【 他社機への牽制 】
1987年9月、−NEC「PCエンジン」発売直後−、京都の地方紙「京都新聞」に、
「任天堂が16ビット機『スーパーファミコン』を開発、来年夏にも全国の店舗で
デモンストレーションをする」との記事が掲載された。
1988年9月には、セガが16ビット機を発表、
10月29日「メガドライブ」が発売されると、その直後に任天堂は本社で
「スーパーファミコン」の試作発表会を大々的に行った。
任天堂の目論見通り、ファミコンの強力なソフト群(特にRPG)と
他社機の人気ソフト不足により、
消費者は「スーパーファミコン」に期待を膨らませ、他社製品を買い控えた。
この頃山内社長は
「16ビット機がちっとも売れへんのは、明らかにソフトが面白くないからです」
と発言している。
【 16ビット機開発へ 】
1980年代末ごろから、山内は、上村にファミコン後継機の開発を命じていた。
上村はまず、セガとNECの先行機「メガドライブ」「PCエンジン」を研究し尽くした。
そして、ユーザーに訴えやすい部分、グラフィックとサウンド機能の大幅強化を行うことになる。
臨場感溢れるオーディオ・ヴィジュアルを実現するために、
高いAV技術を持つソニーとの提携を行い、高性能チップの供給を受けることになる。
ヴィジュアル面(PPU)では特殊効果として「回転・拡大縮小機能」を採用した。
これらの機能を使えば、画面に3次元的な奥行きをやスピード感など、迫力を出せる。
色数は、約3万2000色の中から最大2048色を選んで表示できるようにし、
その他、スプライト機能なども倍以上に強化した。
オーディオ面(APU)では「PCM8音(同時発音)」を採用した。
「PCM音源」を使えばデジタル録音(サンプリング)されたアナログ音(人の肉声や爆発音など)の
再生が可能で、それまでの「ピコピコ音」と比較して遙かに豊かな音声表現が可能になる。
CPUには、これらを活かし制御するのに十分な16ビット"65C816カスタム"を選択。
コントローラーは、左に十字キー、右に4つのボタン、上段左右にLRボタンを配した。
こうして他社の先行機に比べ、特にAV機能を充実させた新型機が完成する。
|
ファミコンとの互換性
ファミコンの後継機開発に当たって、技術的な面で山内が要求したのは一つ、
「ファミコンとの互換性」だった。
ファミコンで流通している何百本ものソフトがそのまま使えるようにせよ、と。
しかしながら、これを採用すると7000円程コストを上乗せしなければならない。
山内、上村、NOAの荒川らは協議を重ね、
「技術上の飛躍は、古い技術との互換性を否定することから始まる」
との結論を得、ファミコンとの互換性を捨てることになった。
(後にオプションユニット案もでたが、最終的にこれも破棄した。)
|
【 スーパーファミコン 】
1990年11月21日、「スーパーファミコン」(¥25000)発売。
発売前から予約が殺到し、発売と同時に日本中を熱狂の渦に巻き込んだ。
(小売店は売れないソフトとの抱き合わせ販売に精を出した)
同時発売ソフトの、「スーパーマリオワールド」「F−ZERO」は、
ファミコンでは実現不可能な新たな面白さを十二分にアピールした。
宮本が手掛けるスーパーマリオシリーズ第四弾。
彼は初めてゲームに触れる人の事を意識し、
初心者からマニアまで誰もが楽しめるようなゲームデザインを心掛けた。
マリオの動きのバリエーションを豊かにし、
ヨッシー(背中に乗れる珍獣)の登場によって新たなゲーム性を創り出した。
全96コース、遠回り、近道、隠しコース、秘密のアイテム、
プレイヤーの自由に任せた奧の深いアスレチックアクション。
任天堂自身の優良ソフト、エニックスやスクウェアといったサードパーティによる
人気RPGの続編、カプコンによる有名格闘ゲームの移植などで、軌道に乗った。
| スーパーファミコンのソフトウェア(1) |
F−ZERO
スピード感溢れるレースゲーム。
絶妙なコースデザインと操作感覚で
気持ちいい緊張を味わえる。
|
ゼルダの伝説
広大な世界を冒険するアクションADV。
システムからアクション・演出まで
職人芸的な完成度。
|
マリオペイント
遊びとツールを融合させたような
お絵描きソフト。豊富な機能で
楽しく創造性を引き出す。
|
スーパーファミコンは、2年間で740万台を売り上げ、
家庭用ゲーム機80%のシェアを獲得、ファミコンによって築き上げた独占状態を維持した。
|