任天堂のフィロソフィー


エレクトロニクス産業へ(下)



    ようやく1970年に入る頃になると、任天堂の技術陣も段々厚くなってくる。
    そしてここで、技術とアイディアが結実した画期的な玩具商品が開発される。



【 光線銃の大ヒット 】


1970年(昭和45年)、「光線銃」「光線銃SP」を発売。
一世風靡の大ヒット、年の玩具業界トップセールスを記録した。

懐中電灯の電球・電池とシャッターで銃の光線を生み出し
太陽電池を受光センサーとして的に組み込むアイディア。
趣向を懲らしたターゲットを同梱し値段も5000円程だった。




この技術を発展させ「光線銃カスタムシリーズ」を発売する。
射程100メートルを誇る光線銃だが、これは全く売れなかった。

家庭用として開発製造されたのに関わらず、 必要以上の高性能化(銃の光源にカメラストロボを使用)をし、 値段も25000円(現在の十万円)と市場を無視した価格設定だったこと からか。



    「光線銃」ヒットしても儲からず

    飛ぶように売れた「光線銃」シリーズだが、技術的な面で 未熟な部分が多く不良品が続出、消費者からの返品に任天堂はてんやわんや。 そのため、売れた割には利益がなかった。

    しかし、山内はこの商品と売れ行きを見て
    「エレクトロニクスを活用した商品にはこれまでにない遊びを提供できる 可能性がある。 これこそ任天堂が手掛けるべき商品だ」という 強い確信を得ることになる。






ちょうどこの頃、任天堂は新社屋を建築する。白い外壁に書かれた「NINTENDO」の文字が 「京都の花札屋」から「世界のハイテク産業」への脱皮を表している。








【 レーザークレー射撃場 】


1973年(昭和48年)春、業務用レジャー施設「レーザークレー射撃システム」が完成。
(ショットガンで皿を打ち落とす競技を、光線銃と巨大スクリーンでシミュレートしたもの)

光線銃で培ったノウハウを大型レジャー施設へと発展させ、 ボーリングブームの終焉と施設の飽和化を見越し、その跡地利用を考えての周到な企画開発だった。

任天堂はこれに社運を賭けて臨む。成功すれば多額の負債を返せる。一介の玩具メーカーからも脱皮できる。 しかもこれが「スポーツ」として定着すれば、飛躍の大チャンス。

京都にオープンした世界初の室内クレー射撃場には、初日から報道陣とお客が押し寄せ大盛況、 まもなく国内はもちろん海外からも続々と注文が来る。大ヒットの予兆である。

任天堂は全ての注文に応えるため、あらん限り多額の投資をし、 このレジャー施設用の資材を準備した。そして「レーザークレー場」は数ヶ月の内に猛烈な勢いで増えていく。



    ふてきなさんにんぐみ

    このレーザークレー射撃システムでは、横井がチーフ(?)を、 プロジェクト担当には彼がシャープから引き抜いた上村雅之が、 更にその下に静岡大学から入社した竹田玄洋が配された。

    横井は後に開発一部を率い、ゲームボーイの他、ソフトウェア開発に携わった。
    上村は後に開発二部を統率、ハードウェアそのものの製作に携わるようになる。
    竹田は後に開発三部のチーフとなり、特殊チップやメモリ、バッテリーを作っていく。

    これから任天堂を支えていく重要な3人が、このレーザークレーの開発に集結した。




【 オイルショック 】


しかしその秋、第四次中東戦争勃発、オイルショックが日本を襲う。
人々の消費行動は慎重になり、やがてどこの射撃場からも人が消えた。国内はもとより 海外からもクレー場の注文キャンセルが相次ぎ、売掛金の回収もままならない状態に。

先行投資で資材確保をしていた任天堂は莫大打撃を受け、またも倒産の危機に陥る。
今までの事業失敗とは規模もケタも大きく違う負債を抱えて、借金地獄のどん底へ。

しかしこの火の車の中でも、山内は「エレクトロニクスの将来性」「子供だけでなく、大人を対象として遊びを売り込むこともできる」 新しい可能性を見いだせることを確信し、更なるエレクトロニクス技術の習得に力を注ぎ続ける。

そして横井はこの時期、会社に貢献しようと、様々な商品を世に出している。
光線銃と16ミリフィルムを使った「ワイルドガンマン」、 それに続いて(当時画期的だった)実写映像を使用した射的ゲーム「バトルシャーク」「スカイホーク」を、 他に、光を変調波に乗せて会話する「光線電話LT」、 自動演奏も可能な電子太鼓「エレコンガ」、 左にしか曲がらないが廉価なラジコン「レフティRX」、 壁に映った光を打ち落とす「ダックハント」・・・
どれも出来映えは素晴らしかったが、利益にはなかなか結びつかなかった。


任天堂はこの後しばらく青色吐息の辛く苦しい時代が続いていく。



    オイルショックとは

    要するに、 アラブを中心にした石油輸出国団体が、石油の値上げと生産削減を打ち出したため、 エネルギーの大部分を輸入石油に依存する日本経済にとって大打撃になったこと。

    主婦たちの間には「石油不足→物不足→買いだめ」という心理が生まれ 値上げを待って売り惜しむ商売人たちと相まって、 スーパーからトイレットペーパーがなくなるなど大騒ぎとなった。

    それとは逆に生活必需品でない娯楽産業では倒産する会社が相次いだ。





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