任天堂のフィロソフィー

ミスタービデオゲーム



    1970年代の任天堂は、何時潰れてもおかしくない状態だった。 巨大な負債を抱えて四苦八苦していた。 そんなおり、暗いトンネルの向こうに広明が見え始める。



【 カラーTVゲーム機の開発 】


1970年代中頃、三菱電機からカラーTVゲーム機開発の要請がくる。 実は三菱電機は他社と開発を進めていたのだが、そこが倒産。宙に浮いたプランの引継要請だった。
山内社長は「カラーならいけそうやな」と感じ、即座にこの話に乗る。

1975年(昭和50年)、三菱電機と提携しテレビゲームの開発を開始。
山内社長は「値段さえリーズナブルなら絶対いける」と、 初めに販売価格ありきでそこから原価を割り出させた。 他社の先行機が2万円以上だったため、 「1万円を切りなさい」と指示。 担当者(上村)が三菱と折衝に折衝を重ね、最終的にある方法で解決する。

1977年(昭和52年)、ポンなど簡単なビデオゲームを楽しめるソフトを内蔵した
「カラーTVゲーム6」「カラーTVゲーム15」を発売。


    実はこの2つ、中身は全く同じだった。「6」にも「15」にも15種類のソフトが内蔵されており、
    「6」の方は全15個のゲーム切り替えスイッチの内9個を潰しただけ。
    それを9800円で売り(これだけだと赤字)、 「15」はそのまま15000円で発売する、
    「6」を目玉、「15」を本命として売り出す(山内が決断した)博打的戦略である。
    結果そのもくろみは成功。売れた100万台の内「6」より 「15」の方が圧倒的に多かった。



    この時期、これらに加え、他にもソフト内蔵型家庭用ゲーム機を発売している。


ソフト内蔵型家庭用TVゲーム機
テレビゲーム15 (C)Nintendo

15の内訳は、 テニス・ホッケー・バレー、ピンポンの他に射撃。
ブロック崩し (C)Nintendo

基本版と様々なアレンジを施したもの、 全6種のブロック崩し。
レーシング112 (C)Nintendo

ハンドルとギア付きのレースゲーム機。 設定変更、2人同時Pも。


任天堂は発売に当たって、元の単純なゲームに独自のアレンジ −バラエティに富む遊び方、タイムアタックや多彩な対戦形式−を施した。 そしてまた人気を得た。


    こうして任天堂は家庭用TVゲーム機の世界に参入を遂げることとなる。



    山内社長、改名す

    1977年、山内が50歳を迎えた頃、彼は名前を「博」から「溥」へ改名している。

    理由は定かではない。が、ある話によると、彼がある時用事で電話帳をめくっていたところ、 「山内博」という自分と同姓同名の人があまりに多いのに気付いて、だという。
    これも彼の直感が成せたのか、任天堂はこの時期から徐々に好転し始める。




【 業務用ビデオゲームに進出 】


1978年(昭和53年)、タイトーの業務用ビデオゲーム「スペースインベーダー」が発売、 翌年、日本中がまるで熱病に侵されたようなインベーダーブームに。 老若男女、子供からサラリーマンまで皆がこのゲームに熱中し、ブームは日本列島を席巻した。
(日本のゲーム業界はこれを起爆剤として、がぜん活気づいていく)

山内はこの「スペースインベーダー」を見て「私が求めていたのはこれだ、と思った」
山内が求めていた「エレクトロニクス技術を応用した娯楽」。それがここにあったのだ。

任天堂は家庭用に力を注いでいたためブームに乗り遅れたが、 それでも「スペースフィーバー」なる亜流版をリリースし大きな収入を得、業績をひとまず回復する。

その「スペースフィーバー」を初陣として、任天堂は業務用ビデオゲームの分野に進出、
「ヘリファイア」「シェリフ」「スカイスキッパー」、そして「レーダースコープ」・・・ 任天堂の開発陣は次々とビデオゲームを作りだしていく。



    宮本茂、任天堂に就職

    1977年、宮本茂が任天堂に入社した。彼は任天堂を選んだ理由をこう語っている。
    「当時の任天堂ていうのは、花札やトランプはもちろん、アーケードのゲームを作っていたり、 そうかと思うと家庭用のディズニーのボードゲームを作っていたりした。それ以外に ひとつヘンなジャンルがあり、そこは家庭用の 光線銃で遊ぶゲームや、家庭用のコピー機、ベビーカー、文具など、いろんなヘンなものを作っていたんですよ。 で、僕は勝手に、トランプで儲かってるから、その余力でヘンなもの作ってる会社なんだと思った。 ここなら、ヘンなものを企画したときに商品にしてくれそうな会社じゃないかなあと思って 選んだんです。」

    宮本の父の友人が山内溥氏の旧友だったことから、山内と直接面接を行うチャンスを得る。 彼は画帳と大きな袋を持参して、「幼児用ハンガー」「遊園地用の奇抜な時計」 「子供が3人同時に乗れるブランコ付きのシーソー」(イラスト)を取り出して説明をした。それを見た 山内は、(絵描きはさし当たって必要なかったが)彼の持つ豊かな独創性に魅力を感じ採用する。

    そして入社した宮本。「ところが、入社してみたらトランプは思ったほど儲かってなく、 そのヘンなものの赤字がかさんでかなり危険な状態だった(笑)」という状況。
    当時の彼に任せられた主な仕事は、 ちらし等印刷物のデザイン、カルタの版下貼り、 ゲーム機の筐体のデザイン(上述の「ブロック崩し」は宮本が手掛けた)等だった。




【 NOA創立 】


1980年(昭和55年)、ニューヨークはマンハッタンに現地法人「NOA」−Nintendo Of America−を創立。 代表取締役社長には、山内の娘婿である荒川實が就いた。

それまでの任天堂は自社のゲームを現地の他会社にライセンス供与する形で売っていたから 利益が少なかった。これからはNOAが輸入して販売していけばいい。

とはいえ、NOAは設立してからしばらく業績が低迷していたから、 荒川社長は、サンプルテストで好評だった業務用ゲーム機「レーダースコープ」を大量に売って 事業拡大を促す計画を目論む。 そして資金のほとんどをつぎ込み、「レーダースコープ」3千台を注文。

しかしその「レーダースコープ」、4ヶ月の船便輸送の間に完全に飽きられてしまっており、 全然捌けずに2千台も売れ残ってしまう。 在庫処理に困った荒川社長は、ゲーム機本体はそのままで、ロム基盤だけを替えて売ろうと考える。
そこで本社に、「新しいゲームを開発してその基盤だけ送って欲しい」と要望。

と同時に日本から一番近く輸送が近い地域、西海岸はシアトルへNOAの居を移した。




【 ミスター・ビデオゲーム 】


NOAから新たなロム開発の要請を受けた本社任天堂。しかし開発陣は皆他の仕事に追われており 技術者にもプログラマーにもそんな余裕はなかった。

横井の「デザイナーに作らせたらどうか」という提案により、 (金沢工業大学から)入社4年目のデザイナー、宮本茂が仕様書を任されることになる。

最初の構想はゲーム&ウォッチ(次章で解説)のポパイゲーム。 横井が「工事現場、下にポパイ、上にブルート」と原型を、 「樽が上から転がってきて避ける」と宮本がアイディア、 更に「樽を飛び越せるようにしろ」と横井がアレンジ、 転がる樽をボタンでジャンプし飛び越すルールに。

更にゲームにストーリー性(ラブロマンス?)を加味した −主人公はお姫様を助けるために困難を越えていく−、そして ストーリーとルールが一目で分かるようなデモシーンも作った。

後に「ポパイ」の版権がお流れになると、 宮本が−限られたドット絵で特徴を出すため− 「作業服に帽子、団子っ鼻にヒゲのキャラクター」を創る。
開発者達に「おっさん」と呼ばれたこのキャラクター、 宮本の書いた企画書のイラストには「Mr.Videogame」と命名された。
(後にNOAの社員によって「マリオ」と名付けられる)




【 ドンキーコング 】


半年後、完成したゲームのタイトルは、「ホンキーコング」「クレイジーコング」 「ドンキーコング」(まぬけなゴリラ)の中から、任天堂の社員が選び、 その題名で基盤に焼き付けた。そしてアメリカは西海岸へと船便で送られる。

1981年、アメリカで「ドンキーコング」発売。

プレイヤーは、大工のマリオを動かし、恋人を「まぬけなゴリラ」から救出する。 プレイヤーは様々な妨害を越えて、美女の元へ急ぐ。

ラブストーリー性、ルールが一目で分かる事、そして面白い事。 殺伐とした戦争ものが多い中でこのゲームは異彩を放った。


このゲームは徐々に人気を博し、やがて大ヒットを記録する。 2000台の「ドンキーコング」は見る見る内に完売となった。 荒川はこれはいけると 更に数千台を追加注文。それも完売、また追加・・・最終的に6万台を売ることになった。

NOAは創立2年目にして1億2000万ドル(約400億円)の売り上げを記録、破産同然の身から一転、完全に軌道に乗る。




    「ドンキーコング」の権利をタイトーに?

    ドンキーコングを見た日本企業の「タイトー」(スペースインベーダーを作った会社)は 「ドンキーコングの権利を全て買いたい」と多額の金額を提示してNOAに申し入れをしている。 (まだこのゲームがさほど売れていない時期のこと)

    荒川は熟考の末、結局タイトーに権利を売らない方針を伝えた。 結果的にドンキーコングはバカ売れし、 今の利益でなく将来の利益を取ったこの判断が正しかったことを証明した。






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