LAYER 2008.9.16

彼岸と胡蝶

そういえば一度だけ、僕はお前にどうしてそんなに皆から遠ざかって暮らすのだと尋ねたことがあった。お前は確かその時、自分は『厄介な病』にかかっているからだと答えたが、今になって思えばその『病』には、僕を含めすでに皆もかかっていたようにも感じる。先日、縞柄のジャケットがお似合いだった『トゥルース』は、皆の注意も聞かずに千鳥足で歩いていたところを車とぶつかっていち早く先に逝ってしまったし、その訃報を聞いた『ブラック』なんて眉毛ひとつ動かさずまったくの無関心だった。 一体いつから、そしてどこから始まったのか、今となっては明らかではない。けれど僕をはじめ皆がその『病』にかかり出したのには何らかの原因があるのだと思いたい。なァどう考える? お前はもう僕らの前から去ってしまってはいるけれど。

僕もその『病』にかかってしまったのではないかと思うようになったのは、今回のトゥルースの件がきっかけというわけではない。異性へ頻繁に色目をつかう彼は以前から疎ましいとは感じていたし、ブラックの皮肉を聞いている時の苛立ちも以前よりずっと少なくなっているのがわかる。そして何よりもお前に対してでさえ徐々に無関心になっていく自分を「正常である」と感じるようになったからだ。今では皆といるよりも一人でいる時間のほうが、比べるまでもなく多くなっている。近頃知り合ったばかりの若い男に、どうしてそんなに皆と距離をおいているのかと訊かれたが、その結末は僕とお前の、あの時のやり取りをまったくそのままに繰り返しただけに過ぎなかった。けれど僕は思ったよ、あァなるほどな、と。

最近はそういう風潮なのか、世間の話題も相まって新しい仲間を街で見かけることは少なくなった。営業をして立派に取引先で仕事をする奴も増えている。トゥルースのように道端で回収される例のほうが稀で、先日昼食に出かけた際に偶然出会った女は、取引先のことを「ご主人」と呼び非常に慕っているようだった。彼女はまだ幼かったせいもあるだろうが、あの病のことなど欠片も感じさせずに、そのご主人の用意する魚肉と野菜の配合された食事がとても楽しみなのだと云う。恐らくは今後もその部屋からは離れることのない彼女がこの病にかかった時、一体どういった心境になるのかは想像に難くない。或いは、彼女はこの病に『かかれない』のだ。僕はそれをひどく可哀相だと考える。

症状はすでに深刻なのか? 自覚してしまった時こそ悲観もしたが、一人でいる時間というのは、今となっては僕が最も好むものになっている。今日も皆と一通りのコミュニケーションを済ませて、お気に入りのあの場所に向かう。そこには背丈ほどの雑草が被い茂っていて、僕が座ると程よく心地よく安心できるロケーションなのだ。こうしていつものように空を見上げて鳥を追い、欠伸をして、眠るわけでもなく目を閉じて暗闇を眺める。
「あ」と、ふと唐突に理解したのだ。この暗闇が、この静けさがどうしてこんなにも優しいのかを。孤独に慣れるというのは死ぬための準備に似ているのだ。あァそうか、お前はすでに、そして僕もじきに死ぬのだな。


東京26区 Tokyo Double Locked 作/文:トリコ