「この子たちを見て、つくづく思うんだけど・・・」
 
 
鯨幕のマント姿の黒髪の青年がしみじみと隣をゆく空色の髪の女性に語る。
その背に負うのは双子の赤ん坊。手にはマントとミスマッチの紅白の薔薇の花束。
 
「え?」海空色のコートの女性はまたか、と思いつつ、自分もそう思うので笑みでかえす。
その左右の手に連れるのは男の子と女の子。
 
 
「僕たち、生きてるよね」
 
「ええ」
 
 
疑問符のつかない言葉に女性も・・・・おそらく、若い夫婦なのであろう、妻ははっきりと応えた。おそらく、その問いに「イエス」と答えられるのは自分しかいないから。
碇シンジ、綾波レイ・・・役所にもいってないので婚姻届を出しているわけでもないが、子供を四人も連れて今晩の宿を探している有様では同棲という言葉もつかえぬ。それは、夫婦というしかない。家族と言うしかない。
 
 
行く道は丘をのぼる道。丘、それは巨大な墳墓であった。子供らの父親は「知り合いのお墓だよ」と言ったから古墳ではないのだろう。だとしたら、ずいぶん巨大な知り合いだ。
今日は、この墓にお参りして引っ越すのだ。子供たちが生まれた”ここ”とはまた別の場所へ。つまり、とても大事な知り合いだったのだろう。名前はまだ知らない。着けば分かるよ、と言われただけで。
 
 
「父上はいつも、死にかけている・・・それで母上に助けていただいて。生かされてる、というのが正解では?」
赤い瞳、空色の髪、母親の形質を受け継いだらしい女の子の方が遠慮なく言った。
蒼い、海色の着物を着せられて、白い顔は人形のようだ。それなのに冷たさを感じさせぬのは、その眼に家族が好きで好きでしょうがない赤い色が宿るから。奇妙な得物・・・鋼の箒・・箒なのだろうが頭の部分が一本残らず刃物なのだ。銘は「火鳥那由多・ひとりなゆた」・・・・を背負っている。
 
 
「・・・・・・・」
黒髪の男の子、父親の形質を受け継いだらしい男の子は無口だ。軍服と学生服を混ぜて軍手や手袋をべたぺた張りつけた奇妙に硬派な服を着せられている。夜の雲の色の瞳はその話になると雷光る。母親につないでもらってないほうの手は白い手袋をしている。
 
 
「この間とてそうだ。
レンジ兄は、あと半日母上が戻られるのが遅ければ自分が行かれるつもりであったのだぞ・・・私をさしおいて・・・まったく不言実行、閃光判断型もほどほどにされよ。ピカドウとニュイを一人で任される身にもなってみよ・・・」
気が強いのか弱いのか、心細さを思い出してとたんに言葉尻と赤瞳が湿ってくる女の子。
シンセという。碇シンセでも綾波シンセでも好きに呼ぶがよい。
 
「シンセ・・・ごめんね。代わりに、”あっち”で聞いてきたためになるお話をしてあげる。・・・昔々、第二次天災、じゃない二次大戦後、荒廃した日本のあるところに鈴木健二という18歳の青年がいました。長じて国営放送のアナウンサーになるひとです。それで、その鈴木さんは牧師さんにボランティアを頼まれました。内容も聞かず、ボランティア精神だけで引き受けてみると、その内容とはなんと・・・」
 
「お話はよいから、少しは反省願う、父上・・・レンジ兄もだ」
 
「ははは、ごめんごめん。うちは女性がしっかりしてるから・・・ねえ、レンジ」
「・・・・・・」
 
「言い訳にもならぬわ!・・・・・・・・で、それで鈴木殿はどうなったのです?」
 
「結局、シンセはあなたのお話が好きみたい」と、綾波レイが微笑んだ。
 
「ここには学校もないから・・・シンセやレンジ、ピカやニュイには僕の知る限りのいいお話を聞かせておきたいよ。なんせ最終学歴が中卒ですらない、中学中退、略してチューチュータコカイナトレインだしねえ。君たちには苦労かけるねえ」
 
「別に、親ばかとはそういうことではないであろう?なあ、レンジ兄」
「・・・・む」子供たちは顔を見合わせてうなづきあった。年相応以上に賢く、聡い。
「に、しても”ちゅーちゅーたこかいなとれいん”とは?これから引っ越す”外”にはそのようなものがあるのか・・・略してないような気もする・・・」
 
 
「ふふふ・・・・で、鈴木さんはなんと、三才から十三歳までの浮浪児16人を一人で世話することになったのです。朝は三時に起きて食事作り。昼間の分もあわせて作るのでざっと三十食以上。ベッドも粗末なものしかなく、厳冬の中、皆寄り添って暖をとりつつ眠ったのです」
 
 
「齢18でか?・・・・父上と母上が契りを交わしたのが14のころであるから・・・」
 
 
あわててレイとシンジ、両親が娘の口をふさぐ。「だ、誰に聞いたの?」
シンセはきょとんとして「雪見御所にいったとき・・・・キヨモリ殿の熱が下がらぬと母上が様子を見に行ったときのこと・・・控えの間でギオー殿やホトケ殿に・・・”十月十日の恋の道”とやらの教えを受けましたが・・・・鈴木殿は齢18で16人もの子供を愛したわけですか・・・・・父上より上ですな」
 
「い、いや、そういう話じゃないんだけどなあ・・・その中の九才の女の子が朝から晩まで洗濯を、手があかぎれまみれでグローブのようにふくれあがっても何も言わずに皆のために洗濯をした・・・そんな”才能の形”の話をしようとしたんだけど・・・」
 
 
「鈴木殿より下であっても、わたしは父上が好きです」
 
 
「あ、ありがとう・・・」
 
「実の娘相手に赤くなることはないのに」こそっと夫の耳元で囁くレイ。
「わたしといるときはそんなことなかったから、その代わり?」
 
 
「どうかなあ・・・・”ここ”はこういう場所だし。もし、レイがいなかったら僕なんかはとっくに”あっち”側に連れていかれて戻ってこれないよ・・・・ここにいると生きてるのか死んでいるのか分からなくなる・・・・ただ、死人は子供なんか産まないだろうし、・・・まあ、なんというか・・・・産んでもらうこともできないよね・・・・・
 
 
つまり、そうやってレイの方が先に赤くなるから・・・・肌が白いからわかりやすいのかもしれないけど・・・」そう言いつつ、少女のころより長くなった空色の髪を指で梳く。
 
 
「父上。そのような話は今晩の宿を見つけてふたりきりになってされた方がよかろう。すぐそばでそのような話ばかり聞かされて育つと、ピカドウもニュイも軟派で色ぼけな者になるぞ」
 
 
「「うっ」」実の娘にやりこめられる若夫婦。
だが、名前の言霊というものが確かにあるなら双子の赤子はそうはなるまい。ピカドウの方は碇ゲンドウから。ピカ、という音は洞木ヒカリからとったのかもしれないが。ニュイの方は碇ユイから。これは分かりやすい。ユイ2世で、略してニュイだ。名前負けせねば、傑物に育つことであろう。
子供の名前はぜんぶ碇シンジが考えた。長男のレンジはみてのとおり、レイとシンジをくっつけただけのもの。無口でなければ文句のひとつもいいたくなるだろう。長女のシンセは綾波党風に漢字名も考えられている。新世、という。ちなみに、10人分決まっているらしい・・・聖書の時代じゃあるまいし、そんなに産めるものか・・。
 
 
 
「・・にしても、今回の追跡はしつこいな。数も2桁は違う。つくづく父上は人気者だな・・・・丘を遠巻きにして見物する客も多いな。この墓がそれほど珍しいのか」
 
シンセが振り向き登りかけの丘から下界を見下ろすと、丘周囲はマツマの部隊による結界がはられて見物客立入禁止にした上でのこちらの閉じこめ策がとられている
「碇シンジとその家族に告げる!諦めて降りてこい!特に碇シンジ、往生際が悪いぞ!!貴様の現世再生は仏法で禁じられているんだぞ。家族の者だけ現世に帰してお前は早々に成仏しろ!あの”七眼の重扉”をこじ開けられるとでも思っているのか!無駄な抵抗はやめろ!これは最後通牒である、これに従わず、それ以上一歩でも進んだ場合、突入部隊を差し向ける。妻子もろともハチの巣にされたくなければ大人しく降りてこい!!」
 
拡声術を使われて耳元でがなりたてられても、碇シンジをはじめとする家族は、赤子のピカドウ、ニュイでさえも馬耳東風。聞く耳もたぬ、風雲、鹿トぶっこき丸。
 
「つくづく、父上をこちらに留めておきたいようだ。マツマどのも長い因縁であるから・・・輪廻の手錠をかけたかったのであろ」
 
「あみんね、じゃなくてごめんね、マツマさん。要求は聞けません・・・僕たち帰ります」
鯨幕のマントをなびかせて振り返りもせずに歩を進める碇シンジ。
 
「うぬぬ・・・・バカめ、・・・・・・突入開始!!」マツマの指示で2000は超える使徒能力を封じるためのペイントを施された呪術存在が駆け上がってくる。
 
「どうする、父上。こちらも駆けるかそれとも、この場で撃退するか」
シンセが鋼箒を構え、レンジも戦闘用の手袋をはめた。
 
 
「危ないから、それ以上登ってこない方がいいですよ」なにげに言い返す碇シンジ。
 
 
それだけで。本来、意思などあろうはずもない呪術存在が自我に目覚めて、丘を登るのをやめた。レイはそんな亭主の言葉を心地よさそうに聞いている。
 
「なっ・・・?!なにを勝手に戻ってきている・・・・・くうっ・・・碇シンジめ」
マツマは歯がみしながらも、「奴がああいうからには本当に危ないんだろうな・・」と思ったので再突入は命じなかった。このマツマの手から逃れ続けた男の言葉。それくらいの言霊があって当然かもしれぬ。「だが、人の子の腕の力ではどうあがいても七眼の重扉は開かぬぞ・・・・お前は”今の現世”に戻ってはならんのだ・・・・戻らぬ方が貴様のためなのだ・・・それは貴様も知っているだろう・・・・なぜ今さら・・・諦めたのではないのか・・・・”蜘蛛の男”よ・・・」
 
 
「スパイダーマンと仮面ライダーって共闘できるのかなあ・・・レンジはどう思う?」
「・・・・・・」
「父上、優等生のレンジ兄にそのような問いは酷だとおもうぞ」
泣き落としなぞ無論、通用しないのは承知済みだが・・・。すたすたと先にいってしまう小憎たらしい背中に激荒するマツマ。
 
 
レイだけが一人歩を止め、残り、丘の下の者たちへ振り向き、一礼して、告げた。
「子供の前でしたから・・・・・」
 
 
「マツマさん、部下の皆さん、見物の方々、どうぞ、あの人、碇シンジをかまわずそっと送り出してやってくださいませ。顔には出しませんが、先日、あまりに悲しいことがありました。ありえないはずのことです。それさえなければ、数々のご恩を受けた”ここ”にご恩をお返しするまでとどまってもよかったのです。けれど、ありえないはずの、あまりに悲しいことがありました。
 
あの人は扉を開けます。
 
あの人は、これから、なきにいくのです
 
お心あらば・・・
その弱く、ひしがれた、みじめな姿を皆様で見やるのはどうぞご容赦くださいませ」
 
 
そして、また一礼。「あの人の声が届かぬところまで、どうか・・・・
 
 
・・・・でなければ、消します」
 
 
その一言で丘は凍る。赤い瞳は氷の女帝のように睥睨する。これは時間稼ぎと、時間潰し。
丘の上では、おそらく亭主と待っていた「あの女性(ひと)」が最後の逢瀬。子供の前だから抱きしめるくらいならともかく、キスは遠慮してほしいかな・・・けれど、これが最後になるし・・。自分たちとは行き違いになる・・・・永遠に交わり接することはない。
何を話してもいい、自分が居ては伝えたいことも伝えられないかもしれない。
実務的なことはすべて教わった。亭主に話すのはもうすこし他のことだろう。たぶん。
 
「アンタが・・・アンタさえいれば・・・・」強い想いが心に直接響く。そしてびんたの音。そして、抱きしめる音。「ありゃ・・」子供たちの目を円くする音。子供たちを抱きしめてくれる音。音で分かる・・・なんてやさしい、愛の音。「うわ〜、双子の赤ん坊・・・可愛い・・・名前は?ピカドウと・・・ニュイ?らしいといえばらしいか。あはっ」
自分の前に現れた時とえらく違う。愛想のない血にまみれた火ノ玉だったのに。
最後だから。そして、紅白の薔薇を送られたから。ここにきて暮らすうちに亭主は孔子のような葬式の達人になっていた。それから、もしかしたら・・好きだったのかもしれない。
嫌いな相手に送られるよりかはずっといい・・・。
 
 
 
ずごごごごごごごごご・・・・
 
 
 
丘がこれから噴火しますとばかりに鳴動する。碇シンジの呼ぶ声。何年ぶりかの一発機動。
やはりデザインがデザインだけに、とてものんびり大人しく土の中に眠ってはいられなかったらしい。鳴動波からビシビシ感じられる力はとても”甦りたて”とは思えない。
ちなみに、この古墳式丘墓の墓碑銘は・・・・「碇家・・・
 
エヴァ初号機 大雷院使徒殲滅居士」
 
であった。その巨大な掌に碇シンジ、レンジ、シンセ。碇シンジが妻に手を伸ばす。
しっかり握って。かるがると引っ張り上げる。
 
「それじゃ、”帰ろう”か・・・いや、”戻ろう”だね。
僕が帰るのはレイのいるところだから・・・・そういうことに、なったんだよね」
「はい・・・・あなた」
 
 
 
 
しんこうべ・ゆきみる墓場最奥部・あの世と境界地点のひとつ。
 
 
 
銀橋旅館から綾波レイを強奪したはいいものの、プロペラ機で最新鋭戦闘機を曳航するようなもので、パワー飛行能力は比べものにならずに恐慌に陥った綾波レイに結局、ひっぱりこまれて共にここに真っ逆様に超高速で墜落した碇シンジ。
 
罰が当たったとしかいいようがない。
 
ひとのいやがることをするものにはばちがあたるのである。
だが、バチ、というのは裁判官が判断して適当な量刑をするわけではないから、時に「ここまでやられなくとも」というケースもある。碇シンジがそれだったかどうか・・・
 
 
碇シンジはペシャンコになった。
 
 
綾波レイがペシャンコに「ならなかった」、と言った方がよいか。
使徒レリエルの力を体内に宿す綾波レイはかすり傷程度で高速墜落の衝撃に耐えきった。
ATフィールド。生身でそれを発生させることによってなんとか綾波レイは自分の生命を守りきった。絶対領域で墜落の衝撃を消滅させ、余剰の打撃力は身に纏った伝説の着物が吸収霧散させた。それでも、すねのあたりを白いプレート墓にこすって傷ができた。
その隣にはクレーターが出来ていた。碇シンジという隕石が落ちた跡。まさに”そのまま死ねますよ”状態。墓穴を掘る手間が省けた。人様の墓に乱入したかたちになるが。
 
 
ペシャンコになった碇シンジ。
 
 
自分を連れ戻しにきてこのざま・・・・・綾波レイはしばらく動けなかった。
泣いたかもしれない。一晩中は泣いた・・・・と思う。
どうせ誰も見てないので声をあげて。涸れるまで。
そのあまりのおろかさに千回は嫌ってやったかと思う。ばかばかばか・・と一万回は呟いただろうか。嵐のような感情がおさまるまで。
 
 
朝になると、「お迎え」がやってきた。棺桶をかついだ黒い煙影のような人たち。
手はあるが足の形が人間のそれではなく、羊や牛や馬系のそれだ。車輪もまじっていた。
匂いでわかる。あれが、「お迎え」・・・死神の使い・・・棺桶運び
自分には目もくれず、クレーターのそこからペシャンコになった碇シンジを引き上げて棺桶にいれる。
 
 
どさっ・・・・
 
 
その音、人形を放り捨てるような、無造作極まる、葬式礼儀のかけらもない音。
その音を聞いた途端、いや、耳に触れた途端、すでに身体は動いていた。
心臓と心に、かつて見たこともない赤い、極上の赤色彩が脈動する。駆け走り過ぎ去る視界も赤く染まっていた。怒濤の感情。碇シンジのための怒り。綾波レイが怒った。
何も見ない。何も感じない。だから、赤く染まったのだ。すべてが。
「綾波」は戦場で指揮を執る者の殺る気満々の陣羽織。仕込み武器にはことかかない。
「菩薩骨」には天の神々とも争う阿修羅のそれも一部、混じっていたらしい。
赤い瞳で見ることをやめてしまった一分間ほどの間に事は済んだ。赤い闇が場を包む。
 
奪還した。
 
これは、わたしのもの、と叫んだような気もする。
すくなくとも、あんな連中にわたすわけにはいかない。
 
碇ペシャンコシンジを抱いて、その場から逃げ出す。本能が、最もよい方角方向を指ししめしていた。もはや、人間の知識や知恵が通じる世界ではない。綾波レイは静かに本能に従う。このペシャンコの姿、そして「お迎え」が来た以上、碇シンジは「死んだ」のだろう。だいたい、使徒の力が宿ってなければ自分も死んでいる。なんとか自分は生きている。生者と死者は同居できない、両者には絶対の壁がある。世の道理である。
ならば、この、今の状況は?自分たちは同居している。同じ場所にいる。
ここは、絶対の壁の上。内でも外でもない、ちょうど境界ギリギリ線上、あそびの土地。
光と闇、どちらもない、うすくらやみの中間点。だからこそ、わざわざ連れていこうとするのだ。完全なる死の世界。あの世に。かといって、墓場の外の世界・・・つまり、この世に戻れば、強い生の光にうち消されるようにして碇ペシャンコシンジは消滅するだろう。微妙な位置取りが必要だった。貴重な高山植物を種から育てるように。
暗からず明るからず、死闇に生光は対照して浮かびあがるから、どちらかというと外角暗め。暗いと頻繁に「お迎え」がやってくるのでいささか厄介だが、暗黒大陸に挑む冒険家か魔の山脈に挑む登山家のような心境で、綾波レイは適当な場所を探した。使徒の防御を持たぬ者は足を踏み入れること許されぬ暗い場所へ。降りていった。これでもう、外界の捜索者は任務の失敗が決定した。人の領域ではない空間へ下りていったのだから。綾波党の者たちは深く嘆いたが、しかたのないことだった。使徒レリエルにしても大慌てに慌てたが、しかたのないことだった。綾波レイにしても、もはや身体を突き動かすのは本能で、何か考えてこんなことをしたわけではなかった。お迎えがもうちょっと丁寧に碇シンジを扱ってさえいれば、だまってぼんやりと見送ったかもしれない。
 
人の縁などそういうものだ。
 
ロストワールドでもペルシダーでもない、降りたところは地下迷宮水道。あの世の第一段階が下水道になっているとは知らなかった。長く、そこをいくと形質というものが意味をなさなくなってくる。唐突に水音がしたかと思うと何かが流れていく。赤い瞳で先へ進む。行き止まりに梯子があったので、それを昇る。死者の街にでた。そこから旅を始める。
誰一人通る者もない山道をゆくこともあれば、灰色の顔をした大量の人間が壁に埋め込まれた通りを駆け抜けることもあった。好意的な魔物もいれば敵対的な死人もいた。
108回騙され、109回の親切を受けて、綾波レイは適度な暗さをもつ住処を見つけた。
廃校になった小学校だった。山間の木造建築。貫禄のある木霊の親分格が匿ってくれることになった。山の向こうには深淵がよこたわり、たまに手招きさえする。三日月と満月と半月が同時に見える空。夜が24の瞳もつ。
 
ここを根城に碇シンジの恢復を待つ。
 
そこで、四ヶ月ほどすると・・・・・どうも体の調子がおかしい。なんで、こんな山向こうにあの世が見えるようなところで身体の不調があるのだろうか。腹が膨らんできた。
まさか病気・・・・?それとも、レリエルに何かあったのか・・・・・・
誰一人として相談する者もなく、綾波レイは不安に泣きたくなったが、堪えた。
なにかいけなかっただろうか・・・・寒いのと心細いのとで、バスタオルのようになった碇ペシャンコシンジを抱き枕のようにもして眠っていたのが・・・・
 
 
海のあなたの遙けき国へ いつも夢路の波枕
波の枕のなくなくぞ こがれ憧れわたるかな 
海のあなたの遙けき国へ 
                   (テオドア・オーバーネル 上田 敏 訳)
 
 
そうして、六ヶ月後。ようやく碇ペシャンコシンジが意識を取り戻し、口をきいた。
「なにか話して・・・」と願ってはいたものの、いざ実際、今まで口をきかなかったものがしゃべりだすと気持ちの悪いもので、驚くと同時に身体が動いて、踏んづけていた。
 
「むぎゅうっ!」「あ・・・・」
 
一反木綿もみかけによらず、首を絞めて窒息死させたり凶暴なのでやむをえぬかもしれぬ・・・・・とは碇シンジのそのときのなぐさめの言葉だが。
 
それにしても、綾波レイの膨れたお腹は、碇ペシャンコシンジの呪いとかではなかったらしい。無関係とは言い難いが、意識を取り戻してえらく驚いた。「もしかして・・・・」
 
天の逆気を呑み・・・・というのは「男の精を受けずに」という意味だが、まさか、この場所でそのような生々しいことになるのだろうか。つまり、どう考えても”それしか”あるまい。碇ペシャンコシンジはしっかり認知する。それ以来、働き手は逆転し、碇シンジは綾波レイを休ませることに決め、ペシャンコで頼りなくはあるが、ぺらぺらふらふらと出かけていき、出産の準備を整え始めた。妖怪めいた雄の本能であろう。
 
だいぶ生命を取り戻してきたとはいえ、「お迎え」に見つかるとやばいので隠れ隠れ行動する。その点はペシャンコの身体が幸いした。ヒラメ忍者よろしく、隠形の術である。
産婆さんを連れてきたり、奉られていた産着を拝借してきたり、産むか産まないか苦悩する綾波レイを説得したり、お迎えの破壊容疑の手配書が廻ってきたりとといろいろ難関があった。が、一番の難問はお湯の用意であった。熱関連はいろいろ許認可の厄介があるのだが、そのへんも碇シンジは死にものぐるいで関係各所を巡ってクリアした。何事も初めてのことというのは面倒事が多いのだ。
 
「どうせ無駄なことだ。”こんなところ”で生まれるものか」というのが声のほとんどであったが、使徒の無敵の永久機関的生命力はそれさえも可能にした。
または、父親が父親だったせいかもしれないが・・・・。ここは霧のヒロシマにひどく近い。
 
と、いうわけで、長男、碇レンジ誕生。チルドレンのチャイルドである。
 
「レンズマン風にいうと、第二段階チルドレン、グレーチルドレンだなあ」
などと言って喜んでから、そろそろ外の世界が気になった碇シンジと綾波レイ。
 
もしかして、どえらいことになっているのではあるまいか。自分たちのいないあいだに。
とにかく、碇ゲンドウとユイは祖父祖母になってしまったわけだし。
このあたりはたいていの魂が利用する大通りからかなり外れた僻地であるので、情報がはいってこない。だから、今まで無事だったわけだが。
 
「みんな、生きてはいるみたいだけど・・・”こっち”に来れば寄るだろうから」
「時間の流れ方が・・・・違うのかもしれない」
とにかく、まだ碇シンジの身体が本調子ではなく、ゆっくりと力を取り戻してふくふく膨らんで元に戻るまでに、4年がかかった。その間に、しっかりシンセが授かった。周囲に変化はないはずだったが、碇シンジたち家族の変化はどうしても不変のはずの死者の風景にも影響を与えるものらしく、「お迎え」の上位者・マツマにとうとうばれた。
 
マツマ、というのは「末摩」と書き、どえらく強い。どえらい実力者だけに実力行使はあまりやらない。得意な変化を用いて「心の底にある一番出迎えてもらいたい相手」の姿になり、まあ分かりやすく言うと「究極好みのタイプ」になるわけだ、聞き分けのない死者をその気にさせた上で連れていく。面白いことに閻魔庁の統計では、祖父母や何代前かの先祖の若い時分の姿になるケースが最も多いという。慈悲深いといえば慈悲深く、狡猾といえば狡猾であった。そこで、今回碇シンジの場合も、マツマは変化して迎えに行った。
葛城ミサトと惣流アスカを足した感じで、家庭的で気配り上手な表情をうかべて。
美事な変化でこりは成功間違いなし、と思われたが失敗した。
そもそも、迎えてもらう気など碇シンジになかったからである。
「あなた、誰?」と夫婦合体口撃であっさり撃退され、マツマの誇りは深く傷ついた。
そこで、どえらい実力者が実力行使にでる。
 
食事中であった。ペシャンコになっていた碇シンジや綾波レイは食事を必要としなかったのだが、子供たちはそうもいかず、子供たちのために綾波レイも栄養補給する必要があり、生命を取り戻してきた証拠か、線香の煙だけでは碇シンジも腹をすかせるようになり、食事をとるようにした。この時期に一番食べていたのは「柿」である。たんころりん、という入道風の大男に化けた柿木の精が袂にたくさんいれて持ってくるのである。もいでもらえず余っているから持ってくるのだ、とたんころりんは言うが、それで若夫婦はずいぶん助かった。その楽しい食卓を囲んでいたときのこと。マシンガンを構えた黒い影が十人ほど乱入してきて、死にきれない死に損ないの碇シンジにトドメをさすべく乱射しまくった。とっさのことで綾波レイも子供をかばうのに精一杯で、弱いくせに妻子を守ろうとハチの巣になった碇シンジを守りきれなかった。すぐに返り討ちにしてやったが・・・・撃たれたところから生命が抜けて、せっかく膨らんできた身体がまたペシャンコになった。
 
「ははは・・・・まるであんパンマンだ・・・・いや、餅パンマンかな・・・・」
弱々しく笑った。こういう父親を見て育ったので、レンジとシンセは強くなる必要がある、と思った。仕方がないので、綾波レイはまた一段階下の領域へ降りた。子供の手を引いて。そこで、足を滑らせて予想外に深い闇まで落ちてしまい、碇シンジも囚われた。
いい加減、精神崩壊したくなったが、子供がいるのでそうもいかない。
使徒の生命力だけが頼りの、どろどろに溶けたスライムめいた黒い生クリームをおもわせる混沌の世界。ルールもヒエラルキーもなさそうで、言葉は通用しそうにない。あまり情操教育によろしい空間ではない。エントロピーだけがある。罠のように口をあけていた。そこで、ごっそりと使徒の生命力を喰われた。レリエルが悲鳴をあげたことだろう。気を失い、混沌の中に沈みゆく綾波レイを救ったのは、背に雷を生やしたレンジだった。母親とシンセを一気に持ち上げてもとの、廃校の生まれた家に戻った。幼い息子の才質に驚く綾波レイであるが、そうのんびりともしていられない。シンセの守りをレンジに一任すると単身、再び闇に降りていった。まったくもって世話の焼ける亭主である。この地獄巡りが新婚旅行というならとんでもない話だ。ユダロンシュロスでの多層多重空間での主探索の技能が役に立ち、なんとか見つけだした。どこをどう売られてきたのか、毒毒しい負のエネルギーが空気を焦がしているようなトゲトゲやギザギザのやたらに多いパンデモニウム発電所。ウラニウムやオモテニウムのようにパンデモニウムを使って発電・・はしていない。使用しているのは碇シンジだった。だが、彼がそこで社長をしているわけでもない。
「お前の前世は雷の魔王だった」とかなんとか洗脳を受けて、全身にボルトや電線、それに蛹や貝殻などが埋め込まれて変わり果てた姿に。強制労働といえなくもない、碇シンジが発生させる大電力を吸い上げて送電して儲けていたようだ。額に逆卍を埋め込まれそれをグルグル回しながら・・・これで虎縞のパンツなどはいていたら離婚するしかあるまい。「雷魔王であるから世界を邪悪に染めるために今日も一日元気に送電するのである。我が闘争〜ははははは!」本人も半分、その気になっていたのが、綾波レイの姿を見る途端に洗脳は解けて「着替えるから中をのぞかないで」と懇願して小部屋に入っていった。綾波レイはとくに興味はなかったし、これはふれてはまずい系列のことだから、とのぞかずにおいた。良妻賢母の心得である。もちろん、亭主をこんな目にあわせた連中をただではおかなかった。それに何より発電所の連中の「こいつは電気ナマズと電気ウナギの間に生まれたのか」ということから始まった卑猥極まる発言群が綾波レイを怒らせた。確かに碇司令(お義理父上・おとうさまと読む)はそれっぽい所があるかもしれないけど、ユイおかあさんを貶したのは許せない・・・・発電所を守る666台の戦車との戦闘・・・この戦いっぷりはいまや義理の母となったユイが見たら感涙するほどのものすげえ迫力であった。まさに万魔地獄絵図。
 
 
崩壊したパンデモニウム発電所から帰還した綾波レイと碇ペシャンコ穴シンジは、再び追っ手がかからないうちに家族みんなで逃げ出した。少々不便になろうと、僻地からさらに僻地へ。大通りからかなり離れることになるけれど、しかたがない。外の世界との縁がさらに薄くなる、遠くへ。大昔開拓されて、現代になってめっきり使われなくなった神話時代の土地がある。儀式によって構築された空間。自然への畏敬の念で囲われた空間。
世界は広大だ。
分かりやすく言うと、普通の現代人があの世に行くのに使うのがハイウェイや高速道路、はたまた県道や国道であるなら、この家族が行ったのは古道参道埋もれた私道。同じように死んで大量に通れば自然、道は太くなる。そういうことだ。
 
 
実のところ・・・・・碇シンジ以外、綾波レイ、レンジ、シンセはその気になれば、すぐにでも外の世界、元の世界に戻れるのである。使徒印の無敵の生命はこのたそがれの世界にふさわしくない。ほしいのは碇シンジだけ。シンちゃんがほーしい、ほかのはいーらん、花一匁なわけである。だが、レイはそんなことおくびにもださないし、そもそも戻る気もなかった。自分を連れ戻しに来た碇シンジを放って戻れるわけもない。知れば、自分をおいて子供を連れて外の世界へ戻れ、ケンケンガクガクの夫婦喧嘩になるのは目に見えている。実力腕力、ともにこっちが上でも、亭主はなんせ口がうまい。レンジとシンセの未来がうんたらとやりこめられるだろう。確かにその通りなのだけれど・・・。子供だけ付け文でもして、送り出すか・・・綾波党の人間に拾われれば面倒はみてもらえるだろうし・・・。
 
けれど、手放す気になど毛頭なれない。そんなこと面とむかっていわれでもしたらゲンコツくらわしてしまいそうだ。レンジもシンセも可愛くてしょうがない。名前がちょっとあれだけど、そんなことは問題にならぬ。いやさ、多少の弱点はあったほうがいいかもしれない・・・・、と、これを世間では親ばかというのだが。十人まで決まってるから、自分でつけるとなったら十一人産まないといけないし・・・次は五つ子なら・・などと本気で考えるあたり。
 
とにかく、ここから出る生命力、体力がないのは碇シンジだけ。なんとか鬼籍にはいるのを免れているような影郎状態では、外の世界に関与する資格もない。好奇心に負けて首でもつっこめば速攻で塵と消えるだろう。映画にでてくる吸血鬼の気持ちがよく分かる。もっと弱い。守られていなければまた、連れて行かれる可能性がある。なれば最後だ。
ここまでくれば絶望色に塗りたくられたサングラスをかけたような気分になりがちだが、いかんせん、旅から旅の生活は面白かったし、家族はけっこう忙しかった。
 
幽霊屋敷ならぬ屋敷幽霊、幽霊廃墟、そういった建物幽霊を、住むことで成仏させるという交換条件で生活したりするので、病院、旅館、デパート、工場、団地、珍しいところでは栄螺堂や岩窟ホテル、など引っ越し大帝な暮らしぶり。半死半生のこの中間世界にありながら、ふてぶてしい輝かしい生命を持つ者は憎まれいぶかしがられたが重宝もされた、というよりいろいろ頼まれ事が多かった。どんなにつっぱっても死人は死人を弔うことができないからである。だから、いなくなってしまったひとのことをたまには思い出すのもいいことなのだ。
ぶちっと千切った蛇を投げ捨てたように停止している儀式が数多くあった。
ここに僧になって永住して皆々様の菩提を弔い暮らす・・・というわけにもいかんので、
弔い上げをすることになる。やり方は様々で、豪快なものでは墓をそのまま倒してしまったりする。碇さんのご家族がどれくらい数のそれをやったかはあえて記すまい。
その後に枝葉を残した生木の片面を削って戒名を記す塔婆をたてるのだ。
碇シンジは半端でない数の塔婆をつくってきたが、その数も希望により記さない。
 
変わったところでは、「骨仏」をつくるというのもあった。白骨を粉状に砕いて信仰対象の仏像に錬造することだが、それとはちょっと異なるが、木造に骨灰を混ぜた漆を塗った大谷本廟の親鸞上人の「骨肉の御影」が有名。浄土宗の名刹、一心寺、古来より霊場として出立した関係か、納髪納骨の風習が古くからあり、施餓鬼法要の際に持ち込まれる骨がそのうち山をなすにいたり、「これは超たまらん」と尊いお坊様が考えるわけもないが、捨てるわけにもいかんので骨を砕いて布海苔を足して仏像を造ることにした。明治20年ざっと五万人分の骨で仏様が造られた。以後、内規で十年ごとに錬造される。碇シンジが関わったのがそれであるかは不明だが、ざっとそのようなもの。
後生車や流れ灌頂をやったり、生飯(サバ)(自らの受けた飯の中から小量を別にして餓鬼に施すこと。飯七粒を限度に、鬼神これを変じて多量にして飽食することができる、という)など。大陸式の中元節用の豚丸焼きをつくったりそれを飾ったり(大陸の死者は空腹になると人を襲うので、大ご馳走して満腹にさせて難を逃れる)
噴火や津波、戦争その他でいいところで中断された大昔の神秘の儀式を再開させて終結させる、小石をちょっと動かしたり文字をちょっと書き直したり、と大したことではないのだが、生きた人の手が入り用。なのだが、子孫がとっくに途絶えていたケースもある。
あとは、歴史上の人物・・・この世に未だ留まる怨念系の人物に会えたり・・・・・。
広く将棋盤や碁盤やチェス盤区画整理された大地に、神殿や教会やモスクや仏寺を駒にして試合が行われているところで、人の子でありながら特等席で観戦してみたり。
沈むことのない赤い月と夕日に照らされ続ける谷間の国があり、そこにひたすら遠く吠え続ける「存在」があり、その嘆きのわけを尋ねてみたり。
犬がいて。ずっと飼い主が来るのを待っている。その底なしの忠誠心に涙したり。
上映されなかった映画、理由あって捨てられた映画、撮れなかったのでこっちで撮られた映画などを延々とやる残念無限幻燈会を家族で観たり。
三分の一僧三分の一俗三分の一考古学者のような生活で退屈しているヒマはなかった。
その純度の高い体験からくる経験値、門前の小僧方式に蓄えた知識たるや凄まじいものがあり、碇シンジ当人に自覚がなくとも、”徳”というものが勝手に貯まっていった。
モノホンに近く接すると凡人でも違ってくるものだ。
 
それらの活動で、信頼と信用を得たのか、お迎えが来ることもめっきり少なくなった。
ただ単に、過去のいかなる大霊能力者よりも強烈無比な力を振るって逆襲してくる綾波レイが怖かっただけ、という説もある。そんなこんなで、碇シンジもまた膨らんで生命力を蓄えてきた。風火水地・カ・チ・バ・ア・・・四大好調である。
 
そんな様子を見て、シンセはどこかの寺に納められていた絵本でも読んだのか、
「父上はバーバパパみたいだな」と評した。確かに、バーバパパは素晴らしいパパだ。
碇シンジが素晴らしいパパであるかどうか・・・碇ゲンドウも素晴らしいパパとはいまひとつ言い難い特務機関総司令仕事邁進の減点パパであった。祖父を知らぬシンセにとって碇シンジはママを愛するよいパパなのであろう。この広い世界にまともに生きてるのは家族だけほかになにもなし、と言う100%純粋家庭的なのは言うまでもない。だいいち、浮気のしようもない。
 
 
と、いうわけで、身体の縁が重なったりして、今度はピカドウとニュイを授かった。
子供をつくるから、その分生命力が減るのではないか?一人増えれば一人減る・・・という疑問もあろうから、授かったということにしておく。この奥ゆかしい表現に文句のある人は丑三つ時に墓場まで頭に司馬遼太郎の単行本を載せて葬式饅頭持ってくるように。
 
 
さすがに外の世界は激動して変わりまくっているだろうなあ・・・・と碇シンジとレイは考える。すでに二人とも成人してしまっている。ミサトさんも三十路かあ。子供が四人もいればどうでもいいことだが。・・・・第三次天災・サードインパクトが起こって世界が壊滅しているようでもないし、相変わらず、知り合いはこっちには来ていないようだ。そんなもんが起これば、この僻地の方まで道が膨らんでぞろぞろ魂が歩いてくるはず。かといって、綾波レイの胸の中の存在、レリエルも消えてはいない。使徒と休戦協定を結んだわけでもあるまいに。さて。そろそろ生命も元に戻り、外の世界に帰るかな、どうしようかな、とレイと相談しながら過ごしていたある日の夜こと。
家族全員、浴衣で川そばを散歩している。レンジ、シンセは精霊船を浮かべて遊ぶ。
 
「やっぱり、時間の流れが違うのかしら」
ピカドウを抱く碇レイ。こういう時は碇姓をつかってみてもいい感じ。
あの緊迫した、使徒来襲のような事態が順当にこれほどの長きに渡って維持されるとは考えにくいし、あまりに楽観的だ。けれど、時間が止まっている、と言うのもまた。
けれど、願望ですらない。願いは・・・・
 
「どうかな・・・時間は平等に流れてるとおもう。僕にも君にも子供たちにも・・・皆に」
「使徒が全て殲滅されて・・・・・たとしたら・・・」
 
「それも違うよ。最強の使徒がまだ現れていないから・・・・・それとも、来襲する理由そのものが消えてしまったか・・・」
「え?」
もしかしたら、この人はこの時間を、流れていった時間を憎んでいるんじゃ・・・・
そう思えるほどにこの言葉は冷たく無機質で硬かった。感情を入れることを忘れている・・・・感情が無いのはさして怖いことではないが、忘れている、ということは、怖い。
 
 
ぎゅい
母親の意思に反応したのか、父親に抱かれていたニュイが強く襟を握る。
 
 
「いたた・・・ニュイの力はすごいね・・・母さんの御利益かな」
 
「あの・・・・最強の使徒って・・・?」
ひどく嫌な予感がしつつも、聞かずには問わずにはおかなかった。
自分たちはまだ、”チルドレン”なのだろうか。だとしたら、誰の・・・
レンジとシンセ、聡い子供たちが気配の変化を感じてこちらに駆け戻ってくる・・・・
 
「名はゼルエル・・・・っていうらしいんだけど、詳しいことは僕も知らない。
これを倒せば戦闘も終わる。ラスボスだね。神様じゃなくてよかったでしょ。
この使徒だけが、赤いコアじゃない、別の”もの”をもっている」
 
なんでそんなことを知ってるの?あなたは・・・・父親の顔ではなく
 
「レリエルのことも・・・・」
 
「でも、それは知らないんだなあ、これが」・・・・しかし、三秒で戻った。こけ。
「だから、あまりそう、使徒使徒って考えない方がいいよ。ブルーになるし思うつぼ・・・・・・最強の使徒は、初号機さえ動かなければ出現しない・・・らしいし」
 
「・・・・今夜、詳しく聞かせてね・・・・」にこにこ、と駆け寄るレンジとシンセに笑みをみせて、思い切り裏で亭主の尻をつねる碇レイ。この強気も碇姓の御利益か。
「うぽおっ」
 
「・・・なんだ父上、ジャイアント馬場さんごっこか」シンセがつまらなげに。
「・・・・・・」父親はニュイを抱いてるから、レンジがチョップの真似をした。
 
 
その時
 
 
天を覆うほどでかい目玉が
見た
 
 
それが一体なんだったのか・・・・神も仏も及ばぬほど・・そういった薄味の幽玄めいたものではない、もっと宇宙人めいたドギーアンドマギーな迫力。なにか、それだけで世界の重大な部分に変更が加えられたことを思い知らされる。本能で分かる。それだけの実力を持った桁外れの存在感。世界の創造に確実に一枚噛んでいる感じだ・・・・天地創造におけるスポンサーかもしれない・・使徒を宿す身の怖いモノ知らずの碇レイの震えがおさまらない。いやさ、この震えは共鳴・・・LaiLaiLaiLai・・・レイと子供のATフィールドが歌いはじめ、流星雨となって魂に直接降り注ぐ畏敬と恐怖に打ち据えられる。創造でも破壊でもなく、この目玉が司るのは・・・・星に蠢く生命たちに天地の混沌を壁で区切り箱となし住む空間を与え、
 
 
”あとはどうなるか”・・・・見ること・・・・そこで生きるものたちが
神話的でいう、運命神の一種かもしれないし、違うかもしれない。
レンジがチョップの真似をしたから現れたのでもなかろうが。
 
 
幸い、これを直視したものはいなかった。一瞬でもそれを見、同調したなら魂が抜かれて輪廻の渦の中に放り込まれていただろう。目玉は一粒、涙をおとすとスグに消えた。
そして、急に雨、しかも豪雨になってきたので、家族は慌てて家に帰った。
豪雨は、嵐になった。この時の家、旅館幽霊はよく耐えてくれたが、そこをやはり忘れてなかったのかこんな日を狙っていたのか、マツマのお迎え軍団に急襲された。またも碇シンジは連れ去られた。嵐が退くまで動きのとれぬ碇レイは嵐が収まるとすぐにレンジにシンセ、ピカドウ、ニュイを任せて探しに飛んだ・・・・。闇に降りる。いい加減慣れた道であるが・・・いい加減にしてほしい、ともおもう。亭主が悪いわけではないが・・・・どっちも。
だが、似合わぬ愚痴をもらしたせいか、なかなか見つからぬ。足跡さえ。
それもそのはず、今回は正反対、光のある方角方向、つまりは現世の方へ連れていかれていたのだから。思いこみは判断を誤らせるが、お迎えの方も賢い指揮官が新たに就任したわけでもない。ただ、その必然があったのだ。そんなわけで碇レイが亭主を発見するのに
かなり手間取った。レンジの方が正確な判断をして、光のある方へ向かおうとしていた頃にようやく父母が戻ってきた。いささか難しい顔をしながら。
「死んで欲しくなくなった」とお迎え軍団に言われたからだ。それは情がうつったとか、そういうことでは無論ない。「一番最後に死んで欲しい、そのため光のそばに移動させた」
「死ぬことのできる、地球最後の貴重な人間」にお前はなったのだ、と碇シンジは告げられた。それは、あの嵐の夜を限りに、どういうわけだか人類は”死ななく”なったのだそうだ。全人類がなんと「不老不死不死身」になってしまったのだという。考えようによってはこれ以上ない、ウルトラマンモスハッピネスな結末ではある。
何より、全人類というスケールが凄い。
全人類が吸血鬼になって互いの血を吸いあってそういうことになってるのだとしたら・・・・日向さんに借りて読んだ藤子F不二夫先生のSF短編に「流血鬼」というのがあったなあ、とよけいなことを考える碇シンジ。どうも深刻になっていいのか、祝っていいのか分からない。人間は新たな階梯に登ったのか・・・が、自分が、自分だけがその恩恵に与れなかったのは確かだ。アスカも、ミサトさんも、父さんも母さんもトウジもケンスケも洞木さんも山岸さんも・・・カヲル君なんかも・・・そうなってしまったのであろうか。そうだろうなあ・・・時代はすすんだなあ・・・「進化の頂点・完全生命」か・・・不完全な、未完成な人間は僕だけか・・・・絶対的な絶望と救いがたい孤独を感じてもいいはずだが、家族がいるので、そう落ち込むこともなかった。
「誰ぞ現世で、小賢しくも”ななつのめだま”を動かした者がおるらしいな・・・」
ただ、「そういうわけで、人間が死ななくなった以上、”ここ”は閉鎖されるから身の処し方を考えておけ」と告げられては多少考えざるをえない。「とにかく、おまえが最後だ」と。「お前にはなぜか何本か、いつの間にくっついたのか、”蜘蛛の糸”がある。最後にいかねばそれに引かれる者もおろう・・ゆえに最後だ・・・しばらくゆっくりと考えろ
ここまでしぶとく生き逃げ延びてきたお前が・・・系統の異なる者に守護された僥倖があるとはいえ・・・逃げてきた者の義務として殿を務めるべきだろう」と。とうとう連れていけなかったのが残念ではあるが・・・・とお迎え隊長は宿敵の泥棒に対する警部のようなことを言った。
「だが、不老不死不死身に・・・同族に倣いたいというなら、戻るという選択もある・・・・戻るなり、先にいくなり好きにせよ。ただ、最後の扉を閉めることを忘れるな・・・・とはいえ、急なことでもある。しばらく温泉にでもはいりながらゆるりと考えろ」
という温情めいたことも。仕事がパーになったのでやる気が失せたのであろうか。
 
「ほんとに浦島太郎になっちゃったね・・・・それにしても、なんでだろう・・・」
使徒の来襲はそのための試練だったんだろうか。碇シンジは本物の地獄温泉のパンフレットなどをめくりながら考える。「全員、機械の身体にしてもらったとか?でも誰に?」
 
だが、レイの方は「そんなうまいはなしがあるわけがない」と何かの策略だろう・・・・と疑い、なにせ今までの宿敵関係が関係である。なにかの手の込んだ大嘘という可能性の方が高い。いかんせん、こちらは僻地暮らしで情報にうとい。
少々おぞましかったが、マツマの心を読んでみた。だが・・・・・
たしかに、ほんとうだ。人類は不老不死不死身になっている。
人類はよく分からないうちにその三つの究極夢を手にしてしまっていた。
 
 
のだが、詳しいことはマツマも知らないようだった。なにせ向こうから人間がこなくなったので情報の仕入れようがなくなったのだ。とんでもなく強固な壁が出来、覗くことさえ出来ない。ここの住人は誰一人として、不老不死不死身化の原因、詳細を知らない。
マツマ程の者が知らねば誰に聞いても時間の無駄だろう。それほど、あの世とこの世の二極分化は急速に行われたらしい。電撃的に。この混乱期にわざわざ亭主を狙ってきたことをもう少し考えても良かったのだが、レイ本人も「全世界の住人全て不老不死で不死身」などという話に動揺していた。だが、それを確認したものは誰もいなかった。
いきなり・・・ではないのかもしれない。少なくとも自分たちにはそれを言う資格はない。
時計もカレンダーもない生活ではあったが、レンジやシンセがこれだけ育ち、ピカドウやニュイまで授かっているのだから。その間、大いに時代歴史世界のトライフォースは動いていたのだろう。南極と北極が逆転する以上の命生霊死のポールシフト。
境界地点に壁が出来、誰も向こうから来なくなったから、そう思っているだけかもしれないが、このようなことはかつてなかった。逆説的だが、死の世界こそは無人になることがありえない世界なのだ。その現れた強固な壁こそ絶対領域、本当の意味のATフィールド。
生と死の黄金律さえ阻む力をもつ、絶対無敵の壁。そこには七眼のついた巨大な扉があった。こっちから向こうには行ける、のだ。ただ、向こうからこっちに戻れないだけで。
皮肉な逆転現象である。
それは釈迦の慈悲、蜘蛛の重扉とも呼ばれた。実にもってあちらに戻りたい、なんとかいままで生命の火を吹き消されずに保ち続けてきた碇シンジ向けの扉であった。
お迎え部隊が餞別にくれた、荷物運搬用の足の生えたピラミッドに家財道具を積んで、あちこちの知り合いに別れの挨拶をしてまた餞別をもらい、子供たちが泣くのでペットも連れていく。道行きで最後の弔いをしていく。死人が死人に祈ってもしかたがないので、ほんとうに墓は生者のためのものだ。そして、これから人が死ななくなった世界へ戻る。
不老不死不死身人間の世界へ死ぬことができる人間が混ざるとどうなるか、よく分からない。誰と交わしたのか不明だが不老不死不死身の契約は破れ、世界は均衡を失うかもしれない。腐ったミカン、完全さを失う恐怖で拒絶されるかもしれない。よく分からない。
 
だが、戻る。
 
家族がいっしょだ。
 
なにも、おそれることはなかった
 
 
 
ところが、ぎっちょん。扉を通れない。他の復活を望む死者たちの帰還は認めるくせに、重量制限でもあるのか、扉は碇シンジを拒んだ。レイやレンジたちは喜んでどうぞどうぞと通すくせに、シンジだけを通さない。これではなんの意味もない。
「貴様の方からやってくるのは初めてだな」マツマに問い合わせてみたところ、「貴様には通行許可が下りないことに決まった。先にいっとくがどこに陳情しても無駄だ。扉にそのように刻まれていた。扉の使用に関する掟・・・注意書きだな。”死すべき人間は通るべからず”とな。既に死んだ人間はいいらしいが、お前は生きてるから駄目なのだろう。それを見落とした我らの不注意ではあるが、気を落とさずに諦めてくれ。まあ、もともと生死不明な非常識な存在であるお前も悪いのだ・・・・だが、不老不死の恩恵に与れなかったことは同情してやる・・・・と、いうわけだ。なんとか今後の身の振り方の相談くらいはのってやるから、今日は帰れ」ということだった。
 
心配が、あたった
 
あの世とこの世はそう遠くない先に分離分割されることになった。
人間が死ななくなってしまったのだからしかたがない。その中間地点、通路たる”ここ”も大いに規模を縮小され、撤退することになるだろう。あの世の向こうに。
だが、噂を聞きつけたあの世からの黄泉帰り、この世の不老不死不死身の入手を希望する者が扉まで逆行してくるケースがあったため、それらの者の世話をする、旅路の疲れを癒して甦るための施設、旅籠経営をマツマから任された。聞けば、黄泉帰り死者再生の現象は不老不死不死身の究極極大サービスが開始される前から試験的な兆候としてちらほら世界の各地でぽろぽろと起こっていたのだそうだが、今となってはどうでもいいことだ。
 
碇レイ、レンジ、シンセ、ピカドウ、ニュイがまともに死ぬ身体でない以上、碇シンジがこの先に行く、というのは永遠の別れを意味する。戻るしかない・・・のだが、それもかなわぬとなれば・・・・そんな宿をやっているうちに寿命も尽きるであろうし、そのころには逆行希望者も終了し、碇シンジが最後になるだろう。そして、向こうの、あの世の扉を最後に閉めてくれればいい。マツマの慈悲といえなくもない。
 
 
旅籠「ねるふや」・・・・もちろん碇シンジの命名である。
移動家族の初めての定住である。少々、疑問が残らないではなかったが、人類の至上命題不老不死不死身問題が解決されたのだ。多少のことは我慢せねばなるまい・・・思えば遠くにきたもんだ。ふるさと離れて七年目、今では女房子供もち、恋は一度と信じてた・・・武田鉄矢の歌など口すさびながら自分の奇妙な人生を思い返し、回想録など六分儀ノベルズでちまちまと書きはじめ、碇シンジもようやくこれで落ち着いたかと思ったが・・・
 
 
ある日の深夜・・・・戸締まりの見回りをしていた若女将レイの前に、赤い、火焔を纏い着かせた、伝説の戦乙女にしては見覚えのある、不老不死不死身を得たはずの、ゾッとするほど美しい女が現れたことで、安寧の日々も終わった。
「ひさしぶり・・・あまり時間がないから無駄話はなし。アイツは?」
 
 
そして、一家は旅籠をたたむと、また旅に出た。目的地は”ある知り合い”の墓。
その怪しさ大爆発の行動に、すぐさまマツマの追跡がかかった。
 
聞かされた「人類補完計画」の物語。数字を刻印されたチルドレンの選出、使徒の出現、それを殲滅するエヴァ、かつて、自分たちそのものであった要素の一つ一つがその神をも恐れぬ夢への代償。・・・だけれど、その中の構成要素である二名を欠いての無理押しの発動は計画を破綻させ暴走させ、夢を歪み狂った形で実現させた。その事実が歩を進ませる。使徒を宿す我が身、その血を受けた子供たち。碇シンジを置いてでも戻るべきだったのだろうか。自問するが答えは出ない。できなかったし、やりたくない、というのは答えにはならないだろうし。もともと正常にその計画が発動していてもこれよりましだという保証もないのだけれど。とにかく、こちらへ来ていた”ある知り合い”が力を貸してくれる。”ある知り合い”、戦友ともいっていい・・・子供たちにはむろん、秘密だった。
その力をもってすれば扉も開くだろうし、蹴破ってもいい。
今さら捨てた可能性が戻ってきたとて出番はない、と計画世界から言われようと関係ない。
戻って何をさらす気か。
 
とりあえずは、泣く。昔、綾波レイが碇シンジのために泣いたように。涸れるまで。
その感情がおさまるまで。その気が済むまで。泣きたおす。子供たちは驚くかもしれない。ごめん。父は思い。けれど、ゆるしてあげて。母は思う。
たぶん、その涙の中にはおとうさんがおかあさんが育ってきた風景が会ってきた人の面影が入っているから。
 
 
 
「戻ってすぐに戦闘になる・・・・弐号機を十字架に磔にしてくれた終時計式エヴァシリーズ十体と・・・・初号機を滅ぼしてくれたエヴァ六号機と七号機・・・・計十二体」
夜雲色の瞳に雷煌めく。さすがにレンジのものとはケタが違う。子供たちは初めてみる父親の戦闘面に怯え、同時に、凄い、と思った。あの扉を一蹴りで開け放ったのだから。
その背に漲る実力と畏敬に打たれ震えが来た。
 
 
「まさに・・・・この一戦は・・・」
「そうね・・・・」
 
 
ごくり。子供たちは渋みさえ感じてきた父親の言葉を真剣に聞こうとする。
母親の声もかつてないほどに冷たく静かに、戦闘機械人形の趣が。なんだか見事に呼吸があってシンクロしているようだ。こんな戦闘を何度も繰り返し、死線を越えてきたんだろうか・・・・落ち着き払っている・・まるで戦闘の方が本分であったかのようで・・・・
自分たちの父母は。レンジもシンセも、なんだか感動したが、寂しくもなった。
 
「帰ってきたエヴァンゲリオンというにふさわしいなあ」
「セブンの39話と40話・・・」
 
碇シンジとレイが「尊敬できる父親、母親」になれるかどうか・・・
その先は分からない。
 
 
 
 
 
そこで、渚カヲルの見た”夢”は終わっていた。
あるいは、未来視だったのかもしれないが。