ドリカン夢の対決

一般的にその実現が難しい有力者同士の対決をこう言う時があります。 プロ野球で言えばオールスターや交流戦などの機会で実現する、大投手と大打者との対決などを指したりします。 では、ドリカンにおいて「夢の対決」と定義するならどんな場合を指すでしょうか。

歴代のドリカンを振り返り、大物同士の対決という形で考えるならば、 最有力アーティストとして記憶に残る、林原めぐみとTWO-MIXによる対決がイメージされるかもしれません。 確かに2者は歴代1位獲得回数では他を圧倒し、両者による激しいトップ争いも演じたこともありました。 しかし、両アーティストは番組初期から長い間、年3〜4曲平均のペースでリリースを 繰り返していた背景もあり、そうした対決はリスナーにとって当たり前のように体験してきました。 これは「珍しい=実現が難しい」とは言い難いような印象を受けます。

先日のオールスター戦でも、ソフトバンク城島VS巨人工藤という、両者ダイエー時代の師弟対決が実現したわけですが、 このような対決形式も普段の公式戦では見られない「夢の対決」ともいえるのではないでしょうか。 両者に何らかの関連性がありつつ、かつ対決の実現機会もそれほど多くない、 という条件が絡んできそうな気がします。

そうなるともうお分かりかもしれませんが、ドリカンにおいての「夢の対決」を指すとすれば、 ドリカンパーソナリティ同士のランキングの対決、 とりわけ、ゆかりんとほっちゃんによる対決はまさに「夢の対決」といえるような気がします。

パーソナリティの両者がランキングに登場し、順位を競い合う。 ランキングの公平性の問題こそ出てきてしまいますが、ファンならばこの形でトップ争いを する機会を少なからず望んでいたことも事実ではないでしょうか。

さて、ゆかりんほっちゃんの対決となると、ドリカン最終幕となる 「Baby's Breath」と「ALL MY LOVE」の一騎打ちが有名ですが、 そのほかにも振り返ると、二人のシングルリリースが接近していた機会は更に2回、存在しました。 当時の状況なども踏まえて振り返ると、その変貌振りもよくわかるので、順にそれを追いながら紹介してみたいと思います。

1998年11月〜12月:対決の環境すら作れず

1998年秋といえば、ちょうどドリカンが転換期を迎えた時期で、ゆかりんもほっちゃんも 番組パーソナリティになったばかりの頃です。 ほっちゃんはデビューシングルの「my best friend」が11月18日に発売され、 ゆかりんも「REBIRTH」が12月2日に発売と続き、両者発売のタイミングとしては僅か2週の差でした。

この当時、ランキング上位を賑わせていたのは、林原めぐみ「Proof of Myself」、 國府田マリ子「大切に思えるものが一緒ならいいよね」、 椎名へきる「この世で一番大切なもの」、TWO-MIX「TRUTH」など。 ドリカン歴代でも非常に珍しく、当時の4強が4者ともリリースが接近し、 激しいトップ争いをしていた時期でした。 その他この時期の前後には、奥井雅美、小松未歩、丹下桜、坂本真綾の曲なども登場しており、 名前だけみると非常に豪華な顔ぶれのランキングになっていました。

当時二人とも声優デビューから1年余りという状況であり、ファンの数も十分とはいえなかったため、 このような状況下でのランクインでは両者ともに上位に進出することはできず、非常に短命でした。 そして両者の同時ランクインさえも実現しないまま、ほっちゃん→ゆかりんと、 すれ違いで下位に登場するのが精一杯、というのが現実でした。 この段階ではまだ「対決」という土壌には程遠いものでした。 とはいえ、パーソナリティ昇格直後からこんな早くもリリースが接近していたのも、なんだか不思議なものです。

当時のランキング変動を見る(1998年11月)

2001年5月〜7月:成長するも両者の差ははっきり

季節が過ぎる事2年半。やまとなでしことして活動を続けることで、二人の人気も上昇。 「Merry Merrily」では6週連続1位を達成し、ドリカンランキングでの中心に位置することができるようになりました。 そんな中、両者それぞれがシングルをリリースすることになりました。 ほっちゃんはスターチャイルド第1弾シングルとして「Love Destiny」を5月16日に発売、 ゆかりんもコナミメディアエンタテインメントからの第1弾として「summer melody」を5月23日に発売、その差僅かに1週です。

まずはほっちゃん、発売1週前にして7位に初登場。続くゆかりんも翌週に同じく発売1週前で7位と、両者好調をアピール。 この時の5月19日付けランキングではやまなこ繋がりの曲で4曲同時(1曲はゆかりんのキャラソン)という、 かなり豪華な状態になっていました。私を含め、やまなこファンはもうお祭り状態です(笑)

しかしながら、これ以降は両者に大きく差が出始めました。 「Love Distiny」はすぐ急上昇し、登場3週目にして早くもトップを獲得すると「Be My Angel」との1位争いモードに入り、 最終的にトップを10回獲得するなど歴代でも4位になる勢いを見せましたが、 「summer melody」は登場以後上昇ペースもゆっくりで、最高は3位。残念ながら1位争いには加わる事ができませんでした。

この時点でファンの数にも偏りが出始めていたことは確かですが、ほっちゃんの場合は当時を象徴する作品とも言える、 シスター・プリンセスのタイアップが付いていた事も支持が大きく影響していたのではないかと思います。 対するゆかりんはノータイアップ。ゆかりんファンからの支持だけで伸びてきた、と言っても過言ではないでしょう。

この結果から、両者上位争いをするレベルには十分な力はつけてきたものの、 ほっちゃんに有利すぎる展開に偏っていた反面、ゆかりんはもう一歩トップレベルには力及ばず、という感じで、 その差の開きが「対決」をイメージさせるような展開にはならなかった、というのが実際だったような印象です。 ただ、「summer melody」も最高3位ながら13週入るなど、当時から「粘り強さ」は見せていました。

当時のランキング変動を見る(2001年5月)

2002年7月〜9月:初の実現にして最後となる一番壮絶な対決

さらに1年後、両者は再びリリースが接近しました。 ほっちゃんは「ALL MY LOVE」7月24日発売、ゆかりんは「Baby's Breath」8月7日発売。その差は2週。 以前のリリース接近時はゆかりんがまだ力不足だった面もあり、直接対決までは至りませんでしたが、 この年は春に登場した「Love parade」で4週連続1位、念願のトップも獲得し、 ドリカントップ常連としての地位も固めました。 ゆかりん支持派としては「打倒堀江」を目指すべく、万全を期しての直接対決へ臨む事になったのです (ちょっと誇張表現気味で申し訳ない)。

両者共に初登場以後は順調に順位を伸ばし、まずは「ALL MY LOVE」が3週目にして難なくトップへ。 「Baby's Breath」も3週目、8月17日付けの段階で2位まで上昇し、 ついにここでドリカン史上初となる「堀江&田村」による上位独占が実現したことになりました。

いよいよここからは直接対決、一騎打ちの状態に入りました。 とはいえやはり強力なのはほっちゃん。これまでの1位回数実績でもゆかりんを圧倒しているだけに、 そう簡単にはトップは譲りません。ゆかりんも2位で必死に食らい付いていきます。 二人の先輩で、かつてランキングでは及ばなかったトップ常連のへきるさんさえも3位止まりにしてしまうほど、 その強さが目立つ展開になっていました。

8月31日の放送でドリカン放送打ち切りが予告されると、直接対決の様相はさらにヒートアップ。 トップは最後までこの2曲で争われると確信したリスナーも多かったことでしょう。 9月14日付けの時点で「ALL MY LOVE」がV7、「Baby's Breath」は5週連続の2位という状態が続きます。 「ここまでの流れからして、やはりほっちゃんの方が圧倒的に有利なのか?」 「いや、なんとか堀江に勝ちたい。勝てるはずだ!」 そんな葛藤をゆかりん支持派は思っていたことでしょう(笑)

そして9月21日。それは起こりました。 1位「Baby's Breath」、2位「ALL MY LOVE」。 ついにトップが入れ替わりました。ほとんどのリスナーが堀江方有利とみていただけに、 ここにきての入れ替わりは驚きだったかもしれません。

結局、翌週のランキング最終回でも「Baby's Breath」は1位を死守。 「ALL MY LOVE」は2位に留まり、7週にも渡るやまなこ直接対決は終結したのでした。

当時のランキング変動を見る(2002年7月)

結果だけみれば、7回のうちほっちゃん5勝、ゆかりん2勝と偏りはあるように見受けられますが、 最後にゆかりんが連勝したことが、ゆかりん支持派特有のリクエストの「粘り」を見せた結果でもあるように思えます。 ドリカン史上初めて実現した、やまなこによるトップ争い直接対決。 番組の花道を飾るのにはあまりにもドラマチックな終わり方です。

そして、ドリカンは終了しました。いろんな条件が重なった上での番組打ち切りではあったと思いますが、 この直接対決が実現する事は、同時に番組としてのタブーだったのかもしれません。 だって、パーソナリティの曲が極端に強い状態が今後も続いたら、 不公平なランキング番組でしかなくなってしまいますよね。 だからこそドリカンでもたった1度だけしか実現しなかった、「夢の対決」だったと言えるでしょう。

事務所・レコード会社側からすれば、人気のある声優に曲を出しで歌ってもらうことは ひとつのビジネスとして確立されていることですから、ランキング番組の有無に関わらず、 積極的に展開していくのは当然のことです。 このような展開になるに従って、今後のドリカンの在り方も自ずと導かれていたのかもしれません。 そう考えると、2002年10月で番組が終了したというタイミングは、 やまなこファンとしては本当に絶妙だったんだなと思わされます。

ドリカンランキングの歴史の中では3度の接近機会があったゆかりんとほっちゃん。 1回目は新パーソナリティ直後、2回目は発展途上、3回目で実現して番組終了、と 3度ともリクエスト支持の厚さの変化がよくわかるタイミングになっているのは 偶然の産物といっては勿体無いくらいにも思います。

ドリカンランキングの歴史を見る中で、こんな視点で捕らえてみるとまた、 奥深さを感じられるのではないでしょうか。 そんなことを今回は訴えてみたかったなと思い、ネタにしてみました。 長くなりました。以上です。

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