任天堂のフィロソフィー


脱カード路線



    プレイングカードビジネスの環境規模の思わぬ小ささを目の当たりにした 若き経営者、山内は、新しいビジネスに次々と手を出していく。



【 試行錯誤の時代 】


この写真はコラージュによるイメージです この写真はコラージュによるイメージです この頃から山内は、脱カードへの模索を始める。
ラブホテルの経営(自らも度々利用した)や、
タクシー会社「ダイヤタクシー」の運営など
新分野に手を出していくが、どれもぱっとしない。


同時に『これからはインスタントの時代になる』と予見、 「三近食品」という子会社を設立、食品産業に挑戦する。「ポパイラーメン」「ディズニーフリッカー」 (ふりかけ)等々。

そして「インスタントライス」なる革新的な即席ご飯の開発を指示する。 (現在の「焼きそばUFO」と同じ、お湯を入れて3分後お湯だけ捨てて食べるタイプのもの)
開発陣は、とある大学の研究室に強引に頼み込んでなんとか商品化にこぎつけた。
完成したのは、どろどろのお粥状のもの、社長自ら試食するが、あまりの不味さに落胆、 それでも売り出し決行、もちろん全く売れずに惨敗、とうとうこの道も断念する。


さらに1964年、日本が東京オリンピックの好景気に浮かれている頃、 任天堂の収入を支えていたトランプ市場が(家庭に普及しきり)飽和に達し、売れ行きがパッタリ止まる。
任天堂の株価は一時の900円から急カーブで下落、ついにはたったの60円に。

このとき山内社長は悟る。『娯楽の世界は天国か地獄』。娯楽商品とは、あってもなくてもいいもの、 目が覚めたら市場がなくなっているかもしれないと。

さらに、企業として「ノウハウの積み重ね」の重要性も思い知る。
任天堂は創業から娯楽商品である「花札」「かるた」「トランプ」を手がけてきた。 たとえ脱カードとはいっても、タクシー・ホテル経営・食品産業では無理がある。 やはり、今まで歩んできた娯楽の世界しかないのではないか。しかも一番金もかからず手っ取り早くやれる。

そこで玩具の分野を目指すことになる。 


昭和30年代後半から、任天堂は様々な娯楽商品を世に出していく。
若者をターゲットにした「ヤングメントランプ」、 フラフープがブームになれば「ヒップフリップ」、 ボードゲームには「運命ゲーム」、 大橋巨泉が人気絶頂の時には「巨泉のマージャン教室」等々。

しかし、やってはみたもののもともと小さかったおもちゃ市場に加え、 在来メーカー(トミーやバンダイ)のもつ培われ蓄積されたノウハウにも勝てそうにない。 ぶつかりあっても、たいした利益も上げられないし、参入のメリットは出てこない。

結局進むべき道はひとつ。つまり、娯楽の世界でおもちゃメーカーがやっていない分野。
それがエレクトロニクスの分野だった。ここにしか選択肢がなかった。






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