@Hidden Park!

うだる暑さと狂おしさの混じる、熱夢の月の夏、葉月

[2000年8月]

---今回の言葉---

なにかのための強化期間

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---三好三国志(八月三十日)---

 <空き領域>

 

---吉川三国志(八月二十九日)---

 日本に於ける三国志演義の原点。メジャー・オブ・ザ・メジャー。

 でも正直言って、吉川三国志なんて、中学の時に読んで以来、遠ざかってて、ついこの前、ホントに久方ぶりに光のどけく後半だけ読み返したりしたのだけれど。

 そうして見て、おや、と思ったのが、吉川英治は、もしかしたら正史にまで目を通した上でこの三国志演義を書いたのかも知れない、と言うものだ。吉川三国志最終巻、最後の段落まで読むと、三国志演義と言う物語を締め括った後に、筆者が顔を覗かせる場面がある。それは蜀が滅んだくだりの部分にあり(8巻p409中頃)、『蜀では色々な軋轢や無理があって結果、滅ぶに到ったが、蜀を担っていた人々の中に劉備・劉禅について「その名は備わると授けるの字義を伴っている、劉氏は既にその天命を終えたのだ」と言う言葉を吐くものがいるような状況で、どうしてそのように国家を保つ事が出来たろう、そのような言辞を弄するものたちは、一体国家をなんと考えていたのだろう、(そのような言辞こそ)恥じるべきではなかったか、』と言った事を陳べて蜀漢滅亡の段の手向けとしている。こうした事柄は正史に目を通さなければ出てこない類の言葉であるように思える。

 実の処、吉川英治が難じた彼等は杜瓊(最終官位は太常)、焦*周(最終官位は光禄大夫。九卿に次ぐ)らの事であり、吉川が直接採った言葉は焦*周のもので『杜瓊伝』の中に見いだされる。物語りの最後に於てぽつ、と投げだされるように置かれた吉川の、小国の中に敗北主義が蔓延る事、そのような敗北主義が蔓延る事による精神的内訌こそ真に退けられねばならないものであった、との言葉はその識見並ならず、その論旨は直であり、その心情は十分共感、同意出来るものであるにも関わらず、しかし自分はこれを是とする事が出来ない。なんとなれば彼等は蜀漢朝廷に於て九卿、或いは九卿の位に次ぐ大官に就いていた者たちであり、そのような大臣の重責を(吉川に言わせるならそのような者たちに)担わせたものの責任が、当然の如くその背景から問われるべき事になるのだから。そして彼等は或いは諸葛亮が称揚したものであり、或いは蒋宛*・費韋*ら諸葛亮の後継者たちが高く評価したものであったのだ。

更に言うなら、これが後漢王朝の成立にまで話が遡るのは理であろう。杜瓊・焦*周らにその言葉をもたらさせたものは、讖緯學と呼ばれる予言学だった。(単純に予言学と言えるものでは実はなく、言葉が世界に形象を為し与える(影響)力についてとか影響を与える時の法則性とかその法則を抽出する事についての技術論とか(言った非常に原始的な哲学とか)、一種の言霊思想かとも思われるものとか、どうかすると何れ形を為して現れる民意(或いは集団意識)の先行指標として言葉を取り扱う(ようなある種のユングっぽい精神医学的領分)とか、あるいは先に言葉を放つ事で民意を形成していくメディア学のような領域とかがごっちゃごちゃに混じりあって居て、とても一筋縄ではいきそうにない、ので)此処では簡単にオカルトと捉えさせて貰って論を平易にさせて頂くが、劉秀(後漢初代皇帝)はそうしたオカルトに頼って兵を興し、オカルトに拠って王朝を拓いた。それゆえに後漢が斃れる時には(黄巾賊乱後)様々なオカルト的言辞が衆を惑わしたし、三国志の群雄の多くがそれらに拠って立ち、群雄割拠を導きだす事になったのだ。董卓しかり袁紹しかり、勿論、劉備もそうである。正史三国志『先主伝(劉備伝)』には劉備が皇帝に就く時の上奏文が載っており、杜瓊・焦*周らはこの中で存分に讖緯を引用し讖緯に基づいて劉備が皇帝に就く必然を宣言している。実は面白いのは『魏書』との兼ねあいで、『魏書』にはこうした讖緯に基づいた論述を伴う即位を勧める上奏文と言うのは載録されていない。勿論それが無かった訳ではなく、裴松之が註釈で補填してあるのだが、私は、これは陳寿の三国志を描く必然ではなかったかと思ったりしている。『蜀書』の構成は『劉二牧伝(劉焉・劉璋)』に続いて『先主伝(劉備伝)・後主伝(劉禅)』となっているのだが、その理由は単純に劉焉・劉璋と劉備・劉禅を重ね合わせて劉備らの正当性を称揚する事だけではなく、後漢王朝が拓かれたそもそもの讖緯の呪縛をそこに著し、その呪縛故に結局劉氏の王朝は終わるべきものなのだと示唆する意図さえ重ね合わせての事であったように思える。(だから『魏書』は讖緯に関連する上奏が除かれているのではないか、ともなる。もっとも、こちらは曹操がそもそもそんなもの信じない性質であったばかりでなく、曹丕もそうであった事からそうした国主たちを下地に据えて讖緯を除いたと考えられる部分もある。勿論それ以前に、陳寿は魏書では禅譲劇の欺瞞を示す為にそもそもそうした上奏文を載録しない方針だったのだとする見方もあり、そちらも道理である。実はこの辺の三国志の帝紀に当たる部分の記載と言う事に関してはもう一つの視点があるのだが、それは此処に全然絡まないので除いた。)
そうした二重三重の視点を提供している、と言う処で、正史三国志は大変面白いし、それを記した陳寿の複雑で屈折した性格が窺えたりもして興味深い。
…ちょっと脱線し過ぎてしまった。

 吉川英治の無念を嘆じる思いはわからぬでもないが、そうした背景にまで踏み込んでしまうと、単純に吉川に同肯するわけにはいかない。

 

 ところで。

 今回吉川三国志について触れるのは、そこが重心ではない。吉川三国志の各巻末の奥付を見れば分かるのだが、これが書かれ出版されたのは昭和十五年、太平洋戦争直前の騒然とする世情の中であった。国際社会の中で孤立を深めてゆく日本、戦争も止むを得ないとの見解に傾いてゆく国内、その中で反戦を唱える(恐らくは)共産主義者の存在、戦いに怖気付くものは国賊と煽るメディア、若手軍部、それを尤もだと騒ぎ立てる民衆、こうした時代精神、時代背景を背負った上で、先ほど触れた吉川の言葉を鑑みると彼がそうした言葉を(恐らくは積極的に)残したのも至極当然かとも思えてこよう。そして彼の言葉の中で難じられた相手が現実の国内で反戦を唱えて止まない共産主義者に向けられたものではなかったかとの思いさえ巡らして見ることも出来る。

 とはいえ。

 このような見方は、すべきでない見方である。三国志演義を書き下ろしてゆく当時の吉川の胸中にはそうした見方が少なからずあっただろうとは思われるのだが、しかしそれが文中で窺えるようなものかというと、それは此処で今述べてきた指摘を受けてそうしたフィルターを通して見た時に初めてそうであったかも知れないと思えるようなものでしかない。この部分は例えそうした事情や心情が背景にあったとしてもそれらを微塵も感じさせない(テキスト内に於ける言辞の)普遍化が図られているのである。

 当時でさえ、それが此処で述べた様なものだと気付かれていたかどうか。

 吉川三国志の核心は此処にある。

 吉川英治は三国志演義を書くにあたって原典の羅貫中『三国志演義』を見て日本人の感性にあわない部分は色々と変えて日本人好みになるように物語を構成しなおした、と、後に述べている。これは単に吉川による『三国志演義』の徹底した(日本人向け)カスタマイズ、と解釈されているし、勿論解釈と言うよりはそう言う事であると言うだけのものなのだが、しかし、此処で行われた『徹底したカスタマイズ』は、先に述べた部分に於て『徹底した普遍化』と言う形で現れている。両者は同じものなのである。諸兄にはその点を気付いて欲しく、そしてまた吉川以後に書かれた数ある各家『三国志演義』がどうして吉川を越えられないように見えるかと言う所以もまた。其処にあるのだと。

 気付いて欲しい。

 吉川三国志の恐ろしい所は、それが平安時代に書かれたものとされても江戸時代に書かれたものとされても、平成の今に書かれたものとされても全くおかしくなく存在出来る、と言う所にある。(勿論、平安に書かれたものなら古語だろ、と言う突っ込みはあるが、その場合は現代語訳されたものとして解釈して貰いたい。)吉川英治は羅貫中『三国志演義』をまさにそのようなものに仕立て上げた、カスタマイズしてのけた、のである。他の三国志モノが書かれた時代以降にしか存在できないのに対し、それ以前の時代に置かれた場合、忽ち異物として排除されるようなものであるのに対し、只一つ、吉川三国志だけは、王朝文学華やかな平安の御世に寄せられた紀貫之の紀行文の隣などに並んでいてもそれが異物であるとは気付かれそうにないのである。

 お分かりだろうか。

 普遍を指向したカスタマイズ。

 吉川はそうしたコンセプトで『三国志演義』を描いた。その為にどのような困難が吉川の中を訪れたか、それは吉川でない我々が知ることは出来ない。そしてそれが果たして成功しえたと言えるものであったのかどうか、それは我々が判断出来るものであるようには思えない。

 が。

 他の『三国志演義』モノが吉川の『三国志演義』を越えられずにいるように見える、その事が。

 なにものにも優る吉川への賛辞なのだ、とは言えまいか。

毎度ながら、指示代名詞多すぎです、オレ

■追記:
コレ書いた後でまたあらためて吉川三国志を読み返してみた。このテキストに書いてある通りかをこのテキストに書いた視点に沿って、読み返したのだ。したら、結構あちこちに昭和初期の文章が散見されるじゃねーですか。
あっはっは。
主観に埋没してからまた戻ってくる時に剥ぎ取って置かなければならないものをそのまんま残してテキスト書いちゃったよーで。どうもな。

---蒼天航路(八月二十八日)---

 曹操ファン(曹魏ファン)の為の三国志演義。

 三国志ファンには『正史派』と『演義派』があるらしく、(おっとそう言えばココ、三国志サイト正史系を謳ってたっけ。)この、李學仁が原案を手掛け、王欣太描く処の『蒼天航路』は『正史派』の大いなる満足を勝ち得てきた、新しい三国志演義だ。

 この蒼天航路の成功には、曹操再評価の歴史的流れとか三国志ファンの間への正史の普及、実は言ってしまえばコーエー三国志ゲームが(シミュレーションと言うよりはキャラ萌えゲーとして)不朽の地位を確立し、その過程の中で三国志ゲームマニアの中への正史の浸透が起きた事(←何故これが生じたかは知る人ぞ知る)などが背景として存在している。(他にも大きな要因としてNHK人形劇三国志が人気を博した事もあるが取りあえず此処では論に絡まないので置いておく。尤も、これもキャラ萌えと言う事に絡んではいる。)

知る人ぞ知る:
パソコンゲーム雑誌ログインに連載されていた大澤さんの「英傑群像」。曹操再評価の学術的な流れとか言ったものとは全く別個のものだが、正史を表舞台に引きずりあげた功績は大きい。と言っても、始まった当初そう言う意図はなく、「てめぇら、キャラ萌えすんなら正史までツカんでやって見せろや?んでもってココまでキて見やがれってんだオラァ!?」な熱い意志が迸ってた企画で、コーエー三国志ゲーにハマってた濃いユーザーのオタ心の徴発に見事(?)成功、以降、コーエーの三国志ゲーム(の中のキャラ評価)がより正史に近づく流れを形作った。

 演義を読んで正史に到り、再び演義に戻ってくると鼻につくのは、演義の、人物を貶める際に用いられる筆づかいのいやらしさだ。それは、勧善懲悪と因果応報に基づいて為されるストーリーテリング上の技巧ではあるのだが、そこに(劉氏の)正統性の誇示なぞと言うものが入り込んでくるから読んでても何処かに気持ち悪さが残ってしまう。大体に於て蜀将の戦死は華々しく恰好良く、時に憤然としていたり赫然としていたりするのだが、魏将の戦死は同じ戦死でも何処か貶められている。魏武五将の一人に挙げられる徐晃の死など、叛将孟達の矢を額にモロ受けして死ぬと言う情けなさだ。読み比べれば判るが、蜀将はこれはどうあってもどうしようもないと言う死地にあったり死地に直面したり自ら死地に飛び込んだりして以下華々しくその死にっぷりをアピールし、比べて、魏将はそこでそう言う死に方をするかよっ!?と言った二流の死に方で書かれている。

(これを徐晃は名将だったから単に史実のように病死とするにはもったいなくてワザワザ物語りで物語り的に戦死させたのだと言う言い分はこの気持ち悪さを誤魔化しているだけの言辞なので却下である。それを言ったら超雲や馬超は戦死して然るべきだし、超雲の演義での死の描写のない、大木が折れる、と言った表現が出来るなら、他の人物に関してもそうした表現をして構わないだろう。まして徐晃は史実では病死なのだ。そのヘンの格差を説明出来ないので、前述の言い分は受容れる余地は無い。つーか、誤魔化し切れていない処が言い分として苦し紛れ過ぎてどうか。と思うのだけどね。)

 まぁ徐晃に関しては関羽絡みであのような死に方になった部分もあるかと思うのだが、それならそれで関羽殺しに最も深く関わり最高意志決定をした筈の孫権の死に方が普通に英雄っぽい死に方なのは一体どう言う了見なのか。曹操が関羽に呪われたと言うなら呉の犬畜生と(関羽に)呼ばれた孫権も死ぬ間際に関羽に呪われてもいいんじゃないのかよ?とか言った感想を既に子供の頃どこかの文学全集で三国志演義を読んだ時に思ってたし。徐晃の事は置いといてさ。

 このヘンてこさ加減は(劉氏の、つかさ、寧ろ諸葛亮のっつーた方がもう話が早いのだが、その辺りがもうごったごたに一緒くたにされてんだが、勿論その場合は正当性となる)正統性の誇示に関連したものであったりするのだからなんと言うか、イヤ加減がイイ加減に内奥されてて実にイヤ〜ンな感じだ。色々な部分をざらりと削り落とすとその辺りで言いたいのは要するにとにもかくにも劉氏から簒奪した魏朝は何と言うか何だか何かと許しがたいのでその創始者曹操は関羽に悩まされて死ぬベキだし、そうでない孫権は別段どうだっていいやのココロなのであろう。

 なにゆえこうもヘンてこな接木が各所に当てられているかは読み手が当時の時代を生きた人間でも無ければ当の地域の慣習で生活する人間でも無いから、つまりそういったスキームの中にいないからだろうけれど、だからその辺りを徹底的にカスタマイズした吉川英治『三国志演義』が一番よく受容れられる事になったのだろうけれど、それにしてもこの辺りの不具合と言うのはどうにかならんものか。

 で。

 『蒼天航路』の出番と相成るわけである。

 

 物語りには主役と敵役と言うのが存在する。物語りの面白さは、事にそれが勧善懲悪ものである場合、主役と敵役の間の落差が求められる。力量の格差と言うものが求められる。『三国志演義』は主役を持ち上げ、敵役をこき下ろす事で落差格差を作りだす。その技法はオーソドックスであり、確かに物語りを面白くするのだが、それが歴史に実在した人物たちを素材にした場合、問題が生じてくることになる。

 史実と違うのではないか?

 実在の人物を貶めてはいないか?

 そう言った問題である。

 最前、正史派と演義派と言うカテゴライズでこの問題の存在を示唆しておいたのだが、実のところ、正史派・演義派と言う事に関しては(実際にそう言うものがあるかどうかわからないがHP上で正史準拠とか演義準拠とかに拘ってる処が、しかも拘っている所以について拘っている処が多いので取りあえずそう言ったものがあるとして話を進めているが勿論ウチもそういった処の一つと取られてもしょうがないようなものではあったりするのだが)そういう「派」を掲げている処や論を見るにつれ、両派のすれ違いが逆に面白く思えている。正史派の求めているものはドキュメンタリーとしての三国志の面白さであり、正史派に反発する演義派の論難の多くは正史派が提出した問題にまともに答えていない、と言うか「正史だけが史実なのか」とか「厳密な『史実』と呼ばれるものは在りえない」とか「これは史実に対して小説を下位に貶めるような偏見だ」とか、反論にも答論にもなっていないこれは一体全体何を何する逆ギレですか?って言う感じの問い返しが多くて、そして「演義派」の言い分は大体に於てこれら三つがメインなのだが、この三つはホントに上述した問題に答えていない。それじゃあ「正史派」は相手にしませんよ。(と言いますか、相手にしようがない。)「演義派」でも呆れてる人たちが一杯いるわけだし。ドキュメンタリーとしての面白さを求めているのが実の処「正史派」と呼ばれるカテゴリの正体だと思われるわけなのだから、それに対する正しい応え方は逆ギレではなく、そう言ったものに応えられるような新しい「三国志(演義)」の提出だと思いますよ。

勿論、有効な問いかけと言うのも無いではなくて、その一つが、「『三国志演義』ってウソッコ作りバナシに史実性とかドキュメンタリティとかなんか求めてどーすんのさ?」ってのがある。恐らくコレだけが正史派への応えとして妥当であるような気がしている。不毛ではあるけどね。

 で。

 やはり。

 『蒼天航路』の出番と相成るわけである。

 蒼天航路の手法は「スゴさの更に上をゆくスゴさ」を提示する事で、主役を持ち上げてゆくと言うものである。「演義」が用いた落差を相対落差とするなら、「蒼天航路」が用いているのは絶対落差と言えるだろう。相対落差では紙一重の差なんぞは落差にもならないのであるが、(従って相手役の方は主役との大きな落差を作りだす為に貶められる事になってしまう訳なのだが、)絶対落差を取った場合、例え紙一重であろうとスゴイものの上を行くのはもっとスゴイんである。この場合、主役がそもそも曹操なのだから、正史で「時代を超越した破格の人」と評される彼をモチーフにするものだから、この手法は可能ではある、と言う事があるとは思う。

 

 <色々論じた数十行は消しました。>

何を論じたかと言うとつまらんものである。
この上の追記んトコに乗っけた「『三国志演義』ってウソッコ作りバナシに史実性とかドキュメンタリティとかなんか求めてどーすんのさ?」ってのを基底にしつつ、『三国志演義』『蒼天航路』『大三国志(志茂田景樹)』(又は『反三国志』)の間に存在するストーリーテリングに於ける等価性、同様に『三国志平話』と『孔明の艦隊(志茂田景樹)』の等価性などをだらだら言いながら、絶対落差によって登場人物たちの凄さを描こうとする『蒼天航路』では史実に見られる登場人物たちの生臭さとかそれゆえに醸し出される魅力などは決して描き出し得ない事。その手法がストーリテリングで用いられる手法を用いることで史実を生きた彼等の尊厳を貶すまいとする余り逆に瑕を付けてしまっている事。主人公たる曹操の破格の無道にこの手法で大義や名分を与える事の愚かしさ。そうする事によって削り取られる曹操の二面性。それゆえに『破格の人』と称された原点の喪失・誤魔化し。『破格の人』だからと言って常に周囲から隔絶するようなものだった訳ではなく、時にしくじり、時に悩み落ち込んだりもしていたこと、その彼を支えたり立ち直らせたりする周囲の人材の煌めき、といったものは(そのような絶対落差の手法を用い、その頂点に曹操を据える事では)絶対に導きだしえまい、などと言った事柄を色々うだったのですが、んなこと言ってもねぇ。けなす気があるわけでもねぇし。けなしたいわけでもねぇし。なんだかとても残念だなぁと言いたいだけであるだけなのだし。故に削除ったのです。

 

 …。

 でもね。

 やっぱ蒼天航路、人物造型が旨くないのよ。

 蒼天航路、読んでゆく程に読み込んでく程に、役回りの際立たせ方を図る為だけにキャラが設定されてて動いてて、って、そんな感じがしてきたのよ。蒼天航路は面白いんだけど、でもそれは人物造型の面白さなんかじゃなくって、歌舞伎の大立ち回りを如何に傾いてキメるかって処を面白がって見る面白さ?

 実はこの王★欣太の前作、『地獄の家』を知ってるんだけど、スゴサの上をゆくスゴサ、とか、袁術で見せたような『演義』どびっくりのオトシ方とか、技法としては忠実なコピーだったりして。そしてその辺りが最近何だかとても鼻に付くような感じがして。『蒼天航路』をどうも素直に楽しめない自分が其処にいるんです。

 何かなぁ、程立*がこれほど描けてないのが、こんなに気になるようになるなんて。俺ってそんなナイーヴだったのかなぁ?

 あと孫権。

 あんな人物設定はイヤ過ぎ。東呉ファンの人はどう思ってるか知らないけれど、アレは袁術と紙一重だよ。わかってる?

 もぅ何だか出ている登場人物の何人かが、『演義』の孟獲や乃思大王や兀突骨に見えて仕方ない今日この頃の僕なんです。

 面白いんだけどね。

 面白いんだけどさ。

 面白いのになんだかなぁ。

 

---紙切れ(八月二十七日)---

 実は僕、教員免状なんてものを、持ってます。教育学部出なんかじゃ、ないのにね。でもまぁ、それはそれでいんです、構わないんです、教育学部じゃなくっても、教員免状は取れるんです。

 はい、そんなヒト、手ぇ、挙げてー!

 ハーイ!

 ね?ほら、結構沢山、挙がったでしょ?挙がるもんです。

 この世紀末、ニポンだけ一人ドボン!な感じの世の中なら、何だか良く判らないけど、やっぱ僕だけ一人ドボン!ってのはヤじゃん?ヤじゃん?イヤイヤじゃん?こんな感じの就職不安をちょっとだけ誤魔化せちゃったりなんか出来ちゃったりするのにはさ、教職取っといた方がいいかもいいかもいいかもかもなのねっつーぅ優柔不断な割にはなんだか不純な動機でこんなのせっせと取りにいきますよなのかもねって、そんな感じではあるのかもなどと思うんです。かもね?

 でもね。

 でもね、でもね、でもねもね?

 僕の教職取った理由は、そんなちょっぴしネガティブな感じで後ろ向きッポイ負け犬チックな感じなんかじゃあ、なかったの。の。

 何処でもそうなのかはわかんないんだけど、僕の居たトコね、他学部の人が教職取るには、教育学部でやってる講義の単位を取らなくちゃならないんだわ。勿論、その単位の殆どは、自分トコの卒業単位にはならないってーぇ、無慈悲無道な規定が被さってて、ナンだよそれぇっ!な感じなわけであったんだけど。だから教職取ろうってのは、なんてか、とっても大変?無辺?しょっぱぁーい♪

 はぁ。

 なんで僕、そんなの取っちゃったのかな?なぁーんて・答がわかってる問いで自問自答したりしてみたりなんかしちゃったりして。ね?

 あのね、教育学部って、比較的オンナノコ率、高いのよ。少なくとも僕ンとこはそうだったの、んでもってなんつーかなんてーか、僕が教職取ろうって言いだして卒業単位にもならん単位をせっせこせこせこ取りだしたのは…。教育学部のオンナノコたちとお近付きになろうってーぇ、そんな理由だけだったり。

 他の学部のオンナノコと、同じ試験受ける為にさ、同じノートのコピーを回しあいしたりするわけよ?「取りあえず直前対策でさ、図書館で一緒に勉強しない?」とかゆって図書館行った後、一緒に遊んだりするわけよ?他にも色々一杯あるわけよ?

 誰よ?オマエ、友達の彼女とか人妻に萌えるクチだろってゆーヤツ?

 

 まぁ、そんなわけで、僕は教育学部の彼女とか教育学部の彼女とか教育学部の彼女とかを期待しながら教育学部の彼女を求めてせっせこせこせこ教育学部に通いつめて教育学部の講義を受けて卒業単位としては決して認めて貰えない教育学部の単位なんかを取得してったわけなのよ。

 ま、そんなわけで。

 僕の手元には教員免状があったりなんかする。教育学部の彼女はいなかったりなんかする。

 なんで僕、そんなの取っちゃったのかな?なぁーんて・もう何枚も持ってるシールが出てきた時に今初めて考えついたって感じで自問自答したりしてみたりなんかしちゃったりして。ビックリマンチョコのクランチチョコ本体を手にとったまんま。

 ね?ね?ね?

 

 

 

 だからま、そんなわけで。

 教育学部に彼女さんを求めにいって、代わりに教員免状を貰ってきたって、そんなバカのバカばなはおしまい。

 まぁ確かに。

 君の言う通り、これはあんまりにも馬鹿気てるし馬鹿馬鹿しいにも程があるしもっと他にカシコイやり口とかやり方とかやっちゃいナとかホントにもっと他に色々沢山あるに違いないんだけど。

 だけど。

 教員免状の取得理由がそんなのは間違ってるとか彼女をゲットするのにそんなやり方は全然間違いとか、それは確かに正しいのよ。

 でもね。

 そんな正しさは学生として間違ってます。

 間違ってるんですよ。

 わかります?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 間違いの間違え方を間違えるので生きてくのが、学生だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後悔なんか。なんか。

 オロロ〜ン。

 

---すももも…(八月十八日)---

 すももももももももももえ〜っ♪

 やった! 「も」がアレより多いよ!

 

---Fetical Fetish(八月十六日)---

 <空き領域>

 

---終戦の日(八月十五日)---

 八月十五日は日本にとって感慨深い日なのかもしれない。

 昭和二十年八月十五日。

 この日、日本は、第二次世界大戦と言う世界史的流れの中で行われた太平洋戦争と言う枠組みに於て自らの敗北を認め、その敗北を国民に告知して戦争終結を歴史に標した。

 今日、今や数万は下るまいテキスト系の中でこの事に触れる処はいくつもあるだろうし、この事とは無関係に日々の出来事を綴る処も多かろう。テキスト系の中の日記系とよばれるカテゴリのサイトに於ては大抵毎日なんらかの記述がその日その日でなされている筈だから、日記系に於ては触れるか触れないか何方かと言う事が言える筈なのだが、このサイトは(三国志サイトで)日記と言う項目をトップに掲げながらその実それは日記などと呼べるものでは無いうえに遡って記述してみたり平気で3カ月位すっとばしてみたり、つまり、この日をスルーしてしまうと言う反則的解法などといった事もできる訳なのだが、まぁ、実は終戦の日について書き遺しておこうとか言うものがあったりなんかするわけなので、実際遡ってこの日を記してみたりなんかしている。

 ちなみに書いているのは八月二十五日だったりするが、その辺は余り深く追究しないように。と言っても追究と言う事事態が深く問い詰めたり追い詰めたりといった事を存在意義としているので、だから突っ込まないでくれ、と素直に言うべきなのか。

 ともかく終戦の日を題材とする処は大抵はオキナワとかヒロシマとかナガサキとかいったタームを使用する事だろう。(ヒロシマは八月六日、ナガサキは八月九日に頻出する。)けれど僕は此処ではそうしたタームとは逆の指向を持つものについて語りたいのでそういったタームは出てこない。とか言って出してしまった以上は何らかのエクスキューズなりエクスプラネーションなりは必要になるわけで。触れるしかないか。

 実の処、僕はオキナワと言うタームにそれほどの重み付けなんか認めちゃいない。戦争の過程で被ったオキナワの悲惨さとかオキナワの悲惨さとかオキナワの悲惨さとかとか言ったものに関して、僕は実際そこに居た訳ではないからサッパリキッパリ分からない。分かりようがない。当事者だけが持ちうる主観を基底にして語られるそうしたものは体験した者ではない僕には分かりようがない。どうしようもない。押し付けられても大体にして困惑するだけだ。更に付け加えるなら、と言ってもこっちがホントのトコ、メインなのだが。沖縄を主戦場とした沖縄戦に於て米軍の上陸を許し沖縄全域の保持が困難となった日本軍はゲリラ戦へと戦争形態を変更すべく首里を放棄した。沖縄を完全占領して策源地としようと言う米軍の意図を出来るだけ長く阻害しておくためだ。かくて日本軍は最後まで抵抗できそうな場所として沖縄本島南部の喜屋武半島へと戦力を終結しつつ撤退していく。その過程において、軍は住民に喜屋武半島は戦場となるから知念半島などへの避難などを勧告するが、沖縄の人々は軍を信頼し、彼等を頼って戦場となる喜屋武半島へ同道していった。自らをも補給しきれて居ない沖縄駐留の日本軍がこの予期せざる住民の反応と彼等の保護、彼等への食料提供に直に窮する事になるのは、既に見定められた運命とも言えた。オキナワと言うタームで語られる悲惨、惨劇、酸鼻を極めた有様と言ったものの多くはこれ以降のものが多い。そしてオキナワを語る時、そうした背景を踏まえてモノを語っている人は実に少ない。

 だから。

 僕には終戦の日が来る度にオキナワから訴えられる戦争の過程で被ったオキナワの悲惨さなど。サッパリキッパリ分からない。分かりようがない。冷たいようだが。背景を踏まえずに訴えられたそうした種類のものは、他者に伝える為に必要な最小限のものなど携えずに発言されたものでしかないのだから、それは耳を傾けるほどの何かなど到底持ちえない。ぶっちゃけた話。だからそんな主観、言われたってどうしろってのさ?

 まぁ、そんなものだ。

 

 さて。本題といこう。

 昭和二十年八月十五日。

 この日、日本は、第二次世界大戦と言う世界史的流れの中で行われた太平洋戦争と言う枠組みに於て自らの敗北を認め、その敗北を国民に告知して戦争終結を歴史に標した。それから半世紀を経て、八月十五日は『終戦の日』とされている。それは『敗戦の日』でも『敗北の日』でもない。『終戦記念日』だ。戦時、撤退を転進と言い換えたように、これも敗戦を言い換えて終戦としただけなのかもしれない。

 なのかもしれないが。

 終戦記念日の意味について、意義について、思う事がある。当時、主流となりつつある世界標準の国家観とはネーションステートと言うものだった。そのネーションステートに於て真の敗北とは如何なるものであるのかと考える時、それはナショナリティの消滅である、と言うものが解答として得られよう。そう考えてゆく時、終戦記念日とはそれを越えるなにものかでもそれに満たないなにかでもなく、まさしく終戦記念日として設けられたものではないかと言う気がしている。未だ破れざるものとして存在してゆく為に、ナショナリティの消滅と言う滅亡を肯んじない為に、戦うのを終えたのだ、と。

 でもまぁ、なんと言うか、やはり直前に言ったように。戦時、撤退を転進と言い換えたように、敗戦を言い繕って終戦としただけなのかもと言う懸念はやはり残っているわけで。と言うかそっちの方が濃厚な訳で。実際その辺はどぉよ?などと思う僕はそれを見極められそうなファクターの存在に気付いたわけよ。

 昭和二十一年六月半ば。

 この辺に一体全体どれくらいの子供たちが生まれているか。ちょっと知りたいと思ったりしている。

 つーか。

 終戦の日にさ。

「戦争終わった! やっりー!」つてさ。

 ズッコンバッコンズッコンバッコンアヘハヘハッァーン!

 とかなんとかセックスして子作り励んだの、何人いんのさ?

 マジ知りてぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 多分、敗戦を終戦と言い繕ったのかそうでないのかは、その人数の多寡によるだろうね。旺盛な生殖力、性欲はその国家を支える人たちの生命力と言っても言い訳で、だから勿論、その数は多ければ多いほど、それは敗戦ではなく終戦だった、と言うことになるわけよ。もっと言うなら子を生すことの出来る夫婦が、カップルが、番が、どれだけ国内に残されていたのか、彼等にどれだけそうする事が許されていたのか、終わりを聞いた時にセックスに突入出来るほどのやる気のある人たちの割合はどれくらいであったのか、そういった事が多分、すべてのような気がする。

 何に対しても、とは言わないけどね。

 エビバデOK?

 

---(八月十四日)---

 超交換日記を書いた。

 

---(八月十二日)---

 <空き領域>

 

---(八月十日)---

 <空き領域>

 

---黄金領域を追い求めて(八月八日)---

 マングラ!!!

 

 マングリラ。

 そこは男たちの理想郷。

 そこはマングリ返しが国法だという。

 マングリラ。

 そこは男たちの理想郷。

 そこはマングリ返しが礼儀だという。

 マングリラ。

 そこは男たちの理想郷。

 そこはマングリ返しが基本だという。

 嗚呼。

 遥かなるかなマングリラ、黄金の理想郷マングリラ。

 吹き零れるような男たちの粘液状の欲望の彼方。

 かの理想郷はあると言う。

 

 

 …。

 ……。

 不覚悟なテキストで、敗残。

  

---浴衣(八月七日)---

 <空き領域>

 

---浴衣について(八月六日)---

 <飽き領域>

 

---羽リュック少女の起源についてのある種の宣言---
---(八月四日)---

 羽リュック。

 この言葉を聞いて「うぐぅ」とか「うぐぅ」とかあまつさえ「うぐぅ」などと呟く者はまず自らの不明をだれよりも恥じるべきであろう。ましてや「ボク」と呼ぶ少女を脳裏に思い描いたり「ボク」と呼ぶ少女に想い寄せたり「ボク」と呼ぶ少女でおもいきり惑ったりなどといった事柄は実に言語道断的噴飯モノ様なる感じで感じが感じに極まり無き所業であると厳に殊更にこれ見よがしに慎むべきである。

 果たして何に対して?はたまた何を?慎むと言うのか?

 それよりえーと何と言うか、結局、オレは何をいいたいのか?

 

羽リュック少女の起源を探せ。

 これが今回のテーマである。

 諸君らは羽リュックと言うと、自分を「ボク」と言い、ことあるごとに何故か「うぐぅ」などと宣う、羽リュックを背にした少女をのみ記憶してはいまいか。

 なんと言うか。

 それではいけないのである。

 それだけではいけないのである。

 そこまでの言及で終わるのでは情けないのである。

 それは徹底さを欠いており、それは論点に関する配慮に欠けている。羽リュック少女を語るのであるならば、羽リュック少女への深い持論を延べ奉るなどと言うのであるならば、先ずなによりも行わなければならないのは羽リュック少女が彼女だけかどうかを、彼女に先行する羽リュック少女がいるのかいないのかそこんとこはどうかといった処を調べ上げ、然る後に「羽リュック少女」と言うカテゴリの中に於ける各々の位置づけをはっきりさせ、諸々の「羽リュック少女」に於ける諸問題の検証に入らねば。

 不手際?

 

 さて。

 今まで述べてきた件の羽リュック少女はKanonと言うエロゲーに登場する月宮あゆと言う少女の事である。このゲームは1999年6月3日に発売され、国内のみならず日本の(エロゲー)文化影響圏にあるエロゲー少年たちの心の隙間とか盲点とかツボなどを巧みに衝いて一世を風靡した。

 を。

 去ること3年前。

 1996年9月5日に発売された少女漫画雑誌「花とゆめ(19号)」に於て日高万理「ありのままの君でいて」の連載がスタートしていた。そしてこの作品の早い回で、作品に登場するめぐみと言うキャラが羽リュックを背負ってるのを確認出来る。確認出来ないだと?確認しようがないだと?

 単行本になってるから本屋で確認して見る、見たか?見たな。

 1カ月2カ月の単位ではなくこれだけ離れていたらゲーム制作期間と言う当然考慮されるべき要素を加えてみたところでこちらの方が絶対に早いと言うことが解るだろう。そして分かった事と思うが。

 羽リュック少女は必ずしも月宮あゆを意味するのではない。

 それなのに。

 それなのに、だ。

 忌むべき事に「羽リュック」でネット検索すると出てくるのは

KanonKanonKanonKanonKanonKanonKanonKanonKanonKanonKanon
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KanonKanonKanonKanonKanonKanonKanonKanonKanonKanonKanon

 これは一体全体如何なる悪魔の成し業ですかアーハーン?

 ここで貴様らには猛省を促したい。

 その上で。

 

 オレは叫びたい。

 めぐみちゃん萌え〜

 

 そして。

 そして、だ。

 この羽リュック少女めぐみちゃんの背負った羽リュックは、その事は日高万理自身によって語られているのだが、作者自身が過去目撃した実在する羽リュックをモデルにしたものだと言う事に留意頂きたい。更にこの後どうやら「花とゆめ」誌上で羽リュックが欲しいとか見たとか手に入れたとか言う話題が暫く読者投稿欄を賑したとか、と言う情報も付け加えて置こう。

 さぁ。

 さぁさぁさぁ。

 宜しいか諸君?宜しいな諸君?

 気付いたか諸君?気付いたな諸君?気付いてくれるよな諸君?

 

 我々の巨大な過ちに。

 取り返しの付かない過ちに。

 

 嗚呼。

 神は我々のこの信じがたい罪業を決して許しはすまい。

 

 如何に懺悔しようと。

 如何な贖罪を求めようと。

 我々は、1996年秋から1999年初夏までのおよそ3年の長きに渡り。

 実在の羽リュック少女に気付かず彼女らを悉く野放しにしていたのだ!

 彼女らに気付かず見過ごしていたのだ!

 何という罪!
 何という過ち!

 諸君らは国家百年の大計を損なったのだ!

 子々孫々に至るまで、その猛省を促したい。 

 以上。

 

---延長(八月二日)---

#告知#

 えーと。バカ過ぎるアレで、ココ、ロストしてしまいまった。

 コピーしてる奇特な御仁、是非にテキスト送ってちょ。

 

---今月の配色(八月朔日)---

 何も訊くな。

 

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