任天堂のフィロソフィー

NINTENDO64



    93年頃から、多数の異業種企業が次世代ゲーム機市場に向け参入を始める。 32ビット、CD-ROM、3次元映像、美麗な音声、CG、ムービー、アニメーション・・・。

    そんな中、任天堂は95年秋に向け、ファミコン・スーパーファミコン・ 他社の次世代機とも趣向の違う、独自の思想を持った家庭用TVゲーム機の開発を始める。




【 プロジェクトリアリティ 】


1993年8月22日、任天堂は 世界最高のCG・CPU設計技術を持つアメリカの シリコングラフィックス社(SGI)と提携し、 「64ビットCPU搭載の究極のゲーム機」を開発、 95年に250ドルで市場に投入すると発表する。

1992年頃から、アメリカのコンピューター会社などから任天堂に、 マルチメディアを念頭に置いた提携や、家庭用ゲーム機の共同開発などの アプローチが来ていた。

任天堂が追求していたのは、「本物のリアルタイム映像」である。 映像を状況・視点に応じて即座に計算し次々と描き出す、それを 本質的に理解していたSGIと手を組んだのだ。

64ビットゲーム機の開発責任者は開発第三部長、竹田玄洋
開発コードはリアリティの追求という意味から「プロジェクトリアリティ」 とした。プロジェクトチームは大きく3つに分かれ、それぞれに数十人が配された。

任天堂とSGIは如何に変幻自在なハードウェアを作るか、を考える。
竹田の「ハードウェアを仏像の木製彫刻に喩えると、 いろいろな魂(マイクロコード)を彫刻に吹き込められるように設計すると、 いろいろな優しさ、楽しさを持つ柔らかい仏様を作れるのでは」という発想に基づき、 「フレキシブルで柔らかいハード」を目指した。



    「こどもにONIXを与えたい」

    開発チーフ竹田の64ビット機のイメージは 「こどもに『ONIX』を与えたい」というものだった。

    「ONIX」というのは、シリコングラフィックス社が開発した スーパーコンピューター並の能力を持つ大型コンピューターである。 当時の価格で一台一千万円とも言われ、ゲーム業界でも有力な企業だけが CG制作等に導入していた。とても一般の子供の手に届くものではない。

    しかもこの「ONIX」並の能力を持ったゲーム機の目標価格は250ドル以下。 竹田のイメージを実現するためには限界まで機能を絞り込むしかない。 SGIの開発スタッフ全員は、 スーパーNESでゲームを体験、「TVゲーム」を理解することから始めたという。




そして、竹田は、「64ビットはソフト開発者への贈り物」 との考えから、ソフト開発者が新しい挑戦 (音声認識、AI、波や炎の演算など)をするために十分なハード機能を持たせる。

このゲーム機のCPUには、MIPS社の64ビットRISCプロセッサを。音声・文字・画像処理には、 価格を抑えるため「メディアプロセッサ」という データ統合方式のLSIを採用する。 こうした形で、ハードウェアは可能な限りシンプルに構成し、コストを極限まで削減した。

ソフト媒体にはカセットを選択。 アクセスが速く「リアルタイム表現」に向いている事、 様々なチップをカセットに内蔵することで、新たな仕掛けを組み込む事が出来るため。


竹田は「キーポイントはコントローラー」だと思っていた。 それまでの4方向(全8方向)デジタル入力(押す・押さない)に加え、新たな入力装置が必要であると。 また、開発チームは、ゲームの作り手・遊び手双方に新しい発想の刺激を与えたい、とも考えた。

そして、アナログ(どれぐらいの強さ)で、360度指示が可能な入力装置を開発する。
この入力装置は「3D(サンディ)スティック」と名付けられ、 三つ又状のコントローラ中央に配された。 (他は、左に十字キー、右にボタン群、上にLRボタン、中央裏にトリガー。)

加えて、コントローラー裏面上部に、「コントローラーパック」挿入口を付けた。 マシン本体のコントローラー接続口は4つ設け、データの双方向送受信をできるようにした。


この64ビットゲーム機は、「バーチャルボーイ」に続き、糸井重里氏が名付け親となった。



    次世代機戦争

    1994年から各社が次世代ゲーム機と呼ばれる、 それまでの16ビット機から飛躍的に性能の上がり、 3次元表現・CGアニメーション等が可能な 32ビットCD-ROMゲーム機を発売する。

    春には、松下電器から「3DOリアル」が、秋から年末にかけて セガから「セガサターン(SS)」、ソニーから「プレイステーション(PS)」、NECから 「PC−FX」が次々と発売された。

    これを見て山内社長は、『あんなもん買うのはマニアだけや。100万台売れたら 社長やめるよ。』と発言していたが、SS・PS共に半年あまりで100万台を突破し、 一年後には200万台近くまで売り上げを伸ばしていく。

    そんな時期に、任天堂64ビット機のお披露目にもなる「初心会ソフト展示会」が開催される。





【 95初心会山内講演 】


1995年11月24日、第七回初心会ソフト展示会を開催、64ビット機を公開する。
同時に山内社長が講演を行い、自身の考えや、これからの任天堂の戦略を語った。
(以下はその講演内容からの抜粋)



「ニンテンドー64のソフトは、他のテレビゲームのソフトとは違うのだ、 という事を現実に遊ぶことで感じてもらえるでしょう。 実はこれが肝心な事でもありまして、テレビゲームというものは、映画と違うわけです、 見て、その価値を判断するものではなく、 遊んでみて楽しいか面白いかどうかを判断するのが テレビゲームなのです。」

「どうも昨今は、テレビゲームをよく知らない方が色々な事を書いたり喋ったりするので、 業界がおかしくなっています。テレビゲーム本来の姿や実像がかすみ、 テレビゲームの前途が危うくなっています。」

「今のテレビゲームのマーケットを考えてみますと、楽観できない状態なのです。 ソフトメーカーは、種と仕掛けがなくなってきています。ところが、 様々なゲームが市場には溢れており、開発者たちはどうしたらいいのか分からなく なっています。そうなると、一番安易な道、簡単な道を選ぼうとするのが人間でして、 たくさんの種類のゲームソフトを作ればひとつやふたつはヒットするかもしれない と考えるのです。しかし、そんなことで目の肥えたユーザーを説得できるだけのゲームは作れません。 ユーザーは拒否反応を見せるだけで、駄作、愚作、つまり ダメソフトが増えていきます。」

「(様々な)才能と経験が結集されて、はじめて 独創的なゲーム開発が可能になるわけです。しかしチームワークなどの問題もありますから、 ソフト開発チームが増えても、素晴らしいソフトは少しも増えません。 その結果、とにかく大容量を使って、音声と映像を垂れ流し、ゲームに迫力を付けようとするものです。 しかしゲームというものは、その内容が肝心なのです。音声や映像を垂れ流しても、 駄作は駄作、愚作は愚作、 おもしろくないものは、ダメソフトなんです。」

「この間、次世代ゲーム機の注目のRPGという紹介記事を読みました。 次世代ゲーム機とは一体なんなのか?私にはよく分かりません。ソフト主導のマーケットで 次世代のゲームというと、ゲーム=ハードになってしまう。ユーザーが求めるのが 高度なゲーム機なら、それは次世代ゲーム機で結構。でもユーザーが求めているのは、 独創的で今まで体験したことがないような楽しさがあるソフトなんです。 本来、ソフト主導のマーケットであるテレビゲーム市場では、 次世代なんて言葉はそもそもおかしいのです。」

「RPGを作るというと、『ドラゴンクエスト』に似たソフトを作る。 『ドラゴンクエスト』に似たソフトは何度も発売されてきたにも関わらず作る。 しかしユーザーはそれが『ドラゴンクエスト』のマネであることを知っているんです。 すなわち、マネソフトはダメソフトなんです。 マネソフトが洪水のように出てくる 駄作、愚作のある部分を占めているのです。だからこそダメソフトは氾濫してくる」

「ニンテンドー64を何のために発売するのか?当然 テレビゲームマーケットを守るためです。 危うくなってきたテレビゲームマーケットをなんとか守りたい。そのためには、 ソフト開発者のかたがたに、 新しい種と仕掛けを作れる材料を提供しなければなりません。」

「新しいコントローラーの提案は、ゲームソフトに対して新しい種や仕掛けをつけさせる 役割をするものです。直感的に、スポーツゲームではそのコントローラーの特徴により、 いままで出された野球、サッカーゲームとの 質的な違いをユーザーに認めてもらえると確信します。」

「また、ニンテンドー64には、新しいタイプのマスクROMを使います。 ユーザーにとって、ローディングがないという利点がありますが、それよりも カセットの中にマスクROM以外の半導体を内蔵させることにより、 新しい提案をしたいのです。」

「第一の質的転換は新しいコントローラーだと言いました。 では第二の質的転換とは何なのか? 任天堂は書き込みと読み出しの出来る大容量の磁気メディア を使うことで、新鮮で、しこも感動的な面白さを実現できると思っています。 磁気メディアを体験していただくことで、多くのユーザーに テレビゲームソフトの新しいジャンルとして認知してもらえると思っております。 この新しいゲームソフト開発路線を軌道に乗せることで、 テレビゲームマーケットの前途は開けると考えています。」

「この書き込みのできる『ゼルダの伝説』とアダプターを発売することが、 当面の課題であります。任天堂は先見の明のあるソフトメーカーさんとともに、 少数精鋭のソフト開発路線を確立して、 このマーケットを守っていかなければなりません。」



山内は、テレビゲーム市場に「ダメソフト」が増えている、少数精鋭のメーカーと共に 任天堂の64ビット機でゲームの質的転換を図り、テレビゲーム市場を守るのだと言った。
(64ビットゲーム機の発売日は、当初予定の95年末から96年4月21日に延期した)



    「スクウェア」はソニーへ

    96年3月、 任天堂のファミコン、スーパーファミコン向けソフトで超ヒット作となった 「ファイナルファンタジー(FF)」シリーズを開発した「スクウェア」が 「次期FF(Z)」をソニーの「プレイステーション」向けに発売すると発表した。 スクウェアはこの理由として、CD-ROMによってCGを駆使する精細な画像が実現できる事、 安価なため新しい試みが可能である事などを挙げている。

    ソニーがスクウェアを取り込む際、かなりの好条件を出したと言うが、 何よりも、スクウェアの目指す「映画とゲームの高次元融合」の ためには、CD-ROMが不可欠である判断したのだろう。

    任天堂はこれに対し、「影響はない。」「RPGはFFだけではありません。」と回答した。



    「64」の発売は、ソフト開発の遅れから、4月21日から6月23日に再び延期。
    他社のゲーム機はこれに合わせて、値段を2万円以下にまで引き下げた。





【 ニンテンドウ64 】


(C)Nintendo1996 1996年、6月23日、「ニンテンドウ64」(¥25000)発売。
キャッチコピーは ゲームが変わる、64が変える

同時発売ソフトは 「スーパーマリオ64」「パイロットウイングス64」「最強羽生将棋」の3本。
一週間で30万台を完売、2ヶ月で70万台を売り上げる。


(C)Nintendo1996 同時発売ソフトの「スーパーマリオ64」は、 新次元の3Dアスレチックアクション。箱庭的な遊びの立体空間を創り出した。

プレイヤーは3Dスティックを使い、三次元世界を自由自在に動き回れる。 また、カメラを操作し視点を変えることもできる。
(このソフトは「96マルチメディア大賞」を受賞)



NINTENDO64のソフトウェア ’96
  パイロットウイングス64
(C)Nintendo1996

3Dスカイスポーツシミュレータ。 風や大気を感じながらの空中散策。 様々な飛具でタスクに挑戦。
    ウェーブレース64
(C)Nintendo1996

ジェットスキーによる水上レース。 3Dスティックを重心移動に使う。 質量を持ってうねる波が圧巻。
    マリオカート64
(C)Nintendo1996

鬼ごっこのようなカートレース。 素人も玄人も楽しめる懐深い作り。 画面を分割・4人対戦も可。




「ニンテンドウ64」は発売時は爆発的に売れたが、8月に入ると突如売れ行きが鈍化。
8月14日、日経新聞紙上で任天堂の業績不振(経常益7割減)が報道されると、 任天堂株に売りが殺到、証券取引所では情報の混乱を理由に取引停止騒ぎとなった。

ゲームソフトの不足、不透明なスケジュール、ハード・ソフトの高価格などを理由に、 発売から2ヶ月経たない内に「ニンテンドウ64」のイメージは失墜する。 任天堂の「96年度末までに国内で360万台を出荷する」計画は 頓挫、実際の売り上げは半分の180万台。



    ニンテンドウ64のソフト発売スケジュール

     6月|「スーパーマリオ64」「パイロットウイングス64」「最強羽生将棋」
     7月|
     8月|
     9月|「ウェーブレース64」
    10月|
    11月|「ワンダープロジェクトJ2」「栄光のセントアンドリュース」
    12月|「マリオカート64」「パーフェクトストライカー」「プロ野球キング」「麻雀MASTER」
     1月|
     2月|




1997年3月、任天堂は本体の値段を16800円に引き下げる。が、 中途半端な価格設定がむしろ64ビット機のブランド性を失わせる結果にもなり、 効果は上がらなかった。

「ニンテンドウ64」のソフト作りには、かなりの時間や体力・技術・才能を必要とするため、 任天堂自身もサードパーティもソフト開発に手間取り、未だソフトも少なく質も疎らである。

質の高いソフトはあるが、子供向け・能動性の高いものが多く、一般ユーザーには届かず、 新しく創造的なゲームや人気のRPGも未だ発売されず、様子見状態が続いている。


結局、国内では、任天堂のあまりに稚拙で、甘く傲慢な戦略だけが浮き彫りになり、 ファミコン、スーパーファミコンで育ったゲーム世代の大半は、他社のゲーム機を選択した。

任天堂は「勝負は98年末」と言い、そこに 焦点を合わせる形で戦略を練り直している。







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