@Hidden Park!

神無き地で焼く目黒の秋刀魚の香ばしき、そんな感じの神無月

[2000年10月]

---今回の言葉---

ベストバウト

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---(十月二十四日)---

 あ。

 そうそう。ここんトコ2、3カ月位、女性サイトをぐるぐる回って見てたんだけど、ハイテンション/オモロ表現/ヨゴレ系の日記コンテンツの中で、今、一番面白いサイトがHyper Sistersだなー。と。思った。

 なんつか。バケたね。あれはー、ちょっと今のオレには力足りなさ過ぎてマネ(しようとしてもマネ)できねー。足元にもおよばねー。

 因みにどんなサイトを回ってみての事かと言うと。

 山口文庫/にんとすはっかっか日記/カンパニュラ/オトイモ/高速メリー/POPOI/嘘つき達の荒野/花子節/流血プラチナ/七菜子の日記(←この人だけネカマっぽいんだけど)/他、84サイト。他、で名前が出ないのは、上記評価軸に明らかにそぐわない処とか(例えばミルカホリック)含んでるんで。あと。回ってるウチに閉鎖してしまうサイトが出るのはしょうがないんだけどねー。今更ですが、オトイモさんと高速メリーさんを悼みます。

  

---(十月二十二日)---
■メモ
 ヘイブルドック(10月22日)でサイトの閉鎖率について愛蔵太さんがデータを提供していた。イイイ、イャッホー!なんつータイムリー!ステキちっくにダンディ!(←意味が分かりません)これはリードミーに登録したサイトで、その稼働率について調べたもの、と言う条件なので、この中で愛蔵太さん自身が言及している通り、サイトを始めてからリードミーに登録するまでのタイムラグとか登録する前に閉鎖しちゃうサイトの事とか、そう言うのは掬い取れてないと言う瑕瑾はあるわけだけど。
 
 けど。
 
 こう言う風にデータとして表して貰えると、単に『言われてる』とか『見てきたカンジ』とかでは無く『事実』として話を進めていけるからなー。すげぇや愛さん!らぶりー・愛さん!愛さん大好き☆やっぱなんてかアナタだけの事はありますわ。(←?)
 
 そっかそっか、サイトの半数致死率ってやっぱ半年なワケね。
 へーほーはー。

  

---(十月二十一日)---

 えーと。とりあえず、十月十二日に追加。

  

---(十月二十日)---

 最近、オノレの日記の過去ログ(昨年十月以降)を見直してみた。

 おもれー。おもれーよ、オレ。

 

 そういえばこの頃は、秋口辺りから本格的にテキスト系サイトを見だして、彼等の何処が面白いのか、表現技法の部分、ストーリー骨格の部分、オチ所、オトシ所と言った部分、とかを抜き出したり、共通項目の抽出と一般化を試みたり、サイトのポジショニングマップを作ったり、色々研究してたよな。

 そういう過去から見れば今、サイトをやろうとしてる、やり始めた人たちは明らかに不運だ。オレが過去、彼等から学び取れたものは、今では非常に学び取り辛くなっているから。面白いサイト、唸らされるようなサイトは相対的に見て少なくなったし、絶対数で見ても増えている訳ではないから。そして、今ある面白いサイト、唸らされるサイトの多くは、簡単に学び取れるようなものを持っているわけでは、ないから。

 例えばそれは他者の及びもつかない発想の下に生みだされるテキストだったり、他者が辿り着けないセンスの下で展開されるテキストだったりする。そして。そうでないテキストは基本的な筆力の点で叶いようのない処から仕込まれたものだったりするし。

基本的な筆力:
過去から現在まで、名文、佳文とされてきたテキストをどれだけ読み込んできたかと言った処に由来するモノ。僕は以前若さ故の不利がある、と言ったことがあるけど、これがそう。ただこれは単にそういうものを数多く読むだけでは成らなくて、どれだけ(感動して)モチベーションを伴って意識的に学び取ろうとして読むか、『読み込む』かと言う処が重要だから数をこなした人が筆力がある、と言う訳ではない。その読み込む量も文章を味わうセンスに拠る為、どれくらい読めばどれくらいの筆力になるかは人による。

 

 まぁ、過去ログを見ながら今日はそんな事を思った。

 ちなみにウチの面白さは、どう贔屓目に見ても、テキスト系として辛うじて及第、と言う処です。つか。

 

 多分紙一重。

 いろんなところが。ギリギリ。

 

---(十月十八日)---

 北海道で初雪とか。

 冬の足音が聞こえてきますな。

  

---(十月十六日)---

 最近、中庸庵東方散華がイイ味出してて面白い。

  

---超交換日記(十月十四日)---

 超交換日記を書きました。(十月十四日分

◆いぬを飼おうよ
これ、去年12月27日『肉球論』に続けるものとして考えてたのだけれど、どうしても導入がうまくいかなくて頓挫してたもの。1年近く漬けてたなぁ。何度もトライしてそのたんびに挫けて。ってヤツだったのだが、超交換日記8月24日のゆかさん(ひまわり)を見て漬けていたものを思いだした。超交換日記9月14日分に仕立てようとして、やっぱ上手くいかなくて、翌10月分になった。本来ぼんやりと思い描いていたのとは語り口が違ってしまってどうかと思いつつも今の自分がこのコンセプトを表すならこうなるだろうと言う事でしかないのだからどうにもしようがない。つーかもういい加減うだうだうだってこのネタを漬けおきしとくのはどーにかせんとな、となんとかしたわけです。とりあえず自分が指摘できる見どころは、導入からイヌを飼う事に到るまでの論述地点のズラし方とそこからハネてオチに到る視界の啓け方。此処で言われたら分かると思うけど、だから出だしが「女のひとたちって、〜」で始まるわけで、それでないとダメなわけで、でもオチへの流れを気付かれないようにするために途中の論述地点のズラし部分が挟まってるわけで、その辺りを巧くやれなかったから今日までの漬けおきがあるわけで、って、ナニ言ってんだかなぁ。
でも結局の処、『肉球論』のふにふに具合に勝ててないと思う、だからオレ的には負けた感じがしている。どうやってオレはアレを仕上げたのだろう?

  

---閉鎖について思うこと(十月十二日)---

■閉鎖について思うこと(その1)

 日記系に於て、サイトの閉鎖ブームが起きているらしい。

 らしい、と言ったのは、僕の目にはそれはブームとは映らないからだ。それは、一年余り(一年と一季節余り)テキスト系サイトを見てきたからサイトの閉鎖と言う事に対し鈍感になっているからなのかも知れないのだが。でももうこれだけ個人サイトが沢山氾濫している状態では、日々何処かでサイトは閉鎖している筈だし何処かで同様に開設されている筈だし、つまりサイト閉鎖に関しては常に何処かで起きていると言う点で恒常的なものになっていると言えるわけで、だからブームとされるようなものはもう無いんじゃないだろうか。

 

 それでもそれがブームに見える理由は幾つかあって、一つはサイトの関係性に由来する。例えば仲間内で一所にサイトをやり始めた間柄だったり、リードミーに登録し、ヘイブルドックで同時期に評価されたサイトだったり(登録モノなら猿人、テキスト庵とかもあるよね)、或いはサイト管理者同士の交流によって生じた関係の網の中にあると言う事だったり。かなり大雑把に俯瞰して見ると、個人サイトは何らかの関係性の網の中に取り込まれていてクラスターを形成しながらネットの中に存在している。それは、恒星系、恒星系と星団、星団と銀河系、銀河系と銀河集団、と言った夜空に煌めく星々の姿に照応を求めて見れば分かりやすいかも知れない。逆に理解の妨げになるかも知れない。実際のサイトは単一の関係性の網の中にあるわけではなく、複数の複相する関係性の網の中にあって、それぞれ異なるクラスターを同時に構成している事が殆どだから。そのクラスターの中のサイトが一つ閉鎖するとそこと関係を持っていたサイトがサイトを継続する意欲が無くなって閉鎖する、と言う事はあるだろう。

# 日記系サイトと言うカテゴリに属するサイトはそのコンテンツにリンクと言う綱目があって、それはサイトの関係性の表象と言ってもいいのだけれど、そのコンテンツから、或いは掲示板への書込みから、或いはメールから、サイト同士の交流が行われ、やがてクラスターが形成されてゆく事になるわけだ。自己言及的な言い方になるけれども、そう言うわけで、リンクと言うコンテンツはサイトの関係性の表象なんです。

 

 理由の二つ目は時間と言う要因によるものだ。個人サイトの、殊に日記系サイトと呼ばれるカテゴリに属するサイトの寿命はおよそ半年だと言われている。日記系サイトの幾つかで言われるこの言説は実際問題、かなり高い蓋然性をもって其処にある。実際にこのサイクルで閉鎖するサイトが多い為に次第に語られるようになった事柄なのだからそれも至極当然の事だ。そう言う寿命と言う時間要因が絡んだ結果、サイトが立て続けに閉鎖している、つまりブーム、と言われる事はあるだろう。けれど、こういった場合、それはブームと呼ぶべきではない。秋が来て、北から次々に紅葉が始まっていくのを見て、誰が紅葉ブームが起きている、と言うだろう?(文学表現、或いはレトリックとしてならあるかもしれないが。)それは紅葉の季節が訪れた、と呼ばれるもので、だから、こうした要因が絡んだ場合、それは閉鎖ブームと言うより閉鎖シーズンが到来したようだ、と語るのが相応しいのかも知れない。だろう?

# サイトの寿命:
ヘイ・ブルドックの愛蔵太さん調べによると、少なくともリードミーに登録して来てからと言う条件つきで、サイトは2カ月で2割、半年で半分が閉鎖する。サイトの半数致死率は半年(半数致死率なんて、このような使い方が許されるかどうか分からないが、)と言うのは、流布した言説とか自分の感想とかではなく、事実であると言えるだろう。<10月22日追記>

 これには我々の生活サイクルが深く関わっている部分もあるかと思う。日記系サイト管理者の多くは若く、高校生、大学生か、成り立ての社会人だ。そうすると春夏秋冬季節の変わり目毎に生じる何らかのイベントによって閉鎖してしまうと言う事はある。特に大きいのが春の卒業・就職シーズンで、恐らく人事異動もこの時期(と秋、10月1日付け)にある処が多そうだからサイト運営の継続が困難になって閉鎖、となるだろう。まさに閉鎖シーズンである。同時にサイトが生まれるシーズンでもあるだろう。引っ越しが済んで新住居に落ち着いた頃、或いは新しい環境に慣れた頃、サイトを始める人は多そうだ。そこに先に触れたサイト寿命の問題を絡めるなら、その半年後はやはり閉鎖シーズンが到来することになろう。

 

 理由の三つ目は閲覧者自身による。それは主に主観の問題で、閲覧者が単一の評価軸に従ってサイトをお気に入りに選んでいた場合、大抵、ブームに見える事柄が生じる。人と言うものの一般論として単一の評価軸しか持たないと言う事は普通ありえないのだけれど、けれどその人の嗜好と言うものはあるわけで、そう言う嗜好を仮に一つの評価軸と言う事にするなら、やはり此処の最初に述べた事になるだろう。そしてまた、お気に入りに選んだサイトが同時期に世に出てきたサイトだった場合、寿命によるものであるのにブームに見える事柄が生じる事になる。自分のお気に入りのサイトの多くが、ある一つのクラスターに含まれるようなものであった場合、一つのサイトの閉鎖に伴い、幾つかのサイトが続々と閉鎖してゆくと言うことになるわけで、それは見ている側の問題として閉鎖ブームが生じている、との感慨を得る事になる。そのクラスターが時間と言うファクターから見た場合、つまり(結局は)サイト寿命の問題として、クラスターそのものが寿命で散逸する運命にあったのだとしたら、それはやはりブームでも何でもないと言うことになる。

 僕は去年の冬にも、今年の春先にも、夏前にも、クラスターの散逸と思われるものを目にしてきた。それはブームと言うよりは、寿命なのだ。そのクラスターから面白いと思い、足繁くしたサイトを得てきた身にとって、それは残念な事ではあるのだけれど。

 

 

 だからまぁ、そんなわけで。

 

 僕としては、閉鎖ブームなんぞと言うものは、今やもうありえないのではなかろうか、なんてな事を思ったりなんか、している。閉鎖ブームと言うものは、恐らく日記系と呼ばれるカテゴリが揺籃期を終えると共に失われたものなのだ。日記系と言うものを、何らかのテキストをメインコンテンツとし、日記と呼ばれるコンテンツを有し、そのコンテンツの更新が主なサイト、とするなら、そのようなサイトは今や数えきれない位に存在しているし、恐らく日記系発祥の地はリードミー系と呼ばれた処であったのだろうけれど、だから日記系と言うのはリードミー系(やら猿人系やらに登録してあるそうしたサイトに限定するん)だと言うなら、今、リードミーに登録して来る日記系サイトの多くは別段リードミーに登録していないサイトとさして変わりはしないと言う意味に於て、やはりそこらに日記系は数多ある、と言わざるを得ないわけだ。クラスター数が極めて少なかった日記系揺籃期が過ぎてしまった現在のそう言う状況の中では、閉鎖ブームと言うものはもはや無いとするべきか、あるクラスターの崩壊を閉鎖ブームとする、と再定義すべきものだと思っているわけなのだ。

 だって閉鎖ブームが起きているってんなら、今日も何処かで閉鎖ブームが起きているんだし、だから毎日毎日が閉鎖ブームなんだし、そう言う状況が今の、広大な/拡散しきった、日記系の現状ってトコじゃない?

 

 ねぇ?

 

 

 

 と、まぁ。

 そんなこんなな感じで、閉鎖ブームについて僕は、戯言なんぞをこうして述べ奉るんであります。

 

 

 誠惶誠恐頓首頓首死罪謹言

 

■謝辞:
この『サイトの閉鎖について思うこと(その1)』は春くらいにとあるサイトの管理者の方とQで話す機会があって、そん時に示唆を受けたものです。サンクス、コスモクルーズくぼうちさん。

にしても、春のモンが今更出てくる、この遅さはなぁ、>オレ

 
■追記:コスモクルーズ
一言でいうと、純文学新感覚派
軸線は『花袋』などの新感覚派、とでも言うべき純文学薫る連載テキストにある、ハズだけど。イエママ礼讃、ZPAなどの企画モノに目を奪われがち。あ、イエママに目を奪われてるのは、運営者本人デス。
 


■閉鎖について思うこと(その2)

 時折、閉鎖したサイトを見るとき、シャンカラによってウパデーシャ・サーハスリーの中に残された次の言葉が、その痕で語られているような錯覚を、なんとはなしに、強く感じてしまう。

 

 私はあらゆる存在に対して平等な絶対者である。虚空のようにあらゆる処に遍く満ち、不壊であり、吉祥であり、中断することなく、分断されもせず、行為からも放たれた、至高である。

 それゆえに、お前の努力から起きるいかなる結果も、私には属さない。

 

 

 この上もなく鋭利な、関係の切断面。

 

 限りなく奥深いウパニシャッドの、ネットに於ける、その実際。

 

 

 かくて。

 

 電網輪廻に囚われてある、我々閲覧者の様々な思惑だけが、閉鎖と言う事象に切断され、自らの中に残されてしまうことになる。

  

---(十月十日)---

 えーと。

  

---(十月八日)---

 あの。

  

---(十月六日)---

 その。

  

---(十月四日)---

 ね。

  

---(十月二日)---

 ほら。

  

---今月の配色(十月朔日)---

 今月の配色コンセプトは『夕暮れ、ナナカマド、真っ赤な秋』。

 

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