任天堂のフィロソフィー

周辺機器と書き換えシステム



    ファミコンで失敗に終わった ホームコンピューター構想とソフト書き換えシステム。
    後を継ぎ市場を制覇した16ビット機「スーパーファミコン」では、 巨大な可能性を持つCD-ROMも視野に入れながら、 再び構想の実現に向け挑戦を始める。




【 CD−ROMシステム 】


任天堂は、「スーパーファミコン」開発時の提携相手「ソニー」と1988年から 次期のCD-ROM時代に向け共同開発の話し合いをしていた。

そして、88年当時、 任天堂はソニーに、次期CD-ROM機開発協力のかわりに、CD互換の一体型を開発販売して良いとし、 CD-ROMソフトのライセンス権もソニー側が持ち自由に開発販売出来るとの 契約を交わしていた。
(任天堂はCD-ROM互換機に関して「ツインファミコン」ぐらいにしか考えていなかった?)

1990年1月、CD-ROM機開発で任天堂とソニーとの提携が発表された。
ソニーがスーパーファミコン用CD-ROM機の開発をし、任天堂は ソニーに一体型互換機(プレイステーション)の販売許可をするとの内容だった。

翌年、任天堂は、このままではソニーに納屋を貸して母屋を乗っ取られかねないと判断、
1991年6月、ソニーがスーパーファミコン互換CD-ROM機「プレーステーション」を 発表した翌日、任天堂は「CD-ROM機の開発はフィリップスと共同で行う」 と発表する。



    ソニーの先見性「CD-ROMとファミコン世代が出会う日」

    CD-ROMは、マルチメディアを見据えて開発された大容量デジタル情報記憶媒体である。

    ソニーは1986年、長年AV市場でライバル関係にあったオランダのフィリップス社と提携し、 「CD−Intaractive」なるCD-ROM互換機の規格をまとめ、1992年夏に市場投入した。 が、ハード本体の価格が高価(8万円)な上、優れたエンターテインメントソフトもほとんど無かったし、 それ以前にCD-ROMの市場自体が未成熟だったため、ほとんど売れなかった。

    この時、ソニーは、CD-ROMを成功させるためには、家庭用ゲーム機市場に進出することが ベストだと考える。それはスーパーファミコン用CD-ROM互換機を作れば叶えられると。

    ゲームに慣れ親しんだファミコン世代(当時10代〜20代)を ゲームからマルチメディアへとスムースに導く・・・。 任天堂ゲーム機の膨大な顧客、任天堂の築いてきた巨大な市場、任天堂の豊富なソフト資産を 活用すればそれが易々と実現できると考えたと思われる。

    対して任天堂は、自身が築き上げてきた市場を独占し守るために、この契約を破棄しなければならないと考える。 NOAの荒川社長の進言もあり、最終決定したのは山内社長である。

    当時サードパーティの社長が「任天堂がソニーと和解して手を組めば、それが世界標準になりますよ」 との意見を伝えたところ、 山内社長は「なるほど標準はなければならぬ。それは任天堂がつくる」 と答えたという。




1992年、両者の交渉が再び行われた。 任天堂がCD-ROM互換機に於けるCD-ROMソフトのライセンス権を (巨大市場を背景に)手中にすることで、交渉がまとまった。

そして、試作品の発表が行われた。
ハードとなる「CD-ROMドライブ」には32ビットCPUを搭載し、 アニメーションや音声表現に対応できるようにする。
ソフトである「CD-ROM」は専用のケースに入れ、バックアップ用の半導体メモリーと電池、 特殊ICを組み込み、コピー防止と価格維持(製造委託による利益確保)を図るとの計画だ。


同年、任天堂は情報をリーク、「任天堂とソニーが、CD-ROM互換機を共同開発し、 任天堂が、来93年8月に発売する」との記事が10月1日付けの日経新聞に掲載された。
NOAでもセガのCD-ROM機の発売に合わせこの情報を新聞社向けにリークする。



    CD-ROMに関して、山内の弁

    山内社長は92年の初心会講演でこのような発言をしている。

    「CD-ROMについては、ユーザーサイドからどんな特徴を持つものか見直さなければなりません。 大容量や映像、音声が優れているというのは、独創的なおもしろさには何の関係もありません。 来年(1993年)は、現行のハードのソフトのレベルが一段と上がります。 それらと比較して、なおかつ良いものでないと、目の肥えたユーザーには通用しないんです。 ですから、任天堂はCD-ROMに対してはまだまだ慎重にいこうと考えており、時間が必要なんです。」

    「ハードだけのマーケットではないわけです。ハードが売れるか売れないかはソフト自体の力です。 急いで開発した質の悪いソフトを作っても、それは作った方にも買ったユーザーにも不利益をもたらし、 市場を圧迫することになります。それはたとえどのハードのソフトでも、 いい物でなければ通用しないということです。ですからハードもソフトも これならばという納得のいくものが完成してから発売する方針です。」



結局、93年になっても、スーパーファミコン用CD-ROM機は発売されなかった。
理由として、「倍速」でも読み取りが遅い事、原価の安いCD-ROMでは利益が減少すること等も あったろうが、何よりもCD-ROMに見合ったソフトが作れなかったことがある。

が、この仮想機は、他社製品への牽制のためのペーパーウェアとしては有効に働いた。




スーパーファミコンのソフトウェア(2)
スーパーマリオカート
(C)Nintendo

遊園地を思わせるカートレース。 「ゴースト」や「対戦」など遊び方も豊富。 誰にでも楽しめる定番。
スターフォックス
(C)Nintendo

ポリゴンを使ったSF風3Dシューティング。 3人の仲間と共に宇宙空間を冒険する。 FXチップ搭載。
ヨッシーアイランド
(C)Nintendo

ヨッシーが赤ん坊マリオを運んで 旅をする。イラスト風のタッチ。 巨大なキャラが楽しく動き回る。





【 サテラビュー 】


1993年春、任天堂は、経営不振に陥っていた 衛星デジタル音楽放送−「セント・ギガ」−に出資し、 スーパーファミコンで衛星放送を利用した新しいサービスを行うと発表した。

「セント・ギガ」は衛星通信を使って24時間放送している音声中心の放送局で、 任天堂はその24時間枠の中から数時間をスーパーファミコン専用の無料放送に 割り当てる。

音声とデータを放送局から人工衛星に飛ばし、宇宙から 各家庭のBS受信機へ降らす。それをスーパーファミコン対応BSアダプターが ダウンロードする仕組み。

1995年春、音声+データ衛星放送受信機器 「サテラビュー」(専用カセット・メモリーパック等付き\18000)発売。

4月1日から実験放送、4月23日から正式に世界初の衛星を使ったデータ放送「スーパーファミコンアワー」がスタート。
有名タレント(タモリや爆笑問題)や人気アイドル(内田有紀など)をパーソナリティに 向かえた本放送が始まった。


キャッチコピーは、「聴く・見る・遊ぶ・参加する」


    サテラビューの主なサービス
    ゲームベストセレクションスーパーファミコンの優良ソフトを定期的に配信
    BSオリジナルゲームサテラビュー専用オリジナルゲームを提供する
    音声連動番組音声放送とゲームとが連動した「サウンドリンクゲーム」
    マガジン番組ゲーム情報等を静止画と文字で提供する電子ブック
    対応データ「衛星放送対応カセット」向けの追加データ等の配信
    マンスリーイベント全国のユーザーが競い合う月毎のランキングイベント



同年夏頃から、サードパーティによるゲーム情報特番コーナーが始まり、 11月1日には、それまで通信販売だった「サテラビュー」の店頭販売が開始される。

各種サービスの中でも、「サウンドリンクゲーム」は 新しいゲーム性を創造した。音声によるナレーションに導かれる形で全国一斉に進行する ライブゲームである。

任天堂は当初300万台の普及を予測していたが、 ユーザーは、値段が高く接続が難しそうな印象を持ち、 情報サービスやソフト配信にも特別メリットは感じさせなかった。
(発売時期、ユーザーの目が次世代機に向いている頃で遅かった事もある。)

そのため、普及は思うように行かず、翌1996年に入ると、次々とコーナーが終わっていき、97年には スーパーファミコンアワーは計2時間に番組枠も縮小された。

    結局「サテラビュー」は数十万台の普及に止まり、計画は失敗に終わった。



    2000年の衛星通信に向けて

    任天堂は「サテラビュー」によって、未来の衛星データ放送のノウハウを蓄えているのだろう。

    1996年6月、任天堂、野村総合研究所,マイクロソフトの三社が提携し、 セント・ギガ衛星放送と パソコン・インターネットを統合した情報提供サービス事業を開始すると発表した。 ユーザーがパソコンと専用モデムを使い、娯楽・経済・ニュース・ショッピング等の データ放送を受信できる、というものだったが、 97年2月に計画は(環境の変化を理由に)中止となった。

    1998年1月に、任天堂は、グループ企業にDDI(第二電電)を持つ「京セラ」と中心になって衛星放送ビジネスに参入すると発表した。 両社で新会社を設立し、2000年ごろを目処に次期BS後発機を利用した 関西発の衛星デジタル放送事業を展開する。

    任天堂の衛星を利用したゲーム・情報サービス配信事業への挑戦はこれからも続く。





【 ソフト書き換えシステム 】


任天堂は1996年9月14日、 24時間営業の大手コンビニエンスストア「ローソン」と提携し、 スーパーファミコンのソフト書き換えサービスを始めるとの発表をした。

これは、ローソンに設置されたMMS(マルチメディアステーション)を利用したサービスで、 ユーザーはフラッシュメモリカセットを使って、格安でいつでもソフトを書き換えられる。

1997年9月から、ゲーム書き換えサービス 「ニンテンドーパワー」のテストランが開始され、 11月1日から全国のローソンで順次本格的にサービスがスタートした。

同年9月の記者会見で、任天堂の今西広報部長は、 「中古市場でスーパーファミコンソフトは高い人気を集めています。 このニンテンドウパワーによって、国内だけで1700万台以上が普及している スーパーファミコンを活性化させたい。」と語った。

同時に、ニンテンドーパワーは「新しいゲームソフト流通への挑戦」だと言い、 既存の流通の問題点(余剰在庫や中古市場による売り上げ減)を解消できるとした。 売り上げ管理を任天堂が、販売をローソンが担当する簡素なシステムだから、 メーカーには適切なロイヤリティが入り、在庫によるリスクもない。 ユーザーも1000円程度でソフトが手に入る。


ユーザーはまず「SFメモリーカセット」 (32Mビットのデータ書き換え可能なフラッシュメモリーを使ったカセット・3980円) を購入する。
店内に設置された「マルチメディアステーション(MMS)」の カセット口に挿入、画面を操作して欲しいゲームソフトの予約券を発行する。
それをレジに持っていき料金(1000〜3000円)を支払うと 店員が「MMSライター」(大量のゲームデータが記録されたCD-ROM内蔵のソフト書き換え機器)を使い ソフトを書き込む。
書き込んだカセットを受け取り、スーパーファミコンに入れて遊ぶ。



尚、ニンテンドーパワー向け進行中のゲームプロジェクトとして
「スターウォーズプロジェクト」 ・・・ファミコンや他機種のゲームを移植する計画
「サウンドノベルプロジェクト」 ・・・有名な作家によるサウンドノベルを制作する計画
が進行中である。

ニンテンドーパワーは将来的に「ゲームボーイ」などにも対応していく予定もあるという。






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