[一]漢官曰く:「員吏七人,吏従官三十人.」

[二]漢官曰く:「右丞一人.」

祠祀令は一人,六百石である.本注曰く:諸小祠祀を典中する.[一]丞は一人.本注曰く:宦者である.

[一]漢官曰く:「従官吏八人,騶僕射一人,家巫八人.」

鉤盾令は一人,六百石である.本注曰く:宦者である.諸々の近くの池苑囿遊観の処を典中する[一].丞、永安丞は各一人,三百石である.本注に曰く:宦者である.永安とは,北宮東北にある別の小宮の名で,園観が有る.苑中丞、果丞、鴻池丞、南園丞は各一人,二百石である.本注に曰く:苑中丞は主に苑中離宮にかかわる.果丞は主に果園にかかわる.鴻池は,池の名である,雒陽の東二

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十里に在る.南園は雒水の南に在る.[二]濯龍監、[三]直里監は各一人,四百石である.本注に曰く:濯龍も亦た園名である,北宮の近くにある.直里も亦た園名である也,雒陽城の西南角に在る.

[一]漢官に曰く:「吏従官四十人,員吏四十八人.」

[二]漢官に曰く:「また署一人が有る,胡熟監は一人.」本紀を案ずるに,桓帝はまた顯陽苑丞を置いた.

[三]応劭漢官秩に曰く:「秩六百石.」

中蔵府令は一人,六百石である.本注は曰く:幣帛金銀諸貨物を掌中とする.[一]丞は一人.

[一]漢官曰く:「員吏十三人,吏従官六人.」

内者令は一人,六百石である.本注に曰く:[宮]中布張諸(衣)[褻]物を掌る.[一]左右丞は各一人.

[]漢官曰:「従官録事一人,員吏十九人.」

尚方令は一人,六百石である.本注に曰く:上手工作御刀諸好器物を掌る.[一]丞一人.

[一]漢官に曰く:「員吏十三人,吏従官六人.」

尚書令は一人,千石である.本注に曰く:秦を承り置く所である,[一]武帝は宦者を用い,更為して中書謁者令とした,成帝は士人を用い,復故した.凡そ選署及び奏下尚書曹文書事を掌る.[二]

[一]荀綽の晉百官表注に曰く:「唐、虞の官である也.詩に云う『仲山甫王之喉舌』,蓋し此人を謂う.」

[二]蔡質漢儀に曰く:「故公為之者,朝会(不)[下]陛奏事,増秩して二千石とし,故に自ら銅印墨綬を佩した.」

尚書僕射一人,六百石である.本注曰く:尚書事を署し,令不在則奏下事.[一]

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[一]蔡質の漢儀に曰く:「僕射は主に封門にかかわる,職掌は廩を授け銭穀を假すこと.凡そ三公、列卿、将、大夫、五営校尉が道中を往復しているとき,尚書僕射、左右丞郎、御史中丞、侍御史に遇えば,皆車を避けて相を預け回避する.衛士は台官を迂回することができないと伝え,台官が過ぎた後に乃ち去るを得る(去ることができた).」臣昭が案ずるに:獻帝は左、右僕射を分けて置いた,建安四年に以て榮邵をして尚書左僕射としたのが是である也.獻帝起居注に曰く:「榮邵が卒官すると(在官のまま亡くなると),執金吾を贈官された.」

尚書は六人,六百石である.本注に曰く:成帝が初めて置いたとき尚書は四人であった,[一]分けて四曹と為した:[二]常侍曹尚書は公卿の事を主とする;[三]二千石曹尚書は郡国二千石の事を主とする;[四]民曹尚書は凡吏上書の事を主とする;[四]客曹尚書は外国夷狄の事を主とする.[六]世祖が承遵し,後に二千石曹を分け,また客曹を分けて南主客曹、北主客曹と為した,[七]凡そ六曹である.[八]左右丞は各一人,四百石である.本注曰く:文書を録し会を期すことを掌る.左丞は主に吏民章報及び騶伯史にかかわる.[九]右丞は印綬,及び紙筆墨諸財用庫蔵を假署する.[一0]侍郎は三十六人,四百石である.本注に曰く:一つの曹は六人を有し,主に文書を作り起草にかかわる.[一一]令史は十八人,二百石である.本注に曰く:曹は有すること三つ,主に書にかかわる.後に劇曹三人を増した,(一つの曹につき三人で七曹となったため)合わせて二十一人である.[一二]

[一]韋昭曰く:「尚は,奉である也.」

[二]漢旧儀に曰く:「初め五曹を置き,三公曹が有り,主に断獄にかかわる.」蔡質漢儀に曰く:「天下が歳盡すると課事を集めることを典ずる.三公の尚書は二人,三公の文書を典ずる.吏曹尚書は選挙齋祀を典じ,三公曹に属する.靈帝末,梁鵠が選部尚書と為った.」

[三]蔡質漢儀に曰く:「常侍黄門御史の事を主とし,世祖が改めて曰く吏曹とした.」

[四]漢旧儀に曰く:「亦た云う主に刺史にかかわる.」蔡質漢儀に曰く:「 (郎)[都]官水火、盜賊、辭訟、罪眚を掌中とする.」

[五]蔡質漢旧儀に曰く:「繕治功作典じ,池、苑、囿、盜賊事を監る.」

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[六]尚書:「龍作納言,出入帝命.」応劭曰く:「今の尚書官は,王の喉舌である.」

[七]蔡質漢儀に曰く:「天子が獵,駕で出られると,御府曹郎が之に属した.」

[八]周禮天官有司会,鄭玄曰く「若し今の尚書である」.

[九]蔡質漢儀に曰く:「台中の綱紀を總典し,統じない所は無い.」

[一0]蔡質漢儀に曰く:「右丞は僕射とともに対で授廩假銭穀を掌り,左丞と統じない所は無い(同じである).凡そ中宮で漏夜盡し,鼓鳴すれば則ち起き,鍾鳴すれば則ち息する.衛士甲乙が徼して相い伝え,甲が夜畢すれば,乙に夜を伝え,相い伝えて五更を盡する.衛士が五更を伝言して,未明三刻の後に,鶏鳴あれば,衛士踵丞郎趨厳上台(衛士は丞郎趨厳上台に踵する),宮中で鶏を飼っていなければ,汝南から出る鶏鳴で,衛士は朱爵門外に候し,專ら宮中に鶏鳴を伝える.」応劭曰く:「楚歌は,今の鶏鳴歌也.」晉太康地道記に曰く:「後漢では固始、鮦陽、公安、細陽四県の衛士は,此曲を習い闕下に於いて之を歌う,今の鶏鳴が是である也.」

[一一]蔡質漢儀に曰く:「尚書郎は初め三署に従い台に詣でて試みられる,初めに上台すると守尚書郎を称し,中歳満ちると(二年目を終えると)尚書郎を称し,三年で侍郎を称する.客曹郎は主に羌胡の事を治める,劇遷すれば二千石或いは刺史となり,其公遷すれば県令と為り,秩満ちれば占めていた県より去る,詔書あれば銭三万と三台の祖餞を賜って,余りの官は則ち否とされる.治厳一月,準謁公卿陵廟乃発.御史中丞は尚書丞、郎に遇うと,車を避けて板を執り住きて揖礼する,丞、郎は坐車して挙手し之を禮する,車が遠くに過ぎると乃ち去る.尚書は左右丞を言うに,敢えて告げ知らせること詔書律令の如し.郎が左右丞に見えると,対して揖礼するが敬すること無い,称して曰く左右君.丞、郎が尚書に見えると,板を執って対して揖礼する,称して曰く明時.令、僕射に見えると,板を執って拝する,朝賀では対揖である.」

[一二]古今注に曰く:「永元三年七月,尚書令の史員を増した.功満ちて未だ嘗て禁を犯さない者は,小県,墨綬を以て補う.」蔡質は曰く:「皆選蘭台、符節上称簡精練有吏能為之.」決録注曰:「故事尚書郎以令史久缺補之,世祖は始め改めて孝廉を用いて郎と為した,孝廉の丁邯を以て補ったのである焉.しかし丁邯は病と称して就かなかった.詔で問われた:『まことの病か?郎と為ったのを羞じたのか乎?』対して曰く:『臣は実は病ではありません,孝廉を以て令史の職と為ったのを恥じたのです耳!』世祖は怒って曰く:『虎賁滅頭杖之数十.』詔に曰く:『郎と為るのでないなら欲するのか?』丁邯曰く:『陛下は臣を殺すことがお出来ですが,臣は(能力がないため)郎と為ることができないのです.』中詔が遣わされて出され,竟に郎と為らなかった.丁邯は字を叔春といい,京兆陽陵の人である也.

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高い節を有し,正直不撓であった,後に拝して汾陰令となり,治めるに名有って,遷って漢中太守となった.妻の弟が公孫述の将と為ったため,妻を収めて南鄭の獄に送ると,免冠し徒跣して自ら陳べてきた.詔に曰く:『漢中太守の妻は乃ち南鄭の獄に繋いである,誰が当に其の背垢を掻くべき者か?牛頭を懸けて,馬脯を売る,盜跖が行くと,孔子は語ったとか.以て丁邯は罪に服した,且つ丁邯は妻と一つとし,冠は履す、謝る勿れ.』治めるに異有った,在官のまま卒した.」

符節令は一人,六百石である.本注に曰く:符節台を率いるを為し,符節の事を主とする.凡そ使いを遣わし節を授けることを掌る.尚符璽郎中は四人.本注に曰く:旧は二人が在中した,璽及び虎符、竹符の半者にかかわり主とする.[一]符節令史,二百石である.本注に曰く:書を掌る.[二]

[一]漢官は曰く:「当に法律に明るいを得て郎とするべき.」周禮には掌節には虎節、龍節が有り,皆金である也.干寶の注に曰く:「漢之銅虎符は,則ち其の制である也.」周禮は又曰く:「英蕩を以て之を輔ける.」干寶は曰く:「英は,刻書である也.蕩は,竹箭である也.刻して而も書して其所使之事,以て三節の信を助ける,則ち漢の竹使符者は,亦た取るに故事に則ったのである也.」

[二]魏氏春秋に曰く:「中平六年,始復節上赤葆.」

御史中丞は一人,千石である.本注に曰く:御史大夫の丞である也.旧では御史を別監し殿中に在って,密かに非法を挙げる(検挙する).[一]御史大夫が転じて司空と為るに及び,因って別とされ中に留まり,御史台を率いることと為った,[二]後にまた少府に属した.治書侍御史は二人,六百石である.本注に曰く:職掌は法律に明らかな者を選んで之を為す.凡そ天下の諸讞疑の事あれば,法律を以て其の是非に当るのが職掌である.[三]侍御史が十五人,六百石である.本注曰く:職掌は非法を察挙することである,公卿吏の奏事を受け,違失有れば之を挙げて弾劾する.凡そ郊廟の祠及び大朝会、大封拝で,則ち(一)[二]人が威儀を監察し,違失有れば則ち劾奏するのである.[四]

[一]周禮:「[小宰]は建邦之宮刑を掌り,以て主して王宮之政令を治めさせる.」干寶注に曰く:「若し御史中丞である.」

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[二]風俗通に曰く:「尚書、御史台は,皆以て官の蒼頭をして吏と為させる,主に賦舍にかかわり,凡そ其の門戸を守る.」蔡質漢儀に曰く:「丞は,故は二千石であった,之を為すに或いは侍御史、高第より選び,憲を執って司に中った,朝会で独坐し,蘭台を内掌し,諸州刺史を監督し,百寮を糾察する(糾弾監察する),(御史中丞の任を勤め終えると)出て二千石(郡国守)と為る.」魏志に曰く:「建安に御史大夫が置かれたが,中丞を領しなかった,長史一人が置かれた.」

[三]蔡質漢儀に曰く:「御史を選ぶに高第で之を補う.」胡廣は曰く:「孝宣感路温舒言,秋季後請讞.時に帝は宣室に御幸し,齋居して事を決した,侍御史二人に命令して書を治めさせ,御史は此れを起てた.後に因って別置した,冠は法冠,秩百石,印綬を有し,符節郎と共に廷尉の奏事を平らかにする,罪には輕重で当たる.」荀綽晉百官表注に曰く:「惠帝以後,平治する所無かった,位を備えて而も已んだ.」

[四]蔡質漢儀に曰く:「其二人は更直.省中に法を執る者は,皆百官を糾察し,州郡を監督する.公法府の掾属は高第で之を補う.初めては守と称し,歳満ちて真に拝する,治劇を出て刺史、二千石と為り,平遷すれば令を補う.中丞に見えると,板を執って揖礼する.」

蘭台令史は,六百石である.本注に曰く:職掌は奏上及び印工文書にかかわる.

右(以上)は少府に属する.本注に曰く:少府に職属する者は,太醫、上林より凡そ四官である.侍中から御史に至るまで,皆以て文属する焉.秦より承ったところの,凡そ山澤陂池の税は,名づけて曰く禁銭,少府に属した.世祖が改めて司農に属させた,考工は太僕に転属した,都水は郡国に属する.孝武帝が初めて水衡都尉を置いた,秩は比二千石である,別主上林苑有離宮燕休之処,世祖は之を省き,少府にその職を併せた.毎立秋貙劉之日,輒ち暫く水衡都尉を置き,事訖わると乃ち之を罷めた.少府は本は六丞あったが,五つを省いた.また湯官、織室令を省き,丞を置いた.また上林十池監,胞人長丞,宦者、昆台、[一]佽飛[二]三令など,二十一丞を省いた.また水衡属官令、長、丞、尉二十余人を省いた.章帝和帝より下ると,中官は稍ずるに廣くなり,加えて嘗薬、太官、御者、鉤盾、尚方、考工、別作監など,皆六百石となって,宦者が之を為し,転じてその副も兼ねるようになっていたため,

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或いは省き,本の官に故録させた.[三]

[一]昆台は本の名を甘泉居室といったが,武帝が改めたのである.

[二]佽飛は本の名を左弋といったが,武帝が改めたのである.

[三]蔡質漢儀に曰く:「少府の符著は出て都官従事に見えると,板を持つ.都官従事は少府に入って符著を見ると,板を持つ.」漢官目録に曰く:「右(以上)の三卿は,司空の所部である.」