任天堂のフィロソフィー

原風景から〜宮本茂〜



    宮本茂から湧き出るアイディアの源泉は、彼の才能はもちろんだが、原体験にあると思われる。 彼の子供時代の環境や遊び、抱いた夢などは何だったのだろうか。

    ここでは、彼の創った「TVゲーム」との相関性も合わせて見てみたい。



【 原風景とゲーム 】


1952年(昭和27年)11月16日、京都府で宮本茂は生まれた。


迷路 京都近郊の田舎にある純日本建築の家で育つ。 障子を開けると廊下があり、それは部屋から部屋へと繋がっていた。 幼い彼は部屋と障子と通路によって形作られる世界が、まるで迷路のようだと感じた。
(写真は、ゼルダの伝説のダンジョン)


田畑・川辺 自宅の周辺には豊かな山野が広がっていた。 自宅のすぐ前には田んぼがあって、秋に刈り入れが終わるとそこで草野球をした。 また、その向こうの丘を転がり降りたり、川へ行って魚を釣ったり、 無限に広がった空間を遊び場にして毎日を過ごした。 ある時釣った魚は、鋭い歯を持った不気味な奴だった。 (写真はスーパーマリオに登場する怪魚)


洞穴 山野へ探検に出かけた時、洞穴の入り口を発見した。 親には「行ってはいけない」と言われたが、誘惑に勝てず、 何度か覗きに行ってから、心を勇み立てて中に入った。 洞窟の中、ひんやりした空気の中、 提灯(ちょうちん)を頼りに奧へ進む、途中、穴が枝分かれしている。 彼はドキドキしながら1つの穴をくぐり抜けた。 (写真はゼルダの伝説の洞窟)


マンホール 「京都でアパート住まいをしていた時、その近くに、 壁に小さなマンホールの蓋が埋め込んであるビルがあったんです。 毎日そのわきを通るので、気がついたんですが、考えてしまいましたよ。 なんで壁にマンホールが?どこへ通じているんだろうって。」 (写真はスーパーマリオの土管)


犬・高所 近所の家の庭先では、鎖をつけたブルドッグが待ち構えていて襲いかかってきた。 彼は恐ろしさで立ちすくんだが、鎖がのびきって猛犬を引き戻した。 また、遠くの山を見渡せるぐらい高く木に登った時、降りるに降りられず、 怖くて身動きできなくなった事もある。
(写真はスーパーマリオ3のワンワン)


秘密基地 宮本家は、やがて京都へ移り住む。宮本は新しくできた友達といっしょに 屋根裏部屋へ上って秘密の基地を作った。暗号や合い言葉を取り交わしたり、 大人に禁止されている場所に隠れて潜り込んだりもした。
(スーパーマリオにある屋根裏部屋を実感させる場所)


冒険行 犬が見張っている近所の庭に進入したり、余所の家の地下室に潜入して櫃(おひつ)を発見、 蓋を開けて太古の伝統衣装を見つけた。
地図を持たないでハイキングにいった時、行く道を捜している内に、突然湖に出くわして驚き、 冒険の新鮮な面白さを味わった。
(写真はゼルダの伝説)




    「わくわく」「ドキドキ」「とまどい」「恐怖」「疑問」「挑戦」「発見」、無限の選択肢の中、
    宮本茂少年はこうして、自然という冒険心と探求心に溢れる世界で体験を蓄え、 本能を鍛え、直観力を深めていった。これが後に繋がる創造の源となる。
Screenshot - (C)Nintendo -




【 将来の夢・人形制作者 】


宮本は子供の頃、NHKが放映していた人形劇「チロリン村とくるみの木」 にとても興味を惹かれた。そこでは人形達が生き生きと動き回り演技をして、物語を創り出す。

人形劇団の公演に行き、人形を手で触ってその仕組みと形状を覚え、 自分で裁縫してマペット(棒で手を操作し演じる人形)を作った。 近所の女の子たちを呼び、ついたての影に隠れて人形劇を演じたりした。 この頃から将来の夢は「人形劇の人形制作者」だった。

小学校一年生の時に、先生に絵を誉められると、絵を描くことが大好きになる。
よく公園や川へいっては、画用紙に鉛筆を使って自然の風景を描いた。

何ヶ月かに一度、家族総出で京都に行って、買い物をしたりディズニー映画を観たりした。

中学に入ると漫画を描くのにに熱中した。プラモデルや機器を組み立てたりもする。

漫画には本気で取り組み、個性を強調したヒーローが活躍するギャグ漫画を描いた。 そして学校で漫画研究会を結成、作った漫画をまとめ、文化祭で発表会も開いた。

高校に入った頃には漫画家は無理だと判断し、得意の数学を活かして同時にデザインを学べる所、 美術と工学を同時に学べる工業デザインを選び大学へ進学する。




【 美術工芸大学から 】


1970年、宮本はで京都を離れ、金沢市立美術工芸大学に入学する。

授業をサボって、友達とレコード屋めぐりをしたり、、独学でギターの弾き方を覚えたり、 音楽を聞いたり、本を読んだり、スケッチを描いていたから、卒業まで五年かかった。

アメリカン・ブルーグラスが何よりも好きで、東京まで遠征して生演奏を聴いたりした。
バンジョーの弾き手とデュオを組み、喫茶店やパーティーの席で演奏したこともある。

大学では「工業デザイン(製品となる形を前提としたデザイン)」を学んだ。 外観よりも本質的な機能性を重視し、様々なコンセプトを定め、 理論に基づきデザインを生み出した。 彼は見た目を優先させるよりも機能性を高め、役に立つようなデザインを目指した。

そして卒業制作の題材に「教育玩具(教育テーマ+遊び機能のある玩具)」を選ぶ。 彼はその制作の過程で、玩具の持つ様々な思想を学び、不思議な可能性に惹かれていく。




大学を卒業する頃、宮本はどういう仕事をやるべきか思い悩んだ。 当時の家電業界はデザイナーを求めていたが、それらの製品は最初から機能が決まっている。 宮本は自分の自由な発想を活かして、最初から本質からものをデザインしたかった。

「玩具を作りながら、絵も描きたい。」。当時丁度ビデオゲームが登場した頃だったから、 「ゲームの中でマペットのようなアニメーションをやると、きっと楽しいぞ」と思った。

玩具業界に目を向けると、花札やカードで儲かってそうで、業務用ゲームや 教育玩具、光線銃、ベビーカー、コピー機まで作っている面白い会社がある。 それが任天堂だった。

ここならカードで儲かってるし、ヘンなものを企画しても商品にしてくれるんじゃないか。

そして山内社長と直接面接する機会を得、デザイナー第1号として採用される。 その後、かるたの版下貼り、ゲーム機の筐体・キャラデザイン、そして、「ドンキーコング」・・・。

宮本茂の、ゲーム作りが始まる。



    今でも宮本は自分の創るゲームをこう評している。
    「あれはぼくが自分で体験し、自分の目で見たものを誇張したものですよ」





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