任天堂のフィロソフィー

ディスクシステム構想



    山内はこの「ファミリーコンピュータ」に様々な周辺機器を盛り込み、 情報端末として多目的に使おうという壮大なプロジェクトを構想していた。
    (そのために彼はファミコンの裏側に拡張コネクターを潜ませている。)

    「ファミコン」には−アメリカのベストセラーパソコン− 「アップル供廚汎韻牽達丕佞使われいる。 汎用ホームコンピューターへの潜在能力を備えているのだ。




【 ファミリーベーシック 】


任天堂がハドソンと共同で開発した「ファミリーベーシック」は、 ファミコンにBASIC言語を組み込んだカセットを挿入し、 そこからキーボードを繋ぐ仕組みになっている。
すると、ファミコンで簡単なプログラムが打てるようになったり、画面上で音符を並べて 簡単な曲を演奏させたり出来るし、簡単なワープロ機能も備えていた。

山内はファミコンが情報機器−ワープロや家計簿などデータベース−となる潜在能力があると見ていた。 これが普及すれば、ファミコンはワープロやパソコンを抜いて情報機器の標準規格になる可能性がある。

しかしながら、どの機能もメモリの限界から中途半端な機能しかない事 −単純で短いプログラム・曲・音階しか組めない、漢字が使えない− から売れず、構想は不発に終わった。



    ファミリーベーシックV3

    「ファミリーベーシック」はメモリが極端に少なかったから、任天堂とハドソンは バージョンアップ版として、「ファミリーベーシックV3」を開発・販売した。

    しかしながら、これでもメモリが小さい。少しは改良されたが 相変わらず中途半端なプログラムしか作れず、売れ行きは不振、ユーザー層は広がらなかった。





【 ディスクシステム 】


ファミコン発売から2年−1985年の半ば− 任天堂は、ソフト容量の増大化と半導体価格の上昇からカートリッジの値段が上昇してしまうことに 危機感を抱いていた。

そこで目を付けたのが、電子部品メーカー「ミツミ」がパソコン向けに開発し、 (フロッピーに押され全然売れずに生産中止していた) 「クイックディスク」という外部記憶装置である。

パソコンのフロッピーディスク(ドライブ)と比較して、 遙かにコストが安く、構造も単純で大量生産向き(その分、読み込みが遅く容量も少ない)等の点から、 ファミコン用の外部記憶装置に大変適している。

しかも容量がROMカセットより大きいためソフト内容の充実を図れる。 ソフトの値段もカセットは5000円を越え始めていたが、 ディスクで出せば3000円程度に抑えられる。

こう考えた任天堂は、ミツミと交渉、「100万単位でオーダーするから」との 条件提示にミツミは受諾、15000円という当時のディスクドライブとしては驚異的な低価格が実現した。


    ツインファミコン

    「ツインファミコン」とは、シャープが発売した、ファミコンとディスクシステムの合体型マシンです。 ブラックとレッドの二種類があり、ブラックのコントローラーには連射機能が付いています。

    当初、「ファミコン」という商標はシャープが所有しており、 ツインファミコンの発売を許諾するかわりに、任天堂が「ファミコン」の商標を取得したようです。

    シャープからは、テレビにファミコンを内蔵した「C1」なるものも発売されていました。 こちらは、ファミコンと異なる設計をしたため、後に発売されたソフトは動作せず、 広告やパッケージには「このソフトはシャープのC1では遊べません」と表記され、初期のゲームしか遊べません。




ディスクは何度でも繰り返し使用できるから ユーザーは購入したゲームに飽きたら、 (全国の玩具店に設置された)「ディスクライター」という装置を使って 一回500円でゲームの書き換えをすることができる。 これで当時増え始めていた中古ソフトの問題も解決できる。



1986年2月21日、「ディスクシステム」発売。 同時に「ディスクライター」の設置を開始。

「大容量」「音がいい」「データセーブが簡単」「ゲームの書き換えが出来る」を売りに、
「今後、ディスクでしかソフトを供給しない」 「ディスクライターを一万カ所に設置する」と言明、 「ファミリーコンピューターのニューメディア」 をキャッチフレーズに掲げた。


宮本が制作した「ゼルダの伝説」が同時に発売され、 3ヶ月で50万台を販売する。

(C)Nintendo 宮本の手掛けたアクションアドベンチャー「ゼルダの伝説」は、
家庭用ゲーム初のRPGとも言えるソフトである。

宮本はマリオ同様、自分の原体験 −地図なしで行ったハイキング、田舎の巨大な家での迷子、防空壕でのランプ頼りの探検−を 思い出してはゲームに取り入れた。
広大な世界と多彩な謎解きに、子供達は情報を交換しあった。



    ディスクシステムは、初年度(86年)に224万台を売り軌道に乗り始める。



ディスクシステムのソフトウェア
バレーボール
(C)Nintendo

多彩なテクニックが使える(あみ出せる) 6人制バレーボール。 可愛いお尻振り。対戦も可。
メトロイド
(C)Nintendo

パワーアップを駆使し、 広大な地下要塞に挑む。 緻密に計算された面構成。BGMも渋い。
新 鬼ヶ島(前編・後編)
(C)Nintendo

男の子と女の子がさらわれた祖父母を救いに 鬼ヶ島へ向かうアドベンチャー。 制作に山内溥。



    ディスクゲームのイベント

    ディスクゲームでは、全国の玩具店に設置された「ディスクファクス(後述)」を使っての 全国的なイベントも開催された。これは後のネットワークへの布石である。

    87年に発売された「ゴルフUSコース」では、スコアがセーブされたディスクカードを、 ディスクファクスを通してセンターコンピューターに登録すると自分の順位が書かれたカードが貰える。
    同様に「ファミコングランプリ F1レース」でも、タイムアタックによるトーナメントが開催された。

    どちらも、黄色でなく青カード(シャッター付きで一度応募すると書き換えられなくなる)に、 住所や氏名、電話番号、メッセージを書き込んで応募する。(全国からのメッセージを書き込み後に見れる)。 優秀者は「パンチアウト」や「スーパーマリオのゲーム&ウォッチ」が貰えた。




しかし、発売の翌87年には75万台、また次の88年には29万台、89年には11万台と 売り上げが尻窄みに減っていく。

サードパーティへのディスクシステムライセンス規約が厳しく (ソフトの著作権は折半等)、大手のメーカーが参入を見合わたから、 強力なソフトがディスクで発売されなかった。

しかも半導体技術の進歩で価格が下がり、ディスクの容量がカセットに追い抜かれ、
「バッテリーバックアップ」が開発されて、ROMカセットでセーブが可能になるなど
ディスクシステムの利点はことごとくカセットで実現され、メリットが失われていく。

更に、ユーザーにとって読み込みによるタイムラグがストレスとなり、不評だった事もある。

結局ディスクシステムは、サードパーティにも消費者にも賛同を得られず成功しなかった。
(今でも残っているのは、音の良さと500円書き換えシステムである)


    ディスクシステムシンドローム

    ディスクシステムの普及が思惑通りに行かなかったことから、 任天堂はディスクメディアへの恐怖感にも似た拒絶感を持つことになる。 特に読み込みの遅さに対する不信感はかなり強く、今でも影を引きずっているという。

    これを任天堂社内では「ディスクシステムシンドローム」と呼んでいるとか。






    この頃から山内は、市場に限界の見えてきたTVゲーム事業から、 遙かに需要の大きい通信事業(玩具会社→世界規模の通信会社)へと転身を図ろうとする。


【 ネットワークシステム 】


1988年(昭和63年)、山内はファミコンをコアとした通信ネットワークの構築を始める。

ディスクシステムに添付されたマニュアルには
「ネットワークシステムとは、ご家庭の電話機と今秋発売予定の 「ディスクファックス」という新しい機械を接続すると、 さまざまな家庭用情報(学習・健康・株式・買物等)をお買い求めいただきました ディスクシステムを通じて、テレビで見ることが出来ます。 また、ディスクシステムを通じて、今まで体験することが出来なかったような アニメーションの手紙の送信や受信が出来ます。」と書かれている。

「ディスクファクス」というモデムアダプターを使い、そこに電話回線を繋ぐと、 コンピューターによる国内最大のネットワークが生まれる。

ショッピング、株式、ホームバンキングサービス(振込・振替・残高照会)、旅券などの情報を ファミコンを受け皿として提供し、任天堂は利用時間に応じて料金を徴収する。

ニュースはもちろん、映画案内、料理の献立などの情報も。 これが成功すれば、任天堂はネットワークサービス提供企業として更なる成長が見込める。


    山内のアピールに応え、産業界全体の様々な業種で通信サービスが始まる。


      ファミコンネットワークによる主なサービス
      名称 推進会社 内容
      キャプテン郵政省郵便貯金口座振替等
      ファミコントレード野村証券株式売買・情報・照会
      HIT NETNTTホームバンキング・馬券投票
      スタディボックス福武書店通信教育
      フィットネスシステムブリヂストントレーニング



様々な用途の通信サービスが始まったものの、どれもぱっとしなかった。 ファミコントレードはそれなりに普及したが、他は出足から不調だった。

心理的な問題として、ファミコンという子供用玩具で金融取引は無理がある。 逆ににファミコンを使った通信教育や運動には、デメリットが生まれてしまう。

最大の問題点は通信環境だった。日本の一般家庭には電話回線が一本しかないから、 長時間塞がれて困る場合が多く、通信にかかる料金も馬鹿にできない。

結局、ディスクファクスを導入した家庭は全国で13万戸に止まった。 それでも山内社長は「いずれものになる」と語ったが、 やがて新設したての「ネットワーク事業部」を閉じた。




この頃から、ファミコンの勢いが衰えてくる。家庭用ゲーム機市場には セガやNECが参加を初め、任天堂は新たなゲーム機の開発を 行うことになる。






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