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---偽黒武堂の三国志探訪---

三国志年表


---三国志年表:曹操の誕生〜陳寿の死まで---

<現在、本HP上で触れている出来事は以下の通りです>

155年 正月:後漢桓帝(劉志)の御世。[永寿元年]
     ・ :曹操誕生
156年   :
157年   :
     ・ :孫堅誕生
158年   :
159年07月:梁皇后逝去。
    08月:桓帝、宦官の力を借りクーデター。大将軍梁冀自殺、外戚梁冀一族みな棄市される。
160年   :
161年   :
     ・ :劉備誕生
162年   :
163年   :
     ・ :荀或*誕生
164年   :
165年   :
166年   :
167年   :
    06月:第一次党錮の禁。<党錮の禁>
    12月:桓帝逝去(36歳)。
168年 正月:後漢霊帝(劉宏)即位。[建寧元年]
169年   :
    09月:第二次党錮の禁。<王土の軋む音>
170年   :
171年   :
172年   :
    12月:袁隗、司徒に就任。(〜176年閏5月末まで第一次袁隗政権)
173年   :
174年   :
175年   :
     ・ :孫策(-200)・周瑜(-210)誕生
176年   :
177年   :
     ・ :王粲誕生(-217)
178年   :
       :霊帝の売官始まる。<王土の軋む音>
179年   :
     ・ :ホウ統誕生(-214)
180年   :
181年   :
     ・ :諸葛亮誕生(-234)
     ・ :大長秋の曹謄(曹操の祖父)、死去。
182年   :
    04月:袁隗、司徒に就任。(〜185年2月末まで第二次袁隗政権)
     ・ :孫権誕生(-252)
183年   :
184年   :
    02月:太平道教祖張角、魏郡で蜂起。(黄巾賊の乱)<黄巾賊乱>
       :安平国・甘陵国で住民が黄巾賊に呼応、王を捕える。
    03月:黄巾賊乱;南郡太守楮貢、黄巾賊張曼成に殺される。
       :外戚の何進、大将軍となる。
       :北地太守皇甫嵩、宦官呂強霊帝に進言。党錮の禁解除される。
    04月:黄巾賊乱;潁川の戦。右中朗将朱儁、黄巾賊波才に破れる。
       :黄巾賊乱;汝南太守趙謙、邵陵で黄巾賊に破れる。
            ;幽州刺史郭勲、黄巾賊に破れ殺害される。
            ;広陽太守劉衛、黄巾賊に破れ殺害される。
    05月:黄巾賊乱;長社の戦。皇甫嵩、包囲されるが朱儁・曹操の助力で黄巾賊を撃破。
             以降、汝南、潁川、陳国一帯の黄巾賊掃討戦に突入。
    06月:黄巾賊乱;廬植、広宗に張角を追い詰める。
             宦官の讒言により廬植罪に落ち、董卓が後任となるが戦果なし。
             太平道教祖張角、病死。張角の弟、張梁代わる。
             董卓、戦果無く更迭、皇甫嵩が後任となり張梁に当たることに。
    07月:巴郡で五斗米道張脩蜂起。
     ・ :黄巾賊乱;朱儁、南陽太守秦頡、荊州刺史徐翕*の協力を得、張曼成篭る宛を包囲。
             黄巾賊張曼成戦死。黄巾賊趙弘、代わる。
            ;宛を3カ月包囲、朱儁麾下孫堅趙弘篭る宛攻略で大功。趙弘斬られる。
             黄巾賊趙弘、戦死。黄巾賊韓忠、代わる。
            ;朱儁、策を用い韓忠の部隊を誘いだし、破る。
             黄巾賊韓忠、降伏を申し出たが受容れられず、斬られる。暫く後、宛陥落。
    10月:黄巾賊乱;皇甫嵩、張角の弟、張梁を斬る。
    11月:黄巾賊乱;皇甫嵩、張角の弟、張宝を破る。
    12月:中平と改元。[中平元年]
185年   :
    02月:霊帝、宮殿造営の為、田地1畝毎に税を課す。<大樹が傾いてゆく中で>
       :黒山賊張飛燕投降、平難中朗将に任じられる。<黒山賊>
186年   :
       :司空張温に車騎将軍を兼ねさせ辺章・韓遂らの叛乱を鎮圧させる。
     ・ :霊帝、玉堂殿造営。銅人、黄鐘、天禄、蝦蟆を鋳造。<大樹が傾いてゆく中で>
    12月:鮮卑、幽州・并州に侵攻。
187年   :
    06月:張純張挙・烏丸大人丘力居らと組んで兵を挙げ、薊中を攻略。
       :張純、右北平太守劉政、遼東太守陽終、護烏丸校尉公其*稠を殺害、天子を自称。
188年   :
    03月:劉焉、州牧制を提唱、受容れられる。<劉二牧>
    08月:西園八校尉設置。
189年   :
    04月:霊帝劉宏崩御。[中平06年]
       :少帝劉弁即位。
        光喜*と改元。[光喜*元年]
    08月:大将軍何進暗殺、袁紹らによる宦官大虐殺が起こる。<千乗万騎北芒に走る>
       :昭寧と改元。 [昭寧元年]
       :董卓、司空就任。(第一次董卓政権)<亡国の僭主>
       :袁紹、洛陽を出奔する。<反董卓連合の構築と瓦解>
    09月:少帝劉弁廃される(弘農王)。陳留王劉協即位(献帝)。
        永漢と改元。 [永漢元年]
       :董卓、太尉となる。
       :曹操、董卓に任じられた驍騎校尉の官位を返し、洛陽を脱出。
    11月:董卓、相国となる。(第二次董卓政権)
    12月:董卓、年号を中平6年に戻す。
       :曹操、無官の身ながら陳留太守張貌*の(陰の)援助を受け挙兵。<反董卓連合の時代>
        済北の相鮑信、曹操の挙兵先で同時に挙兵。
190年 正月:初平と改元。 [初平元年]
       :袁紹立ち、関東諸侯の一斉蜂起起こる。<反董卓連合の構築と瓦解>
       :孫堅荊州刺史に続いて南陽太守を殺害、袁術に南陽を進呈する。
       :袁術孫堅より南陽を献じられ、反董卓連合に加わる。
       :先帝劉弁董卓の指示により毒殺される。
    02月:董卓、長安に遷都。
       :劉虞事態を嘆きつつ自らの意志を田疇に託し、長安に派遣する。
       :袁紹の叔父、太傅袁隗の一族、長安にて董卓により三族皆殺しとなる。
       :動かぬ諸侯に苛立ち、曹操は単独で西進、董卓の将徐栄と戦闘、卞*水の戦で敗北。
       :曹操曹洪のつてで揚州へ赴き、揚州刺史陳温と丹楊太守周斤*から兵四千を手に入れる。
        龍亢まで戻ったところで手に入れた丹楊兵が叛乱、元の木阿弥に。
        建平辺りまで戻る間に千余人を集め、河内の袁紹の下へゆく。
     ・ :エン州刺史劉岱が仲の悪かった東郡太守喬瑁を殺害、王肱を太守に据える。
     ・ :曹操胡母班の親族に協力、兵を失った河内太守王匡の殺害に関与。
    06月:董卓、五銖銭を廃し、小銭を鋳造。貨幣価値暴落、大インフレとなる。
     ? :この頃、酸棗に集った諸侯らの軍、周辺を略奪しはじめる。
191年 春 :袁紹・韓馥による幽州牧劉虞の登極工作、失敗する。
    02月:董卓、自ら太師の位に就く。
       :動かぬ諸侯に失望し、孫堅は単独で北上、破れるも再戦、陽人の戦で華雄を斬る。
       :董卓李カクを派遣し、孫堅の懐柔を図るも拒絶される。
     夏 :洛陽に駐屯していた董卓孫堅を恐れ洛陽を放棄、長安へ帰還する。
       :反董卓連合の瓦解<二袁の争い>
       :孫堅、洛陽入城。灰燼に帰した洛陽に涙し魯陽に戻り駐屯。
       :袁紹、周昴を陽城に派遣して袁術の陣地を奪取。<二袁の争い>
       :袁術、孫堅・公孫越を派遣、周昴を追い払おうとして失敗。公孫越戦死。
       :公孫讚*、公孫越の死に激怒、冀州と幽州の戦い起こる。
        安平の戦;韓馥、安平で公孫讚*に破れる。
       :袁紹、公孫讚*の怒りを避ける為、渤海太守を公孫範に譲る。
    07月:袁紹、韓馥から冀州牧位を詐取する。
       :袁紹、劉表と結び、袁術、公孫讚*と結ぶ。
       :公孫讚*、続いて磐河へ出兵。
       :荀或*袁紹の下を辞去、曹操を頼る。
     秋 :董卓の派遣した冀州牧壷寿の下、黒山賊、冀州魏郡に侵攻。<黒山賊との激闘>
        曹操、黒山賊を迎撃し袁紹の上表を受け、エン州東郡太守となる。
       :袁術、孫堅を派遣し劉表を攻める。
       :孫堅、劉表の将・黄祖を攻撃中に不慮の死。
192年   :
     正月:董卓軍、洛陽を出奔した朱儁を中牟で破り、陳留・潁川で略奪。
       :界橋の戦。袁紹、公孫讚*を破る。
        董卓の派遣した冀州牧壷寿の下、黒山賊、再度冀州魏郡に侵攻。<黒山賊との激闘>
     夏 :青州黄巾賊、エン州に侵攻。
        エン州刺史劉岱、済北相鮑信の諌めを振り払って青州黄巾賊と戦い、敗死。
        曹操陳宮の策でエン州牧に就任。済北相鮑信、曹操に協力して青州黄巾賊と戦い戦死。
        曹操、青州黄巾賊を降す。青州兵の誕生。<青州兵の誕生>
    04月:王允・呂布董卓を誅殺。<董卓政権の崩壊>
        王允、蔡邑*を獄に下して殺す。
    06月:董卓軍の李カク郭巳*ら、賈クの進言を採用し長安を攻略、王允を殺す。<長安大動乱>
    10月:劉表、荊州刺史から荊州牧となる。
193年   :
    03月:袁術、揚州刺史陳温を殺し、淮南を占拠。<袁術の無道>
       :陶謙が徐州牧に、趙立*が広陵太守に、王朗が会稽太守になる。
       :陶謙、エン州泰山郡の華・費県を攻略、任城国に侵攻する。
     秋 :曹操、徐州に攻め込み、第一次陶謙征討を行う。徐州南部で虐殺。<陶謙征伐戦>
    10月:公孫讚*、捕らえていた幽州牧劉虞を斬刑に処す。
194年   :
     正月:曹操、徐州より撤退。
       :陶謙、上表して劉備を豫州刺史に任ずる。(陶謙閥の刺史)<累卵のパワーバランス>
     夏 :第二次陶謙征討。曹操、徐州で虐殺を行う。
        曹操、泰山方面から徐州北方へ侵攻、華県を含む5城を陥落させ、東海まで赴く。
       :エン州謀叛;張超張貌*陳宮、呂布を引入れて謀叛。<呂布との死闘>
             ;荀或*程立*・夏候惇ら、笵・東阿・甄の3城を保持して曹操の帰還を待つ。
             ;曹操曹洪を先行させ、楽進呂虔李乾らを用いつつ無事笵へ帰還。
    12月:曹操と呂布、濮陽の戦の決着がつかず、兵を引く。<呂布との死闘全履歴>
       :孫策の江東制覇戦始まる。<江東制覇戦>
195年   :
     正月:曹操、定陶に呂布を破る。
    05月:袁紹、鮑丘に公孫讚*を破る。
    10月:曹操、朝廷より正式のエン州牧に任じられる。
       :朱治、孫策の命を受け呉郡太守許貢を追い払い、呉郡を乗っ取る。
       :劉備、陶謙没後の徐州を継ぎ、徐州牧となる。<累卵のパワーバランス>
196年 正月:建安と改元。 [建安元年]
     正月:曹操、武平に侵攻、袁術が任命した陳国相袁嗣、降伏する。
     ・ :袁術劉備が徐州を争う。
       :呂布袁術の要請を受けて張飛のいた沛を攻略、徐州牧を称する。
    06月:呂布の将赫*萌呂布に叛乱。鎮圧後、陳宮袁術の意を受けて関与していた事が発覚。
    07月:献帝、洛陽入り。
    08月:曹操、兵を率いて洛陽入りし献帝を許に移す計画を進める。
    09月:曹操、献帝を環*轅(環*は車ヘン)から許に移し、大将軍を拝命する。
       :楊奉、献帝の許への移住を阻もうとするが、失敗。
    10月:曹操、梁の楊奉を討伐。楊奉袁術の下へ走る。
       :袁紹、太尉に任じられるが、曹操(大将軍)の下位であるため、受けず。
       :曹操、大将軍を袁紹に譲る。司空となり、車騎将軍を兼官する。
       :曹操荀或*を侍中に、荀攸を軍師に、郭嘉を司空祭酒に任じる。
       :曹操棗祗・韓浩らの献策を採用、屯田制を開始する。
197年 正月:曹操、張繍と戦い、手酷い損害を受ける。曹昴・典韋、陣没。<傾国の代償>
     春 :袁術、淮南にあって皇帝僭称。<袁術の無道>
       :呂布袁術からの帝位僭称の使者を捕えて曹操の下へ送る。袁術激怒。
    09月:曹操、陳国に侵攻してきた偽帝袁術を討伐、袁術逃亡。<偽帝・袁術の死>
        曹操、袁術の将、橋ズイ・李豊・梁綱・楽就を撃破。全員を斬殺す。
    11月:曹操、宛に南征。<傾国の代償>
          ;湖陽攻略。劉表の将登*済を捕える。湖陽降伏。
          ;舞陰再攻略。陥とす。
198年   :
    09月:劉備、呂布の部将高順に攻められ沛を失い、曹操の下へ逃れる。
       :曹操、呂布討伐に向かう。
    10月:曹操、彭城を屠る。彭城国相候諧を捕える。
       :曹操、下ヒに進軍、迎撃に来た呂布本軍を破る。勇将成廉を捕虜とする。
          ;下ヒ包囲。
          ;呂布、城から撃って出るが、破れる。篭城。
          ;荀攸・郭嘉、曹操に、泗水・沂水を決壊しての水攻を進言。(11月?)
          ;曹操、下ヒを水攻。
          ;宋憲・魏続ら、陳宮を捕え、城を挙げて降伏。(12月)
    12月:曹操呂布を攻め、下ヒを包囲攻略、陥落させる。呂布を殺す。<無敵騎馬軍団の滅亡>
          ;泰山の臧覇・孫観・呉敦・尹礼・昌稀*(稀*は豕ヘン)ら捕虜となる。
199年   :
    03月:公孫讚*、易京の戦で袁紹に破れ、自殺。<袁紹の覇道><北図南睨>
    06月:袁術、全てを失い、吐血憤死。<蜜を望み路傍に死す>
    12月:孫策黄祖を破る。
       :劉備、曹操に叛き小沛に自立。袁紹と結ぶ。<収攬した英雄の離反>
200年 正月:曹操、劉備を伐って下ヒを陥とし、関羽を虜にする。
        劉備袁紹の下へ身を寄せる。<敗亡流浪の左将軍>
    04月:孫策、丹徒にて刺客の手にかかり、死亡する。<満たされぬ野望に果つ>
    10月:曹操軍、烏巣襲撃に成功、崩れる袁紹軍を攻撃し壊滅させる。<袁紹を恐れながら>
201年   :
202年   :
    05月:袁紹死去。<北図南睨><袁家凋落>
203年   :
204年   :
205年   :
206年   :
207年   :
208年   :
209年   :
210年   :
211年   :
212年   :
213年   :
214年   :
215年   :
216年   :
217年   :
218年   :
219年   :
220年   :
     正月:曹操逝去。
        太子の曹丕が丞相・魏王に就き、延康と改元。
    02月:賈クが太尉に、華キンを相国に、王朗を御史大夫に任命。
        散騎常侍・侍郎を各4名設置。宦官の権能を制限、その文書を保管。
    03月:夏候惇を大将軍に任命。
    04月:渤海郡饒安県から白雉が現れたと報告。
       :大将軍夏候惇、逝去。
    05月:献帝、曹操の父曹嵩を追尊し太王、曹嵩夫人丁氏を王太后とするよう命ず。
       :献帝の命で、曹叡、武徳候に取り立てられる。
       :酒泉の黄華、張掖の張進らがそれぞれ太守を捕え反逆。
        金城太守蘇則張進を討伐して斬り、黄華は降伏した。
     秋 :魏の梅敷張倹を使いさせ孫権の下に身を寄せたいと申し入れる。
       :南陽郡の陰・サン・筑陽・山都・中廬、5県の住民5千戸が呉に帰属する
     冬 :漢魏禅譲。曹丕、魏朝を拓く。
        黄初と改元。
221年   :
    04月:劉備、帝称。
222年   :
223年   :
    04月劉備、永安で逝去。<血涙の復讐戦>
    05月:後主劉禅、即位し建興と改元。諸葛亮が丞相として蜀漢の政治をみる。
    10月:蜀は登*芝を呉に使者に送り、友好を固める。<南中諸郡の離反と平定>
224年   :
225年   :
     夏 :諸葛亮李恢馬忠らに命じ、また自ら離反した南中諸郡に南征孟獲を降しテン池に至る。
        秋には諸郡全てを回復し、成都に帰還する。<南中諸郡の離反と平定>
226年   :
227年   :
    03月:諸葛亮、漢中へ兵を進める。(北伐準備)
228年   :
     正月:司馬懿、蜀に内通しようとした孟達を新城に攻め、半月で陥とし、孟達を斬る。
     春 :諸葛亮、祁山に出兵。(諸葛亮の北伐)<出師の表>
       :諸葛亮の北伐に動揺し天水・南安・安定諸郡、魏に背き蜀につく。
       :明帝曹叡、諸葛亮北伐に対し長安に親征、曹真・張合*を迎撃に派遣。<諸葛亮を迎撃せよ>
       :馬謖諸葛亮の指示に背き、街亭の戦で張合*に破れる。
    12月:諸葛亮、散関から出兵し陳倉を包囲するが赫*昭がよく耐えたため糧食が尽き、撤退する。
229年   :
     春 :諸葛亮陳戒をおくり武都・陰平2郡を攻略。
    04月:孫権、帝位登極。黄龍と改元。
    09月:孫権、建業に遷都。
230年   :
    02月:魏)曹真を大司馬に、司馬懿を大将軍に、公孫淵を車騎将軍に任ず。
     秋 :魏)司馬懿を西城経由で張合*を子午経由で曹真を斜谷経由で漢中攻略に派遣。
       :蜀)諸葛亮は魏の漢中攻略軍を城固・赤阪に待ち受ける。
    09月:長雨のため、魏の漢中攻略軍、全軍撤退。
       :蜀)諸葛亮、雍州へ侵攻、陽谿の戦で蜀の魏延、魏の雍州刺史郭淮を破る。
231年   :
    02月:諸葛亮、祁山を包囲。司馬懿・張合*、祁山を救援。
    06月:諸葛亮、糧食が尽きて撤退、追撃してきた張合*と交戦、射殺す。
    08月:蜀)李厳、免職となり梓潼郡に流される。
232年   :
233年   :
     冬 :諸葛亮、斜谷口に糧秣を集めさせ氏*閣を整えさせる。
     ・ :蜀)南方で蛮族の大酋長劉冑が叛乱、馬忠がこれを撃破平定。
234年   :
    02月:諸葛亮、斜谷より出撃、司馬懿、迎撃に向かい、両者五丈原に滞陣する。
    08月諸葛亮、渭浜に陣没。 忠武侯と諡される。<出師の表>
       :蜀)西征大将軍魏延と丞相長史楊儀が指揮権を争い、魏延が破れて斬られる。
          楊儀は諸軍を統率して成都に帰還。成都で大赦。
235年   :
     正月:蜀)中軍師楊儀免職、漢嘉郡に流される。
    04月:蜀)尚書令蒋宛*、大将軍となる。
236年   :
    04月:蜀)後主劉禅、前*に行幸。観阪に登り文*水を見る。
       :蜀)武都氏*族の王符健とその民四百戸余りを広都に移住させる。殆どは魏へ流れる。
237年   :
    06月:蜀)皇后張氏逝去。
238年   :
     正月:蜀)亡き皇后張氏の妹、皇后張氏を立てる。
        蜀)立皇后に伴う大赦。延煕に改元。
          子の劉センを太子に立て、劉瑶を安定王に立てる。
    11月:蜀)大将軍蒋宛*、出陣。漢中に駐屯。
239年   :
     正月:魏)太尉司馬懿、遼東より河内に帰還。(景初3年正月)
          司馬懿に後事を託し、曹叡、薨去。諡して明帝。曹芳、帝位に就く。
    03月:蜀)大将軍蒋宛*、大司馬となる。
240年   :
     春 :蜀)越雋太守張嶷、今まで統制外にあった越雋郡を平定し蜀に組込む。
       :蜀)向寵、漢嘉郡の蛮族征伐で殺害される。
241年   :
    04月:呉)衛将軍全宗*、淮南へ侵攻。芍陂を決壊し安城の邸閣を焼き住民を捕虜にする。
          威北将軍諸葛恪、六安へ侵攻。
          車騎将軍朱然、樊を包囲。
          大将軍諸葛瑾、柤中を占領する。
          衛将軍全宗*、魏の王陵と芍陂で会戦、中朗将秦晃ら十余人が戦死、大敗北を喫する。
    閏6月:呉)大将軍諸葛瑾、死去。
    10月:蜀)尚書令の費韋*、漢中へ赴き大司馬蒋宛*と計略を相談。
     年末:蜀)尚書令の費韋*、漢中から成都に帰還。
242年   :
     正月:蜀)監軍姜維、一軍を率い漢中からフ県に帰り駐屯。
243年   :
    10月:蜀)大司馬蒋宛*、漢中からフ県に駐屯。
    11月:蜀)大赦。尚書令費韋*を大将軍とする。<政変>
          人事)侍中董允を輔国将軍、侍中守尚書令へ。
             姜維を鎮西将軍へ、王平を鎮北将軍へ、馬忠を鎮南将軍へ。
244年   :
     閏月:魏の大将軍曹爽夏候玄ら漢中に向かい、蜀の鎮北大将軍王平、興勢囲で抵抗。
        蜀の大将軍費韋*、諸軍を統率して救援に駆け付けたため、魏軍、撤退。
    04月:蜀)安平王劉理死去。
    09月:蜀)大将軍費韋*、成都に帰還。董允を侍中守尚書令のまま費韋*の次官に。
245年   :
    02月:呉)丞相陸遜、死去。
    08月:蜀)皇太后逝去。
    12月:蜀)大将軍費韋*、漢中へ赴き督軍。守備の陣営を視察。
246年   :
    02月:呉)車騎将軍朱然、魏に侵攻。柤中に入り千余人を斬り捕虜とする。
    06月:蜀)大将軍費韋*、成都に帰還。
     秋 :蜀)大赦。
    11月:蜀)大司馬蒋宛*、死去。
247年   :
248年   :
    05月:蜀)大将軍費韋*出陣、漢中に駐屯。
     秋 :蜀)フ陵郡属国都尉管轄下の民衆が叛乱。車騎将軍登*芝が討伐に赴き鎮圧。
249年   :
     正月:蜀)魏で政変。大将軍曹爽らが処刑されたため、右将軍夏侯覇が来降。
    04月:蜀)大赦。
     秋 :蜀)衛将軍姜維、雍州へ出撃。勝利を得られず帰国。将軍句安李韶が魏に降伏する。
250年   :
       :蜀)衛将軍姜維、再び西平に出撃。勝利を得られず帰国。
251年   :
     夏 :蜀)大将軍費韋*成都に帰還。
          尚書令呂乂死去。侍中陳祗、侍中守尚書令へ。鎮軍将軍を加官される。
     冬 :蜀)大将軍費韋*北に赴き、漢寿に駐屯。大赦。
252年   :
       :蜀)大将軍費韋*幕府開府の権限を与えられる。
253年   :
     正月:蜀)大将軍費韋*、漢寿で正月の酒席の中、魏からの降将郭循により殺害される。
    04月:蜀)衛将軍姜維、南安を包囲。勝利を得られず帰国。
254年   :
     正月:蜀)衛将軍姜維、成都に帰還。大赦が行われる。
    06月:蜀)衛将軍姜維、隴西へ出撃。
     冬 :蜀)衛将軍姜維ら魏の徐質を破る。盪寇将軍張嶷、敵に倍の損害を与え、戦死。
          衛将軍姜維、狄道・河関・臨兆*を陥落させ、住民を緜竹と繁へ移住させる。
255年   :
     春 :蜀)姜維成都に帰還。
     夏 :蜀)衛将軍姜維、狄道に出撃、魏の雍州刺史王経と兆*西で戦い、大捷。
          魏の雍州刺史王経、退却して狄道城に立て篭もる。
          衛将軍姜維、一旦引いて鍾題に留まる。
256年   :
     春 :蜀)姜維、大将軍となる。軍事行動継続。
          姜維、鎮西将軍胡済と上圭*で合流して魏軍と会戦予定。胡済、姿を現さず。
    08月:段谷の戦い;姜維登*艾に大敗北。
257年   :
258年   :
     正月:蜀)後将軍・行大将軍事姜維、成都に帰還。
          史官が景星があらわれたと奏上、景耀と改元。大赦。
          侍中守尚書令陳祗死去。忠侯と諡される。尚書僕射董厥尚書令に。諸葛瞻尚書僕射に。
          楊戯姜維の意を受けた担当官吏の上訴により、免官。庶民に落とされる。
          宦官の黄晧が権力を握る。黄門令から中常侍・奉射都尉に昇進。
259年   :
        蜀)尚書令董厥、大将軍平台事に、樊建、尚書令に。胡済、右驃騎将軍仮節エン州刺史に。
260年   :
    09月:蜀)関羽・張飛・馬超・ホウ統・黄忠に諡号追贈。
261年   :
    03月:蜀)趙雲に諡号追贈。
    10月:蜀)大赦。
          人事:諸葛瞻(行都護衛将軍・平尚書事)
             董厥 (輔国大将軍・南郷侯・平尚書事)
             張翼 (左車騎将軍仮節冀州刺史)
             廖化 (右車騎将軍仮節并州刺史)
             宗預 (鎮軍大将軍・エン州刺史)
262年   :
263年   :
     春 :蜀)歩兵校尉習隆・中書郎向充らの上奏で詔勅が下り、ベン陽に諸葛亮の霊廟が建立される。
     秋 :魏の蜀攻略戦への詔勅、下る。
    08月:魏の蜀攻略戦始まる。総帥は司馬昭、統帥は登*艾鐘会諸葛緒ら、
         ;征西将軍都督隴右諸軍事登*艾、甘松・沓中で姜維と全戦線で対峙すべく3万の軍で進攻
         ;雍州刺史諸葛緒、武都・橋頭で蜀の姜維の帰路を断つべく3万の軍で進攻
         ;鎮西将軍仮節都督関中諸軍事鐘会、斜谷・駱谷道より関中緒軍10万で進攻
          牙門将許儀、桟道不整備を問われ鐘会に斬られる
         ;蜀、登*艾の沓中侵入、鐘会の駱谷通過を察知、次の事項を決定する
            ・姜維軍との分断を懸念、漢中防衛網を放棄、残存諸部隊を漢・楽へ終結させる
            ・右車騎将軍廖化を沓中へ派遣し姜維の援軍とする
            ・左車騎将軍張翼・輔国大将軍董厥を陽安関に派遣、後詰め・迎撃体制を指揮させる
          蜀の監軍王含、楽城に5千の守備兵を以て立て篭もる
          蜀の護軍蒋斌、漢城に5千の守備兵を以て立て篭もる
         ;魏の魏興太守劉欣、子牛谷道へ軍を進める
         ;廖化、陰平で諸葛緒の建威侵入(武都への侵攻)を知る。迎撃のため陰平に駐屯、1カ月
         ;鐘会、漢中侵入。
            ・1万の軍を分けて護軍荀豈*を漢城包囲へ向ける
            ・1万の軍を分けて前将軍李輔を楽城包囲へ向ける。
            ・鐘会自身はそのまま陽安口へ進軍
         ;登*艾 、対姜維戦の作戦を策定・実行。
            ・天水太守王斤*(斤*は斤に頁)の軍を姜維軍陣営に突き進ませる
            ・隴西太守牽弘の軍を王斤*軍に対処するだろう姜維への伏兵とさせる。
            ・金城太守楊欣の軍を甘松に差向ける
         ;姜維、鐘会軍の漢中侵入を察知、沓中より撤退
          楊欣ら、追撃。彊川口で追い付き、大会戦。姜維、破れて敗走。
         ;諸葛緒、作戦計画通り武都を抜き、橋頭に到着。駐屯して姜維軍を待ち受ける
         ;姜維諸葛緒の橋頭駐屯を知る。孔函谷を通って諸葛緒軍後方からの迂回を試みる
          諸葛緒、姜維軍の動きを察知、後方(北の)遮断を恐れ、慌てて軍を下げる、
          姜維諸葛緒の後退を知り、橋頭を急行軍で通過、陰平へ向かう
          姜維、陰平で廖化と合流。散った兵を終結させ、景谷道を通って陽安関へ向かう
         ;鐘会が派遣した護軍胡烈らの先行軍、関城(陽安関の城)を陥落させる。糧秣を得る
          蜀将蒋舒、城を明け渡して降服。蜀将傅僉、格闘の上、戦死。
         ;関城陥落の報を受け、鐘会本隊、漢・楽2城を荀豈*李輔に包囲させたまま進攻再開
         ;姜維廖化、関城陥落を知る。白水経由で剣閣へ退く
          張翼董厥、漢寿に到着。関城陥落を知る。姜維らと合流、剣閣へ入城
         ;登*艾 、陰平に入る。景谷道を通り白水を経由して一旦鐘会と合流
         ;鐘会ら、姜維らの立て篭もる剣閣を包囲
         ;登*艾 、蜀中枢への奇襲作戦を上奏、受容れられる
         ;鐘会 登*艾田章ら麾下の部隊を引き抜き補充。
         ;登*艾 、漢徳陽の西から山地を無理矢理突破、江由・フ県を目指す
          登*艾 田章を先行させ、フ県の北方後背に当たる江由を攻略させる
          田章、蜀の伏兵3部隊を撃破。江由に至る。蜀の馬貌*(貌*はしんにゅうがつく)降服
         ;衛将軍諸葛瞻 、江由陥落を知り、フ県から兵を返し、緜竹で陣を連ね登*艾を待つ
         ;登*艾 、左憺*道(憺*は人ベン)からフ県へ入り、緜竹へ向かう
         ;鐘会 、内密の上奏を行い、諸葛緒の軍権を剥奪。(このころ)雍州の軍を兼併する
    10月:蜀漢攻略戦(緜竹の戦)
         ;登*艾 、諸葛瞻軍への攻撃を開始
            ・息子登*忠に敵の右陣を、司馬師纂に左陣の攻撃を命じる
          登*忠 師纂、緒戦で諸葛瞻軍に破れ、退却
          登*艾 登*忠 師纂を斬刑に処すと脅し、両将へ再攻撃を命じる
          諸葛瞻軍破れる。衛将軍諸葛戦・尚書張遵ら戦死。軍兵ことごとく四散
     冬 :魏の登*艾、蜀の諸葛瞻を緜竹に破り成都に迫る。
         ;姜維ら、諸葛瞻敗死を知る。剣閣を放棄、成都へ撤退開始。閭*中へ入る(閭*は呂→良)
         ;鐘会、成都を目指すと共に、姜維軍の追撃・殲滅作戦を策定、実行
            ・司馬夏候咸、護軍胡烈は剣閣を経、新都・大都を目指し、姜維の成都合流を防ぐ
            ・参軍爰靜*、将軍句安は姜維軍を追撃
            ・参軍皇甫豈*、将軍王買はフ県から進軍、撤退中の姜維軍の補足・横撃を試みる
            ・鐘会自身は予備戦力としてフ県に駐留。流動する状況の把握と作戦の監督を行う
    11月焦*周の建策を受けて後主劉禅、魏に降る。蜀、滅亡。<降伏劇>
         ;登*艾 、洛*県(サンズイではなく鳥ヘン)で後主劉禅の降伏文書を受け取る
         ;登*艾 、姜維軍へ劉禅の使者を派遣、降服し鐘会の下へ出頭するよう促す
         ;姜維ら、広漢郡シ県で劉禅の降服と生存を確認。武装解除し、フ県の鐘会の下へ出頭
            ・姜維胡烈の下へ割り符を送って(軍事指揮権の放棄)から出頭
264年   :
     正月:登*艾、逮捕される。
       :鐘会、姜維と共に魏からの独立を謀るが失敗。鐘会・姜維、死亡。<姜維の最期>
    03月:劉禅郤正の輔導を受けつつ洛陽に到着、安楽県公に任命される。<降伏劇>
    05月:呉主孫休病没。<亡国への道>
        呉)孫休逝去時に交阯が離反。
       :孫晧、濮陽興、張布に招かれ呉主となる。23歳。元興と改元。大赦する。
    08月:孫晧、上大将軍施績、大将軍丁奉を左右の大司馬に、張布を驃騎将軍に任命。
        先の他帝位継承に伴う人事異動で恩賞・位階の進上が行われる。
    09月:孫晧、太后朱氏の位を落し、景皇后とする(朱夫人の伝では6月)。
        父孫和に諡して文皇帝、母何氏の位を上げて太后とする。
    10月:孫晧、孫休の太子孫ワンを豫章王にその弟らを汝南王、梁王、陳王に封じる。
        滕氏を皇后に立てる。
    11月:孫晧万或*の讒言を受け濮陽興、張布を捕らえて殺す、一族も殺す。
    12月:孫晧、滕皇后の父滕牧を高密候に封じ、舅(母方のおじ)・何洪ら三人を列候に叙す。
       :魏)孫休逝去時に離反した交阯に太守を任命、派遣する。
       :魏)相国司馬昭が降伏勧告の使者(魏に降った徐紹・孫或*)を呉に派遣する。
265年   :
    03月:孫晧、魏を称揚したとの讒言を受け、帰還途中の徐紹を濡須から呉へ召還し殺害。
        孫晧、徐紹の一家眷族を建安へ強制移住させる。
    04月:呉)甘露と改元←蒋陵(孫権の墓)から甘露が降ったと言う報告による。
    07月:孫晧、景后の朱氏を追い詰めて殺害。
       :孫晧、孫休の四人の息子(豫章王孫ワン、汝南王、梁王、陳王)を呉に軟禁。
        孫晧、軟禁後、直に豫章王、汝南王を殺害。
    08月:魏)司馬昭死去。太子の司馬炎が相国・晋王となる。。
     冬 :孫晧、建業から武昌に遷都;西陵督歩闡の建議による。遷都に伴う大赦。
        呉)郡改定。零陵郡南部を始安郡、桂陽郡南部を始興郡とする。
        孫晧占いを信じて武昌周辺の貴顕・名家の墳墓を掘り起こす。
        呉)民衆は武昌遷都を嫌がり不穏状態となる。
    12月:魏晋禅譲劇;司馬炎曹奐に迫って禅譲させる。晋朝創始。泰始と改元。
266年   :
    06月:孫晧、3月に西晋へ使いした丁忠を迎えた酒席上で王蕃を殺害。
    08月:呉)宝鼎と改元←各地から大きな鼎が発見されたとの報告による。
        呉)陸凱を左丞相に、常侍の万或*を右丞相に任命。
    10月:呉)永安で施但ら数千が叛乱。永安候孫謙を脅迫・担ぎ上げ建業へ侵攻。
          丁固諸葛靜*が建業に侵攻してきた施但ら一万余を牛屯で迎撃、撃破。
          丁固諸葛靜*が取り残された孫謙を保護するが孫謙(孫晧の異母弟)は自害。
        呉)郡改定;会稽郡を分割、東陽郡をつくる。
             ;呉郡・丹楊郡を分割、呉興郡をつくる。
             ;零陵郡北部を邵陵郡とする(南部は既に始安郡に改定済)
          #呉興郡設置は施但の叛乱を鑑みて次の叛乱を防ぐ地政的配慮による。
    12月:呉)武昌から建業に再遷都
267年   :
     春 :呉)大赦。(建業への再遷都に伴ったものか?)
       :呉)右丞相万或*、巴丘の守備に就く。
    06月:孫晧、昭明宮造営。民衆は労役に喘ぐ。
268年   :
    02月:呉)丁固を司徒に、孟仁を司空に。
    10月:呉)西晋へ侵攻。江夏・襄陽・芍陂に施績万或*丁奉を派遣するが撃退される。
       :呉)この年の内に交州刺史劉峻、前部都督脩則らを派遣し交阯を攻略するが、
          西晋の毛景*に破れ、劉峻、脩則共に敗死する。
269年   :
     正月:孫晧孫瑾を皇太子に。淮陽王、東平王を立てる。
    10月:呉)建衡と改元。改元に伴う大赦を行う。
270年   :
    11月:呉)孫晧の従兄の孫秀が西晋へ亡命。
271年   :
     正月:孫晧、讖緯を信じ西へ巡幸。従者に不満が広がり建業へ帰還する。
    07月:呉)薛玖*・陶冓*らが交趾を攻め落とす。
272年   :
     正月:呉)鳳凰と改元。←西の御苑から鳳凰がやって来たとの報告を受けて。
    07月:呉)建平太守吾彦より晋が呉攻略の艦船建造しているとの警告が入る。
    09月:呉)歩闡が西陵城ごと西晋へ投降する。
    12月:呉)陸抗、西陵城を陥し、歩闡を誅殺。<陸抗の死>
       :孫晧尚広に筮竹させ、吉だと言われ喜び内政を怠る。
273年   :
    03月:呉)陸抗を大司馬・荊州牧に任命。
       :呉)司徒丁固が死去。
    04月:孫晧韋昭を獄に降し誅殺。
    09月:孫晧、諸王の改封・新封。大赦を行う。
       :孫晧、愛妾の讒訴で司市中朗将陳声を鋸引きの刑に処し斬首する。
       :呉)この年、大尉の笵慎が死去。
274年   :
     春?:呉)会稽郡で章安候孫奮が天子になるとの妖言が流行る。
     夏?:呉)臨海太守奚煕が会稽太守郭誕に孫晧を非難する書簡を送る。
          郭誕上言、何植派遣され奚煕が叛乱、部下に殺害される。奚煕死後、一族は皆殺し。
          郭誕、上言時に会稽郡の妖言に触れなかった為、建安で強制労働の刑となる。
          邵疇が妖言の件で郭誕を庇い自殺。(郭誕は死刑を免れ上の刑となる)
    07月:孫晧、使者25人を派遣して諸州、郡で逃亡者を摘発、都に送る。
       :呉)大司馬陸抗が病死。272年〜大流行してた疫病での死らしい。<陸抗の死>
       :孫晧、誣告を受け、楼玄、賀邵を広州へ配流。楼玄、自害を命じられる。
        後に賀邵は許され原職に復帰するが中風の為、引退。
275年   :
     正月:呉)天冊と改元←呉郡で土中から字が刻まれた冊状の銀が出たとの報告による。大赦。
        孫晧、中風による賀邵の引退を疑い、拷問して殺害。楼玄の子や孫も誅殺。
        孫晧、些細な事で譴責し華ガクを免官する。(以後、刑の取りなしを行う者いなくなる。)
        孫晧、陸一族を建安に強制移住させる。(278年に一部許される)
276年   :
    07月:呉)天璽と改元。大赦を行う。
          ←呉郡で臨平湖の水路が再び通じたとの報告による。
           (臨平湖の水路が通じれば天下は安定すると言い伝えがある。)
          ←呉郡で皇帝と刻まれた石の入った石函が出たとの報告による。
       :孫晧、会稽太守車浚、湘東太守張詠を税(算岷*)未納により斬首刑。
        尚書熊睦が清廉な車浚の斬首を見て孫晧を諌めようとし、撲殺される。
    08月:呉)京下督・孫楷(武衛大将軍)が難を恐れ、西晋に投降。
       :呉)巴*陽から歴陽で石の筋目が瑞祥を示す文字になっていると報告が上がる。
       :呉)呉興から陽羨山にある内部が空洞の石に瑞祥が出たとの報告が上がる。
       :孫晧、兼司徒董朝、兼太常周処を陽羨県に派遣、陽羨山を国山とし封禅。
        これに伴い、明年の天紀改元が決まる。改元決定に伴う大赦を行う。
277年   :
     正月:天紀と改元←陽羨県の瑞祥に対応して(276年8月参照参照)。
     夏 :呉)夏口の督孫慎、江夏から晋領汝南に軍を進め焼き討ち。住民を略奪し連れ帰る。
       :呉)司直中朗将張俶、讒言誣告の履歴がバレ、誅殺される。
278年   :
    07月:孫晧、成紀王、宣威王ら11王を立てる。立王に伴う大赦を行う。
    10月:晋)揚州刺史応綽が皖城に攻め込み損害を与える。
279年   :
     春?:孫晧、讖緯に従い、公孫姓の文官・武官・兵卒を広州に強制移住させる。
     夏 :呉)郭馬の乱。<為す術もなく>
    08月:孫晧張悌を丞相に、何植を司徒に、滕循を司空に任命。
       :孫晧謄循を鎮南将軍・仮節領広州牧に改職し郭馬の乱鎮圧に向かわせる。
       :呉)怪異;巨大な鬼目菜が黄考*の家に生え、霊芝とされ黄考*は侍芝郎になる。
       :呉)怪異;巨大な買菜が呉平の家に生え、平虜草とされ呉平は平虜郎になる。
    11月:晋の武帝司馬炎は大動員をかけて呉へ攻め込む。<大陸統一>
280年   :
     春 :孫晧、中山王、代王ら11王を立てる。立王に伴う大赦を行う。
    03月孫晧、宦官岑昏を斬刑するようにとの諸官の上奏により岑昏を斬る
       :呉軍総崩れの中、王濬軍が建業に迫り、呉主孫晧は降伏を申入れ、呉滅亡。<大陸統一>
    05月:帰命候に封じられた孫晧が護送されて洛陽に到着する。<為す術もなく>
281年   :
282年   :
283年 正月:山濤死去。
    03月:武帝の冷遇で司馬攸憤死。
    11月:魏舒、司徒就任。
    12月:帰命候孫晧、洛陽で死去。(242-)
 ・ 
 ・ 
 ・ 
297年   :『正史三国志』編纂者・陳寿、死去。(233-)
 

<ちくま文庫版正史三国志1〜8参照> [Top] 


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