任天堂のフィロソフィー

伝統工芸・ものづくりの哲学



    宮本茂や横井軍平の育った京都(また金沢)は伝統工芸の都として名高い。 伝統工芸家がもつ、"ものづくりの哲学"について見てみたい。



ゲームボーイと横井軍平(故) ほとんどの伝統工芸品に作者の名はない。この無名性(アノニマス)に伝統工芸の特徴がある。

横井もまた「開発者が名乗り出てもしかたない、楽しく遊んでくれているだけで十分」と言う。





【 伝統工芸とは 】


「伝統工芸(品)」とは、地方の歴史と風土に育まれ、現代にまで受け継がれる生活用品のこと。 地方特有の天然素材を使い、古来から伝承される技法に則り、 熟練した職人の手によって1つ1つ丹精を込めて作られる生活用具である。

工芸品は、機械工業製品と違い、美しい風合いや繊細さ、多彩なデザインをもつところに特徴がある。 そして、一品一品が微妙に異なために付加価値も高い。 何よりも職人の温もりと愛情が籠められ、使い手の心を豊かにする作用をもつ。

伝統工芸は、長い歴史を通して、生活者の手から手に伝わる中で 時とともに錬磨され、今日に引き継がれてきた。 優れた生活文化資産でもある。



工業製品と伝統工芸品

機械による工業製品は、人間の手では到底真似できない速度と正確さで、 現代産業を支える。反面その ほとんどが一品種大量生産方式をとるため、 往々にして画一的、作り手の個性を感じることはない。

逆に、古くから伝えられ、職人の手技によって作られる伝統工芸品は、 使い手の視覚・触覚を通して作り手の個性と感性を強く訴え語りかける。 たとえ極めて少量の生産ではあっても、つくり手たちの「心」を反映するところに 伝統工芸品の魅力がある。





【 用の美 】


伝統工芸品の特色の1つに 「用の美」がある。工芸品が 使い込んでいくうちに生活の雰囲気にしっくり溶け込み、深い味わいを醸し出していくことをいう。

職人の手によって代々修練と工夫が重ねられて完成した工芸品も、 作りたてではまだ充分な美しさにない。使い手の手に渡り、触れられ、愛を受け、 使い込まれることで、使い手のいわば分身と化し、一緒に年輪を重ねていく。

使い手と生活をともにする中で美が日増しに育っていく工芸品は、 よく用いる主に向かってはその姿を更に美しくし、 用いられなければその意味を失い美をも失う。


漆器 64DD
(左)生活の中で使い込むことで艶やかになり光沢に深みがでてくる京の漆器。
(右)任天堂の宮本茂は、「64DDでゲームは遊び手自身の色に染まる」と言う。


ものを使用するという生活行為に対応しながら、質が漸次高まっていく。 置かれて美しい、更に触れて使い込むことで質が高まる。 この「用の美」が、伝統工芸品の持ち味であり、工芸品がもつ美の心情である。

    その美は愛用する者への感謝のしるしのようにも映る。





【 ものづくりの哲学 】


伝統工芸品とは、あくまで生活の中で生まれた「もの」。 こんなものが欲しい、あったら便利だという生活の必要性が、こうした「もの」を生んできた。 工芸職人は、どんな「もの」があれば生活が潤うのか、 そんな思いでものづくりを始める。

    人間の日々の生活がものを作る、これが「ものづくり」の原点。

職人たちは「人」と「もの」との関係を考え、「もの」を生活の中に置くという考え方をする。 生活者の視点に立って豊かな暮らしを与えるものづくりである。 (着物が美しいのではない、着物は人が身に着けるなかで美しく、 器は食物が盛られて美しい。)




そして工芸家は、先祖から伝承されてきた素材・技法に則ってものづくりをする。 そこには先人の知恵の結晶があるからだ。 しかし、目的は現在の人々の生活を豊かにするものづくりだから、 伝統も手段に過ぎない。

その手段を有効に活用して、新しい生活に対応したものづくりをする。

伝統を守りつつオリジナリティを追求する。伝統の上に革新・創造を積み重ねる。 この相反する緊張の中で、新時代に対応するものづくりを見出すのが伝統工芸である。

工芸家の底に流れる"ものづくりの哲学"とは、 蓄積された伝統技法・デザインを重要なヒントとして、 現代産業の新商品の開発にあたることにある。


スーパーマリオカート(SFC)
マリオカート64(N64)
宮本茂は、「マリオカート64」を糸井重里に送る時、 「変わらない良さを味わって下さい」と添えたという。 変化する時代を越えて、変わらない価値の追求。





【 人心の華 】


そして工芸家は道具を手にし、自然素材に働きかけ、思索しながら手を動かす。 その手の奧には、いつも 「心」が控えている。ここが(心を持たない)機械と全く違う点である。

「手」はいつも直接に「心」と繋がっている。 これがものづくりに、機械にはない作用をもたらす。 工芸家の手の軌跡に愛情が丹精をこめて移入された時、品物は神秘的な性質を得るのだ。 「手仕事は心の仕事」と言われるゆえんである。




こうして生まれた工芸品は、そのものを介して、 作り手と使い手との間に「情」が通い合わされることにもなる。 作り手の「心」が、「もの」を媒介にして、使い手の「心」−ものを慈しむ・大切にする・愛情−を育てるのだ。

もちろん、作り手の心が昇華されていなければ、真の意匠(工芸のデザイン)は生まれないし、 使い手の心が研ぎ澄まされていなければ、それを感じることもできない。

優れた意匠が、両者の「心」と不可分の関係にある事を、「意匠とは人心の華なり」という。 伝統工芸は、この哲学に裏打ちされて過去から未来へと展開してきた。


スターフォックス2 写真ナシ ファイティングポリゴン 写真ナシ
発売されることのなかった任天堂のゲームたち。





【 21世紀へ 】


20世紀は、機械工業生産品を人々が求め大量に消費した。安価で使い捨てが出来るからだ。 しかしもう21世紀を迎える今、人々の価値観は明らかに多様化しはじめた。

一人一人が自らのライフスタイルを模索し、十人十色願望的な様相を呈してきた。 使い捨て文化への反省・エコロジーの発想、様々な心理が重なって 愛着のもてるものを長く大事に使いたいという傾向が強まってきた。

画一的なものではなく、一人一人の価値観や暮らし方としっかり結ばれるもの。 こうしたニーズの高まりに応じて、伝統工芸品の価値は再認識されてきた。




こうした個々の「心」と繋がるような「ものづくり」への努力を怠っていると、 いずれは使い手たちから見向きもされなくなる。大量生産品はもう時代に合わない。 これは、「TVゲーム」にも言えるのではないか。

21世紀、大量生産・大量消費の時代が終焉を迎えると、「個性化」の時代が幕を開ける。 任天堂・山内社長が「64DD」を選んだのは、こうした先見もあったのかもしれない。


    時に先を行き過ぎる任天堂だが、「64DD」は延期され時代を待っている。





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