ぷち復活

2005/11/26 オタクの歴史論
2005/11/28補足(オタクの流れ)



 先日、オタクのエリートを標榜する団体に喧嘩を売られました。
曰く、

■引用
みなさんは“おたく・オタク・ヲタク”という言葉を聴いて、どんな印象を持たれるでしょうか。 我が国では、ネガティブな、マニアックな印象を抱く人が、いまだに多いのではないでしょうか。その大きな要因として、犯罪事件とオタクの関係性を報じたメディアがよく聞かれます。しかし ながら、近年【オタク】内部の要因も、挙げられるようになってきました。
それは、ライター・評論家を自称する、一部の偏ったオタクたちの存在です。彼らは、さも自分 たちがオタクの代表であるかのように、【オタク】という言葉を著書やホームページで使用して います。こうしたことも、【オタク】の矮小化に拍車をかけているように思います。

■引用終わり

 Web「おたくウィークリー」や、この「オタク商品研究所」そして書籍「オタクトリビア」を上梓した私が、完全に該当するのは言うまでもありません。

 ちゃんとしたデータに基づくことなら、主張として認められますが、これは「オタク」という言葉を用いて活動してきた人間の出る以前のことをねつ造し、ライター、評論家を矮小化させた戦犯呼ばわりしているものです。
 放置は百害あって一利無しと判断し、抗議したところ件の文章は削除されました。


 この際、いかに間違った認識かを指摘するために、資料集めまでしなければならなかったので、これをまとめてオタクの歴史論としてここに掲載するものです。


■日本の「オタク」のはじまり

 オタクという言葉の発生以前に「ファン」という言葉がありました。
 スターウォーズ人気で宇宙物ブームがわき起こった後の1978年、劇場用に完全新作された『さらば宇宙戦艦ヤマト』が公開され、これが空前のヒットなり「アニメは児童もの」という概念を吹き飛ばし、「ヤング」に受ける新ジャンルとして確立しました。
 まず最初には「アニメ狂」「アニメマニア」という言葉が使われていました。子供が見るべき作品を、大人が見ているのですから、それは趣味性の偏ったものとして扱われていました。
 それが「マニア」の枠に収まらないほどふくれあがり、アニメをかける映画館に普通の若者が足を運ぶ人間を総じて「アニメファン」と言ったのが、いわゆる今の「オタク」のルーツに当たるでしょう。
「アニメファン」という言葉は、最盛期には数十万部売り上げたアニメ雑誌により定着したものといえます。

 そのアニメファン達にも活動の拠点がありました。
・アニメショップ
・初期の同人誌取扱店やセル売買
・コミックマーケット です。

 オタク(おたく)という言葉の発祥は出自からして 、ネガティブなものでした。
 中森明夫氏による嘲笑的、挑戦的な意味合いで発せられたとする根拠は、下記のサイトを参照してください。
http://www.burikko.net/people/otaku.html
 
 ファン活動に集まる人達に対する、挑戦的な意味合いで「おたく」という言葉が発せられたのです。
 すでに「アニメック」などの雑誌でも、アニメファンのファッションセンスは嘲笑的に扱われ、「ネクラ」「ビョーキ」という精神的な方向付けを持つ言葉も生まれていたため、「アニメファン」というマスに対し「おたく」「ネクラ」「ビョーキ」といった言葉が、先鋭化したものとして使われました。

■おたくの暗黒時代
 1980年代後半はアニメファンにとってはお寒い時代でした。
 ファンにとってのフラグシップである、ガンダムが終了したことと、ファンに熱く支持されるアニメクリエイターが、OVA(オリジナルビデオアニメ)という媒体に移行したため、マスで物が売れなくなりました。
 同時にTVアニメが「ヤング向けアニメ作品」から「ファミリー向けアニメ」にシフトしたため、見るべき作品が無くなり市場は縮小しアニメファンは、よりコアな所に行かざるを得なかったのです。

 その時に最悪とも言える事件が起きました。
1989年宮崎勤による連続幼女殺人事件です。

 この猟奇嗜好を育てたものとして、マンガやビデオ漬けであったことを取り上げマスコミは「殺人鬼」を産み出す要因として、叩きはじめました。
 その時に扱いやすい言葉として「おたく」が使われたのです。今でも、「オタク」と呼ばれることに激しい不快感を示す人間が多いのは、この時の盛大なおたくバッシングがあったためと言っても良いでしょう。
 おたくのイメージを世に知らしめたのが1989年宝島社「おたくの本」です。
 これは誹謗中傷目的ではなく、あくまでおたくと呼ばれるほどのマニアに取材しまとめたルポルタージュです。しかしおたくを憎む人達には「狂人寸前のマニアがおたく」と映ったのかもしれません。
 宮崎死刑囚(あえて、こう表記します)のやったことは、万人に怒りの方向を誤らせるほど、憎むべき行為だったのです。

 1991年1月には宮崎死刑囚の精神鑑定の結果が出て、これを報じた一般新聞でも「おたく」という言葉が使われました。恥ずかしい「おたく」という言葉のデビューです。
 1991年にはガイナックスによるOVA「おたくのビデオ」が発売されました。(脚本/岡田斗司夫)
 アニメファンをおたくと定義したような内容で、最初は小じゃれた主人公がアニメにハマるあまり、周囲を顧みなくなり、おたくになったからにはおたくの中のおたく、おたキングを目指すといった内容で、ガイナックスならではの自虐ネタでした。
 当時の反応は「おたくをポジティブに捉えようぜ!」ではなく、「ガイナックスに馬鹿にされた」といった印象でした。

 1980年代はアニメファンによる消費の中心は書籍、レコードでした。ビデオデッキが個人にも普及する以前のことで、作品にアクセスする数少ない手段と言えますが広いファンの消費活動に対応できるものです。
 一方、直接作品が供給されるOVAというメディアは、デッキを所有し購入資金力のあるマニアのものとなったため、アニメファンが先鋭化した、すなわちおたく化の原因は、少ない供給を高いリスクを支払ってみる、という状況から産まれたものかもしれません。作品そのものの完全情報が手にはいるために書籍などは売れなくなりました。

 TVからマニアックな要素が引き抜かれた分アニメファンは、脳内で補完をはじめました。「キャプテン翼」「聖闘士聖矢」「鎧伝サムライトルーパー」は本来は少年向きアクションアニメであったものが、女子ファンがコミックマーケットなどを舞台に、その友情関係を、恋愛という結びつきに置き換える遊びを発明し、本来とは違った意図でのアニメブームが席巻しました。「見立て遊び」は日本文化の根底の一つなので意外なところで創作性が発揮されたと言います。

 困惑したのがアニメ雑誌です。それまでは作品紹介をすれば良かったのですが、女子層の「妄想をくすぐる」という新たな要求を突きつけられ、仕方なく二次創作作家、ファンによるパロディという形で誌面を埋めるようになりました。アニパロ全盛の時代です。情報供給レベルが読者と同等になったため、アニメ雑誌はその価値が薄くなり、アニメ業界と深い結びつきのあった「アニメージュ」、アニメをビジネスとして戦略的に企業と結びついた「ニュータイプ」以外は軒並み潰れていったのです(ジ・アニメ、マイアニメ、アニメック、アウト)。おたく化せざるを得なかった男子アニメファン、情報を自分たちで創り出した女子アニメファン。同源ではあるもののこの2つは離れていったのです。


※番外1
 制作年を失念しましたが(情報求む)、深夜番組ドキュメントでガイナックスが扱われたことがあり、その放送翌日会社のあるビルのエレベーターに「おたくは出ていけ」と書かれたという逸話を聞いています。
 ビルの上には一般居住者がいて「おたくは犯罪予備軍である」という恐怖心から生まれた証しとも言えますが、よく自虐創作ネタを披露するので、実証の裏付けは取れていないこととして記載しておきます。




■パソコン時代と転換期
 1990年代初頭は「セーラームーン」などのヒットでアニメファンにも新しい息吹が感じられるようになりました。
 共通話題が生まれて、コミケなどを中心に新時代の作家達が台頭しはじめました。
 この頃パソコン通信が業界人の間でもてはやされるようになりました。文筆業がワープロを使い始めたこともあり、ライター出版関係者がよく利用するようになり、中でも大手ニフティサーブが電話よりも連絡の取りやすい手段として重用されるようになりました。

 その中でガイナックスもステーション/フォーラムと呼ばれるエリアを構えていました。
 ファン向けのエリアでしたが、その中で「濃縮おたくランド」というノンジャンルで書き込みできるボードがありました。
 最初は昔話から始まったのですが、昔話をする際に当の関係者が顔を出すようになり、段々と内容が濃くなりました。旧作の掘り起こしや、新作の紹介/啓蒙活動も活発になり(私もシンプソンズの面白さを触れ回っていました)当時のボード参加者、岡田斗司夫氏の言うところの"カルピスで言うと「原液」を通り越して、箸が立ちそうなぐらい濃くなってしまった”状態となったのです。
http://netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/priodical/mayoimichi/TVBROS1.html

 この場所で、ローカルですが、かなり明解なおたくの定義が生まれました。

「濃い」「薄い」かです。

 誰でも知ってるようなことを我が知識のように言うなら「薄い」と説教される代わりに、何ごとにおいても情報を突き詰めようとするなら「濃い」と認められ、尊敬される対象になる。
 おたくならもっと濃くなれ!
をスローガンとする、浸透と拡散の理想郷と言えたかもしれません。

 1996年アニメの世界で事件が起きます。尻上がりに人気の上がっていったTVアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」が最終回前で制作が破綻してしまい「やむオチ(やむを得ないオチ)」ラストとなったのです。(本来の展開が知りたい人は、角川書店刊NEWTYPE 100% COLLECTION 新世紀エヴァンゲリオン の初期プロットを参照されたし)
 ファンの声が直接届くガイナックスのボードには非難が集中。本来、味方であるはずのエヴァンゲリオンファンによる、直接抗議に晒され、「庵野 死ね」などという心ない言動が制作者とファンとの交流を途絶させたと言えます。

 この頃からパソコン通信を中心に「エヴァンゲリオンに対する自分の考えを書く」といった行為が活発化します。この頃は一般的にホームページで書くことは少なく「エヴァ語り」はクローズドなものだったのです。これに目を付けたのが英知出版の「デラべっぴん」編集者で、1996年8月号(7月発売)にて、アニメ誌以外の雑誌でエヴァンゲリオン特集をしたことが話題となりました。
 時を前後して、おたくに興味を示した東京大学学生が岡田斗司夫氏にゼミの講義を依頼しました。1996年3月26日には「オタク学、東大で講義」が朝日新聞に掲載。これをもってようやく病気的「おたく」が知識的探求に向けられる「オタク」にシフトしていったと思います。


 エヴァンゲリオンは商品としてはヒット街道を爆走します。ファンが増えたことから、商品が出せば売れる状態になり、エヴァブームが市場に到来します。ファンによる大量消費時代です。
 1996年はオタク歴の中でも、オタク元年と言ってもいいほどの画期的な年だと言えます。
 10月に、深夜アニメの皮切りと言われている「エルフを狩るモノたち」がTX木曜深夜25時45分から放送されました。
 この作品が深夜にもかかわらず1%越えの(最高2.0%)視聴率を稼いだことで、「深夜」という放送枠と、ヤングアダルトに向けたコアな作品が製作されるようになりました。
 アニメは大きなスポンサーが、マスに向けて商品を売るウィンドウから、「作品自体」が商品になる少ロット多品種時代へと移り変わってきたのです。

 以降、新しいアニメが量産されるようになり、細かいニーズをフックとしたファン層も増加、付随して原作書籍等も売れるようになり、キャラクターを中心にした消費力の高い世代をまとめて「オタク層」と呼ぶようになりました。アニメやマンガのファンが死の暗いイメージから離れ、自嘲的にオタクと呼ぶようになったこととアニメファン、フィギュアファン、マンガファン等の統括語として扱いやすかったことがあるでしょう。

 90年代中期から後期にかけてオタクを日本特有文化の深い研究者と認識させたこと、おたくは物を買ってくれるという、消費にプラスのイメージがついたこと。
 この同じようでいて違う2つの意味合いが混在化して、現在まで使われていると言えます。
 
※番外2
 この時期、海外からも日本のオタクがクール(かっこいい)という認識が飛び込んできます。
 これは海外のアニメがマンネリ化する中で異文化のアニメーションなどがエキゾチックに見えたこともありますが、前出の「おたくのビデオ」が異文化入門として機能し、「OTAKUはアニメに熱中すること」として認識されたことも、あるのではないかと思います。



■そしてアキバ系へ
 2005年『電車男』のヒットはオタクを時代の寵児にしてしまいました。猟奇的殺人者予備軍扱いからは大きな進歩を遂げたと言えるでしょうが、実際には、人畜無害、恋愛に臆病な存在として扱い。自分の嗜好を声高にする姿を幼稚と見て、自分たちの社会性、オトナ性を確認するツールとしての扱いが大きいように見えます。

 2005年は「萌え」もキーワードとして利用されました。これはオタク趣味が発祥でありつつも、「ライトな新風俗としてロックオンされてしまった」と見たほうが良いのかもしれません。メイドブームは「男は、かしずかれること」を好み、「女性は衣装を着ることで、容姿に自信が無くても、メイドという萌えキャラクターに変身」できる、双方の利害が一致した希有な例と言えるでしょう。
 ブームと言われていても、少女のかわいらしさ、琴線に触れる部分を懸命に模索し続ける、本来の萌えクリエイターには還元されていないようです。

アキバ系報道によるオタクの固定イメージ
・眼鏡、背負いバッグ、個性の薄いファッション=オタク。
・現実恋愛には激しく興味があるものの、臆病で踏み出せない。
・疑似恋愛に逃避している。
・マニアなジャンルでの消費能力は異常に高い。
・「萌えー」


 そしてオタクが、ビジネスであるという位置づけもされました。森永卓郎氏の示すところによるとオタク市場数兆円。これは知らない人間にとっては魔法のごとく巨大市場が産み出されたように見えますが、単純にアニメの雑誌がいくら売れて、アイドル本がいくら売れて、プロレスがこれだけ売れたという合算に過ぎません。

 現状、私の知りうる限りのオタク市場としてはマックスで100万人程度、個別のジャンルになると1万人のパイを業者が食い合ってると言った印象です。

 オタク消費市場の試算
90万人のライトな層が、年間2万円を趣味に使うとして(雑誌980×12、その他アイテム)年間180億円の消費があります。
 アニメファンなどオタク=独身男性が注目されているのは、趣味の年間投入額が桁外れなためで、月雑誌数冊3000円、DVD5000円、フィギュア5000円、ゲーム6800円、ネットや録画などの収集費用4000円、集まったときの飲食代3000円としてトータル約2万5千円。年間30万円、雑誌部数から計算して10万人はいると見られるので、単独で300億円は消費しています。実際はそれ以上の消費なので、1000億円規模消費は実態に近いと言えるかもしれません。

 今オタク産業の最前線の人間のやってることは、1万枚(冊)のDVDや本を頑張って1万5千枚(冊)にしましょうと言った、100万規模のマスマーケットから見れば、爪の先に火をともすごとき努力だと言えるのです。
 夢のような消費天国と実態はかけ離れています。


■まとめ
 オタクとは、三つの部類に分けられるのではないかと考えています。

○分類1 病気的な執着としての「おたく」
 失礼とは思いますが、発明者の名前を借りて「中森おたく」系と呼ばせて貰います。
「中森おたく」自体は無害なアニメファン、マンガファンを揶揄したものであっても、仮想メディアに異常なまでにのめり込む人間を現す言葉として、ダークサイドの象徴の意味合いを持ってしまったと言えます。

○分類2 研究者としての「オタク」
 前述の経緯から「岡田オタク」系と呼びます。嗜好への欲望の歯止めがきかなくなる「中森おたく」に対し、自ら情報の深い闇に飛び込もうとするのするのが、「岡田オタク」と言えます。意味合いとしては初期に使われていた「○○狂」「マニア」の転用語でしょう。
 発祥ともいえる「おたくランド」でのおたくは「芸」なのです。
それぞれが個別に情報を収集し、「おたく芸」として披露する。趣味嗜好の自己完結と違い、趣味を披露することで他人をムリヤリ感化させてしまおうという、面白さを啓蒙し合う良い意味での「洗脳合戦」がその根底にあると言えるでしょう。

○分類3 マスマーケットとしての「オタク層」
 1995年以降のキャラクター消費文化を支えてきた層を指します。近年になってアイドルファン、鉄道ファンなど趣味のマイノリティも「独自文化に見識のある消費者」として合流しました。
 1996年前後には、塩化ビニール成型技術などから、キャラクターの商品化が目覚ましくなりました。「フィギュアの購入」は目に見えて分かるキャラクター文化へのリターンです。これまでは「作品単位」でしか評価基準がなかったものが、キャラクター個別単位となり、好悪を言い表す言葉として「萌える/萌えない」が広く使われるようになったと見ています。

 同時期に「TVアニメ」というウィンドウが増えたこと、パソコン通信からWebに移行して個人の情報収集と発信が可能になったことも重要でしょう。
 男性は直接的に「萌え」を消費したことに対し、女性は前出の関係性を重視する「やおい」が一般的になりました。男子消費と、女子消費の複合がマーケットを広げていったことも見逃せません。


 オタクを鳥瞰的に見るなら、80年代からの「中森おたく」時代があり十把一絡げでバッシングを受けていました。

 94年から96年は<オタクの開き直り期>とします。自分の部屋で収まる嗜好の自己完結を、パソコン通信というツールを得て価値観の「洗脳合戦」という遊びに代えてしまったことにより、「岡田オタク」的情報の共有化という現象が起きました。

 PC普及とキャラクター消費の細分化がジャンルごとのファンを作り、少群体の統合として現在の「オタク層」を作り上げました。
 この三つは別個でありつつも、無関係ではないというかなり微妙なパワーバランスにあるものと思います。

 分類2「岡田オタク」系は、出版関係者など業界人が多かったことが重要で、現在でも製品企画などで現場とも密接に関わっているため、分類3「オタク層」とも不可分な立場にいます。制作者と消費者の間に立ったファン心理を理解できる業界人という、接着剤の役目となっています。しかし、今になっても分類1「中森おたく」の病理イメージのくびきからは、解き放たれていないようにも思えるのです。
 
「パソコンオタク」と呼ばれる人達を例に取ると、個人的な趣味として情報を収集し機材の相性やメーカーの優位などの知識を得る。それを自分のためだけに使っていたら、それはクローズドなものとして、「中森おたく」系に分類され、周囲からも「理解されないもの」となり恐怖の対象にもなります。

 しかし得意分野に興味を示されたら嬉しく思う人間も多く、知りうる知識を分け与えようとオープンにするなら、それは指向性を持つ探求者として「岡田オタク」的なものに分類されます。

「オタク層」は嗜好趣味を持った人間を、大ざっぱに網にかけたものなので、「プロレスに詳しくてオタクと呼ばれていた人間が、”オタクなら”という理由でパソコン相談を受ける」といった珍事も発生しています。パソコンに詳しいからと言ってアイドルの追っかけともかぎらないし、萌えもえ言ってる訳でもありません。

             オタクの流れ

            プロ(供給)側
 多ジャンルのエンタテインメント。
アニメ、マンガ、ゲーム、ハード、模型、鉄道、娯楽性スポーツ、
歌謡、他
                 

                 ↓
1.関心を示す
               オタク層
            ライトな消費ユーザー

2.関心の度合いが高まる

  (欲望的沈降)
      ↓                   (知識的沈降)
インナーおたく(中森系)              
嗜好の歯止めがきかない              |
個人主義                        
主観性を重視

                    アクティブなオタク(岡田系)
                          情報が発信できる
                   情報の提供、共有に抵抗がない

■オタクの現状
 「オタク」とは受け皿的消費者側を指す言葉なのです。オタクマーケットと言いますがその絶対数が限られている中で、新ビジネスの空想のみが一人歩きしているように見えます。

 アニメやマンガの制作者にあたる人達に「オタクのビジネスマンですね」とか「オタクの職人」などと言えば、ポカンとされることでしょう。オタクという言葉の生まれる前から働いているのですから当然です。
 オタクをビジネスとするには、市場に受け入れられるキャラクターや作品群を送り出すことなのに、現在は「小銭を持った連中」として扱われ、吸い上げようと必死になっていると思います。
 オタクブーム、アキバブーム、萌えブームが終わったところで、外野が減るだけで最初の市場はほぼそのまま残るでしょう。

 創作やエンタテインメントを無限に埋蔵するビジネスコンテンツとして扱いたいなら、まずは現場で働いている人達の声を聴くべきであると思います。
 これからビジネスとしてオタクを育てていきたいのなら、「オタク」ではなく「作者側」達に目を向けて、彼らに発表の場所を与えて、多く眼に触れるようにすることが大事でしょう。
 彼らが「オタク・クリエイター」と呼ばれることに引け目を感じさせた張本人は他ならぬマスコミの「おたくバッシング」です。
 つい近年も児童殺人の犯人像を「フィギュア萌え族」の仕業であると言い放ち、再び犯罪予備軍のレッテルを貼り付けるという愚かな行為を目撃しました。

 オタクという言葉が暗い出自と切り離せないなら、せめて創造の現場で働いている人間を「エンタテインメント・クリエイター」、「コンテンツ・クリエイター」でも新しい言葉で定義づけて、それが誇らしいものであるとしてほしいのです。

 消費者としてのオタクはどこへ向かえばいいのか?これは簡単です。

「自分の好きなことに本気になる」

 ただ、それだけです。
好きでもないオタク知識を収集してまわるなど意味がありません。
調べたければ、そのつど検索なりすればすむことです。
 突き詰めていけば、自然に濃い方向になりますし、人に話したくもなります。オタクサイドから見て恥ずかしいのは「本気になれないことを言い訳する」ような人達です。

 鬼畜がごとくに「おたく」が呼ばれ、それでも「おたく」という言葉に深い探求を見いだし、好転化させるために戦って、今なお作品価値を知らしめるよう現場で働いてる人間にとっては、「ベストオタク、最高の消費者!」ならまだしも「消費者のエリート」などというトンチンカンな事を言い出す連中に、オタクの敵だと言われると身震いするほど腹が立つのです。

 多面化された「オタク」の実態を掴めないまま、幻想の元に突き進むことはあってはならないと思います。

文責 原えりすん
校正協力 柴木倒